映像電伝虫に撮られる危険を避けるために牢屋兼倉庫にある明かり取り用の窓から一旦外に出て、壁を伝って逆戻り。
生前というか、昔取った杵柄大活躍である。もともとド派手に動くより、こうして陰でこそこそと暗中飛躍する方が得意である。身体は忘れてないもんだ。
屋根とホールの間には構造上の空洞があって、僕はそこを這うように進んでいた。立って歩けるほど空間がないので仕方がない。当然掃除なんてされていないのでうっすらと埃が積もっていて、あちこちに蜘蛛の巣が張っている。たまにネズミもちょろついているのがなんともかんとも。
薄暗いので一応、先ほどどこぞから水を調達して大きくなった軍曹が先導してくれているが、進むだけで袖や膝がどんどん灰色になっていく。多脚と四足歩行の違いがここに。舞い上がった埃で鼻はむずむずするし喉がイガイガして、ゴーグルまでうすく濁ってしまう。くしゃみだけはしないぞ。
何度か小さく咳払いしながら進むと、やがて暗闇の中でいくつか光が天井へ伸びていく箇所が目についてくる。ああ遠かった。そこまで辿り着き、板の隙間から覗き込むと段々畑のようになっている観客席が見えた。本当はここまで来る必要はなかったのだけど、ケイミーちゃんを見つけてしまったのでそうも言っていられない。
オークションはどうやら中盤らしく、『商品』のうちひとりが自殺を図ったらしい。これからの己に自由がないと悟り、絶望しての凶行か、それとも脱出を図る方策としての自演なのかは不明だけれど。観客席のざわめきが邪魔でよく聞き取れないが、緊張で鼻血を吹いたとか嘯く司会の声がうっすらと聞こえてくる。やだなー、こういうの。
べつにレイさんを信用していないワケではない。彼が悪いようにしないと言ったのだから、ケイミーちゃんは無事に戻って来るだろう。しかし心配は心配なので、様子見くらいはしようと思っての行動である。あと麦わらくんのことが少し気になった。どんな事情があったのか知らないが、友達のケイミーちゃんが人攫いに誘拐されてしまったのだ。どうにかして取り戻そうと行動するであろうことは想像に難くない。遠からずこのオークション会場に辿り着くだろう。
だってルフィくんはエースの弟だ。
彼は自分から誰かを奪おうとする輩を許さない。その過程で何をやらかしたって驚くに値しないのである。仮にエースだったらこの会場は今頃焼け野原だ。
そういえば、最近海軍の方が騒がしい。エースのことは新聞の他に情報屋からドフィと並行して定期的に情報を買っているけど目立った変化はなかったはず。警戒のためにか、七武海の何人かは集められているみたいだけど……。
「ん?」
……あれ、おかしいな。なんか変だ。イヤな予感がする。第六感にビンビン引っかかる。
僕、なんかすごい重大なことを見逃してない?
──そんな思考に埋没していた僕の意識は現実から遊離していて、気付くのが遅れてしまった。
不意に、轟音。
「うお!?」
一気に意識が引き戻される。
地面というか会場全体が震撼して、ぱらぱらと小さな木片が落ちてきた。どうやら出入り口付近からの衝撃っぽいけど、何が起きたのかここからでは確かめようがない。ここやばいな。何かあったら逃げ場がない。
マングローブで形成されている諸島に地震なんて存在しないのだから、攻撃でも受けたと考えるのが妥当だろうか。いや、海軍はヒューマンショップを腫れ物扱いしてるからよっぽどのことがなければ攻撃なんてありえない。例えば天竜人がボコられる、とか。
そうでないならあとは、海賊の襲撃? メリットがない。……いや、心当たりならあるじゃないか。現在、大事な友達が攫われ烈火の如く怒っているはずの超新星の一角が。
おい、まさか。
とにかく階下の様子を確認したくて下を覗き込もうとした──その時、ドン! という腹の底から不快になる銃声が響いた。それも、何度も。
「ッ!」
這いつくばったところで、ここからじゃ観客席しか見えない。『ハチ!』と女性の高い悲鳴が耳に届く。ハチさん? 撃たれた? というか、会場に来てた? うわそれは考えてなかった。そうだよな、危険でもシャッキーさんのお店で待つなんてできないか。え、じゃあ麦わらの一味もいるの? もしかしてさっきの衝撃か?
もどかしくて苛々してくる。ああもう、ここからじゃなんも見えない! どうする? 穴開ける? 開けよう。
狭い空間の中で懐からナイフを取り出して、床材が比較的薄い箇所に突き立ててゴリゴリゴリッ。いくらもしない間に大きめの穴が開いた。まぁこれくらいならバレないだろ。
んで、広くなった視界でかろうじて見えたのは──天竜人の証としてシャボン玉製のマスクを被った小デブの側頭部を、麦わらのルフィくんが鬼の形相でぶん殴った瞬間だった。
「うわぁマジか」
どれだけ重い一撃だったのか、小デブの天竜人らしき男の身体が竜巻の如く激しくスピンしながら観客席を突き破り、頭から瓦礫に埋まって動かなくなった。
顔面は原型を留めないほどに腫れ上がり白目を剥いて、まだ生きている証として時々痙攣している。死にかけのエビみたいだった。特権階級の人間が無様に転がってるぜ、とせせら笑う勇気ある人間はいない。それより目に見える脅威が迫ってくることをみんな知っているからだ。
やっちゃった。やっちゃったよルフィくん、すごいな。躊躇なしだ。
ほんのひととき、水を打ったような沈黙が場を支配して、それからは阿鼻叫喚である。
怒声と悲鳴が会場内に渦巻き、我先にと人々が出入り口に殺到して押し合いへし合い。それも当然か。
なんたって海賊が天竜人に手を出したのだから、海軍が軍艦引っぱって『大将』を引き連れてやってくることが確定している。
「ケイミーは売り物じゃねぇ!!!」
麦わらの声がやけにはっきりと聞こえた。そうか、これが麦わらのルフィ。エースの弟か。納得だ。強大な権力に阿ることなど一切なく、弱きを助け強きを挫く……言うなれば物語における英雄のような。
天に愛されているから運が巡り、しょっちゅう試されては窮地に立たされるひとだ。そして、それを知らずに奇貨として好機を掴み取る器。仲間がものすごい苦労を背負い込まされる類だ。
ああいうのを、
曰く形容し難い感動というか、すとんと腑に落ちるような感覚があって無意味にうんうん頷いていたら、唐突に軍曹が僕の襟首を思い切り引っぱった。
「ぐえっ」
勢いに負けてごろごろ転がって埃と蜘蛛の巣まみれになり──今まで僕のいた場所に巨大な質量の『何か』が猛然と突っ込んできた。ひええありがとう軍曹。
それは丈夫な屋根を壁を天井を粉砕しながら突き進み、怪我ひとつなく優雅にホールを滑空する。
見た目は大きな、本当に大きな魚だ。
トビウオの一種だろうか、進化した胸ビレと背中になぜかくっついている座席でハンドルを握る男がちらりと見えた。隕石みたいな勢いで屋根と壁をものともせずに貫通したトビウオは細かな木片や瓦礫をばらまきながら中空を滑り、まだ無事だった壁に大穴を空けつつ去って行く。なんだったんだ、あれ。そういえば、最近諸島に仲間入りした人攫いチームになんかそれっぽいのがいたような。トビウオライダーズだっけか。
状況がどんどん進む。置いてけぼりをくっているのが分かるのだけど、どうすればいいやら。
とりあえずはどんな状況なのか把握しようと馬鹿でかくなった穴から会場をこっそり窺うと、麦わらの一味勢揃いという感じだった。ああ、あのトビウオが運び屋してたっぽい。
そして会場の正面──舞台の上に設置された、すでにまっぷたつになっている巨大な金魚鉢から顔を出しているケイミーちゃんに近寄る天竜人の女性が見えた。あれ、レイさんは?
「あいつらの狙いの人魚を殺すのアマス!」
まだ支払いがーと追いすがる司会にまで発砲している天竜人の女性がキンキン声で怒鳴り散らしている。ああいう人々が変わらないのは世の常か。……この状況だ、誰がやったかなんてわかりゃしないだろう。
僕はその辺に転がっている手頃な瓦礫をひょいと手に取り、振りかぶって全力で投擲!
「さぁ"魚"! 死ぬアマぶぎゃんッ!?」
拳銃を構えて得意面していた天竜人の女性の顔面に過たず石くれがぶち当たり、そのまま真後ろにひっくり返った。やったねストライク。
恐怖に怯えきっていたケイミーちゃんは、いきなり脅威が強制退場したことに呆然としている。ひらひら、と手を振ったら気付いたらしく戸惑いがちに小さく頷いてくれた。僕がリアクションしなくてもレイさんがなにか手を打った気はするけど、まぁ、知り合い未満にできる手助けとすればこんなもんだろう。頼まれれば話はべつだけど。
「えっ、瓦礫!?」
「あの石ころ横の方から飛んでこなかったか!?」
小さくガッポーズしつつ視線を避けるために一旦頭を引っ込める。ざわざわしてるけど知りません。
しかし参ったな、海軍が来るならとっととおさらばしたい。ケイミーちゃんたちだけ連れて戻れないかな。覗き見すると、会場に張られている破けた緞帳からさっきの巨人族のひととレイさんがひょっこりと出てくるところだった。
姿が見えないと思ったら、どうも騒ぎに乗じて会場の金銭をかっぱらっていたらしい。それは海賊じゃなくて火事場泥棒では?
「あわよくば私を買った者からも奪うつもりだったんだがなァ」
わりとあくどいことを適当に喋りながら酒瓶をあおり、巨人さんはそれを呆れたように見ている。既に首輪のない二人の登場で周囲が一気にざわついた。
枷のない巨人を無力化して捕獲なんて芸当できねぇよと騒ぐ警備の者たちを尻目に、レイさんはハチさんを発見して周囲を見回し、ようやく現在の状況を把握したらしい。
「さて、……──」
気を取り直したように顔を上げたレイさんが『覇気』を放った。
覇気というのは悪魔の実とはまた違った特殊能力のひとつで、いくつか種類がある。努力次第で身につけられる技術なのだけど、『覇王色』の覇気だけは才能が必要で誰でも使えるものではないらしい。
ちなみに僕はといえば『見聞色』と『武装色』を無自覚に使ってるときがあるような気がする、らしい。甚だ曖昧な上にらしい、というのは稽古に付き合ってくれた白ひげの隊長さんが教えてくれたからで、自分で使ってる自覚が特にないからだ。おそらく『生前』から身につけている技能諸々がこの世界に添うようカスタマイズされた結果なのだと思う。
さて、覇王色の覇気というのは要するにとんでもない威圧だ。殺意とはまた異なるものの、喰らえば一定以上の膂力を持っていない人間はあてられて意識を吹っ飛ばされる。
空気すら震撼するような、濃密で爆発的な威圧の暴威が会場内を暴れ回る。すごい、うなじめっちゃぞわぞわする。活火山の激流もかくやという勢いで雪崩れ込む途方もない不可視の奔流は、それ自体が攻撃のように押し寄せて会場内にいる全存在を打撃した。
その衝撃に耐えきれず、糸が切れたようにばたばたと倒れ伏す観客や泡を吹いて転がる警備員。意識を保っているのは必定、一定以上の実力を持った麦わらの一味やキッド海賊団も無事……あらやだ、ローもいるじゃん。ベポたちも。用事ってこれか。なんだろ、ドフィの力がどんなもんになってるか見たかったんだろうか。
あっという間に静かになったホールの中で、ケイミーちゃんの首輪をかるくぶっ壊したレイさんはいつになくイキイキしているように見えた。口ではもはや老兵なので平穏に暮らしたいとかなんとか言っているが、根から海賊なので血が騒ぐのかもしれない。
そして、会場の外から包囲を完了したらしい海軍の怒声が拡声器越しに響いてきた。
『犯人は速やかにロズワード一家を解放しなさい! じき『大将』が到着する! 早々に降伏する事を勧める! ――どうなっても知らんぞルーキー共!!』
ルーキー『共』ということは、ローとユースタスは麦わらの共犯者と見なされたらしい。これはご愁傷様と言うほかない。とはいえ、レイさんの覇気でもびくともしないのだから、脱出ぐらいは大丈夫でしょう。頑張れ。
ほぼ野次馬のノリでぼんやりしていたらハチさんの傷を見ていたレイさんが顔を上げ、ぐるりと会場を見渡して──僕を見つけてにぃと笑った。おっと?
「ここに『関係者』はひとりもいないぞ。いい加減に下りてきなさい」
レイさんの覇気で一部の海賊以外は軒並み気絶しているので、僕が姿を見られたところで特に困らない。司会のひとも裏に回るの見えたし。
「はーい」
声をかけられてしまっては出て行かないと攻撃されそうな気もして怖いので、僕は大人しく返事をしつつ壊れた壁から顔を出した。無事な第三者がいると知った周囲が警戒を跳ね上げ、一斉にこちらへ視線を向けてくる。注目やだなぁ。あとローの目がこわい。なんでこんなところにいやがるって顔してる。こっちにも色々あるんです。
「よっと」
ビシバシ刺さる視線を感じつつ瓦礫の間から身を乗り出してひょいっと身を躍らせる。中空できり、と身体をひねってバランスを維持してそのまま着地。
歩きながらフードとか服をべしべしはたくと悪夢のように埃とかちっさいゴミが落ちてきた。うわあ。げんなりしながらのこのこ歩いていると、レイさん以外のほぼ全員がこちらを警戒しているのが伝わってくる。
「きみのことだ、様子くらいは見ていると思っていたよ」
「知り合いですし、ケイミーちゃん女の子ですし。それくらいはしますよ」
「なんだお前?」
不思議そうにこちらを見つめるルフィくんは人のどこらへんを見て名前とか一致させてんだろう?
「コーティング屋さん探すのに協力するって言ったよね?」
「ん?」
レンズが灰色になってしまったゴーグルを下ろしてフードをはぐと、ようやく誰だか分かったらしい。
「あっ、白いのか! そっか、コーティング屋探すの手伝ってくれるって言ってたもんな。ん? じゃあコーティング屋がここにいるのか?」
あれこれ、もしかしてレイさんのこと分かってない?
「そうそう。賭場回ったらレイさん身売りしたって言うし、しょーがないから依頼人がいるって伝えに来たらこの状況ですよ」
「そっか、悪ぃな!」
ニコニコ笑顔のルフィくんには悪意の欠片も見当たらない。天竜人ぶん殴ったのを悪いなの一言で済ますあたり、やっぱり大物って感じ。
「ルフィ、その子のこと知ってるの?」
仲間たちを代表してか、『泥棒猫』のナミが訝しげに問いかけた。
頭の形に沿うように切られたみかん色の髪が綺麗な女のひとで、こちらの出方を窺うように緊張を滲ませながら眉をひそめている。
「ああ! 白いのだ!」
「説明になってない!」
スパーンと切れのいいツッコミが入った。
ルフィくんに任せたらダメだと本能が訴えてきたので簡潔に自己紹介することにする。
「あー、シャッキーさんのお店でバイトしてるミオっていいます。そこのレイさんが徘徊して帰って来ないんで、探すの手伝ってました。この会場にはその過程でちょっと」
「私の外聞が悪くないかね」
「お店に半年寄りつかないのが悪いんですー」
半目でじろりと睨め付けたらレイさんは小さく肩を竦める。
しかし彼女たちはどうやらシャッキーさんのお店には寄っていないらしく、謎が深まってしまったようだ。ただ、僕とレイさんが気安く会話していることで多少は警戒を緩める気になってくれたようだった。
「ごめん、全ッ然わかんないわ」
「あ、あのな! さっきおれとブルックとルフィで店に行ったんだ! そしたら──」
ハチさんの応急処置を終えたらしいチョッパーくんが『泥棒猫』に説明してくれた。助かります。
そこへ、背後から警戒や緊張とはまた別種の視線を感じた。振り向くと、麗しい黒髪の女性──『悪魔の子』ニコ・ロビンと目が合った。
黒曜石を縁取る空色の瞳はなんだか驚いたような戸惑っているような、不可解な色味を宿していた。そうか、エニエス・ロビーの件で彼女も麦わらの一味入りしていたのだっけか。懐かしいなぁ。
「あなた、ミオ?」
遠慮がちに問いかけてくるニコ・ロビンに僕はへらっと笑って片手を上げる。
「よっす。ニコ・ロビン、元気そうで嬉しいよ」
彼女とは古い馴染みだ。
何年前かは忘れたけど、あっちこっちの海を回っているときにまだ小さな彼女を匿ったことがあった。というか、彼女が潜伏していた海賊をそうとは知らずにぶっ潰してしまったので責任とって頂戴と言われたのだ。でもあれはあの海賊団が悪い。海上で襲撃されたらやり返して潰すのは嗜みですよね。
その辺にまつわるあれやこれやで、実は僕ってば青キジとめっちゃ仲が悪かったりする。島中にロリコンのペド野郎なんて噂流して悪かったよ。
僕の気安い返事に彼女はほんのりと口元を吊り上げて小さく頷いた。
「ええ、あなたも」
「おいロビンも知り合いなのか?」
「ずいぶん昔の、だけれどね」
ものすごく見覚えのある風貌をした長鼻の青年──たぶん『狙撃の王様』に問いかけられてニコ・ロビンはゆるく微笑んだ。
ビビっているのが丸分かりな彼は狙撃の王様、なんて厳つい異名にちょっとそぐわない雰囲気の持ち主である。でもなんだろうな、顔のパーツとか狙撃の逸話聞いてるとなんとなーく某赤髪海賊団で狙撃手を張っているあの人がちらっちらするんだけど……ひょっとして血縁だったりして?
「各々積もる話もあるだろうが、話はあとにしよう。まずはここを抜けねばな……」
レイさんがそう言って話を切り上げ、僕に視線を向けた。
「ミオくん、先にハチを店に運んでやってくれないか。きみの『愛車』であれば可能だろう?」
「いいですよ」
ハチさんが撃たれてしまったことに関して防げなかった負い目がじゃっかんあるので、お安い御用だ。
軽い調子で頷くと「おいおい外にはもう海兵がいるんだろ? 先になんて無理じゃねェか?」と全身サイボーグなんとか、みたいな青髪のお兄さんが口を挟む。
「ああ、僕はあっちから出ますから」
「あん?」
あっち、と天井辺りに空いた大穴を指差すと『
派手なアロハに海パン一丁という風体はどちらかというとリゾートにいそうな感じだけど、彼なりの信念でもあるのだろうか。
「どーいうこった? トビウオはもういねェぞ?」
「ま、すぐわかりますから」
教えるより見せた方が早いのでチョッパーくんに応急処置は済んでいるかを確認してからハチさんたちに歩み寄る。
全身に包帯を巻いたハチさんの呼吸は弱々しく、なんだかその姿がコラソンとダブッて胸がきゅっとなった。
「すみません、ハチさん」
気付いていれば防げたかもしれないという自責の念があってつい謝ってしまった。
「ニュ~……ケイミーが無事だったからな、いいんだ」
「ハチぃ」
「はっちん……」
パッパグ氏とケイミーちゃんがまた泣きそうな顔になってしまう。おおう、いいひと揃い踏みで良心がずくずくしてしまうー。
ハチさんは誰よりこの諸島の危険性を把握していただろうに、それでも彼女のためにここまで来てくれたのだ。せめて丁寧に、迅速にお店へ運ぼう。
ああ、それなら。
「ケイミーちゃんとパッパグさんも一緒に行こう。危ないからさ」
海賊と海軍のぶつかり合いの中に怪我人と一般人なんて危なすぎる。
「え、大丈夫なの?」
「オイオイ、どーするつもりなんだ? ハチのやつでっけぇぞ?」
どーするって、もちろんこうします。
「えーとね、ハチさんに二人ともしがみついてくれる? できるだけぎゅーっと。そうそう」
半信半疑ながらも、なるべく怪我に触らないようにハチさんの身体にくっつくケイミーちゃんとその背中にへばりつくパッパグ氏。
ちゃんとくっついていることを確認してから、僕は真上で待機している相棒に声をかける。
「ぐーんそー! キャッチよろしく!」
了解、という感じで片脚を上げてから畳サイズの軍曹が天井からすーっと下りてくる。怪我人をぐるぐる巻きにして持ち上げるのは負担が多そうなので、まるっと回収してもらった方がいいだろう。
僕からすれば見慣れた光景なのでなにも考えてなかったのだけど、巨大な蜘蛛が音もなく真上から落ちてくるというのはなかなかにホラー案件だったようだ。
「ニ゛ュ!?」
間近に迫るでっかい蜘蛛にハチさんが変な声を上げて全身を強ばらせた。軍曹のお腹側ってちょっと不気味だから気持ちは分かる。
「うおお! でっけぇええ!!」
「キャアアッ!? 蜘蛛!? クモぉお!?」
馬鹿でかい蜘蛛に少年的なハートが刺激されて大興奮な男性陣と、たぶん生理的嫌悪が先に立って悲鳴を上げる女性陣に反応は二分された。
あの『泥棒猫』、青ざめてるのはともかくタクト構えないでくださいニコ・ロビンは軍曹見たことなかったっけ? 無表情っぽいけど顔引き攣ってるよね。
「僕の相棒ですんで! 大丈夫ですんで! ハチさんたちも抵抗しないでね! 上に運ぶだけだから!」
女性陣を宥めている間に軍曹は芝居がかった動作で脚をぐばっと広げ、ハチさんとケイミーちゃんをUFOキャッチャーよろしくがしっと掴んだ。楽しんでるな、あれ。
三人の顔色がもう蒼白というか蝋人形なのはもうしょうがない。ごめんね、他にいい案がないんだ。
「なんだそれ! 白いののクモなのか!? すげぇ! いいなー!」
「おれも! おれもやりてぇ!」
全員の目の前で下りてきた時と同じように、すすーっとハチさんたちを掴んだまま上昇する軍曹を見ながらルフィくんが目をびかびか輝かせてチョッパーくんがぴょこぴょこジャンプする。
心なしか他数名もそわそわしているようだけど、無理だからね?
「ごめん、さすがに定員オーバーです。じゃ、お店に戻ってますんで」
「ああ、あとでな」
レイさんが頷き、僕が天井の軍曹に手を上げるとぺとりと糸がくっつく感触。それをぐるぐると巻き付けてぎゅっと握りしめる。引っ張り上げてもらうためだ。
合図のために手を下ろそうとした時、
「おい、ミオ」
それまで僕らのやり取りに口を挟まなかったローがこっちに声をかけてきた。
なんだ、てっきり他人のフリを決め込むつもりだと思ってたよ。ベポに『鬼哭』を預けて座席に悠々と腰掛けているローは偉そうな感じで面白い。
「ん?」
「レイさんって『冥王』のことだったのかよ」
心なし憮然としているローに僕はにやりと笑ってみせる。
「言ったじゃんね。『そこまでヨボヨボじゃない』って」
「……確かにな」
してやられた、みたいな顔をしておりますが嘘は言ってませんのであしからず。レイさん身バレ嫌いだから恣意的に情報は減らしたけど。
そうだ、これから大将が来るなら明日なんて呑気なこと言ってられないな。
「あとで連絡するからがんばって逃げてね! あ、皆様も脱出頑張ってください!」
すごく適当に激励してぐいっと糸を引っぱると、巻き尺みたいな勢いで真上に牽引される。天井に空いた大穴近く、まだしっかりしている部分に到着すると軍曹の後ろですでに気絶してるハチさんにしがみついたままのケイミーちゃんとパッパグ氏が「クモのご飯になっちゃうかと思った……」「おれなんか腹の足しにもなんねぇぞ!」とがくぶるしている。軍曹は大根が好きです。
ちなみに、ちっさくした軍曹をくっつけて頑張れば木々の間を立体○動みたいに動けたりする。すごく大変だけど。
「……おいトラファルガー、あの変な店員と知り合いなのかよ」
「変は余計だユースタス屋」
「サンジ、さっきからどうしたんだ?」
「いや。あの店員ちゃん、どっかで見たような、気が……??」