年を重ねるにつれて、お父さんの具合が崩れる時が少しずつ増えてきた。
若い頃に無茶をしたせいだと言うけれど心配で、不定期に戻るようになった。
戻るたびに看護師が増えて、医療器具が増えて、お父さんが椅子に座っている時間が増えた。
そしていつものようにモビー・ディック号に戻ると、お父さんから新入りの船員を紹介された。
「おれの新しい『息子』だ」
大きな手がずいっと押し出したのは、くしゃりとしたくせっ毛で、そばかすがチャームポイントな黒髪の青年だった。
七武海入りを蹴ったと新聞で報じていたので印象に残っている。ミオの記憶が確かなら彼は『スペード海賊団』の船長を張っていた『ポートガス・D・エース』のはずなのだが、なにがあったのか白ひげの一員におさまったらしい。
しかしそんな大層な肩書きとは裏腹に、なんだか照れたように目線をそらしているのが面白可愛くて、ミオは相好を崩して新しい仲間の登場を喜んだ。
「おわー久しぶりの末っ子だ! ミオですよろしく!」
「お、おれはエース。よろしくな!」
ぎこちなく差し出された手の平をぎゅうっと握ってニコニコするミオを見て、エースもにかりと笑った。
「グラララ……言っとくが、ミオはエースより年上だぞ。そうは見えねェだろうけどよ」
「うええッ!? 年上!? マジ!?」
「年相応の落ち着きがなくてごめんね! でもマジです」
えへんと胸を張って実年齢を伝えると、エースは顎が外れそうなくらいな勢いで驚いた。白ひげの新しい隊員にミオを紹介したときの恒例行事のようなものである。
あとから聞いたのだが、エースはかの『海侠』のジンベエ親分と五日間も喧嘩して(その時のエースはもっとガラが悪かったと聞いた)引き分けて、いざ白ひげ入りしてからもしばらくはお父さんを殺そうと狙っていたらしい。それが三桁に上るというのだから驚きである。けれど徐々にお父さんを認め始めて、最近ようやっと『家族』になったそうだ。
余談だが、ミオが自分の立場というか賞金稼ぎであることを明かしてもあまり驚かなかったのは新鮮だった。
大体は驚くし、場合によっては嫌悪されるし、こっぴどく貶されたことだって一度や二度ではない。
「海賊にだって色々あるんだから、賞金稼ぎにだって色々あったっていいんじゃねェか?」
オヤジの迷惑になりそうな事はしないんだろ? じゃあいいじゃねェか。そう言ってもらえて、ミオはなんだかとてもホッとした気持ちになった。
「あ、おれは『姉ちゃん』って呼ばないといけねぇの?」
「どっちでもいいよ。エースが呼びやすい方で」
「んじゃ、ミオな」
明るいひなたの笑顔を浮かべる新入り──エースが入ってからもミオの生活リズムはあまり変わらない。
押しかけ弟子の育成中と期間が被ってしまったので、ジンベエの言う『人斬りナイフ』のような雰囲気を纏っていた時分のエースを知らないミオにとって、エースはいたずら好きで陽気な青年にしか見えなかった。彼の仲間たち(ペット込み)も白ひげ入りしているので事実上の吸収合併のようなものだろうか、と認識している。
まぁ、変化があったとすれば。
「なぁなぁ、やっぱりミオも白ひげに入ろうぜ~!」
なぜかエースに懐かれたことだろうか。そしてめっちゃ勧誘してくる。
心当たりがあるといえば、どことなく弟子初号機……シュライヤに似ている気がして、ことある事に構い倒していたことだろうか。ちょっとした仕草とか、笑顔がお日様みたいなところとか、燃費が悪くて気が強いところ。さすがに食事中に突然死みたいに寝るなんてのはエースが初めてだが。
だからなんとなく気になって、外見年齢が近いせいか『モビーディック』号にいる間はよくつるんで行動するようになった。見かけより手がかかるエースは、ミオのお姉ちゃん魂が刺激されてなにかにつけ世話を焼きたくてうずうずしてしまう。
エースはエースで『どう見ても年下にしか見えないけど年上かつ白ひげ所属じゃないけど娘』という奇妙な生物が気になるらしく特に反発もせず普通に接していた。
傘下でも白ひげでもないことを本人が望んでいるという変な距離感を面白がっているフシがあり、例えるなら実家近くに住んでる付き合いのいい兄ちゃんという感じだった。
そんな気安い間柄だったのだが、最近やたら白ひげに入れと誘ってくるのである。
色んな賞金稼ぎ云々と言ってくれた張本人のくせに。ナースより身近で付き合いやすいとか言ってた日々が懐かしい。手のひらくるっくるですごく戸惑う。
「なんと、今ならおれの部下になれるおまけつき!」
「入らない~、今の生活気に入ってるから~」
子泣き爺のように背中にべったり貼り付くエースを引きずりながら船内を歩いていると「おーい、またエースがミオの背中にくっつき虫してるぞー」「重くなったら剥がせよー」と実に適当な激励を頂いた。
もうこうなったら本当に子泣き爺として扱ってやろうか、としゃがんで足を掴んでおんぶしようとしたら「それはやめろ!」と器用に避けられた。しかし背中から離れるつもりはないらしく、お返しとばかりにヘッドロックを決めようとしてくるので腕をつねって牽制。
「いってぇ! わざわざ皮膚の内側を狙うんじゃねぇよ、底意地悪ぃの」
「エースがヘッドロックしようとするからじゃん。大体、なんで今更勧誘?」
背中におぶさっているぬくもりはぽかぽかと熱いくらいだ。
さすがに火傷はしないけれど、それでも湯たんぽでもくっつけてるんじゃないかと錯覚するくらいにはあったかい。彼が『メラメラの実』の能力者だからだろうか。
「だってよォ、ミオっていっぺん海に出ると何ヶ月か戻ってこねぇじゃん」
確かに。
ミオが海に出るときは遊撃兼賞金稼ぎのいわゆる本業か、シャボンディ諸島に出向いてシャッキーのぼったくりバーでバイトの時なので、一度外出してしまうとなかなか戻って来ない。
それがすごくつまらないのだとエースがぶうたれるのでミオは眉を八の字にした。
「なんだそりゃ。エースってそんなに寂しがりだったっけ?」
「んなことねーよ。けど、ミオいねェと……」
自分でも感情の整理が追いついていないのか、エースにしては珍しく歯切れの悪いもそもそした喋り方である。
「なんか、いつもよりつまんねぇ」
「ふーん? だが断る」
「バッサリ切るなよ!」
うがー、と怒りながらもエースがミオを抱きしめるというか、しがみついている手はゆるまない。
むしろぎりぎりと締め上げてくるので、離してたまるかという意思すら透けて見えそうだ。
「ごめんごめん。でもだめー」
念押しに指で×印を作ると、剣呑な空気のままヘッドロック手前だった腕がほどかれて手が伸びてくる。片方の人差し指を掴んでぐにっと曲げられた。普通に痛い。
「いたいでござる」
「いたくしてるんでござるぅー」
文句を言ってもどこ吹く風だ。完全に拗ねている。どうしたらいいんだろうか。
というか、自分の周りはミオ含めてこんな感じの人ばっかりだ。
子供のまま大きくなって、それをぜんぜん恥じたりしない。海賊というのはそういうものなのかもしれない。
「じゃあ、よ」
「んー?」
悩んでいると、それまでの不機嫌が鳴りを潜めて雰囲気が変わるのがわかった。
エースはどこか探るように横目でミオを見て、握り込んでいた指を離して、それから。
「もし、ミオが白ひげに入ることになったら、そん時はおれの部下な!」
×印の間にチョップが入って、細い小指をエースの小指で掬い上げられ、絡めて、ゆらゆらと。
「予約だ。よーやーく!」
「予約かぁ……」
怒ると言うよりは念押しするように凄まれて、ミオはちょっと考えた。
白ひげに入る、もしもの話。
いつになるかは分からない。シュライヤやローのことがあるから、永遠にこないのかも。
でも、こうして部下に欲しいとせがまれるのは単純に嬉しいと思う。
エースはミオが賞金稼ぎでい続けようとするに至ったいきさつや事情を知らないし、知ろうともしない。そういうやつもいるよな、程度のごく軽い認識で交友関係を築いてくれたのでミオとしても付き合いやすかった。
そういう関係をご破算にする危険性を分かっていてなお誘いたいと思ってくれる程度には、気に入られているらしい。
それならば、と。
「うん、予約ならいいよ」
エースは了承するとは思っていなかったのか、きょとんと目を丸くして、それから慌ててミオの正面に回って肩を掴むと目線を合わせた。
「マジで!? 撤回はナシだぞ!」
悲しいくらい信用がない。
長年奇妙な立場を貫いてきたという実績があるので、そう簡単に覆るとは思ってしないのかもしれなかった。
「しないしない。ただ、そもそもこの先白ひげに入るかは……わかんないけど」
「そこはいいんだよ! おれが頑張るから!」
「が、がんばれ?」
やたらと強い勢いに押し負けてなんとなく激励してしまった。
「おう!」
エースはそれこそ太陽みたいにニカッと笑い、ミオから離れると拳を固く握って天井に突き上げた。
「──よ、っしゃああああ!!」
じゃっかん肩の辺りがメラッとしたのは、それだけ昂奮しているのだろう。
喜びすぎていてもたってもいられないのか、エースは「なんかじっとしてらんねぇから、ちょっと自慢してくる! あっ飯は一緒に食うから勝手に食うなよ!」とそのままどこぞへ走り去ってしまった。誰に自慢するつもりだろうか。
あまりのリアクションに驚いて呆然としていると、背中に声をかけられた。
「あーあ、あんな約束しちまってまぁ」
振り向くといつから聞いていたのか、マルコが呆れた感じで立っていた。
「予約なんて初めて言われたので、つい。あ、なにか問題ありました?」
「いんや。ただちぃとばかり、面白くないねぃ」
そう言いながら近付いてきたマルコは、さっきエースが取った手とは反対の手の小指を自分の小指で引っぱり上げた。
「エースの部下がイヤだったら、おれの部下になれよい」
小指とマルコの顔を交互に見てから、ミオはハッとした顔になった。
マルコはミオの知る限り普段はすごく真面目なのだが、たまにストライキでも起こしたのかというほど書類を溜めることがある。
「ま、また書類溜めてるんですか? 何日分? お手伝いいります?」
「ちげぇ! いや手伝いは欲しいけど、そうじゃねェよい!」
マルコは即座に否定すると、小指は離さないくせにぷいと目線を逸らしてしまった。ひどくつまらなそうな、あからさまに顔に面白くないと書いてある。
その様子が年上なのになんだか可愛くて、小さく笑ってしまう。
本当に、なんだってみんなこんなに自分に素直なんだか。あれこれ考えていつも尻込みしてしまうのが、ばかみたいに思えてくる。
「それも、予約です?」
「予約」
もしそんなことになったらエースが離すことなんてねぇだろうけど、と苦笑しつつマルコは言った。
「おれたちの『妹』をぽっと出の若造にかっ攫われるのは、癪なんでねぃ」
適当に指切りして、指先が離れる。
「……」
ミオはその小指を両方ともしげしげと見つめて──ぶわわっ、と顔を赤くした。最初は首筋から温度計のようにみるみる頬にまで赤みが差して、耳殻までが紅潮していく。
その様子をまじまじと見てしまったマルコは、思ってもみなかった反応にびっくりした。
「うぉ、どした?」
「いやあの、なんか……ふ、へへ」
変な笑いを漏らしながらミオは火照った頬を冷ますように自分の手で両頬を挟み、視線をあちこちにさまよわさせてから、観念したようにくしゃりと笑った。
泣く寸前のような、溢れそうな喜びがはち切れてしまいそうな、そんな顔だった。
「なんだか変ですけど、あの、すごい、うれしくて」
叶うかどうかもわからない、仮定の話でも自分が仲間になったらと考えるだけで、あんなにも喜んでくれるひとがいる。
それが自分でも驚くほど嬉しいのだと素直に語った。
頬が紅潮したまま、だらしなく笑み崩れる顔を隠そうと口元まで手で覆おうとする様子は、実年齢を知っていてもひどく愛らしく映る。
こう、あまり構われたがらないタイプの猫がようやく懐いてくれたような、妙な達成感があった。
うちの末妹がこんなにかわいい。
口に出したら余計に恥ずかしくなったらしく、もじくさと照れ倒しているミオの前で思わず天を仰ぐマルコだった。