桃鳥姉の生存戦略   作:小日向ひより

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19.あなたの願いが叶うとき

 

 

 太陽が傾いで、長く伸びる光と影。雲さえその影に彩られて流れていく。

 マングローブの巨大な根の隙間に添うように係留されている『ポーラー・タング』号の甲板に立ったローは、腕を組んだままむっつりと唇を引き結んで中空を見据えていた。

 

 オークション会場での騒動はローにとっても痛快だったが、バーソロミュー・くま──彼を模した『人間兵器』との一戦は想定外だった。ユースタス・キッドとの共闘は到底歓迎できたものではなかったが、こうして逃げおおせたのだから文句は棚上げにしてやってもいい。

 海賊が天竜人に手を出したという事実はオークション会場どころか諸島そのものを揺るがす大事件だ。

 既に海賊の多くはとばっちりを回避するべく動いている。コーティングを終えている船は我先にと魚人島へ出発し、そうでなければ嵐が過ぎるのを待つようにひっそりと息を潜めてその時を待っている。

 

 もちろん『ハートの海賊団』であるこの海賊船とて例外ではない。彼らの母船『ポーラー・タング』号は潜水艦というアドバンテージがあるものの、海軍と接敵するなんて冗談ではなかった。完全に陽が落ちれば一度注水して海底に潜むことも視野に入れなければならない。クルーの命を預かる船長として当然の判断だった。

 

 分かっている──のだが。

 

 船内で指示を待っているクルーたちもそろそろ痺れを切らすかもしれない。

 だが、あと少し。もう少しだけとローの理性ではない部分が足を止めさせる。

 

「早く来い。あの馬鹿」

 

 帽子を押さえてぶつりと愚痴れば思ったよりも焦れた声だった。

 夕映えで広がる海はサフラン色のぬるま湯に浸かっているようで、どこでも少し物悲しい。海鳥が鳴く。

 

 そんなとろけるような飴色の残滓を全身に浴びる『ポーラー・タング』号に──大きな影が差した。

 

「みーつけ、たぁあ!! ごめん遅くなって!」

 

 見えないレールを辿る雪車(ソリ)のように危なげなく滑り降りてきたのは、見た目だけならボンチャリに近い。だが、後輪部分はスタンダードなシャボン玉をつけているものの前輪部はなぜかシャボンで覆われたタイヤが据え付けられ、いくつか排気管のようなものもくっついている。不思議なのはその更に後ろ──連結部分には荷台が設置されており、そこにはやたらと派手なラッピングを施された馬鹿でかい箱が梱包されていた。

 そんな原型を留めていないボンチャリ(?)に跨がっていたローの待ち人は、片手でゴーグルとフードを下ろして大きく手を振った。

 

「お待たせロー!」

 

 夕焼けを吸って煌めく雪色の髪を揺らして元気いっぱい──記憶とちっとも変わらないものだからたまに混乱しそうになるのが問題だ──なミオである。

 

「おせぇ」

「ごめんて! 急いだんだよこれでも!」

 

 ハンドルを器用に操り、ミオは『ポーラー・タング』号の甲板まで滑り込んで停車させると「お邪魔します!」とボンチャリ(?)から下りた。

 軽い動作ではあったのだが、その動きにローは違和感を覚えて顔をしかめた。ミオの仕草、挙動のひとつひとつ、それらから採取した情報をもとに医者としての冴えた観察眼がローに訴える。

 

「怪我してるだろ」

「してるしてる。ちょっと色々あってさ」

 

 否定もせずごく軽く頷いているが、ローとしてはオークション会場で別れてからさして時間も経ってないのに何やってるんだこいつ、という心境である。

 麦わらの一味とその仲間? とつるんでいたのはバイト関係だろうが、よもやオークション会場に忍び込んでいるとは夢にも思わなかった。……発見できなかった軍曹を確認できたのは、ちょっとした安心材料になったけれど。

 

「手当てしてやるから艦内に入れ」

 

 ともあれ、怪我人を放置なんて己の矜持が許さない。

 くい、と親指で扉を示すがミオはぴらぴらと手を振って『無用』の返事。なんでだ。

 

「大丈夫大丈夫、打撲と切り傷くらいだし」

「大丈夫じゃねェだろそれは」

 

 ローとしてはミオの治療以上に優先させるべきことはない。──現時点では。

 じゃっかんイラッとしたローに振り向きもせず、ミオは何やらごそごそと作業している。どうもボンチャリ(?)の連結部分をいじくっているようだった。

 

「おい、そんな箱より──」

「これがいちばん大事なんだよ! くらえサプライズー!」

 

 が、ローが言い募るより早くミオが連結部分を外して馬鹿でかい箱を担いでローの前にどかーん、と置く方が早かった。

 業務用の冷蔵庫か医療機器でも入ってるのか、というくらいの大型の白い箱。その箱はカラフルなリボンでド派手にラッピングされており、ローはあまりの巨大さと無意味に手の込んだラッピングにじゃっかん引いた。

 サプライズとか叫ばれてもさすがに困る。いくらなんでも大きすぎるだろう。

 

 そもそも。

 

「プレゼントならもう貰ったが」

 

 ミニアルバムと離れた年ごとに用意された写真は、ローの大事な物の仲間入りを果たしている。

 

「ああ、あんなんおまけだよおまけ。本命はこっち」

 

 自分で用意したからなのかぞんざいな物言いをしつつ気楽にぺしぺし箱を叩いてから、ミオは一度芝居がかった動作でパン! と両手を合わせてからぱっと開いて、箱の前で明るく笑った。

 

 そして、不思議なことを言った。

 

「今日、この時、僕はローだけの魔法使いだよ。使える魔法はひとつだけどね」

 

 人差し指をくるくると踊らせて、その時だけ、まるで道化師の動きを真似るように大仰な動作で。

 

「──"お寝坊さんの白雪姫を叩き起こすの術"だ!」

「ッ、」

 

 その動きと口調にローは何か、かたちにならない感情で胸がざわついた。

 ミオの動作はいつになく大げさで、こっちを楽しませようとする稚気に満ちていて、まるで──そう、『あのひと』のようで。

 

「その、図体のでけェ箱はなんなんだ?」

 

 這い上がる警戒に似た感覚が指の先まで奔り抜け、知らず口調は硬いものになってしまう。

 けれどミオは何がそんなに楽しいのか、ローの反応をニヨニヨしながら眺めているだけである。

 

「まぁまぁとにかく、開けてみ? ちなみに返品受付はしませーん」

 

 両手を『どうぞ』という感じで差し出しつつ嬉しそうにそう、促して。

 

「……」

 

 なんだってここで開けさせたいのかが分からない。

 とはいえ、中身が気にならないといえば嘘になるし、ミオがなんの意図もなく艦内に持ち込むにも難儀しそうな物を用意しないはずだという信頼も手伝って、ローは嘆息しつつ箱の前に膝を折って派手なリボンをほどきにかかった。

 

 リボンで作られた花と造花を外し、幾重にも巻かれたそれの結び目を解けばしゅるしゅると音を立ててほどけていく。

 赤、青、黄色、白に水色、タンジェリン・オレンジにオペラピンク。統一性がなくて、ひたすらにきらきらしているリボンが風で揺れる様子に目を眇めながら、ミオはぽつり、ぽつりと。

 

「プレゼント扱いなんてさすがに拗ねるかもしれん……けど、いいか」

「何の話だ?」

 

 プレゼント『扱い』?

 しかしローの疑問に答える気がないのか、ミオは視線すら向けずに小さく愚痴った。

 

「大体、向こうも悪いんだ。あんな土壇場で言い出すんだもんよ、ひどくね? 僕もあん時怪我人だったっちゅーのに」

 

 夕暮れのはじまりと、午後の最後の際の時間。ミオの頬の産毛が光を受けて金色に見える。

 腕を組んでうんうん頷きつつ、いかにも大変だったんですよという口調なのに名残惜しむような、どことなくくすぐったそうでもあった。

 

「ドフィに見つかったらいの一番に没収されそうだし、こーんなでっかいもん残しておちおち死ねないし、この十一年の頑張りを汲んでもらいたい──」

「おい」

 

 最後のリボンをほどいていたローの指がぴたりと止まり、顔を上げる。

 

 大きな、本当に大きな箱だ。機材は当然としても、普通どころか、大柄な人間の巨体ですらすっぽりと収まってしまいそうな……。

 

 とある思考が、ローの頭を埋め尽くす。

 

 ミオのテンションと、大きな箱。プレゼント。本命という言葉が示す意味。

 

 まさか、ありえないと理性が否を唱えている。馬鹿馬鹿しいほどの夢物語で、妄想の類だ。この世界はローに優しくない。痛いほどに思い知っているのだ、そんなことは。

 

──再会して行方を尋ねなかったのは聞きたくなかったことももちろんだが、ミオの傷をほじくり返すことになりはしないか、という危惧を覚えたからだ。

 腕の中で息絶えて、海の底に沈んだと彼女の口から語らせるような酷な真似はしたくなかった。あちらから言い出すこともなかったのは、辛い記憶をわざわざローに話して聞かせたくなかったのだろうと、そう、解釈していたの、だが……。

 

「これよりすごいプレゼントはどこにもない、と思う」

 

 手袋からはみ出した白い指先がローを後押しするようにしゅるん、と最後の紅いリボンをつまんで引き抜き、流れる風に放り出す。

 くるくると舞い踊る細くて綺麗な紅い色。

 

「ちょっと血生臭いのは勘弁してね。僕はお医者さんじゃないから、応急手当しかできなかったんだ」

 

 顔を上げた先、ミオはびっくりするほど優しく、泣きそうな顔で微笑んでいた。

 みかん色の長い光線に彩られて髪が光を孕んで内側から煌めいている様子は、それこそお伽話の魔法使いのようだった。

 

 苦しみ、傷つき、それでも生き抜こうとするものの前に現れて、本当に求めているものを、幸せになるための欠片をくれるひと。

 

「早く開けたげて。ローが大きくなって、立派なお医者さんになるのを──いちばん楽しみにしてたんだよ?」

 

 大きな箱。応急手当。十一年。

 

 それは、

 

 それは──

 

「──!」

 

 ローの脳天から爪先まで電撃のように直感が奔る。箱のふちに添えた指先が知らず震えていた。

 

 己の予想が正しいなら、本当に正答に行き着いているのだとすれば、中身は確かにこれ以上ない『プレゼント』だろう。

 ローが十一年、ミオと同じように、むしろそれ以上に慕い続けた、自分に惜しみない愛を注いで、命すら捧げ尽くしてしまった、ローの……。

 

 緊張で喉が変な音を立てた。口の中が急速に乾いていく。目の前の箱がパンドラの箱のようだ。中に詰まっているのは災厄か、それとも希望か。

 

 

箱の、中には──

 

 

 

×××××

 

 

 

 とびこんで来たのは、一面の黒。

 

 これだけ大きな箱の中、カラスのような、道化師のような、ぼろぼろのコートに埋もれるようにみっしりと詰まっているのは──大柄な男だった。

 

 海水に浸けてしまったせいかひどくみすぼらしくなってしまった羽根と、アンティークゴールドの髪を覆う、あちこちから塩を吹いている赤いコイフ。

 高い鼻梁に精悍な面立ち。血を拭ったのだろう、ところどころのメイクが剥げて、白い頬はどんな夢を見ているのかひどく満足げに緩んでいた。

 

 けれどそれは紛れようもなく、掠れ消えそうな記憶の中で、追い縋るように反芻し続けた、自分を愛してくれたひと。

 

「……コラ、さん……?」

 

 ずっと呼べなかった名前が口をついて出て、箱の前でローは崩れ落ちた。

 膝をつき、拳を地面に落とし、全身から力が抜けて、骨すら失ってしまったような虚脱感で動けない。視線だけはそらせなかった。

 

「……十一年前のあの日、僕が『固定』して時間を止めた。ローにもやろうかって言った、あれ」

 

 柔らかい声音が届く。

 限りなく遠くから話しかけられているようで現実感がなかった。耳の奥に文字の羅列がさらさらと流れて消えていく。けれど反射的に蘇るのは当時の記憶だ。

 暖かい空気の中で、背中に(わだかま)る重い熱の塊。怠い身体を守るように自分を抱き抱えてくれたひと。ミオはテーブルを挟んで向かい側に座っていた。

 

 オペオペの実を手に入れるまでの間、珀鉛のもたらす熱と苦しみが少しでも短く済むようにと提案されたことがあった。なんでもないような顔で、それまで開陳することのなかった己の能力の一端を説明して。

 

『オペオペの実を手に入れるまでの三週間、なんだったら実を手に入れて安全を確保できるまでローを今、この時点のまま『固定』することができる』

 

 そうすれば、少なくとも現時点以上は病状が進行することはないと、当の能力を受けて十数年を固定された生き証人としての言葉を投げた。

 ミオの能力はあらゆるものを『固定』すること。ひとたび『固定』されたものは解除されない限り、どれだけの時間を越えても能力を行使された当時のまま、変わることはない。

 

『『固定』されたら三週間どころか、何年でもほんの一瞬だよ。意識も『固定』されて、時間経過しないから』

 

 そうして視線で投げられた問い。どうする? と。

 

 ローはそれを断った。どれだけ苦しかろうが、辛かろうが、残った時間すべて二人と一緒に過ごしたかったから。

 

 それを、コラソンは──

 

 のろのろと、まだ目の前の現実が受け止められないローの指先がコラソンの頬に触れる。

 肌は人のそれとは思えないほどに硬く、温度がなかった。屍体のような冷たさも、生きている人間のぬくもりもない。医者として体験したことのない不可思議な感覚だった。ただ、命は喪われていないという確信だけがそこにはあった。

 

 喉の奥が引き攣って声が出せない。鼻の奥がつんとするのは随分と久しぶりだった。じわじわと熱いものが眼球の裏側から押し寄せてくる。どうしようもない。

 

 あふれ出る心を止める術はなかった。

 

 だってこんなの、止まるわけがないだろう。なんてサプライズだ。

 

「めちゃくちゃ撃たれてたし、ほっといて治るような傷でもなかったから……病院行こうって言ったんだけどね」

 

 やや疲れたような、しようのない弟のわがままを聞いた姉の声で、当時のことを思い出したのか苦く微笑んだ気がした。

 

「コラソン、『おれの医者はローだけだ』って言って聞かないんだもん」

 

 その言葉の意味が、ローには痛いほど理解できてしまった。

 

 小さなローを連れてコラソンが回った病院で受けた罵倒や拒絶は、誰より優しい彼の心すら確実に打撃していたのだ。

 次は、次こそはと希望を抱いて、その度に裏切られ、憤り、悲嘆に暮れていたあの人は、ローが思うよりもずっとずっと傷ついていた。本当に医者になる保証なんかどこにもなかったのに、オペオペの実を食べたローが医者になることを期待どころか確信して、自分の命がかかっている一大事でそんな突拍子もないことを口にしてしまうくらい、深く。

 

……もしかしたら、助かる気なんてなかったのかもしれない。

 

 命の終わりを悟ったがゆえの、ほんのわがままだったのかもしれなかった。けれど、そのわがままを叶えられるだけのちからを聞かされた方は、ミオは持っていた。

 そうなってしまっては、コラソンを知り、ローを知るミオには望みを叶えるしかなかったのだろう。コラソンの命の灯火を消さないように『固定』して、さりとて病院の対応や忌避感を肌身で体感しているから治療の無理強いもできず、となると本当にローが大きくなるまで待つしかない。

 

 不器用で優しい弟の最後になるかもしれないわがままを、不器用で優しい姉は持てるちからすべてを使って叶えたのだ。

 

 その結果がここにある。姉の助けを借りて、十一年かけてコラソンは辿り着いた。

 

 立派かどうかはさておいて、絶対にコラソンを治すことのできる医者になったローの前に。

 

「だから、ロー。コラソンを治してあげて」

 

 だから──ここから先は、ローの役目だ。

 

 

 

×××××

 

 

 

 どうしよう。

 

 僕は途方に暮れていた。

 

 箱の中に安置されてるコラソン(固定中)とご対面したローはその場に崩れ落ちて、何度か口を開閉させて、慌てふためいているようだった。

 十一年も死んだと思ってた恩人が実は生きていました、なんて事態に出くわしたらそうなるのも仕方がない。僕も多少、いやかなり狙ってやった部分もあるのでそんなローをちょっぴり微笑ましく眺めてました。仕込みの時間も十年超えという超長期的に仕掛けた悪戯大成功、みたいな満足感もあった。

 

 夢から醒めたような、現実を疑うような、そんなおっかなびっくりした様子でローはコラソンの愛称をつぶやき、焦れるほどにゆっくりした動作でその頬に指先で触れた。

 

 まだ魔法の解けていない肌は硬いけれど、ローが目の前の大男が現実に存在していることを伝えるにはじゅうぶんだったようで──途端、ぶわりと双眸に涙が浮いた。

 

「ゴラざん、ゴラざん、う、ぐっ、ゴラざん……!」

 

 嗚咽混じりにコラソンの名前を連呼しながらぼろぼろ涙をこぼし、ローは泣きに泣いた。大人の男がするなんて滅多になさそうな大号泣である。

 

 映画のワンシーンのような光景をやっぱり大きくなってもローはローのままだなぁ、と安堵を覚えつつ眺めていた。これでコラソンは大丈夫。確信を得ることができた。これからローはコラソンを治すために全力を尽くすだろうし、僕もようやくお役御免だ。とてつもない安心となんともいえない解放感があって、うんとのびをしたら少し身体が軽くなった気がした。

 あとはローが泣き止んだら『固定』の解除のタイミングを治療に合わせないと、なんて今後の算段をしつつ呑気にローの涙が終わるのを待つ姿勢になっていたのだけど……どうしよう、泣き止む気配がない。

 

 時間にすれば十分くらいだと思うのだけど、ローの泣きっぷりはこれまでどれだけ溜め込んできたのかというくらいぐずぐずのドボドボで途方に暮れてしまう。

 それはとりもなおさずローがどれだけコラソンを好きでいたかの証明であるのだけど、それにしても長い。気付けば陽も落ちきって、空がじわじわと藍色のグラデーションに染まっていく。

 

 なんかもうこのまま解除してローが泣いてる間に行っちゃおうかなと悪魔の囁きが去来しかけたけど、責任の一端は僕にもあるわけで。つうか、それをやらかしてまさかの事態にでもなったらローが舌噛んで事切れてしまいそうだ。

 

「ロー、ロー?」

 

 無粋とは重々知りつつも進退窮まって、とりあえずローの背中をぽんぽんと叩いて呼びかけるしかない僕である。

 

「ほらロー、おーい。コラソンを解除、ってか起こすよ? 起こしていい? というか、ローが治療してくれないとコラソン今度こそお陀仏だから、しゃきっとがんばっ──おぶうッ!?」

 

 脇腹直撃。泣き崩れていたローが何を思ったのか素早い動きで頭突きをかましてきた。とても痛い。

 そのまま渾身の力をこめてぬいぐるみよろしくギュギュギュ~と圧迫され、これではベアハッグもしくは鯖折りである。

 

「ローちょ、おま落ちつい──ぐえっ出る出る中身でる! あっまだ泣いてる! ごめん、ごめんー! 先に電伝虫で教えとけばよかったね!? ひええお願いだからそろそろ泣き止んで成人男性! あー! 違うんですクルーのひと! 決してお宅のキャプテンを悲しませる意図はなかったんです! むしろ逆! ただちょっとサプライズが過ぎて──」

 

 さすがに心配になって覗きに来たらしいクルーのひとが、僕らを見てびゃっと肩を跳ねさせながら「ウワー! 恩人がキャプテン泣かせてウワー!」とか叫んでしまった。ジーザス。

 それを聞きつけて気になっていたのかドアから数人のクルーが飛び出そうとしてぎゅうぎゅうに挟まっている。押しくらまんじゅう状態。「きゃ、キャプテーン!」「まさかの大号泣!?」「それもう恩人じゃなくね!?」とぎゃわぎゃわするハートの海賊団。

 

「きみらキャプテン大好きなのはいいけど僕に殺意向けるのやめて! 誤解なんです! むしろ悪いのコラソンだから!」

「うるせぇ賞金稼ぎの言葉が信用できるかー!」

「突然の正論やめよ!?」

「ってか誰だよコラソン!」

「おれの恩人だ!」

 

 がばっとローが顔を上げて怒鳴った。そこは反応すんのかよ。

 コラソンの名前を口に出したことでようやっと正気付いたらしいローは袖口でぐいっと目許を拭うと立ち上がり、船長の威厳でクルーたちを睥睨した。

 

「これからオペ室使うから準備しろ! 念のため気管挿管、輸液も用意しとけ!」

 

 突然の手術室使用の命令だが、そこはさすがハートの海賊団クルー。一気に真面目な雰囲気になると姿勢を正し『アイアイキャプテン!』と唱和してきびきびと動き出す。

 おお、今の今までコント集団みたいだったのにすごいな、このめっちゃ頼りになる感じ。医療ドラマとか国境なき医師団みたい。……それはそれとして、僕の服がべちょっとしてるのは彼の名誉のために黙っておこう。

 

 慌ただしく艦内に戻っていくクルーたちを見送って、ローはこちらを見下ろした。鼻のてっぺんとか赤いし、まぶたも心なし厚ぼったくなっているがイケメンなのはどういう理屈だろう。

 でもそこには皮肉めいた空気はどこにもなくて、緩く笑んだ頬には自信が満ちあふれているように見える。

 

「コラさんをオペ室に運ぶと同時に『固定』の解除を頼む」

「お任せあれ」

「それと、──」

 

 ローは帽子をむしり取ってがばりと深く頭を下げた。

 

「ありがとう、ミオ。コラさんの願いを叶えてくれて」

「それはコラソンが言うべきだろうけど……うん、どういたしまして」

 

 そして僕も頭を下げた。

 この願いはローが医者になってくれなければ成立しなかった、いわばバクチのような願いだったのだ。

 

「こちらこそありがとう、ロー。立派な医者になってくれて」

「立派かどうかはわかんねェけど、コラさんを完璧に治せる医者であることは保証する」

 

 なんせ異名が『死の外科医』なので、立派かといわれると迷うのかもしれない。

 異名が『腕の立つ外科医』とかだったらよかったのに……いや、それはただの某黒い外科医だわ。法外な治療費を要求して最後に返しちゃったりする憎い奴。

 益体もないことを考えてくすりと笑いながら顔を上げて、僕は片手でコラソンを示す。

 

「コラソンのことよろしくね。立場のこともあるだろうけど、十一年すっ飛ばしてるから説明とか大変だぞ~」

 

 実際、僕はとても大変でした。あの時の教育係隊長、もとい先生たちには本当にお世話になった。

 

「ああ、任せとけ」

 

 それはむしろ楽しみであるとでも言うように、ローは含み笑いを漏らす。……これ、コラソン治療終わっても海軍戻れる可能性あるのだろうか。逃がす気なさそう。

 あーでも十一年経ってるからもう除籍されてるか? どーなんだろそこんとこ。

 

「おれには、あんたが時々天使に見える」

 

 なに真顔で世迷い言口走ってんだ。

 

「ひとを思想顕現物扱いすんなし。せめて魔法使いにして欲しい。むしろ天使というならコラソンでは?」

「それな」

「だよね。ほれコラソン運ぶんでしょ? ストレッチャーとかある? 手伝おうか?」

「いや、こうする」

 

 同時、ローを中心に展開される薄い膜。能力発動の合図だ。確か"ROOM"だったか、このサークル内にいるものはローの意のままに改造することができる。

 先日僕の足がぶった切られても血の一滴も出なかったのは能力の特性ゆえだ。超人系・オペオペの実の『改造自在人間』。

 

 ローはくい、と指先を動かしながらつぶやいた。

 

「"シャンブルズ"」

 

 瞬間──僕とロー、それにコラソンは艦内に移動したらしかった。いきなりの場面転換にじゃっかん戸惑う。

 しらしらと明るい蛍光灯の下、部屋に充満している消毒液の匂いと、目の前にはすでにコラソンが大きな手術台に乗せられている。

 周囲にある医療器具のコードを踏みそうになり、慌てて後ろに下がるとドアにぶつかった。ローは手際よく手袋をはめて手術台の前に移動するとこちらを振り向く。

 

「いいぞ」

「あ、うん」

 

 手術着とか省略していいの? と思ったのだけど、この世界の手術現場をよく知らないのでなにも言えない。ローならコラソンの手術でヘマしないだろ。

 僕はローに言われるがまま、コラソンの『固定』を解除しようとして、ふと。

 

「あの、ロー」

「なんだ」

 

 早く容態を確認してしまいたいのか、ちょっとイラッとした感じのローに外を指差してみせる。

 

「コラソン解除したら、ボンチャリ回収してきていい? あれ大事なんだよ」

「ああ、あの変なやつか。それはいいが……戻って来るのかよ」

「変には大いに物申したいけど、経過が気になるからお見舞いには来るつもりです」

 

 その微妙な返事にローは一瞬顔をしかめたが、今はコラソンのことで頭がいっぱいいっぱいなのだろう、勝手にしろとばかりに顎を引いて頷いた。

 

「では」

 

 解除の方法は簡単だ。頭の中にスイッチをイメージして、それをオンにすればいい。

 今回は分かりやすいようにぱきり、と指を鳴らした。

 

 瞬間、コラソンは一度ぴくりと身体を揺らし、喘ぐように口を開けて大きく呼吸した。

 

「……ッは、ぁ──」

 

 しかしそれから微動だにしないところを見ると、意識はまだないらしい。

 

「ッ、」

 

 コラソンの反応にローはひゅ、と呼吸を止めたがすぐに医師としての顔つきになると動き始めた。スキャン、とか聞こえたのでまた能力を行使しているっぽい。

 それを契機にしたように準備万端整えた何人かのクルーが手術室に入り、完全にお邪魔虫になった僕は入れ替わりに手術室から出て、近くのクルーに道を聞きながら『ポーラー・タング』号をあとにした。

甲板になぜか注射器やメスが転がっていたのは、たぶんローの能力で自分たちと道具を『入れ替えた』ということなのだろう。

 

 ローの判断力がにぶっていたのは、あるいは幸運だったのかもしれない。

 

「ばいばい、ロー。コラソンをよろしくね」

 

 コラソン箱はそのままに連結部分をはめ直して、ボンチャリに跨がった僕はポーラー・タング号にひらひら、と手を振った。

 

「コラソンも、ローと一緒に幸せになってね。……今度こそ、さ」

 

 

 

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