桃鳥姉の生存戦略   作:柚木ニコ

47 / 86
14.シャボンディ・バディヌリー

 

 収穫があろうとなかろうと夕方までには一度お店に戻ることを麦わらの一味と約束したミオは一度部屋に戻って着替え、装備を整えて裏手にあったボンチャリに跨がった。

 ヘルメット代わりにパーカーのフードを目深に被り、首から下げていたゴーグルを引き上げ、組み込んだスイッチを切り替えてペダルを固定。ぎゅっとハンドルを握る。

 

「軍曹!」

 

 一声呼べば、頼りになる相棒が待ってましたとばかりに背中のリュックに飛び込んできた。有事に備えてチャックは閉めない。

 ブォン、とエンジンの排気に似た音と共に噴風貝(ジェットダイアル)が唸りを上げ、ボンチャリがバイクの如く疾走を開始した。一度ウィリーのように半身を上げて『固定』した不可視の坂道を駆け上がり、そこそこの高度を維持したままグローブの木々の隙間を縫うように加速していく。

 

 この広い諸島を駆け巡るにはボンチャリの基本性能では機動力に欠けるため、ミオはヒマを見つけてはこつこつと自前のボンチャリを改造していた。

 自転車よりロードバイク、ロードバイクよりはスーパーカブ、スーパーカブよりは……と試行錯誤の末に出来上がったのがこのボンチャリである。普段は自転車として使用しているが、切り替えればこうして大型バイク同様の速度と性能を発揮することができる。

 

 果たして、あちこちのグローブに点在するレイリー馴染みの賭場を探し回ること三軒目。

 

「み、身売りぃ?」

 

 大負けして所持金が底を突いたレイリーがよりにもよって代金代わりに自分を売りに出した、という残念な事実が発覚してしまった。なにしてんだあのじいさん。

 いや普通ならべつに構わないのだ。凡百の人間など束になっても敵わない最強じいさんなので放逐したとて適当なところで抜け出し、ついでにどこぞで金を調達して何食わぬ顔で帰ってくるに違いない。

 それがいつになるのか分からないから問題なのだ。今は依頼人を待たせている状況である。

 

「ありがとうございました」

 

 話を聞いた賭場の常連に礼金を握らせると、手の中を確認して酒臭い息を吐きながらオッサンが乱杭歯を見せてにぃと笑った。

 

「おう、あんたもあの爺に担がれたクチか?」

「担がれちゃいませんが、用事があるんですよ」

 

 嘆息してからお酒はほどほどに、と軽く手を振ってミオは賭場をあとにした。

 

 歩きながら猛烈に思考する。ここの賭場が懇意にしているヒューマンショップといえば確かMr.ディスコ。

 そうなると、レイリーはこれから1番グローブのドンキホーテ海賊団主催のオークション会場で出品されるだろう。見た目は老齢の域に入った男性なので価値を正しく理解していなければ早々に出品されるか、もしくは手続きの関係で最後の方に回されるか。そこまでは分からない。

 

「うわああ行きたくねぇえ……」

 

 偽らざるミオの本音である。

 しかしぐずぐずしていられないのも事実。あのオークション会場には天竜人も出入りしているので、ないとは思うがレイリーを天竜人がお買い上げしてしまったら目も当てられない事態になる。

 ミオはあのオークション会場の内部構造と電伝虫の配置場所から警備員の数、オークションの手順までの諸々をほぼ完璧に把握している。おそらく、この諸島に現存するオークション会場の中で最も熟知している会場であるといっても過言ではないだろう。

 それもこれも、全てはドフラミンゴに会わないためだ。もし自分が売りに出されそうになってもすぐ脱出を図れるように調べ上げ、定期的に情報屋で動向を探るくらいには徹底している。

 

 そして現在、ドフラミンゴは諸島にいない。

 

 ついでにレイリーを救出する必要はない。そういう心配をするような次元の人物ではないからだ。

 ほっとけば帰ってくる。それが早いか遅いかだけの違いで、今はそれが最も重要な違いだ。──なので、ミオに求められているのは「依頼人が待ってるのでなるはやで戻ってきてください」というメッセンジャーとしての役割である。

 

 熟考すること、数十秒。

 

「……しょーがない、エースの弟のためだ」

 

 頭の中で忍び込む算段を組み立て、腹を括った。

 

 ボンチャリを1番グローブまで走らせ、グローブの象徴であるマングローブの裏側に回ってある程度の高度を維持したまま『固定』してから、ミオは無造作に空中を踏んだ(・・・)

 シャボン玉に紛れるように、見えない廊下でもあるかのようにとんとんとん、と小さな足音を立てて無事にオークション会場の屋根に辿り着くと能力を解除。普段はあまり頼らないがこういう小技が使えるので便利な能力なのだ。藁束みたいな屋根から下の方を見渡すと、既に開始時間が迫りつつあるためちらほらと客らしき人々の姿が見える。

 金回りの良さそうな商人風の男や貴族っぽい老夫婦、いかにも裏街道を歩いていますよという感じの集団や、海賊なんかもぼちぼちと。

 

 特に目立ったのは、燃えるような赤い髪の青年と水色と白のストライプ仮面着用の男。二人を中心として追従しているのはおそらくクルーたちだろう。億超えルーキー『キッド海賊団』のユースタス・キッドとキラーという二枚看板の登場に周囲の人が我先にと道を開けていく様子はモーセのそれだ。

 

「案外、海賊に買って貰った方が幸運かもわからんね」

 

 自分の海賊団に抱え込む以上、購入商品は厳選するだろうし、購入された側もクルーとして働くことで購入代金を稼いで足を洗うことだってできるはずだ。

 ……よっぽどその海賊団が外道でなければ、という前提はあるけれども。

 

「って、うげ」

 

 会場のちょうど玄関辺りに見覚えのある首輪と簡素な服を身につけた巨体の男を見つけ、ミオは露骨に顔をしかめた。留守番をさせられている犬のような男はおそらくは奴隷で、天竜人の『馬』だろう。誰が来ているのか知らないが、知っている顔だったらイヤだなぁとぼんやり思う。遙かな記憶ではあるが、いくつかの名前と顔は覚えている。もっとも、あちらは下々民と成り下がった相手のことなんかいちいち覚えてやしないだろうが。

 いつまでも見物していても仕方がないので、屋根を伝って明かり取りのための格子窓の隅っこをこっそりと破壊。軍曹には別ルートから侵入してもらうことにして、ミオは細い穴から身体を滑り込ませた。

 

 外からなぜか揉み合いの声が聞こえてきたがヒューマンショップに小さな諍いは付きものだ。あまり気にしなかった。

 

 

 

×××××

 

 

 

 頭に叩き込んであった侵入経路を辿って、明かり取り用の出窓から中を窺うと──なぜだかここの司会が牢屋の前で泡吹いて倒れるところだった。なんだろう。

 警備の人間たちが慌ててディスコを担いで運んでいく。残っていた者も司会進行を兼ねているディスコの容態次第ではこれからの興業に影響が出るため、指示を仰ぐために出て行ってしまった。なんだか分からないがチャンス到来。

 

 窓からレイリーの姿を見咎めたミオはこっそりと呼びかけた。

 

「レーイさん」

「んん?」

 

 レイリーが顔を上げると同時にミオは猫のような動きで窓から飛び降り、柔らかく膝を曲げて音も無く着地を果たした。

 目深に被ったフードとゴーグルで人相は分かりにくいが、レイリーはミオだとすぐに看破できたのだろう、にやりと笑った。むしろ驚いたのは彼の隣に腰掛けていた巨人族の方で、一瞬腰を浮かせそうになっていた。

 

「どうしたねミオくん。私を迎えに来てくれたのか?」

 

 あながち間違ってはいないのだが、なんだかなぁ。生憎、金に困ったからって真っ先に我が身を売却するような人間を迎えにくるほどヒマではないつもりだ。

 茶化すような物言いにミオは眉をひそめつつ軽く肩を竦めた。

 

「じょーだん。レイさんにコーティングの依頼が来てるので、とっとと戻ってきてくださいって言いに来ただけです。ギャンブル好きはともかく身売りとか、もー」

「はは、手間を取らせたようだな。すまんすまん」

 

 びっくりするほど謝罪の籠もってないすまん、である。

 

「では、すぐに戻るとシャッキーに伝えておいてくれ」

「了解です」

 

 あっけないが、これでミオの役目は終わりである。

 伝えるべきことは伝えたので、あとは麦わらの一味とレイリーの間の話になる。店に戻ってまだ戻っていなければこの話をすればいいし、もし麦わらたちが捜索の伝手が欲しいというなら情報屋を紹介するくらいはしてもいい。

 突然の侵入者とのなんとも気の抜けるやり取りに、巨人族の男が首輪を揺らした。

 

「おちびさんよぉ、そんなこと言うためにこんなとこ来たのか。見つかったらどうすんだよ」

 

 突然の不法侵入者に不審は感じていたようだが、口に出されたのはこちらを気遣う文言だった。

 レイリーは酔狂で自分を売り出したが、それは何事が起きても対抗ができるという絶対的な自信に裏打ちされている。それをミオも知悉しているからここまで呑気極まりない真似ができるけれど、巨人族の男はそうではないだろう。何があったかはミオの理解の範疇ではないが、販売先から逃げ出せる可能性はそう高くない。

 そんな己の辿る道を察していないはずはないのに、素直にこちらを心配するような言葉をこぼす巨人族の男から少しばかりの申し訳なさを感じて、小さく頭を下げた。

 

「大丈夫ですよ。お心遣いに感謝を」

 

 ミオとて断じて長居したい場所ではないのだ。

 周囲の気配を探ってから巨人族の言葉の通り、すぐに脱出するべく天井の方へと視線を向け──

 

「て、店員さん?」

 

 恐怖にかすれた、若い声に弾かれたように首を向けた。そこには抵抗して暴行でも受けたのだろうか、鼻から血を流し、驚いたようにこちらを見つめる若草色の髪の人魚。

 ミオは仰天して一瞬全ての思考を忘れて慌てて走り寄った。麦わらの一味を案内していたハチと一緒に行動していた人魚のケイミーだった。

 

「え、ちょ、ケイミーちゃん!? なんでオークショ、うわ鼻血出てるし!」

 

 わたわたと懐から手ぬぐいを引っぱり出して、ぐしぐしとケイミーの涙を拭ってから下を向かせて鼻に布を押し当てた。周囲の探るような目線も気にならない。

 記憶の通りならばさきほど麦わらの一味たちと遊園地に行くと言っていたはず。彼らが友人を売り飛ばすとは到底思えない。むしろそういう輩を唾棄している類の人間だというのは、あの短い付き合いでもなんとなく分かる。

 ケイミーは顔見知りが目の前にいるという安心感からか、くしゃりと顔を歪めて更に涙をこぼした。

 

「わた、わだし、ゆーえんち、で、ふぇっ」

 

 まとまりのない短い言葉だったが、大体の理由を察してミオは一気に渋い顔になる。むしろ予期できない自分の方が間抜けだった。

 

「遊園地で、人攫いに襲われたのか」

 

 人魚の販売価格が凄まじいのは、諸島で『商品』を扱うものたちの常識だ。そして、それが常識であることを知っている人魚たちは自衛手段として諸島へ寄りつかない。どんなに遊園地が眩しくても、魅力的でも、底知れぬ悪意が手ぐすね引いて待ち構えているのだから当然である。

 きっとケイミーもそれを知っていて、それでも誰もが一度は行くことを夢見る場所で、そこへやってきた千載一遇のチャンス。麦わらの一味という破格のボディガードがいたからこそ彼女は遊園地へ行くことができた。

 パッパグの渋い顔が思い出される。彼が危惧していたのはたぶんこういう事態で、そして現実になってしまった。

 

 麦わらの一味に油断があったのか他の要因が重なったのかは定かではないが、見つけてしまった以上は放置できない。ケイミーはハチの仲間で、麦わらの一味の友人で、ミオの顔見知りだ。ほんの少ししか喋っていないものの、だからといって自業自得だと切り捨てられるほど木仏金仏石仏ではない。

 

「すぐに出してあげたいけど……鍵の位置が厳しいな」

 

 ケイミーはか弱い人魚ちゃんな上、売りに出されればその希少性ゆえに最悪の買い手も候補に挙がる。レイリーのように楽観視できない。

 けれど彼女の首にも既に首輪が装着されている。手枷の鍵も併せて探すとなると時間が足りない。警備員もすぐに戻って来るだろう。この場で枷を砕いて攫うことも可能といえば可能だが、不確定要素が多すぎる。ここで騒ぎを起こせば目も当てられないことになってしまう。

 

 どうしよう。どうすれば。

 

 必死で考えていると、レイリーから声が飛んでくる。

 

「ミオくん、お嬢さんと知り合いだったのかね」

「会ったのはさっきですけど立派な知り合いです。ハチさんの友達ですよ」

 

 思考を邪魔するような声に知らず、不機嫌な返しになってしまう。

 ハチの名前にレイリーは僅かに驚いたようだった。

 

「ハチが諸島に来てるのか?」

「そうですよ、二人が案内してきたのがコーティングの依頼人です」

「そうか……ふむ」

 

 レイリーは何かを思案するように顎に手を当て、ややあってから顔を上げてひたとミオを見据えた。

 それまでの剽悍とした仕草ではなく、真剣な眼差しにミオの背筋が無意識に伸びる。

 

「わかった、そういうことなら……お嬢さんは私に任せなさい。悪いようにはしないさ」

 

 魚人のハチはレイリーの友人だということをミオは知っている。ケイミーがその連れと知っては呑気にしていられないと判断したらしい。

 そして、おそらくレイリーはミオを気遣った。理由は話していないものの、彼はミオがこのオークション会場を毛嫌いしていることを知っている。

 

 なら、甘えよう。

 

 判断すれば早い。

 

「お任せました!」

 

 後方でドアノブの動く音が聞こえ、即座に頷いたミオは手の中の『何か』を掴んで一度強く引っぱった。

 

 すると──ミオの姿がその場からかき消えた。今までここにいたのが信じられないくらいの早業である。

 

「えっ!?」

「き、消えたぞ!?」

 

 うろたえるケイミーと巨人族にレイリーは人差し指を自分のくちびるに押し当て『静かに』とジェスチャーすると、そっと上を示す。

 

「なに騒いでやがる! もうすぐ出番だ、大人しくしてろ!」

 

 警備員たちがどやどやと入ってきたのはほぼ同時で、彼らの目を盗んで二人がそーっと指の先を見上げると、牢屋の天井近くに張り出している縁にヤンキー座りしているミオが両手を合わせてごめんね、という感じで頭を下げていた。

 その横には暗がりを凝縮したような黒く、ミオとそう変わらないサイズの大きな蜘蛛がいたのでケイミーと巨人族は咄嗟に悲鳴を飲み込んだ。どうも彼女のペットかなにからしい。あの蜘蛛が猛烈な勢いでミオを引っ張り上げたのだろう。

 

「……じいさんの知り合い、凄ぇな」

「生憎、あれほどの変わり種は私もミオくんしか知らんよ」

 

 くつくつと笑うレイリーはなんとも愉快そうだった。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。