ひとまずの『約束』が果たされたことに安堵して、ミオはカウンターに戻ってお茶を口に含んだ。
思い出を話している間に周りの緊張も随分と薄まってきたように思う。あんまりぴりぴりされても困るからよかった。
「それでえーと、シャンクスさんについてはわりと昔からの知り合いだよ。お店にレイさんがシャンクスさん連れて来たときもいたしね、びっくりしたけども」
「うっ」
シャンクスが片腕を自分のために無くしたことに負い目があるのか、ルフィはさっきと同じように小さく唸った。ミオとしてはシャンクス本人が満足そうにしていたのでこれ以上追及するつもりはない。
「麦わらくんのことはシャンクスさんからちょっとだけ聞いてる。でも、その十倍くらいエースから聞いてるよ」
十倍じゃ足りないような気もするけれど。
さらっと付け足したらルフィくんは食べていたものを喉に詰まらせた。よもやミオの口からシャンクスのみならずエースの名前が出るとは思わなかったのだろう。
「え、エースのことも知ってんのか!?」
「でもあなた賞金稼ぎでしょ? いくらなんでも知り合いの幅が広すぎじゃない?」
『泥棒猫』が驚いたように問いを口にする。
ああ、そういえばアラバスタでルフィたちに会ったってエースが言ってたな、とミオはその時の嬉しそうな、電伝虫越しでもわかるほどに弾んだ声を思い出す。
「まるごと憎いわけでなし、ともだちはむしろ海賊の方が多いよ。四六時中賞金稼ぎなんてやってらんないです、疲れる」
「……まぁロビンが警戒してねぇってことは、それなりの理由があるってことだよな」
納得いったようにウソップが腕を組んだまましみじみとつぶやいた。
「私がそのとき潜んでた海賊船を、彼女が潰したのよ」
「襲われたらね、そりゃ迎撃しないと」
ロビンがさらりと当時の事を語り、ミオはくすくすと笑って相槌を打つ。
幼いロビンが次の島に渡るために潜伏した海賊はあまり評判がいいものではなかったが、選択肢がない以上どうしようもなかった。
下卑た笑いを浮かべる船長たちをなんとか口八丁で丸め込んで乗り込んだ数日後、その海賊が行きがけの駄賃くらいの気安さで襲った船の主がミオだった。
『おやまぁ、子供がいる』
そこそこの強さを持っているはずだった海賊団はたったひとりのミオにけちょんけちょんにされて、残ったロビンを見ての第一声がそれだった。
賞金稼ぎであるミオは『悪魔の子』ニコ・ロビンの名前と顔を知っていたはずなのに特に気にした風もなく、渡航手段を失ったのだからあなたが責任を取って頂戴と強気に出たら構わないと軽く頷かれた。ロビンに対する扱いはその辺の子供を保護するのと似たようなもので、拍子抜けするほどに『普通』だった。
かといって安易に信じるには体験してきたものが苛烈に過ぎた。ロビンはミオが賞金稼ぎである以上いつ海軍に突き出されるかという恐怖をぬぐい去ることができず、頃合いを見て逃げ出した。
それからしばらくは会うこともなかったけれど、とある島で傷を負っていた時に再会した。
『あらまぁ、怪我人になってる』
初めて会った時と似たようなことをつぶやいて、やっぱりミオはロビンを保護した。
それでも培われてきた警戒心は彼女を信じさせるに至らず、怪我が治った頃にロビンは置き手紙ひとつ残すことなく彼女の元を去った。
経験してきた、数多ある別れの中でも最も穏当な別れ方だったように思う。
「あなたを信じられなくて、ごめんなさいね」
「こちらこそ信頼に足る
苦いものを口に含んでいるようなロビンにミオも謝罪を述べる。
ミオとしては子供は守り慈しむべきものであるという、ごく当たり前の倫理に従った結果だった。賞金首でも子供ならば襲わないし、場合によっては手助けする。
けれどそれ以上は踏み込まないし、踏み込ませようとも思わなかった。ただ自分はどうも『くそがき』に縁があるなぁと内心苦笑するだけだった。
そんなロビンが信頼を預けるに足る大切な仲間に出会うことができて、こうして笑えている。
それが見れただけで、ミオは嬉しい。
「でもニコ・ロビンが今楽しいなら、それがいちばんだと思う」
ほんの僅かな付き合いであっても縁のあった子供が幸せになったのはとても喜ばしいことである。
あけすけなセリフにロビンは静かに微笑んで「ええ」と頷いた。
「でも、私のせいで青キジに睨まれているでしょう?」
「それこそニコ・ロビンが気にすることじゃないよ。あれは青キジが悪い」
ロビンを保護している間に、どうもたまたま近くにいたらしい青キジ──クザンが『悪魔の子』の危険性を説きに来たのだがミオはそれをけんもほろろに追い返し、ついでに幼女に犯罪行為をしたがっている変態野郎がうろついているという噂を島中にばらまくという軍属にとっては痛烈な嫌がらせをした。
もっとも、そのときミオはクザンが海軍所属だなんて知らずに『やべぇ、ロリコンのペド野郎がいたいけな少女狙っとる』という危機感を募らせて行動しただけで悪気があったわけではない。彼が軍属と知ったのはもっと後……昇進して『大将』として新聞に掲載されていた時だ。
小さい島だったものだから噂はあっという間に広がってしまい、以来ミオは青キジにだいぶ嫌われている。
「やるじゃねェか」
話を聞いてどこか痛快そうにつぶやいたのはゾロで、ミオは親指をぐっと上げてサムズアップした。見た目が可愛らしいだけにやり口のえげつなさが際立つ。
……その辺りでようやく話も一段落したと見たのだろう、レイリーがガタリと席を立った。
「──さて、キミらの船は41番グローブだったか。私が勝手に行ってこよう」
船のコーティング作業は命を預かる仕事のため、三日を要するとのこと。
その間麦わらの一味は『大将』や海軍から逃れるため諸島中に散らばって時を待ち、三日後の夕刻にレイリーのビブルカードを頼りに合流するという方針になった。
ハチは怪我のために店内だが、ケイミーやパッパグ、シャッキーとともにミオも見送りのために店外へと出た。ケイミーとパッパグが口々に礼を言ってくれぐれも気を付けて欲しいと手を振る。
「三日後に会いましょう、見送りに行くわね」
シャッキーもよほど麦わらたちを気に入ったのか、タバコ片手に軽く手を振った。
「おう! 白いのもありがとな。いい話聞けた!」
「ありがとな!」
ニカリと笑うルフィとチョッパーにミオも笑って片手を上げた。
「こちらこそ麦わらくんたちに会えてよかったよ。三日後は、僕もお見送りするね」
そうした別れ際、先ほどから時折こちらへ視線を向けていたぐるぐる眉毛の青年──サンジへと顔を向けて、その時だけは悪戯っぽく口元をにやりと上げた。
「あなたも気を付けてくださいね。……『へなちょこのチビナス』くん?」
その呼称に対するサンジの反応は劇的だった。
「ありがとう優しきレ、えっ? ……──あッ!?」
いつも通り紳士的に礼を返そうとしていたサンジが一瞬呆けたようにミオを見つめ、なにかに気付いたように瞠目すると温度計のようにみるみる顔が赤くなっていく。
百面相するサンジに「おいサンジ?」「どうしました? お顔が真っ赤ですよ」と仲間が声をかけるが、当の本人はそれに答える余裕もないらしい。
「うわ、うわああ、そうか、なんで気付かなかったおれ……」
「いやぁ覚えてろって方が無茶だと思うよ。一瞬だったし」
謎な会話をしてから心なししょんぼり、というかむしろ情けなさそうに肩を落としながら仲間の輪に戻って行くサンジである。
「サンジ、おめぇあの店員のこと知ってたのかよ」
「知ってたっつーか、今思い出したんだよ。あの店員ちゃん、バラティエに来たことがあった」
フランキーに問われ、持ち直してきたらしいサンジは新しいタバコに火を点けながら吸い込んだ。
驚いたのはウソップやナミたち『東の海』の出身者。
「ほんっとに行動範囲広いな、あの店員。どういう行動力してんだ?」
「けどよ、なんでそれでサンジが赤くなるんだよ」
ゾロとウソップが水を向けると、サンジは何度かタバコをふかしてから観念したように俯きがちになってつぶやいた。
「その、ガキの頃に客に食ってかかって返り討ちにあって、店員ちゃんのテーブルに突っ込んじまったんだよ」
「あー……」
こっそり聞き耳を立てていた面々が得心入ったとばかりに半目になる。
サンジのことだ、注文された食事に文句をつけたクレーマー、もしくは食事を粗末にした客に激昂して手を出したのだろう。彼は食事を粗末に扱う者を決して許さない。
しかし悲しいかな子供の体格だった時分だったので逆にやられてミオのテーブルを台無しにしてしまった、といったところか。
「ダセェ」
「うっせェクソマリモ! ああくそ、あん時のお客様だったのか……」
見た目が変わっていなかったので気付きそうなものだが、サンジはそのあとオーナーゼフにしこたま叱られた記憶の方が強かったため気付くのが遅れてしまった。
ミオとしても邂逅と呼ぶには本当に短いものだったので、相手が思い出すかどうか不明だったからこんなどんじりまで黙っていたのだろう。
「えーと、とにかく切り替えたまえよサンジくん。べつに悪気があって忘れてたワケじゃないだろ?」
「……おー」
力ない返事にああこりゃしばらく引き摺るんじゃねェかな、と不安に駆られるウソップだった。
×××××
「そうだ、ミオちゃん」
「はい?」
ケイミーちゃんとパッパグ氏も店内に戻ったところで、シャッキーさんが神妙な表情で僕に向き直った。
「さっきモンキーちゃんとの話に出てきた『エース』って、もしかして『火拳のエース』?」
「そうですよ?」
エース、という名前そのものはそう珍しいものではないが話題に出たのはポートガス・D・エース。
白ひげ二番隊隊長を預かる『火拳のエース』だ。
「そうだったの……」
彼女にしては珍しく渋面を作り、シャッキーさんはこちらへ一枚の紙を差し出した。
そこに大々的に印字された『号外』の二文字。自然と踊っている題字へと目を走らせ──僕は目を丸くして硬直した。
「さっき配られたものだったんだけど、教えるべきだったかしらね」
「ちょ、見せて下さい!」
心配そうなシャッキーさんの声もこの時ばかりは耳に入らず、半ば奪うように『号外』を取って紙面を貪るように読んで、全身から血の気が引いた。
「エースの公開処刑……!?」
それは白ひげ二番隊隊長、火拳のエースの公開処刑が決定したことを知らせる一面だった。
「世界政府もよくこんな決断を……? ミオちゃん、顔色が」
「ごめんなさいシャッキーさん!」
シャッキーさんに号外を押しつけ、そのまま駆けだした。蹴破るような勢いでドアを開いて店内へ。
「ミオちん!?」
「ニュ?」
転がり込むように入ってきた僕を見てケイミーちゃんたちが何か言っていたようだけど耳に入らなかった。
中の扉から階段をかけ上がり、自室のドアを閉めるとデスクの電伝虫を乱暴に引き寄せガチガチガチッと番号を押す。部屋にいた軍曹が心配そうにこちらを窺っている。てっきりサイズダウンしているのかと思ったのだが、まだ水を吐き出しておらず大きいままだった。
電伝虫は──繋がらなかった。
かけたけど出ない、ではなく繋がらない。
これが意味することは相手の使用する電伝虫が死んだ、あるいは野生へ返されたということ。
震える手で受話器を置き、いちど深く深呼吸してから持ち上げて僕は考えつく限りの『白ひげ』の人たちへ電話をかけ続けた。
マルコさん、サッチさん、ジョズさん、ビスタさん、イゾウさん、ハルタ、もちろんお父さんにも。そして知りうる限りの傘下の海賊団。しかし結果はすべて応答なし。
十数人すべてが空振りだった。
「……くそっ!」
徒労感のみが支配する中で受話器をデスクに叩きつけ、苛立ち紛れに髪をぐしゃぐしゃ掻き回す。イヤな汗が噴き出して背中をじっとりと濡らしていくのが不快だった。
危機感がじわじわと足元から這い上がり、脳内の警鐘が全力で乱打されている。
まずい。まずい。まずい!
海軍からの通信傍受を避けるための、これまで使用してきた電伝虫の一斉廃棄。それはすでに情報封鎖が始まっているということだ。座して待つ、なんてことは天地がひっくり返ってもあり得ない。
もう『白ひげ』は動き出している。おそらくは僕が諸島に到着する、ずっと前から。
エースという『家族』を救うために情報網を整え策を練り、兵站を確保し、行動するために準備している。
こんな号外が発布されるまで、なぜ気付かなかった?
おかしい、変だ。しくじったといえばそれまでだが、うっかりで片付けるには規模が大きすぎる。エースの情報は常に集めていたし、何かあればすぐに連絡するようにと『情報屋』と契約している。
あの情報屋がこんな重大時を新聞報道される前に僕へ伝えないなんてあり得ない。それは確信で、情報なんて水物を扱う人間が違えてしまえば商売そのものが成り立たない屋台骨である。そもそも新聞に出る前に伝えなければ情報としての価値が消失するのだから、伝えないという選択肢は存在しないといっていい。
もし、得られるはずの金銭をかなぐり捨てても秘匿していたとすれば──それを『しなければならない理由』があった、ということだ。
「──」
……思い返せば、違和感はあった。
前代未聞ともいえる億超え大物ルーキーがわんさといるにも関わらず、常とさほど変わらない……むしろ少ないとすら感じるくらいの海兵の数。七武海が緊急招集されていたことが示す意味。
どこかで気付くことができたはずなのに、僕は呑気にもそれらすべてを見逃してしまった。疑念を持ち、追究するチャンスを逃していた。ローに会えるという楽しみの中で浮かれて、ようやく生身のコラソンと再会できると、多幸感に酔っ払ってみすみす見過ごしてしまったのだ。己の迂闊さに吐き気がする。
焦燥感を押し込むように唇を噛みしめ、拳を額に打ち付ける。後悔するのはあとだ。
考えろ、考えろ、考えろ。
いちばん時間がないのは誰だ? 最優先にすべきは何だ?
エースを助けるために、最優先にすべきことは何だ?
所属は関係ない。
白ひげは僕の『お父さん』でエースは家族だ。弟だ。絶対に助ける。そのためなら何でもする。賞金稼ぎじゃなくなったって構わない。
処刑日は動かないだろう。それは海軍の沽券に関わる。僅かだが時間はある。『白ひげ』はエースの処刑阻止のために傘下含めてすべて動き出しているのなら、それは単なる小競り合いでは済まない。間違いなく戦争になる。
処刑日前にエースを奪還できるなら最善だが、ひとりでインペルダウンには行けない。軍曹と僕の能力をフル活用すれば海軍の目をかいくぐって監獄に潜り込んでエースのもとに辿り着くことはできる。けれど、その先が続かない。単純に人手が足りないのだ。隠密裏にエースを無事にインペルダウンから脱出させるためにはどうしようもなく手札が足りない。
「ッ!」
直後、思考を邪魔するようにズン、と頭を揺さぶるように衝撃が響いた。店全体が僅かに揺れて、びりりと窓が震撼する。遠いが砲撃のようだった。そうだ、軍艦と『大将』が来るのだ。もしかしたら、すでに到着しているのかもしれない。
閃くものがあった。
「麦わら」
いちばん時間がないのは『大将』に標的にされている麦わらだ。
彼はこれを知っているのだろうか。否、知っていればとっくに行動しているはずだ。ケイミーちゃんを奪還するために天竜人をためらいなく殴れる麦わらが、大切な兄の一大事に動かないはずがない。
麦わらのルフィ。モンキー・D・ルフィ。
英雄ガープの孫で、エースのだいじな弟で──Dの名を持つ神の天敵。
彼には頼りになる仲間がいて、大きな船があって、たぶん天佑がある。さっきと同じだ。僕は伝えるだけでいい。あとはどうしたってそれは麦わらの自由だ。ないとは思うけど、いずれは相対するから兄の人生に介入はしないとはね除けたって、それはそれで構わない。
だけど、エースの生存する確率が僅かでも上がるなら、賭ける価値はある。
慌てて踵を返したところでガッ、と足が大きな箱にぶつかったところではた、となった。そうだ、こっちもめちゃくちゃ大事。
一度デスクに戻って電伝虫にローの番号をプッシュすると、出たのは午前中に出たクルーだった。どうも電話番らしい。彼らの母船は位置的にオークション会場からわりと離れているのでまだ戻っていないとのこと。
「じゃあ、ローが戻ってきたら『予定変更。今日中に渡すから待ってて』とだけ伝えてもらえますか? 海軍避けに潜水してても大丈夫ですから」
軍曹がいれば海の中を散策してもらえるから、潜っていても問題ない。
それだけを伝えて『あ、ハイ?』とクルーの戸惑ってるような声が聞こえたけど一方的に通話を切った。埃だらけのパーカーをはたいて羽織ってからゴーグルのレンズを磨き、窓を開けた。ざぁっと入り込む風の中に混じる争乱の気配。
こんな中で一緒に行くのは危険だろうか。でも、時間がない。
「ロシーは必ずローに届けるから。約束するよ」
桟に足を掛けて、有能な軍曹がロシナンテの入った箱を糸でぐるぐる巻いている様子を見てちょっとだけ笑う。
「……もし、僕がローを置いていってもゆるしてね」
カタン、とちいさく箱が音を立てた気がした。