ローと再会してなんだかんだで一緒に仮眠を取ったら……すごく寝てしまったらしい。
仮眠という名のガチ寝をしてしまった時特有の気怠い感じがあって、天井を見つめながらしばらくぼーっとしてたら「よく寝てたな」と声をかけられる。ローはデスクの方にいるようだったので、動く気配がしたのだろう。そうだここハートの海賊団だったと思い出し、自分の両足がくっついていることに安心する。
口元に手を当ててくあ、とあくびをひとつ。
「ごめん、どれくらい寝てた?」
「もう昼回ってる」
「えっ」
一気に目が覚めてがばっと身体を起こしながら壁掛け時計が目に入ったので、確認。マジだったことにびっくりする。五時間は爆睡していた。
ベッド下に置いてあった靴を履きながら「起こしてくれてよかったのに」と愚痴ると聞きとがめたらしく「今日は休みなんだろ」としれっとした返事が飛んでくる。そりゃそうかもしれないけど、自分の部屋ならともかく仮にも海賊船で爆睡て、どうなんだろう。
問答の間もローが近付いて来る気配はしなかったので、何をしているのか気になった。丸めてあった上着を伸ばして袖を通しながらベッドから下りて、少し歩くとローは先ほどの机に座って羽根ペンを動かしていた。前まで移動して何の気なしに覗き込んだら、文字列から察するにカルテのようだった。
番号と名前を見てあれ、と思う。
「それ、ひょっとして僕のカルテ?」
「ああ、寝ている間に診察させてもらった。あんまり肺が強くねぇからもう煙草止めろ。あともっと肉を食え」
これはひとの睡眠を脅かさないほど静かに診察できることを褒めるべきか、了解を得ずに勝手をしでかしていることを窘めるべきか。束の間迷った。
「ローにだけは言われたくないことを言われてる気がする……それに、確かに煙草は多少吸ってるけど一週間で一箱も──て、ない!」
上着の裏側にあったはずの膨らみがぺしゃんこになっていて慌てそうになったら、その前にシガーケースと携帯灰皿を投げてよこされた。
「中身は没収だ」
「ひどくない!?」
「ひどくねェよ。ミオの健康を気遣った結果だ」
いかにも医者の診断です、という感じで心なしドヤ顔されたのでえーってなる。
ローがいくらお医者さんでも自分のお金で購入している嗜好品をとやかく言われるのはなんかこう、釈然としない。
不満が雰囲気に出ていたのか、カルテから顔を上げることなくローがぽつりと付け足した。
「そんなに好きじゃないんだろ、煙草」
「……なんでそう思ったのか聞いても?」
確信だけがそこにはあって、反論もあまり意味がなさそうだったが念のために聞いてみた。
彼の前で吸っていないのだから、苦言を呈するに至る判断を下す経緯を知る相手は限られている。
「ベポだ。『すっごくまずそうに吸ってた』ってよ」
「あ~~ベポか~~、ならしょうがないな~~」
秒で納得したミオはぺちんと手で自分の額を叩いた。彼の前でうっかり吸ってしまったので、モロバレだったんですねわかります。
あれは悪いことしたなと思う。主に副流煙的な意味で。煙草はすべてシガーケースに移してはあったものの、おそらくローにはどの銘柄かバレているだろう。
……吸うようになったのは、本当になんとなくだ。
二十歳を越えてから酒と一緒にたまに嗜むようになったけれど、ヘビースモーカーになることもなくここまで来ている。匂いというのは記憶に残るものだから、口とかが寂しいときに咥えて、吸っていた。
だからってしおしおと言うことを聞くのも悔しいので、言うだけ言おう。
「本数少ないし、」
「やめろ」
「でも、」
「やめろ」
「…………」
「だめだ」
「念押しやめて。わかった、わかったから」
足掻いてみたものの謎の圧に負けて頷いてしまった。
両手を上げて降参すると、ようやくローも満足したらしい。
「隠れて吸ってもバレるからな。ベポは鼻が利く」
……読まれてたか。
しかも自分ではなくベポを出すということは、それだけやめさせたいらしい。これは本当に禁煙するしかないのかもしれない。
それきり会話が途切れて、沈黙が落ちる。
なんとなく、お互いに距離感を図りかねているような微妙な雰囲気があって、ミオはちょっと居心地が悪い。たぶんローもそうだと思う。喋るタイミングを外して、変な緊張が抜けずにお尻がもぞもぞしてしまうあの感じだ。しかも苦し紛れに部屋をちょろつこうとするとローの気配が追いかけてくるので、どうにも困る。結局デスク前のソファに腰掛けつつ、本棚のやたら難しいタイトルを目で追ってみたりしてみた。
理由は分かっているのだ。
十年以上離れていた人間と再会して昔と同じようにすぐ喋れる、なんて無理な話である。ましてローにとってミオは既に故人のはずだった存在だ。
思い出というには近く、知己というと少し遠い。距離感がつかめないから、うまく会話が繋げられない。何をどこまで話せばいいのか、話してもいいのか、聞いても大丈夫なのか、そういう許容範囲が探りきれていないから口を噤んでしまう。もどかしいけれど、これはミオにだってどうにもならない問題だ。
とはいえ、なんだか据わりが悪いからって理由だけで逃げたりするのは違う気がする。
バイトは休み(休んだ)で、ミオとしてもローともうちょっと一緒にいたいし話もしたい。
そしたら、
「どうすればいいかね」
「なにがだ」
「ローとお喋りしたいんだけど、なにを話せばいいのかわからん。いっぱいあるはずなんだけど、なんか、どれから話せばいいのかとかぐるぐる考えちゃうし、こう、難しくて」
思ったことをそのまま吐き出したら、少し驚いたようだった。
「……相変わらず馬鹿正直だな。おれだってわかんねェよ」
感心すら滲ませて、ローは羽根ペンをくるくる回してペン立てに突っ込むと観念したように頬杖をついた。
「正直、おれの船にミオがいるって事実だってまだ実感が湧いてねぇ。こっちだって聞きたいことも言いたいことも山ほどある。が、どれから話せばいいのかさっぱりだ」
思い出から突然飛び出してきた故人……だったはずの人間は、果たして自分の幻想や都合のいい夢じゃなくて本当に目の前にいるのか。
ひょっとしたら、カルテ作りはローなりの確認作業の一環なのかもしれなかった。
「そりゃそうか。僕も手配書で生存確認できたときすっげぇびっくりしたもんなー、それで今日会ったらすごく緊張したし」
「嘘つけよ。出会い頭にひとの目の隈指摘してきたくせに」
「ほんとだよ。印刷と本物じゃ威力がぜんぜん違う。うわー生だ本物だ動いてるすげぇよかったーって思ったら、頭の中真っ白になっちゃって」
「生ってなんだ」
半ばアイドルのような扱いが不服だったのか睨み付けてくるが、ミオは腕を組んでローを眺めながらしみじみと。
「だって手配書の百倍かっこいいし、隈ひどいし、声低いし、動いてるし? まぁ、人の足いきなりぶった切ってくるとは思わなかったけど」
正面切ってかっこいいとか言われたローはちょっと口の端を上げかけたが、すぐに隈とか持ち出されたので真顔になった。
「ああでもしないと逃げそうだったからな」
「時と場合と相手によるよそんなの。ローだったらよっぽど切羽詰まってない限りは逃げない」
遁走を図るに足る事態に陥るか、よっぽどの理由がなければローから逃げようとは思わない。
少なくとも現時点では。
「断言はしないんだな」
「断言できる自信がないからできない。ごめん」
「……いや、そっちの方があんたらしい」
しょんぼりしているが、できるかどうか分からないことは口約束でも確約しない、というのは本当に彼女らしい。
ミオはもう一度ごめんと告げてからごくごく素朴な口調で続けた。
「それで、その、積もる話とかめんどくさい事をもろもろうっちゃって言いたいことだけ言うと……僕はローと昔みたいに仲良くしたいなぁと思ってるんだけど、ローはどう?」
この際なのでずけずけとぶちまけることにした。
「十年以上も生死不明で音信不通だったヤツともっかい仲良くとか、虫が良すぎてやっぱりいやかな」
へたに濁して中途半端に伝わったって意味がないことくらいは、ミオにだって分かるようになった。
聞いていたローはといえば、途中で頬杖に乗せていた頭をがくっと滑らせた。落ちた頭を引き戻しながら眉間にものすごい皺を寄せて、猛烈に思考を動かしているのが端から見ていてもよくわかる。
少しの沈黙ののち、ローはミオから視線を外しつつ、ぽつりと。
「──昔みたいに、は、無理だろ」
思ったより真剣な声と眼差しだった。
ムシのいい話だったかなと反省しかけたのだけど、考えてみればどだい無茶な話であると納得する。
脳裏に浮かぶ弟たち。ドフラミンゴとロシナンテ。彼らも年を重ねて想像を遙かに超えてでっかくなって、なにより大人になっていた。
ローも大きく成長して、もう成人だって越えている。親族ですらないのだから子供扱いは失礼だし『昔みたい』な付き合い方ができるワケがなかった。
だから、たぶん。
「それ、仲良くすることに関してはワンチャンあるって解釈であってる?」
「ああ」
頷くローに自分の考えが間違っていなかったことを確認できて、満足する。
「なら安心。よかった!」
拒絶されないだけでミオとしては花丸満点である。笑顔で万歳して勢いのままに立ち上がる。
そのまま一度ローの寝台まで戻り、立てかけてあった庚申丸を差したベルトを腰に巻きながら踵を返して机の前を素通りしようとすると、ローの腕が伸びてきて手首を掴まれた。
「おい、どこに行くつもりだ」
打って変わって剣呑な雰囲気をまき散らすローに困ったようにミオは眉をしかめつつ、空いている方の手で自分の胃のあたりをぽんと叩いてみせた。
「いやさすがにおなか減ったし、外でなんか食べてこようかなと」
安心したら空腹を思い出した。
昨日の夕方から今まで食事らしい食事をしていないのでいい加減すかすかで、このままだと痛み出しそうだ。
直球に人間の三大欲求を訴えられたローはしかし、不満そうな顔をしたまま手を離そうとしない。痛くはないけれど離れる気配がないそれを咎めようとして、ふと。
「ローはごはん食べてないの?」
「食ってねェ」
ちゃんと聞いてみたらローが起きたの時間はミオが覚醒する数十分前で、起きてすぐに検診して、その結果をもとにカルテを作っていたから何も口にしてないとのこと。
「なんだ、じゃあ一緒に食べに行こう。シャボンディ諸島なんだかんだで長いから、いろいろ案内できるよ」
「食べに行くより厨房の方が近いだろ。諸島に関してはあとで聞かせてもらう」
外食が面倒くさいという気配もあったのだが言外に含みを感じて、ミオはまだ掴まれたままの手首とローの顔を交互に見てから、ぽつりと。
「ローがごはん作ってくれんの?」
くつりとローが喉を震わせる。
「冗談。逆だ」
「えーと、僕の料理のこと覚えてて言ってる?」
「それがいい」
まっすぐにミオの瞳を見据えたままきっぱり言われると、拒否する理由は特になかった。
「……そか」
文句言わないならいいよと頷けば手首を掴んでいた手がようやく離れ、ローは席から立ち上がって出口ではなく寝室へ向かった。
なんとなくその背中を眺めていると、さして間を置かずに戻って来る。
「手ぇ出せ」
「ん?」
何も考えずに出して手にぽん、と渡されたのはさっきまで宝石箱で存在を主張していた『ごほうび』がみっつ。
「え、いいよ返さなくて。あげるあげる」
意図が読めず、目を丸くしたミオは反射的に突っ返そうとしたがローは受け取ろうとしない。どころか先ほどのように腕を組んでこちらを見下ろしてくる。
「いくら『ごほうび』っつっても、あんな時分のガキにやるようなもんじゃねェだろ」
これまでローのよすがとなってきた重く冷たい鉱石たちは、ミオとの再会によってその役目を果たしたといってよかった。
それならば持ち主に返すのが筋というものだ。疑問の解消にもちょうどいい。
「なに考えてたんだ?」
ある程度の年を重ねてから名のある鑑定士に宝石を見せたとき、聞かされた鑑定額は目玉が飛び出るくらいの値段だった。みっつ合わせればそこそこの船くらい即金で買えてしまう。
結末は別れだったとしても、当時ミオはそんなことかけらも考えていなかっただろう。自分だってそうだ。だというのに、少年だったローに『ごほうび』と称して渡すには宝石の価値が高すぎる。
それならば、別の意図があったと考える方がしっくりくる。
見下ろした視線の先、ミオは視線を泳がせながら気まずそうに言い淀んだ。
「なにって……まぁ、くだらないことなんだけど」
そうだろうな、とは思ったが口には出さない。記憶に残っているミオは考えつく限り、大概くだらないことばっかり考えて行動していたので、今更だ。
ミオはローの問いに手の中で宝石をひとつ持ち上げて電灯に透かしながら、ちょっとだけ懐かしそうに口を開いた。
アクアマリンの水色を透過した瞳が玄妙な色味を帯びる。
「悪魔の実ってくそまずいって聞いてたから、口直し用のつもりだったんだよ」
「食えない宝石をか?」
確かにオペオペの実は噂に違わぬくそまずさだったが、飴玉の包装に包まれていたとはいえ宝石は宝石。食べられない。
「ちがうちがう。この宝石と同じ色で形の飴玉持ってたんだ、あのとき。たしか魚人島で買ったんだっけかな?」
彼女の使っている船は風の流れを無視した航行が可能なことは、ローとてよく知っている。ついでにその船を引くミオの相棒は海王類すら捕食する化物クラスの存在なので、あの頃どこで何をしていても奇妙ではなかった。
そういえば、あの蜘蛛──軍曹は一緒ではないのだろうか。十年かそこらでくたばりそうではなかったのだが。
ローの横道に逸れていた思考が、ミオの声で引き戻される。
「で、ローたちと合流してからそっちは食べられません残念でしたーって交換しようと思ってた」
「クソほどくだらねェ理由だった……」
ここ十余年ローを支えてきたはずの宝石は、びっくりするほどどうでもいい理由で渡されていたものだった。
こめかみを押さえてうなるローにミオは苦笑する。
「だからくだらないって言ったのに……でも、合流できなかったからかえって良かったかなって思ってた」
有事の際に売り払って資金繰りでもなんでも使ってくれればいいと思っていたので、本当に意外だったとミオは語る。
「まさか戻って来るなんて、びっくりだ」
面映ゆくつぶやいて、ハンカチを取り出して大切に宝石をくるんでいく。傷一つ見当たらないそれは、ローが本当に大事に扱っていた証拠だ。
「でも、返してもらうと『ごほうび』あげなかったことになっちゃう。それはよくないな」
「べつに、いいだろ。おれが勝手に返したんだ」
「いや、よくない」
なにかこだわりがあるらしい。
一度ひとに譲り渡したからには、その物品を相手がどう扱おうと自由だとしても、それとこれとは別問題なのだそうだ。よくわからない。
「この宝石ぐらい、はあげすぎだから無理だけどローの『ごほうび』になるもの、なんかあったかな……」
ごそごそとあちこちのポケットを探り出すミオにローは顔をしかめる。
変わらず律儀なのは結構なことだが、まだ子供扱いが抜け切れていないようでこちらとしては面白くない。ある意味では子供時代との訣別で、ミオとローの関係性が変化したことの象徴だ。
代替品を渡されると、それこそ関係を引きずってしまうようで、こちらとしては困る。
「おい、おれは──」
「あ、そうか」
けれどローが言い募る前にミオは何か閃いたのか、顔を上げる。が、またすぐ考え出した。
「でも、これはなぁ……あー、どうしよう……」
「?」
眉を寄せて上目遣いにローを見て、それから足元を見たり壁にずらしたりと落ち着かなく視線をうろうろさせてからひとつ頷いた。
「まぁ、いいか。どのみちローのだし」
結論が出たのか、ミオは上着の中に手を突っ込んで何かを引っ張り出す。
さして厚くもない、オリーブグリーンの装丁の小冊子だった。ワインレッドと白の細いリボンのついたそれは、どうやらミニアルバムのようだ。
「はいこれ」
なんの前置きもなく差し出され、ローは少し戸惑った。
「なんだこれ」
返答は簡潔極まりなかった。
「誕生日プレゼント」
ミオは弾かれたように自分を見るローに、してやったりとばかりに瞳を細めて微笑んだ。淡い色合いの中に確かに浮かぶ深い安堵と、渡すことができた喜び。
甘い彩のかかった、とろけそうな笑顔だった。
「十一年分だよ」
唐突に、少年のときに瞳に映していたものと同じ笑みを、見下ろしている自分がここにいることを自覚する。
視線の先で、心なし目許の赤みを増したミオがはにかんだまま、照れくさそうに言う。
「ローがとびきり喜ぶ……かはわかんないけど、がんばって考えました」
がつんと木槌で頭をぶん殴られたような衝撃だった。
ローは息を呑み、伸ばそうとしていた指先が震えた。
「──ッ」
なにかが胸に迫って、身じろぎひとつとれなかった。
──ミオ、おまえ。
欲しいものを尋ねられて、苛立ち紛れに勝手に考えろと悪態をついた馬鹿なくそがきの暴言を真に受けて、本当に考えてやがったのか。
十一年も。ずっと。
『じゃあ、ローがとびきり喜ぶものを考えないと』
確かにそう言っていた。だが、言っていたからって本当にやってるなんて思わねぇだろ。
ああ、本当に──このやろう。
「覚えて、たのか」
「忘れるわけないでしょー」
考えろって言ったのはローの方だと唇を尖らせるミオに、そうだったなと返すのが精一杯だった。
おれだって覚えてる。覚えてるに決まってるだろ、ちくしょう。
衝動的に抱き締めなかった自分を褒めてやりたい。理性と一緒に目の前がぐらぐら揺れるようだった。
なにかしないとやらかしてしまいそうだったので、反射的にアルバムを開いた。
「ほんとは次の誕生日か、そうでなかったら一緒にあげたかったんだけど、今でもいいや──て、ちょおおなんで開けんの!? 僕いなくなってからにしろよ!」
どかんと顔を真っ赤にしたミオがさすがの俊敏さで手を伸ばしてきたので、ひょいと避ける。
片手でアルバムを持ったままもう片方の手で白い頭を押さえてしまえば、ミオの手は届かない。
今では、もう。
「身長差がにくいいい! 成長は喜ばしいけどにょきにょき伸びやがってくっそー!」
「おれがもらったもんをいつ開こうが、おれの勝手だろ」
う、とぶんぶん振っていた手の動きが止まる。
あっという間に気勢を削がれてたミオはじゃっかん気まずそうに視線を逸らす。
「そりゃそうかもだけど、恥ずかしいじゃん……あとにしてよ、あとに」
「おれに命令するな」
回収を諦めたらしいミオは伸ばしていた手を引っ込めてしおしおとうなだれ、両手で顔を覆いながら命令じゃないよお願いだよと力なくつぶやく。
そんな自称お願いを無視してローは改めてアルバムを開いた。
クリーム色の台紙に丁寧に張られた写真と、その縁にはミオの字らしいとりどりのカラーペンで『Dear.Trafalgar Law Age.○』と必ず綴られていた。
食い入るような目つきでページをめくっていくローに観念したのかため息をひとつ吐いて、ミオはぽつぽつと言葉を落とした。
「……荷物になるようなものはイヤだったから、写真にしたんだ」
真昼の月
朝靄の中で瑞々しく綻んだばかりのライラック
かぎしっぽの猫
「一年に一枚だけって決めて、一緒に見たいと思った景色とか──」
一面の、頭を垂れる稲穂が作った黄金色の海
雪まみれのゴマフアザラシ
はしっこが焦げているクッキーとちょっといびつなバースデーケーキ
「ローに見せたいなぁって思ったものを、毎年、選んでた」
雲間から差し込む光が作る天使の階段
魚が大口を開けた珍妙な船首の船
水平線で星のように光り爆ぜるひなたの欠片
「……そうか」
ミオがきれいだと思ったもの。
ローと一緒に見たいと望んだ景色。
写真はどれも綺麗だったが、なぜか沁みるようなさみしさがあった。
ひどく遠いあこがれを閉じ込めたような、憧憬と隔絶。
それはきっとローも感じていたものだ。
──ここにきみがいればいいのに。
同じ道を歩むことはできなかったけれど、写真の数だけ追想して、重ねることはできる。
「見れば思い出すことって案外あるから、ローにも伝えやすいと思った、ん、だけど」
だんだんと自信なさげに細くなっていくミオの声。十八歳の部分が空白な理由はもう分かっている。ベポに間違って渡したという、あの写真だろう。
ここには貼られていない、朝焼けのスワロー島。
きっと、すべての写真には裏書きがある。今剥がすとそれこそ手段を問わず没収しそうなので、これ以上のことはしないけれど。
「最高のプレゼントだ」
そう零すとミオは気が抜けたようにへにゃりと眉を下げて、泣きそうな顔で笑った。
そして、おそらくは何年もずっと口にしたかったであろう言祝ぎを。
「おめでとね、ロー。生きててくれて、ありがとう」
おそらくは無自覚で、意固地なまでにひとに『残るもの』を渡そうとしてこなかったミオがローのために用意した『とびっきり』。
それは、ミオの抱いてきた十一年分の痛みと願いがローに届いた瞬間だった。