桃鳥姉の生存戦略   作:柚木ニコ

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あと一話くらいで諸島編はおしまいの予定です


20.策謀パルティータ

 

 

「あー、これかな?」

 

 とぷりと陽の落ちた薄暗がりの隅っこで、停めたボンチャリにペンライトを当てていたミオはあの時のバーソロミュー・くまの怪訝そうな表情にようやく得心がいった。

 エアバッグ代わりに仕込んだ衝撃貝が、すでに衝撃を内包している証としててっぺんの突起が沈んでいる。よほどの衝撃にも耐えるらしいとは聞いていたが、能力者のものまで範囲内とは恐れ入る。なるほど、これが正しく機能したからボンチャリは無事で済んだのだ。

 

 しかし一度衝撃を吸い込んだ衝撃貝は、一度中身を吐き出さないとエアバッグとして使用できない。どころか、今内包されている衝撃が暴発でもすればボンチャリの大破は確実である。

 そんな危なっかしい劇物と化してしまったものをいつまでもくっつけておけないので、ミオは手早く衝撃貝を外して懐にしまい込んだ。どこかで中身を放出したいものだが、どこでどうやれば安全だろう。

 

 まぁ、それは後で考えよう。今は目の前のことに集中しなければ。

 

 番号一桁の危険地帯にひっそりと居を構えている『情報屋』の前でミオは大きく息を吸って、吐く。『情報屋』はけっこう曲者なので、精神統一が必要なのである。

 

「おっし」

 

 マングローブの根の隙間に据えられた扉をぐっと押し開きざまに潜り、中の木製の階段を慎重に下りていった。

 

 

 

×××××

 

 

 

 半地下にあるそこは広間のような空間である。

 頭上には梁や屋根板が剥き出しになっており、明かり取りの窓から差し込む月光が微細な彩を描き出す。

 

 

──きりぃ……ぃぃん──

 

 

 客人のおとないを告げる風鈴が鳴り響き、それは涼しく、甘く、懐かしい。

 足元は冷たい石造り。部屋の半ばまでは歩いて行けるが、中途からは風呂というには浅く、プールというには狭い水場があちらとこちらを隔てるように設えられている、

 密やかに澄んだ水をたたえ、透かした底にはとりどりの準鉱石。水晶だの瑠璃だの月長石だのといった鉱石がしらしらとした月光を浴びて、缶の中のドロップでも無造作に撒いた風に存在を主張していた。

 

「──おや。早うございますね」

 

 美しい声だった。瑞々しいのに練れて成熟した艶が匂うような、あやしの声音。

 

「今少し、遅うなると思っておりましたのに」

 

 ゆるりと眇められた瞳は、ぬめるような金のいろ。

 肩口から零れた黒髪も弱い光の中にも艶を孕んで美しく、抜けるような白皙のうなじにかかるそれはいかにもぬばたまと呼び習わすに相応しい。

 そして、水場に据えられた寝椅子に悠々と伸びた肢体。襦袢から伸びる手足はすんなりと長く、適度に膨らんだ胸とくびれた腰はモデルも裸足で逃げ出しそうな黄金律で形成されていた。

 裸足の指先を水に遊ばせるさまは吸い込まれそうな魅惑に満ちており、男となれば拝んで寿命も延びようかといった具合だがミオからしてみれば知った顔、馴染んだ相手なので特に感慨はない。

 

 そんな傾国然とした完璧な女性が部屋の主にして件の『情報屋』──アオガネである。

 

「夜分遅くになったことは謝ります。でも、アオガネさん。あなた、僕にエースのことをすぐに伝えてくれなかったでしょう」

 

 挨拶もそこそこに直球で本題をぶつけると、あっさりとアオガネは頷いた。

 

「ええ。いかな同郷のよしみとは申せ、できぬ事情がありまして」

「事情?」

 

 眉を八の字にしながら反芻すると、アオガネは楚々とした動作で傍らの水煙管を引き寄せ、吸い口を持ち上げながら吐息のように。

 

「あなたの二倍の値段で白髭の親父様から()()()ました。世間一般に露見するまでどうか話してくれるな、と」

「──」

 

 言葉の衝撃で目の前が揺らぐようだった。

 それは予想していたことでもあったし、レイリーから言われた通りのことを実行に移していたということでもあった。

 けれど、それでショックを受ける受けないは別の話である。分かっていてもきつい。

 

「愛されておりますね、ミオ」

 

 それを知っているだろうにしゃあしゃあと述べるアオガネは底意地が悪いというかなんというか。

 じろりと睨め付けてみるものの、彼女はどこ吹く風。

 

「わたくし、白髭の親父様にはご恩があります。頼み事を通り越しての脅しともなれば、とてもとても」

 

 するすると優しい紫色の煙を滑り落としながらそう続け、ひたりと双眸がこちらへと向けられる。

 

「もし、それを押してもなお聞こうと、知ろうとするのなら……」

「なら?」

「言伝を預かっております。白髭の親父様から、ミオ、あなたに」

 

 言伝。

 

 新聞に報じられれば、白ひげがどれだけ隠し通そうとしても知られてしまうのは確実である。そうなれば、ミオが情報屋を問い詰めるのはごく自然な流れだ。

 白ひげはそこまで見通していたから、アオガネに言伝まで残しておいたのだろう。

 

「お伝えしてからのことは、ようく考えるのですよ」

 

 まるで子を心配する母か教師のように告げて、アオガネはミオの反応を待つことなく上半身を起こしてそろりと手のひらで口元を覆う。

 

 すると──

 

『──生憎、『死にたがりのクソガキ』を連れ歩けるほどヒマじゃねェんだ』

 

 低く、落ち着いた、けれど厳めしい男の声である。

 自然と背が伸びて謹聴の姿勢を崩せない。声色を真似る、どころの話ではなかった。

 

『おれァよ、チェレスタの野郎にお前を託されたんだ。ああ、意味を履き違えてくれるなよ。お前はろくでなしのアホンダラだが、おれにとっても無鉄砲で可愛いばか娘だ、ミオ』

 

 なんの工夫かまじないか、静かな声は紛れようもない白ひげの──エドワード・ニューゲートその人の声である。

 アオガネの背後に当人が立っているような錯覚すら覚えた。

 

『嬉々としておっ死ぬようなところに、わざわざ大事な愛娘を近寄らせるわけにはいかねぇ。これに関してはおれだけじゃなく『白ひげ』の総意だ。エースのことは、おれたちに任せとけ』

 

 それはエドワード・ニューゲートが彼女を『託された』がゆえの責任で、義務で、紛れもない愛情だった。

 老獪な白ひげはミオの持っている気質を、魂の底にまで刻みつけられている宿痾のほぼ正鵠を見抜いていた。

 

『……後生だ、邪魔だから引っ込んでろよ。ついてきてくれるな』

 

 だからこそ、ミオが『命を賭けるに値する』場所へ連れて行くことを良しとしなかったのだ。

 

『それでも、この争いにくちばしを突っ込もうってェなら──そこまでだ』

 

 途端、声が威圧を帯びる。

 ぐびりと喉が変な音を立てた。伝言とは思えない、大船団の頭たる厳格な船長そのものの声はミオを肝胆から寒からしめる。

 

 『白ひげ』は、冷徹にひとつの宣告を告げた。

 

『その日、その時限りで、『娘』でなければ『親』でもねェと、そう覚えておくんだな』

 

 それは、事実上の絶縁宣言だった。

 

 これ以上ミオがエースの救出のために動こうとするのなら、まして処刑日に現場へ現れるようなことがあれば、ミオは完全に『白ひげ海賊団』から切り離される。

 先に総意であると明言されている以上、『白ひげ』の息のかかったすべてに所属する権利を永久に喪うことを意味していた。そうなれば、もうエースの部下にも、マルコの部下にもなれない。どころか、傘下のひとつに加わることすら叶うまい。

 

「……言伝は、ここまで」

 

 アオガネは口元を覆っていた手を外し、ふうと吐息をひとつ。

 ミオはいつしか俯いて、身じろぎ一つ取れなくなっていた。言伝の意味、含まれた意思、心の全てが臓腑の底まで染み込んでは重く広がっていく。

 

「白髭の親父様の言いつけを守るなら、よし。そうでなければ……さて、」

 

 どうするつもりと、アオガネの視線が問いかける。

 ほんのりと吊り上げられたくちびるはミオの反応を愉しむような、とびきりの芝居を待ちわびるような諧謔、滲ませて。

 

「……」

 

 血の気が引くほどに強く拳を握り、下唇を痛みを感じるほど強く噛みしめる。

 『白ひげ』の言葉は理解した。彼らがどれだけ自分を思い、気遣い、愛してくれていたのかを改めて痛感した。『白ひげ』がミオを心から愛していて、エースのためなら危険を承知で飛び込んでくることを確信しているからこそ、最後通牒を突きつけてでも阻もうとしていることも。

 

 ここが運命を決定づける──最後の分水嶺だと分かっているから。

 

 海軍と海賊がぶつかり合う戦場なんて危なくてしょうがないから、大事な娘を近寄らせるなんてとんでもない。とても単純で分かりやすい動機である。

 しかも、ミオがそんな指示ぐらいで素直に言うことを聞くようなタマではないことぐらいお見通しなので、駄目押しに勘当なんて切り札まで繰り出してきたのだ。

 

 理不尽とは、思わなかった。むしろ、ここまで言わせてしまったことが申し訳ないと思う。

 

 本当に大切だから、どうか来てくれるな。

 

 そんなエドワード・ニューゲート、ひいては『白ひげ海賊団』の願いを踏みにじってでも我を通そうとするのならば──絶縁などせずとも、もうミオは『娘』ではいられない。

 盃も交わさず、仁も通さず、義にも報いぬ不届き者がこの先『白ひげ』の『娘』を名乗ることなど、間違ってもあってはならない。何よりミオ自身がそれを許容できない。

 

 彼らは強い。純然たる事実だ。

 

 心配せずとも、彼らはエースの奪還を果たすだろう。世に名を馳せる四皇の『白ひげ』が任せろと請け負ったのだ。それだけの戦力と実力を兼ね備えた海賊団であることは、ミオがいちばんよく知っている。

 ものの役に立つかどうかも分からない馬鹿ひとりが参戦したところで戦局が有利に転ぶわけがない。むしろ邪魔になる可能性すらあった。ミオの参戦なんか誰にも……もしかしたら、当のエース本人にだって望まれていないのかもしれない。わざわざ言伝まで預けて頼むから引っ込んでいろと言われたのだから、大人しく引っ込んでいるのが道理である。

 

 だったら、その通りにすればいい。

 

 エースが帰ってくることを期待して、待っていればいい。簡単だ。そうすればミオは『白ひげの娘』のままで、何も変わらない生活に戻れるだろう。

 分かっている。理解している。共感すらする。大事なひとにはできるだけ傷つかないで欲しい。危ないところになんか行かないで、安全な場所で待っていて欲しい。それは誰だってそう考える。ミオだって同じだ。

 

 だけど。

 

 俯いたまま、ミオはパーカーのポケットに手を突っ込んで小さな革袋を取り出した。さして大きさはないものの、ずしりと重たいそれをアオガネ目掛けて放り投げる。

 

「?」

 

 危なげなく受け取ったアオガネは革袋をしげしげと見つめ、手入れの行き届いた指先で袋をつまんで逆さにすると中身を手の平で受ける。

 ひとつひとつが柔らかな布でくるまれたそれをほどいてみれば、飛び込む輝きは目も眩むほどの鮮烈さ。

 

「おや、まあ」

 

 ルビー、オパール、アクアマリン。

 

 粒は大きく、純度は最高。合わせてみっつ、『そこそこの船ならば即金で買える』だけの価値を秘めた宝石がアオガネの手の平の上に顔を出していた。

 

「……その額で出せる、現在の『白ひげ』の情報、あるったけ吐き出してください。戦力、規模、それぞれの船団の潜伏箇所。ああ、エースと海軍の動きも併せて頂けますか」

 

 顔を上げたミオの瞳は、不思議なほどに凪いでいた。

 透徹な意思の揺るぎなさを感じ取り、アオガネは驚いたように一度まばたきしてから。

 

「これはまた、思い切ったこと。白髭の親父様の言いつけはよいのかしらん?」

 

 試すような口ぶりに一転、ミオはにぃと口の端を吊り上げた。

 紙のような顔色で、くちびるすら青ざめて、けれど瞳には炯々と覚悟を募らせて。

 

「そりゃあ、よくはないですよ。もちろん」

 

 いいわけない。

 

 ミオが『白ひげ』にどれだけの年月お世話になってきたことか。『白ひげ』にどれだけの恩義を感じているか、どれだけ彼らが好きで大事でかけがえのない存在なのか、誰あろうミオが世界でいちばん理解している。

 

 最初の日を覚えている。ミオに根ざす『白ひげ』の原風景だ。目が覚めて。知らない船で、人で、自分は包帯だらけで。びっくりした。

 荒くれ者の代名詞みたいな海賊なのにお父さんはあったかくて、大したもんだって褒めてくれて、おれの娘になれって言ってくれた。それからずっと『家族』でいてくれた。それはあそこにいたみんながそうで、帰ったらおかえりって迎えてくれて、怪我をすれば心配してくれて、無茶したら叱ってくれた。

 

 みんなの笑顔や、怒ったときの顔や、言葉や、香りや、温度。数え切れないほどの昼と夜、朝と夕焼け、雨や、嵐や、渡る潮風を覚えている。

 

 彼らはミオの命を救い、傷を癒し、稽古をつけ、不器用でも精一杯の愛情と知識を与えてくれた。時に優しく、時に厳しく、笑って怒って喧嘩して、強く明るい道しるべになってくれた。

 

 その全てに今、ミオは背を向けようとしている。

 

「こわいに決まってるじゃないですか。べそかいてないだけで褒めて欲しいぐらいですよ、実際」

 

 考えるだけで足元が真っ暗になる。膝から力が抜けて、立っていられるのが不思議なくらいだ。胸がつぶれたように痛い。服の上からその箇所を掴む。指先なんか冷え切ったままで震えが止まらない。鼻の奥がつんとするのを堪えて、涙が落ちそうになるのを全力で押し殺した。

 

 わがまま通して戦場に行ったって四面楚歌だ。

 

 海軍に楯突くなんて御政道に反する真似をするんだから賞金稼ぎ稼業はおじゃん。七武海が招集されてるからドフラミンゴとぶつかる可能性だって高い。お父さんからは勘当されて、援軍どころか孤立無援のお先真っ暗が約束されているのだ。

 怖くないはずがない。苦しくないわけがない。悲しくないわけがない。寂しくないわけがなかった。

 

「でも、()()()()はエースを助けた後で困ればいい」

 

 けれど、それを上回って余りある感情があった。

 

「後悔するのも、絶望するのも、泣いて喚いて這いつくばって許しを請うのも、ぜんぶ、エースを取り返した後にします」

 

 口にしている間に、ふつふつと滾るものがある。腹の底から力が湧いて、揺らぎそうになっていた足に力が戻って来る。

 面白そうにこちらを見ているアオガネをはったと見据え、ミオは感情のままに声を出した。

 

「……馬鹿にすんな」

 

 なんなんだ、みんなして。

 

 『白ひげ』の娘が、危ないから、命のやり取りをするから、寄ってたかって爪弾きにすると言われてはいそうですかと頷くと、家族じゃなくなっちゃうのはいやだからシャッキーの店に戻るとでも──本気で思っているのか。だとしたら。

 

 ふざけんなよ。

 

 

──そんなに、僕は頼りないか。

 

 

 邪魔にしかならないからすっ込んでろと断じられるほどに、エース救出の責任の端っこすら負わせようとも思えないくらいに?

 

 メラメラの実の能力者で、テンガロンハットとそばかすがチャームポイントで、笑顔がお日様みたいな男の子。いつの間にか僕に懐いてくれて、なにかと部下になれって勧誘してくれた。

 いつでも強がりばっかりで、食いしん坊で、けっこう寂しがり屋で、ほんとは誰より繊細な、うちでいちばんちびっこの──ミオが守らなければならない『家族』。

 

 彼には未来がある。笑い合える仲間がいて、目標があって、努力している。ミオはそれを知っている。エースは報われなければならない。幸せにならなきゃだめだ。エースじゃない誰かがエースの寿命を決めるなんてことはあってはならないと強く思う。

 

 それを。

 

「家族なのに、家族だから、来なくていいと言われるなら──そんな肩書き、熨斗つけて返上したって構わない」

 

 遠ざけるのが『白ひげ』の不器用な愛情だということは理解した。だが、納得とは別問題。

 

 海軍なんかが、日時を区切って公開処刑なんて冗談じゃない。エースを馬鹿にされている気がしてどうしようもなく腹が立つ。

 

 待ってるだけなんて、そんなのは無理だ。できることがなくても、ほんの少しでも何かを見出したい。意味なんかなくても、手を伸ばしたい。そこにあるかもしれない可能性すら潰すなんて真似はできない。役に立てるかどうかなんて分からない。それでも動けるなら、行かなければ始まる前に終わってしまう。

 

 それを邪魔するような言うことなんか、聞けません。だってミオは『白ひげ』の娘だ。

 海賊の娘がしおらしく座して待つわけがない。気に入らないことがあったら力尽くで解決します。略奪強奪お手の物。使えるものはなんでも使ってエースの命をぶんどります。

 

 愛情の方向が相容れないなら、仕方がない。

 

 よろしい、ならばこちらも宣戦布告だ。

 

 ミオは笑う。きっと、獣が浮かべる笑みがあるならこんな顔になるのだろう。余裕も嘘もない必死の笑み。

 

 

「僕の『家族愛』を舐めるなよ──白ひげ海賊団!」

 

 

 エース。ごめんね。

 もう予約そのものが成立しなくなっちゃうけど、それでも、ちゃんと向き合って言うからさ。マルコさんにも。

 

 それすらできないろくでなしにはなれないし、なりたくないんだ。

 

 だから。

 

「だから、アオガネ。僕にエースに辿り着くための情報を寄越せ」

 

 靴のままずかずかと水面を踏み荒らし、ミオはアオガネのすぐ間近まで近付くと、濡れる裾も構わずに屈んで視線を合わせ──脅した。

 

「あなたの本分を全うしてくださいよ、ねぇ──(はね)持つ蟲の女王様」

 

 動物系ムシムシの実"モデル・女王蜂"。

 

 アオガネの情報収集における速度は他の追随を許さない。そして、その精度と確度において無類の信頼を誇るのはこの悪魔の実の能力に起因している。

 ミオとて全てを把握しているワケではないが、アオガネが得たのはその虫としての能力というよりは『女王蜂』としての特性──蜂からの情報獲得である。操るとなれば多少の制限はあるようだが、彼女は蜂と名の付く無数の虫から情報を引き出すことができる。新世界への玄関口に居を構えているのもその能力を最大限に生かすためだ。

 

 シャボンディ諸島に停泊している数多の船にほんの数匹蜂を忍び込ませて様子を探る。はずれならば捨て置き、気になるようならそのまま端末として引き続き潜ませておけばいい。目星さえついていれば、たとえ蜂が寿命で死んでも最寄りの島から新たな蜂を送り込めば事足りる。

 

 大量に押し寄せる情報を常に整理、統合するのは苦行を通り越して発狂してもおかしくないように思うのだが、その辺りは能力が補佐しているのか彼女の本来の気質ゆえなのかあまり問題ではないらしい。

 

 いわばアオガネは世界の各地に根を張った巨大なネットワークの集積所であり、たったひとりのハイヴ(大樽)なのだ。パソコンもネットも存在しないこの世界での優位性は計り知れない。

 

「──ほ」

 

 そんな彼女はミオの言葉に瞳孔をきゅうと()()すぼめ、口の端を吊り上げうっそりと笑った。

 

「ほ。ほ。ああ、よい啖呵。なんとも、胸の空くような宣戦布告。とても、とぅても──よいですよ、素敵だこと。白髭の親父様の娘ですもの、そうでなくては、の」

 

 堪えきれぬとばかりに伸ばされた指先がミオの頬に触れる。

 顔色を失った肌よりなお白く、ひんやりと冷たい感触がゆるゆると輪郭をなぞり、爪の先がかすかにおとがいをつついた。

 

「あなたの望むもの、この青金(アオガネ)が謳ってあげましょう。代価も上々、確かに受け取りましたからね」

 

 幼子をあやすように甘い声音で囁いて、黄金のような光沢を溜めた眸が愛おしげに細められる。

 かすかに鼻腔をくすぐるのは、深山の奥でゆらめく狭霧めいた水の香り。涼を帯びて、懐かしさを孕んだそれが呪いのように引き上げる追憶の情。

 

「ほんに……この(めずら)かな世は面白きこと。長虫に翅がつく日が来ようとは、お釈迦様でも思いますまい」

 

 かつてどこぞの御山の主だったというこの妖しの姫は、いつかの昔に山を追われ、流れ流れて──何の因果か宿業か、この世界に迷い出たらしい。

 そこで見つけた『珍かな果物(みずかし)』を興味本位で口にして、あまりのまずさに吐き出そうとしたとて後の祭り。たったの一囓りでも悪魔の力は彼女に宿り、以来、アオガネは『情報屋』としてこの諸島に居を構えている。

 

 時代は異なれど故郷を等しくするミオをアオガネは気に入り、こうして交友を続けてくれている。

 アオガネはひとしきりミオに構って満足したのか、するりと立ち上がると水面を揺らすことなくふたふたと小さな戸棚に歩み寄り、籠に宝石を丁寧に置いて引き出しから帳面を取り出した。

 

「とは申せ、白髭の親父様が厳命なさったとなれば、あなたが何処を訪ったところで門前払いが関の山。どうなさるおつもりか?」

 

 それはまぁ、そうだろう。

 

 縁切りまで仄めかされている現状、ミオがのこのこ『モビーディック号』や傘下の海賊団に向かったところで叩き出されるのがオチだ。

 ミオは腕を組んで少し考え、ややあってから顔を上げた。

 

「……お父さんの居場所より傘下の、そうだな、エースのことを『とびっきり助けたいと思ってる船長』がいい」

 

 何よりも、誰よりもエースの救助を第一義に考えている人物。

 それは誰でもそうだと言われるかもしれないが、更に付け加えるならば。

 

「それで、理性より感情が勝るひと。エースを助けるために『多少の無茶』をしでかせる、僕のことなんかより──エースのことだけで頭がいっぱいのひと」

「ははぁ、なるほど」

 

 それだけで得心入ったのか、アオガネは帳面をめくる手を止めて、こちらへと見せてくる。

 

「こちらの殿御(でんご)なら、あなたの望みに叶うのでは?」

 

 昔の大福帳のような帳面に綴られた名前を見て、ミオは迷わず頷いた。

 

 半ば直感にも近かった。

 

 彼なら、きっと。

 

「ですね。この船長の海賊団の所在を最優先でお願いします」

「承りました。ですが、少し、時間は頂きます。そうさな、明後日の朝までお待ちやれ」

「わかりました。なら、その頃にまた来ます」

 

 それからミオはアオガネから現在の海軍の状況や、知る限りの『白ひげ』の情報をざっと聞いてからその場を辞した。

 

 一応、約束だったので麦わらの母船にボンチャリを飛ばして行ったところ、先日のオークション会場で見かけたトビウオライダーズが彼らの船を守っていて大層驚いた。

 最初はまた麦わらの船を狙った輩と勘違いされまくったのだが、レイリーに頼まれたのだと告げるとすぐに警戒を解いてもらえた。聞けば、彼らのボスである『鉄仮面のデュバル』は『黒足のサンジ』に大変な恩を受けたらしい。

 

「ところで、おれってハンサムですよね?」

 

 新参だが『音無し』の噂を知っていたらしいデュバルはなぜか顔面を不気味に歪め、白目で問いかけてきた。

 どうやらウィンク? らしきものを繰り出したかったようなのだが、慣れてないのか壊滅的に才能がないのか、ただの百面相である。

 

「その顔だと判別し難いんですけど、おそらくそうなのでは?」

「ですよね! 聞いたか野郎共! おれ、ハンサム!」

『イエス! ハンサム!』

 

 彼の仲間たちが一斉に拳を突き上げ、声高にハンサムハンサムと囃し立てる様子がなんだか面白くてミオはくすりと笑うことができた。

 

 沈みきっていた感情がほんの僅か、その時だけは浮上してくれた。

 

 トビウオライダーズの底抜けな明るさは、少しだけ、ミオの心を軽くしてくれたのだった。

 

 

 


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