桃鳥姉の生存戦略   作:柚木ニコ

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作者はまだロマンチックを残しているぞ…(迫真)


9.ふたりぼっちカノン

 

 

 可愛かった少年と十余年来の再会をした途端に足をぶった切られてお持ち帰りされました。

 

 意味が分からないだろう。安心してほしい、現在進行形でミオだってよくわかっていない。

 

 おそらく『オペオペの実』の能力なのだろうけど、太股のあたりからスパーンと両断された足は、感覚こそ残っているものの自分にくっついていないのでどうにもならない。痛みもないし、ふさふさとした感触が膝の後ろにあるので、ベポが持っているのかもしれない。腰から提げた庚申丸だけがぶらぶら揺れる。

 ずいぶんと縦に長く成長したローに手荷物よろしく小脇に抱えられたまま、ミオは彼らの母船にお邪魔することになった。

 

 相手が相手なので足を海に不法投棄されるとかの心配はしていない。文字通りアシがないので身動きがとれない……いや、ものすごく頑張れば多少のことはできるだろうけど、しようとは思わなかった。ローだし。

 問答無用で真っ先に機動力を封じてくるところに成長を感じる。

 

「おー……」

 

 ドアをくぐって、物珍しさに思わず声が出る。

 『ハートの海賊団』の母船である『ポーラー・タング』号はこの世界でもわりと珍しい潜水艦だ。あちこちの扉は鉄扉で緊急時に備えてだろう、ドアノブの他に取水管とかでよく見るバルブがついている。

 かすかに漂うのは消毒薬のそれで、ドアの隙間から見える部屋には医療器具が沢山積まれているところもあった。白ひげの看護師たちが常駐している部屋に似ていた。

 

「すごいな、病院みたい」

「大抵の処置はできるように誂えたつもりだ」

 

 『死の外科医』という異名の通り、本当に医者としての腕も磨いていたらしい。これならコラソンも安心して任せることができそうだ。感心していると、他とはちょっと違う色味の扉をローがためらうことなく開いた。

 

 見た途端に、あ、ローの部屋だ。と思った。

 

 大きな本棚に収まりきらなかったらしい、あちこちに積み上げられている医学書と機能性重視のデスクとぎちぎちのペン立て。ソファの上に放置されている何枚かのレポートは、何か研究でもしているのだろうか。

 ローはスタスタとデスクを素通りして片手に持っていた長刀を椅子に立てかけると、その奥にあるベッドの上にミオを下ろした。ぺしゃりとうつ伏せのままだ。

 体裁が悪いので両手を使って身体を起こし、ベッド脇に普通に座ろうとしたらバランスを保てず後ろにひっくり返ってしまった。天井が見える。

 両足というか、太股がないというのはびっくりするほど不便だ。尻だけでは体重を支えられません。

 

「足がないって不便」

「あとで返してやるよ」

 

 お気に入りなのか、あの頃と似たデザインの帽子を脱ぎながらしれっとしたものである。そうでないと困ります。

 昨日、『赤旗』ことドレークと会った帰りしなに『ハートの海賊団』を見かけたと聞いたミオは、シャッキーにおつかいの品を渡してすぐに捜索を開始した。

 諸島で海賊が船を係留できる場所は限られているのだけど、いかんせん『ポーラー・タング』は潜水艦。発見にえらい時間がかかってしまって、結局見つけることができたのは深夜を回ってから。

 

 海賊船とはいえ仮にも人の家にこんな時間はなぁ……と悩んでいたら不寝番についていた大きな白熊──ベポと目が合って、うわ本物だすごいほんとに喋ってるとわくわくが止まらなくて、つい突撃してしまった。

 

 手配書でしか見たことがなかった船と、ローの仲間。

 航海士だという二足歩行の喋る白熊は可愛くて大きくてもふもふで、試しにとスワロー島の写真を見せたらローの幼馴染みとわかってびっくりした。

 あんまり長居しても悪いかなと思ったから適当なところで話を切り上げて、お詫びに写真をあげて一旦バイバイして、戻る途中で写真を間違えていたことに気付いたから慌てて取って返した。

 

 そしたらこれだ。

 よもや出会い頭に両足を持って行かれるとは思わなかった。

 情報収集のために諸島で宿とってるなら、戻るまで時間がかかると思ってたのにとんだ誤算である。

 

「あ、そーだ電伝虫貸して電伝虫」

「なんだ急に」

「なんだもなにも、バイト先にお休みの連絡したいんだよ。無断欠勤なんて迷惑かけたらいかんでしょう」

「あァ……」

 

 こっちはきみのおかげで動けないんだから寄越しなさい、と手を出すと、ローは一度視線をずらしてからデスクにあった電伝虫を持ってきて手渡してくれる。

 お礼を言いつつ、あぐらもかけないので電伝虫の前で腹ばいになり、覚えておいたシャッキーの番号をプッシュ。いくらもしない内に出てくれた。

 

「もしもし。あの、急で申し訳ないのですが……今日ってお休み頂いても大丈夫ですか?」

 

 もし難しいようだったらローと交渉しなくてはならない。難航しそうなので、できれば許可して欲しい。

 怪我や病気でもないのに突然の欠勤とか申し訳ないなぁ、と内心しょぼくれていたのだけどシャッキーの声はなぜかとても柔らいものだった。

 

『ええ、いいわよ。ゆっくり休んでらっしゃい』

「すみません、ありがとうございます」

 

 言葉少なに通話を切って顔を上げると、ひょいと電伝虫を回収される。いつの間にかローは上着を脱いでシャツ一枚になっていた。寝るっつってたからそれはいい。

 無駄なく鍛え上げられた体躯は細身だけどしなやかで、黒豹めいて恰好良かった。こんなに大きくなって、立派に海賊やってるんだなという感慨があったのだけど──そんなことより。

 

「ウワアアアめっちゃ墨入れてるううう」

 

 ローの上半身をくまなく取り囲むトライバルタトゥに仰天して、ミオは思わず両手で顔を覆ってシーツに突っ伏した。衝撃である。あんなちっちゃかったローが刺青彫りまくってる、というのがなんかすごいショックだった。

 しかもあれじゃん、刺青のモチーフ全体的にハートだよね? これたぶん、いや絶対ロシーの影響だよね? どうしよう絶対泣くし怒るし場合によったら絶望するよこれうわほんとどうしよう。

 

「似合わねェか?」

 

 なぜそこで不安そうな顔をするのかさっぱりわからないが、嘆いているのはそこじゃない。そこじゃないんだ。

 

「似合ってるかそうでないかなら似合ってるけど! かっこいいけど! そういう問題じゃないんだよおおお!! うわくっそ油断した! 手だけだと思ってたのに!」

 

 以前の手配書で手に刺青を入れているのは知っていた。『DEATH』も大概だと思ってたけどふたを開けてびっくりだ。こんな驚きはいらなかった。

 べしべしシーツを叩いてもおさまらず、取り返しのつかない感じにごろごろ転がったら、おでこになにかがぶつかった。痛い。

 

「あだっ……ん?」

 

 手をどけて見ると枕元にあったのは小さな小箱だった。

 宝石箱だろうか、アンティークだけど瀟洒な細工が施されていてとてもお値打ちっぽい。時計とか短剣でないのが意外だなと思う。

 

「枕元に宝石箱ってすごく海賊っぽい」

 

 ローには似合わないけど海賊には似合うという不思議。

 ごく単純な感想でそう言うと、腕を組んでミオの奇行を眺めていたローが軽く顎を引いた。

 

「開けてみろ」

「いいの?」

「ああ」

 

 いいと言われたので、指でぱちんと掛け金を外してふたを開けた。

 びろうどみたいな布の上に丁寧に置かれていたのは、まばゆく光を弾く宝石たち。

 

 その輝きを目にしてミオの思考が止まった。

 

 ルビー、オパール、アクアマリン。

 

 大粒で純度が高く、見るからに価値の高いそれ。当たり前だ。虎の子にとっといたのは誰あろう自分である。

 見覚えがありすぎてしばらく硬直して、途中で我に返り、慌てて腕立てよろしく両手でがばっと半身を持ち上げてローを見上げた。

 

「売らなかったの!?」

「売れるかよ!!」

 

 噛みつくような怒声だった。

 それまでの静かな様子をかなぐり捨てた大音声がびりびりと部屋をふるわせて、鼓膜が痺れるようだった。

 

「ッ、」

 

 怯んで、ミオはびくりと肩をそびやかす。

 その間に怒りとも悔悟ともつかない表情のローはベッドに乗りかかって、あろうことかミオを背中から押し潰した。

 腹ばいになっていたため、ローの体重がモロにかかって耐えきれず顔面からシーツにダイブしてしまう。ぐえっと蛙がつぶれるような声が出た。

 

「あんたがくれた最後のもんを、おれがほいほい売れると思ってんじゃねぇよくそが……!」

 

 低く、呪詛のように絞り出すような声が背中にぶつかってきて、ローが口を開く度に振動が身体に伝わる。

 苦しいやら反応に困るやらで動けずにいると、焦れたように頭突きまでくらった。お互いが骨っぽいのでわりと痛い。

 ローは動きのにぶいミオのうなじに顔を押しつけて、腕をシーツの間に突っ込んで薄い腹に両手を回した。

 縋るように指先を服に絡めて、体温を感じる。少し早い鼓動がひびく。

 石鹸と埃とひなたの匂い。煙草のそれはほんの僅か。思い出す。大人たちの韜晦の夜。

 

 何もかもを喪って世界を憎んで全部壊したいとわめくくそがきのために、馬鹿なふたりが嘆いて願って悔しがった夜。

 

 トラファルガー・ローの──〝ハート〟ができた夜。

 

 ここにはミオとローしかいないけれど、コラソンもいると疑いなく感じる。記憶に刻まれていたものと同じ匂いに安心して、実感する。

 

 生きている。生きているのだ。このひとだけでも。

 

 細い首筋を鼻先で辿って、耳殻と髪の間に埋める。頬に当たる髪の感触がくすぐったいけれど、みっともなく歪んでいる自分の顔が間違っても見えないように。

 

「──大体、あんたもコラさんも残るもんなんか……何も残してくれやしなかったじゃねぇか……」

 

 我ながら情けないほど細い声だった。

 

 悪魔の実はとっくにローの腹の中で、能力そのものは確かに残るものかもしれないが、それじゃ駄目だ。これでは二人を偲べない。記憶はいつか薄れてしまう。

 それが恐くて刺青を入れた。魂と不可分の肌に痛みを穿って、見る度思い出せるように。コラソンのモチーフはすぐに浮かんだけれどミオのものは結局浮かばなかった。具体的なものでいちばん近いのは雪だったが、珀鉛を残すような真似は断じてできなかった。それでは本末転倒だ。

 

 だから、もう、あれしかなかったのだ。『オペオペの実』がコラソンなら、宝石はミオだった。

 

 年単位で関わっていたのに、ミオがくれた『物』は驚くほど少ないことに気付いたのはいつのことだっただろうか。あの頃、お土産にと購入してきたお菓子や靴、それに衣服。

 どれもが成長に従って捨てられるもの。いずれ忘れ去られてしまうものばかりだ。それだってドンキホーテ海賊団と袂を分かったことでなくしてしまった。自分が拒絶していた部分もあったがそれにしたって偏執的で、異常だった。

 

 二十歳を超えた図体のでかい、いい大人に乗っかられているというのにミオはといえば失礼なことにさして動揺していなかった。

 それはミオの中のローが少年時からてんで更新されていないせいでもあったし、男女の接触に求めるものが一切含まれていないことを感じていたせいでもあった。ただ、でっかくなってもローはローだなぁずいぶん重くなってと苦笑するほかない。

 

「あー、その、ごめん」

「軽く謝るんじゃねぇよ」

 

 ふてくされた調子を隠そうともしない。どうしろというのか。

 十年ちょっとという時間は長すぎて、一体何から話せばいいのかわからない。迷っていると、ろくな反応が返ってこないことに焦れたらしいローが再びぶつぶつと這うようなつぶやきを漏らす。

 

「……おれは、ミオとコラさんは死んだと思ってたんだ。能力者だけで海に落ちたらまず助からねぇ。ましてあんな状況で、」

「あ、それ」

「あァ?」

 

 そんなドスの利いた返しをされても、こちらとしても多少の言い分はある。むしろ確認したいことが。

 

「僕はこないだローの手配書見るまで、てっきり軍属入って軍医やってると思ってたんだ。なんでかっていうと、ドフィにローが海軍に保護されたって言われたからなんだけど」

 

 それは先日、もとい昨日ドレークに会ったことで解消された疑問だ。盛大に勘違いしていたせいで、ミオはまったくの見当違いを気に掛けていたことになる。

 

「あいつの話はやめろ」

「ごめんて。まぁそっちが誤解ってのはもう分かってるから、重要なのはそこじゃなくてさ。あー、その」

 

 ローはよっぽどドフラミンゴに憤懣やるかたない思いを抱いているのか頑とした調子だけれど、当時のことなので出さないと話が進まないのだ。ちょっとの間見逃して欲しい。

 こちらとしてもあまり思い出したくない記憶なのだが、ここを擦り合わせないと話にならないのである。

 

 言い淀んでいたら背中の気配が急かしてくるので、意を決して腹に気合いを入れる。

 

「あの時……ロー、『どこ』にいた?」

「──ッ」

 

 びくりとローの身体が硬直するのがわかった。

 ミニオン島での一件ではコラソンとミオは途中で一旦別れて行動していたので軍に保護されたのがドレークと分かった現状、逆にローが『あの時』どこにいたのかが疑問だった。

 満身創痍にされたコラソンを前にしてドフラミンゴと対峙した、雪降りしきるミニオン島。軍曹は途中でミオに付いてしまったので、こちらもローの行方については知らないままだ。

 

 落ち合う約束を交わした『となり町』でないのなら──どこに?

 

 長い、長い沈黙が落ちて、ローの腕が痛いほど強くミオの腹を締め上げる。

 

「……たからばこ」

 

 そして、口に出すのも苦しいのか、途切れ途切れに。

 

「コラさんのうしろに、あった、でかいやつ。あの中に……おれはいた」

 

 ……ああ。そうか。そうだったのか。

 記憶の中でいくつかのピースが合致して、ローの態度に納得する。同時に罪悪感もあった。あそこでのやり取りを聞いていればなるほど、死んだと思うのも無理はない。

 陸揚げされたマグロよろしく脱力しているミオの耳元、低い囁きが耳朶を打つ。

 

「外の音は、全部聞こえてた。だから──ぜんぶ知ってる」

 

 そうだ、ローはあの時のことを今でも覚えている。絶対に忘れない。

 漏れ聞こえた会話と、慕っていたひとの暴露。

 海兵の懺悔、心が掻きむしられるような拒絶と悲嘆の混じった絶叫。耳を弄する銃声、硝煙と血の臭い。二人が海に落ちたという誰かの報告。無力感と悔恨。叩き付けた拳の痛みも、喉が裂けるほどにわめいても届かなかった叫びまで、全部。

 

 忘れることなど、できるものか。

 

「ミオ。コラさんのために疵、増やしただろ」

 

 確信の籠もったローのつぶやきにミオはぐう、と唸って動かなくなる。

 

「見せろ」

「えええ……」

 

 心底イヤそうだった。

 

「おれは医者だ」

「知ってるよ。もう治ってるよ」

「この場で全部ひん剥いて確認したっておれは構わないんだが」

「やだ物騒。そもそも論で、それは医療行為とはいえません」

 

 やり取りそのものはのらくらしているが、見せたくないという意思は伝わってくる。しかしそれを大人しく聞くほどローは人間ができていない。

 

「ミオ」

 

 喉から絞り出された響きに混じった感情は、哀訴なのか懇願なのか。

 

「たのむ」

 

 その、どこか縋るような口調にミオはしばらく黙りこくり、やがて観念したように顔をシーツに埋めたまま、いかにもしぶしぶと左手を上げた。

 長い袖から手首までがずり落ちて、しなやかな指がわきわき動く。

 

「……ほれ」

 

 抱き締めていた片方の腕を解いて、ローはミオの手のひらにそっと触れた。指の腹で形を探るように辿っていく。

 昔と変わらない、細くて頼りないのに胼胝の目立つてのひら。邪魔にならないように短く揃えられてちんまりした爪。けれどそこにある、少しいびつな感触。

 

「あとはここにないけど太股とえーと、腹だったかな、たぶん」

 

 銃創なんて大層な怪我のはずなのだが、もうそれくらいは意識にすら上らないらしい。確かにいちいち気にしていたら文字通り身が持たないだろう。

 

「そうか……」

 

 ローの親指の先で触れる肌には弾痕らしき痕があって、皮膚の色が少しだけ違っていた。ひっくり返すと甲の同じ箇所にもあった。弾丸が貫通したのだとすぐに知れる。

 といっても、手の上に手をかざした時にできる、うっすらした影のような儚い色味のものだ。目を凝らさなければわからないだろう。ただ、ミオの肌自体がもともと白いので一度気付いてしまうとひどく目立つ。

 

「とにかく弾切れさせるのに夢中だったし、何発かは覚えてないからそれだけで勘弁して」

 

 あまり自分の手を好んでいないミオはローから手を引っぱって回収すると、胸元とシーツの間にしまい込んでしまった。

 ミオが己の手を矜持として誇ってはいるけれど、同時に厭ってもいることは知っている。だから握手はするけれど、一定の信頼を預けた相手……主に家族以外とは手を繋ごうとしない。袖の長めの服が多いのは腕にある傷痕を隠すためももちろんだが、手を布の中にしまい込むための用途の方が強い気がした。

 

 なにか、ひどくもどかしい感情を持て余す。

 

 ローは離れていた年数分年を取って成長したはずなのに、何を言えばいいのかわからない。言いたいことは沢山あったはずなのに、多すぎてかえって言葉が渋滞しているようだった。

 そんなローの雰囲気を察したのか、ミオがシーツに埋めていた顔を動かした。鼻先がくっついてしまいそうな至近距離で、桜色の瞳が悪戯っぽく揺れた。

 

「名誉の勲章ですよ?」

「……そうだな」

 

 堂々と言い切れることにローの口の端が僅かに上がる。

 言われてみれば、これはコラソンの身体に傷を増やさないというミオの決意の証。拒絶の意思が結実したものだ。

 おそらくはローが己に施した刺青と根元が近い。なんとなくそう思う。

 

「それはそれとして、ロー、いい加減いっぺんどいてくれ。この体勢しんどいし、さっきからベルトでおなかのとこ挟んじゃって痛いのなんのって」

 

 めんどくさそうにだらだらと言われ、やや満足したローは大人しく横にどいた。こっちの手に両足があるので逃げるのは無理だろうし、体勢がきついのは本当だろう。

 ミオは器用にごろりと仰向けになると腰のベルトを外して一息吐いた。ガンベルトめいて幅広のそれに固定されている鞘を掴んで躊躇なくローに差し出す。

 

「そこらへんに置いといてくれる? あ、こないだ鞘の底に海楼石仕込んだから、気ぃつけてね」

「あ? ああ」

 

 ずしりと重いそれを受け取って、言われるがままに注意してベッド脇に立てかける。柄を見る限り、作りも拵えも昔と変わらないように見えた。

 その間にミオは上着をもそもそ脱いで、雑に丸めると枕元に放り出した。長袖のシャツ一枚というラフな格好になって「あー楽」とか言いながらのびをしている。

 ちょっと待って欲しい。

 

「おい」

「どーせ誰かさんのせいでろくに動けないし、昨日っから寝てないし、ローも寝るなら僕も寝るから。さすがにきっつい。邪魔ならソファの方にでも運んでおくれ」

「いや、んなことしねェけど……」

 

 「ありがとー」とか言って寝そべってしまった。それまでの雰囲気がまとめて吹き飛んでローの頬が引きつる。

 ミオの両足をもいだ(・・・)のもここまで運んできたのも、ここで逃がしてたまるかというほぼ衝動みたいなもので特にどうこうしようという思いはなかった。相手がローだからこそ無防備で緊張感がないというのは分かるので嬉しいは嬉しいのだが、なんかこう……釈然としない。

 処理しきれない煩悶でぐるぐるしていると、ミオがよくわからないという顔をした。その顔をしたいのはこちらなのである。

 

「なんだどうした、さっきまで背中にひっついてたくせに。てか、しょっちゅう一緒に寝てたじゃん」

「うるせぇ」

 

 それは自分が子供の頃の話である。

 いやでもそうか、ミオの中のローはまだまだ可愛くないくそがき固定で動いていないのだ。

 どうやら手配書でローが成長していたことを知っていたようだが、直接再会したのはほんの数十分前。こっちもまだ戸惑いがあるのでそれも当然ではある。

 そうなると同じ布団で寝るくらい、どうってことないのだろう。なんせコラソンと合流してからベッドの都合でそれこそしょっちゅう一緒に眠っていたのだから。今更ローが縦に伸びたところで同衾程度ではなにも変わらないことが分かってしまい、なんともやるせない気持ちで顔面を手で覆う。

 

 ここで自分はもう守られるだけのガキではないと言うのは簡単で、実際そうしたいと思う自分もいるにはいる。けれど、それは今向けられている無防備であけすけな好意と引き替えであることも分かっている。

 

 ローにとって、ミオはもう二度と会えないはずの存在だった。

 募らせた思慕の念は少年時代のひたむきに無垢で純粋なまま、墓の底まで持っていって埋めるつもりだったのだ。

 それがこうもあっさりと再会してしまい、一体どうしたいのか、事ここに至ってもいまいち判断がついていない。

 

 だって──脳裏にこびりついた、思い出そのままの姿で現れるから。

 

「そもそも、なんで見かけが変わってねェんだよ」

 

 十年以上の年を経ているにも関わらず、ミオの姿はほとんどと言っていいほど変わっていない。改めて観察したところで少しばかり背が伸びて、服装が変わって、本当にそれだけだ。

 苛立ち紛れの疑問に、ミオはくちびるを尖らせてぶーたれる。

 

「僕だってコラソンくらい大きくなりたかったですー。くそ、ここまでくると弟たちに身長吸い取られたとしか思えない……ローにまで追い抜かれてるなんて、こっちだってやんなっちゃうよ」

「コラさんに変な冤罪かけんな」

 

 やんなっちゃうとか抜かしているが、ミオの身長はせいぜい160程度。ローどころか大抵の大人に負けている。

 あと、誰もそこまででかくなれとは言ってない。

 

「背はちょっと伸びたけど、あとは何年経っても変わらなくて……実の副作用説がいちばん有力なんだけど、ひどいよねほんと」

「胸もねェしな」

「うっせぇほっとけ! 僕だってむちむちぼいんぼいんになりたかったわ!」

 

 ぼすんと枕をぶつけられた。気にしていたらしい。

 ミオの能力はあらゆるものを『固定』するものだということはかつて聞いていたが、副作用として細胞の老化まで中途で『固定』、或いは阻害されてしまったのだろうか。

 深く考えたところで相手は悪魔の実だ。どんな副作用があっても不思議ではない。

 適当なところで思考を切り上げて、肩肘をついて頭を支えていると、騒いでいたミオが自分の身体を見つめていることに気が付いた。

 

「どうした」

「……うん」

 

 曖昧な返事をしながらゆるゆると視線が動く。ローの頬、首筋、シャツの隙間から覗くトライバルタトゥをなぞって、腕の先まで。

 観察するみたいにまじまじと見つめて、ようやく納得したのかちいさく頷いて、ほ、と吐息。

 

「……?」

 

 ぎゃあぎゃあ騒いでいたのがうそみたいなしおらしい態度にローが迷っていると、ゆっくりと桜色の瞳が眇められる。安堵のそれだった。

 

「よかった。──どこにもない」

 

 何を探していたのか、それで分かった。

 ミオは天井を仰ぐと両手で自分の顔を覆ってもう一度「よかった」とつぶやいてからローとは逆方向に寝返りをうって、団子虫みたいに丸まった。ローの目線の先、小さくミオの背中が時々しゃくり上げるように跳ねる。

 ああそうかと思い至って、ローは腕を伸ばしてなだめるようにミオの頭に手を置いた。自分でも驚くくらい、柔らかい声が出る。

 

「完治してる」

「うん、ちゃんとみた」

 

 必死に押し殺そうとしているが、ひきつるような涙声だった。なんだかたまらなくて団子虫をひっくり返して抱き寄せた。

 胸元に顔をおさめて背中に手を回すと、布越しに肌が汗ばんでいるのが分かった。さっきよりずっと身体が熱い。

 つむじを顎で押し込んで、笑みを含んだまま小声で話しかける。

 

「泣くなよ」

「ないてない。でもほっとした」

「コラさんとミオのおかげだ」

「ローがちゃんと頑張ったからだよ。あきらめなかったから、治せたんでしょ」

「まぁそうだな」

「えらいよ、すごい」

 

 ぐずぐずと洟を啜りながらよかった、すごいと繰り返すミオの背中をゆるゆると撫でて抱き締めたまま、ローはそっとまぶたを落とした。

 ありがとう、と聞こえた。内緒話みたいな消えそうな声。何も言わず、気付かれないように髪にくちづけた。

 

 胸の奥に星がふるような、そんな気持ちだった。

 

 煌めく星がまき散らすスペクトルが震えて弾け、火花のように輝いて。

 

 息が詰まってしまいそうな、胸に迫る感情の名前は分かっているけれど、いまはいい。

 

 生きててよかった。

 

 また会えて嬉しい。

 

 大事にしたい。

 

 

 今度こそ──ずっと一緒にいたい。

 

 

 


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