桃鳥姉の生存戦略   作:柚木ニコ

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幕間.ドフラミンゴの慨嘆

 

 

 

 ミオは天竜人としては異端の子供だった。

 

 集める奴隷は中古品ばかりで、虐げることもなく、気付くと増えたり減ったりしていた。何かしているようではあったが、周囲にそれを悟らせることはなかった。

 やりすぎて殺したとてそれは『普通のこと』であったし、元々奴隷は替えのきく代用品に過ぎないのだから誰も気に留めなかったからだ。

 ただ、ドフラミンゴが自分の奴隷を折檻しようとすると目に見えてげんなりするので、それが見たくなくて控えたりはした。

 

「そもそもガキが大人叩く時点で頭おかしいと思うし、奴隷であってもひとの形をしているものを良心の呵責なしに折檻とか、弱いものいじめじゃん……引くわー」

 

 不思議に思って尋ねたらそんな返事が返ってきた。

 変な理屈だし、ズレた返事でドフラミンゴの方が反応に困った。姉の価値観は異端らしく変だということしか理解できなかった。

 けれど試しに折檻をせずに注意で済ませてみたら、奴隷は言うことをよく聞いたし、いつもよりずっと長保ちした。なるほどと思う。効率は大事だ。

 

 ドフラミンゴはそんな妙ちきりんな姉が好きだった。それは姉に対する思慕であったし、珍奇な生き物を観察する好奇心でもあった。

 

 だからこそなのか、天竜人をやめるということをよくよく理解していたのだと思う。

 下界に行くという父を何度も説き伏せようとして失敗し、やがて諦めてからは何かをしていた。今なら分かる。それは家族を守るための準備だった。

 

 見下していた下々民でも、集まれば力だ。

 

 圧倒的多数の暴力に屈することなく生きるためには、知恵が必要だった。それを姉は理解していた。両親はそれを知らなかった。それは歴然とした差となって襲いかかってきた。家族数人ができる抵抗など限られている。既に権威を失墜した『天竜人』は、虐げられたものたちにとっては格好の的だった。

 

 『正義』は恐いものだとドフラミンゴは知った。

 

 浴びせられる罵声を聞き流し、理不尽な暴力をいなして家族を守る姉を、ドフラミンゴは心底尊敬していた。その辺で両親に対する好感度がダダ下がりだったのは致し方ないことだろう。

 人の感情の流れを把握して疑われぬようにと噂を流し、常に逃走経路を念頭に置いている姿はまるでおとぎ話の勇者のようで、そんな姉が誇らしかった。だから貧しい暮らしにも耐えられた。少ない食事も我慢ができた。

 

 だからこそ疑問だった。

 なぜ元凶を恨まないのか、と。父が阿呆な発案を実行したせいで自分たちはこんなに苦しんでいる。父は空回るばかりで母は病床について、姉ばかりが苦労している。それはどう考えてもおかしかった。

 そんな疑問に姉は疲れたように笑うだけだった。

 

──父様がしたかったんだからしょうがないよね、と。

 

 親の庇護下でしか生きられない子供なのだから、どうしようもない。それがイヤなら早く大きくなって強くなればいい。そのためならば協力は惜しまないし、独り立ちできるまでは守るから。

 親を恨むワケではないが面倒臭い。まぁ止めきれなかった自分も悪いから恨みたければどうぞ。

 つまるところそういうことだ。世界も理不尽だが姉の物言いもたいがいだった。

 

 けれどドフラミンゴは理解した。

 

 姉はそもそも両親に期待していない。

 だから、恨みもなければ憤慨もしない。

 地位を利用しても、拘泥していないから未練もない。

 そういう意味で、姉は誰より大人だった。父などよりずっと。外的要因は容易に喪失されうるものだという前提で生きていた。納得はできないが、恰好いいとすなおに思った。

 

 ドフラミンゴは、そんな姉に頼られたかった。

 

 ほんの数年、年嵩なだけの姉が懸命に守ったとて限界がある。

 元々身体が強くはなかった母は、環境の変化に耐えきれず、ある日糸が切れたようにぷつりと亡くなった。

 なんとか荼毘に付すことはできたが、悲嘆に暮れる暇はあまりなかった。迫害はますますひどくなり、姉は家族を守るために奔走した。働く合間にドフラミンゴを鍛え、ロシナンテに知恵を与え、父の尻を叩いて生き抜くための術を教え込んでいた。遊んでもらえないことは不満だったが、目の回るような忙しさだっただろうことは想像に難くない。

 

 姉は強かった。

 年齢に反して非常識なくらいに。何度挑んでも勝てなくて、ドフラミンゴはその時だけ自分たちのみじめさを忘れることができた。

 野生のどうぶつみたいな勘の良さと、危機管理能力の高さで姉は家族を守り続け、そうやってなんとか日々をしのいで数年の時が過ぎて──唐突にその日は訪れた。

 

 どこから住処が割れたのか、経験したことのない大人数の襲撃だった。否、町すべてが敵だった。悪意の坩堝で、敵意の塊だった。

 

 恐かった。ひたすらに。そして憎かった。数の暴力に酔って拳を振るおうとする人間たちが、原因である父が、ろくな抵抗のできない、自分が。

 

 どうしようもない混沌の只中でも姉の行動は的確だった。用心深く、慧眼だった。家族を、弟たちを守るために全力を尽くした。

 姉は賢く強かった。非常識なくらいに。そして優しく甘かった。

 

「ふたりとも、僕の言うことをよく聞いて」

 

 暗い路地裏、殺意と熱気が充満するなかで視線を合わせた姉の言葉にドフラミンゴは反射的に否を唱えた。何をしようとしているのか、分かってしまったから。

 けれどそんな子供の駄々で覆るような状況ではなかった。ちょっとだけさびしそうな表情を浮かべた姉は、すぐにロシナンテへ視線を移して口を開いた。

 

 告げられたのは生存の秘蹟だった。

 

 どれだけの時間をかけて準備していたのだろうか。人目の届かない各所にひっそりと埋められた資金と、刺青を目印にした人脈。

 

「ごめんね、ふたりが大人になるまで守れなくて」

 

 運が良ければ会えるとのたまいながら、次に飛び出した謝罪の言葉。

 うそつきと糾弾すれば姉はそうだよと嘯いた。大人はずるくて汚くてうそつきなのだ、と。

 

 姉は子供だった。

 大人よりずっと頼りになる子供だった。

 それが姉の不幸だったのだと、今なら分かる。強く優しく馬鹿だった。

 短い説明を終えた姉は、自分たちを抱き締めて、突き飛ばした。受け止めた父は、見たことのない強靱な意志と力でドフラミンゴとロシナンテを押さえつけた。

 どれだけ暴れても噛みついても父は離さなかった。根性なしのくせに、こんな時ばっかり父親面しやがって。身も世も無くドフラミンゴは泣き喚いた。ロシナンテも同様だった。野太い悲鳴が聞こえる。姉の声は聞こえない。今はまだ。

 

 姉は家族を守る為に、真っ先に自分を切り捨てた。

 

「だぁいすき、だよ」

 

 心からそう思っているとわかる声だった。ドフラミンゴだってそうだ。大好きな姉。なにより大事な家族。いなくなるなんて考えたことがなかった。何があっても一緒にいると勝手に信じていた。愚かなことに。

 稽古のたびにボコボコにされて、それでもいつかは勝って、高笑いしようと思っていた。もう守ってもらわなくても大丈夫なのだと胸を張りたかった。大人になって、力をつけて、どんな悪意からも守れるようになって、そうしたら姉も連れて行こうと思っていた。ここではない、どこかへ。

 

 ドフラミンゴの覚醒は間に合わなかった。

 

 ミオの消息は不明だった。一騎当千の働きで民衆を倒し、それでも力及ばず攻撃を受けた。虫の息だったと聞いた。遺骸はまだ見つかっていない。元奴隷だった海賊が意趣返しのために持ち去ったという噂があったが、真偽は不明だ。どれだけかかっても真偽を確かめ、突き止めなければならない。

 何より愛しい姉を奪ったのだ。報復はドフラミンゴの持つ当然の権利であると信じて疑わない。

 

 あの後、父を殺した。

 

 姉はうそつきだった。

 

 

 世界はちっとも楽しくない。

 

 

 

 


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