桃鳥姉の生存戦略   作:小日向ひより

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これにて諸島編は終了です


22.やくそくトロイメライ

 

 

「昔、一度聞いたきりで随分と手間取ったが──ついさっきだ」

 

 ローがミオの乗っている船の名前を思い出せたのは、本当につい先ほどのことだった。

 

 ミオの『魔法』が解けたコラソンの容態は瀕死ではないものの、かなりの重傷だった。むしろ、常人ならば間違いなく致命傷になっていたが持ち前の頑丈な肉体で強引に重傷で留めていた、という方がしっくりくる。変なところで力技を発揮しているのがなんともコラソンらしく、執刀医らしからぬ笑みを浮かべてしまったのは秘密だ。

 ヴェルゴの容赦のない打撃やドフラミンゴによる銃撃を受けているのだから当然だが、打撲に筋肉の断裂や銃創は言うに及ばず、とりわけ折れた肋骨の処置はこれ以上遅れていたら肺に傷をつけていた可能性があった。十一年越しの迅速な手術、というなんとも奇妙な状況であったがミオには本当に感謝しかない。

 

 そして手術終了後、治療方針、完治までに必要なおおよその期間──点滴や包帯の交換すべてを終えて一段落したところで、ようやく目を通すことができた先日の号外(オークション会場で一騒動起こしていた時に諸島中に撒かれていたらしい)だという新聞。

 

 記事一面にでかでかと踊る文字の羅列を目で追うにつれ、ローの顔からは表情が抜け落ち、休みかけていた思考回路が音を立てて励起された。

 思えば、いくつものヒントをローはすでにミオから得ていたのだ。脳内で無数のパズルが音を立てて組み上がり──導き出された最悪の事態に全身が総毛立った。

 推測の域を出なくとも、ぐずぐずしていてはならないと第六感が警鐘を鳴らしていた。万が一、コラさんの容態に変化があれば連絡しろと言い置いて子電伝虫と鬼哭を抱えてローは艦から飛び出し、ミオから預かったビブルカードを頼りにここまでやってきたのだ。

 

 ビブルカードの示す先がバイト先だと言っていたはずの13番GRではないことで、推測はほぼ確信へと変わり──そうして辿り着いたのは明らかに出航準備を整えているミオの船と本人の姿。

 

 間に合ったという僅かな安堵と舌打ちしたくなるような苛立ちが同時に沸き上がる。

 

 それでも表面上は平静を装い、ある種の覚悟を固めたローは対峙するミオへと向けて口を開いた。

 

 ミオの船の、名前は。

 

「『モビー・ジュニア』。あの時、確かにそう言ったよな」

「うん、言ったよ」

 

 即答だった。

 迷いも偽りもない桜色の双眸がひたとローを見つめている。その頬がゆるんで、やんわりとした笑みを形作る。

 

「一度教えたっきりなのによく覚えてたねぇ」

 

 感心すらしているようにつぶやいて、背後の船へ向ける視線はあの頃と変わらない誇らしさに満ちていた。

 

「そうだよ、僕の大好きな海賊船から名前を分けてもらった。この船は『モビー・ジュニア』号だ」

「ッ、」

 

 あっさりとした返答にローは僅かに動揺したが、いちど唇を引き結んでから再びミオへと視線を固定する。

 『モビーディック』という名前は憧れと畏怖を込めて覚えられる。『新世界』にてまるで王者のように君臨する四皇、かの一角が使用する母船のそれとして。

 

「『モビー』の名を冠した船で、『隊長』っつう役職が振られるくらいの規模を有した『海賊』なんてのは『白ひげ海賊団』しかありえねェ」

 

 そして『モビーディック』の『子供』を堂々と名乗って許されるのは、その海賊の縁者でしかありえない。

 加えて、ミオはローの仲間に、『ハートの海賊団』入りすることを承諾していたが、そのためには説得しなければならない相手がいると言っていた。

 

 半ば確信に満ちた詰問を矢継ぎ早にぶつけたローは、核心を問うた。

 

「ミオ、あんたの説得したい『隊長』とやらの名前を言ってみろ」

 

 ミオは苦笑交じりに肩を竦めて、ごく軽い口調で答えた。

 

「エースと、マルコさん」

 

 名前には聞き覚えがあった。一番隊の隊長を預かる男と、そして。

 

「マルコ……『不死鳥』か。それに、フ、そうか、よりにもよって『火拳屋』かよ」

 

 嘲笑めいた笑みを浮かべてぐしゃりと帽子を掴んだローは、苛立ちに任せてむしり取った。

 

 当たって欲しくなかった予想は全てが大当たりのジャックポット。だが、これでいくつかの疑問が氷解する。

 ミオと『白ひげ』との間に繋がりがあり、それがローの少年時代から続いているとなれば、成程、ドンキホーテ海賊団に入るなんて露ほども考えられなかっただろう。今日までドフラミンゴを避けまくっていた理由は、おそらく『固定』したコラソンの没収を恐れてのことだろうが、『白ひげ』も要因のひとつにはなっていたはずだ。

 

 しかし、もはやコラソンはミオの手を離れ、ローへと移譲されている。そして『白ひげ』の隊長が、ミオの説得しなければならない片方が現在窮地に陥っている。

 

 『白ひげ』は『家族』を何より大事にしている。どんな海賊でも知っている事実だ。

 

 

 そしてもし、それを、ミオが遵守しようとしているのならば──

 

 

 ローは炯々とぎらつく双眸をミオへと叩き付けた。不安と焦燥で自然と声が荒くなっていく。

 

「ミオ。お前、まさか──おれとコラさんを置いて、『火拳屋』のために首突っ込むつもりじゃねェだろうなッ!」

 

 それはもはや怒号だった。

 ローにとって大事なのは艦と仲間とコラソンとミオだけだ。他のことなんか知ったこっちゃない。『白ひげ』なんてのは完全に他人も他人、むしろいずれ潰すべき敵とさえ言える。

 ()()()()()のために、大切な恩人が危険に身を投じようとしているなんて冗談ではなかった。

 

 けれど、それはあくまでローの中でのみ通じる論理であって、ミオのものではない。

 

 再会から共に過ごせた時間はほんの少しで、会えなかった時間のことをローは知らない。

 会うこと叶わなかった──否、生きているとも思わなかった十一年の間にミオが重ねてきたものを、ローは知らない。

 

 だからミオだって、ローのそんな理屈なんて知ったこっちゃなくて。

 

「うん」

 

 ただ、頷くのだ。

 恐れることもなく、平然と、何を当然のことを聞いているのかという態度で、ただ。

 

「行く」

 

 あまりにも端的な言葉に、ローは唖然とした。怒りすら通り越し、刹那の自失が奇妙な冷静さをローに注入していく。

 この先に待ち受けているであろう事態を、本当にミオは把握しているのかという疑問すら浮かんだ。

 

 新聞を読む限り、『火拳のエース』の公開処刑はマリンフォードで行われる。『白ひげ』はおそらく、持ちうる戦力すべてを投入して『火拳のエース』を奪還しようとするだろう。

 それを海軍本部が迎え撃つとなれば、それは未曾有の事態だ。

 下手をすれば今後の歴史にすら刻まれるほどの、まさしく戦争になるだろう。どちらが勝利を得たとしても世界は変換を余儀なくされる、それほどの事件に発展するであろうことは想像に難くない。

 

「分かってんのか。海軍と海賊が正面からやり合うなんて、前代未聞だぞ。どんな規模になるのか想像もつかねェ」

 

 ひどい裏切りを受けたような、伸ばした手を振り払うこともなく引き抜かれたような、例えようのない寂寞があった。

 

「……『白ひげ』と心中する気かよ」

 

 だとすれば、それは『ハートの海賊団』より『白ひげ』を取ったも同然ではないか。

 

「──」

 

 けれど、ローの吐き捨てた文言にミオは奇妙な反応を示した。

 親に捨て置かれたような子供のような、見たことのないそれは卑屈ともいえる顔だった。

 

「心中なんてできないし、しないよ」

 

 寂しさと焦燥の混ざった笑みを浮かべ、ミオは縋るように胸元の布をぎゅ、と握る。

 

「僕はともだちのエースを迎えに行く。それだけ」

「……それは、おれとコラさんより大事なことか?」

 

 我ながら駄々をこねる子供めいた物言いになってしまったが、真実問いたいことでもあった。

 ミオは少し考えてから答えた。

 

「今は、ね」

 

 残酷な、答えを。

 

 否、理屈の上では理解できるのだ。処刑日という明確な死を宣告されている『火拳のエース』と、すでに窮地を脱しているローとコラソン。

 それならば、命を区切られた方を優先させる。とても単純だ。ミオは難解なようで、いつだってわかりやすい論理で動いている。

 ローの時もそうだった。元気いっぱいのドフラミンゴより、頼りない方の弟と今しも未来を失いそうな少年を手助けすることを選んだ。

 

 そして今は、窮地に立たされているともだちを迎えに行きたい。たったそれだけなのだ。ミオにとっては。

 

 

──だが。

 

 

「……そうか」

 

 ローは帽子を被り直し、ごく自然な動作で片手を持ち上げた。

 

「"ROOM"」

 

 一拍の間を置いて、劫火のように身を焼く激情に任せてローは能力を展開した。虫の羽音に似た音を響かせて敷かれる円形のサークルはミオの船すら射程に納める。

 

「ッロー!」

「あんたの言い分は分かった。けど、気に食わねェ」

 

 焦りの混じる叱責の声に負けじとローも声を張った。

 

「あんたにとって大事でも、『火拳屋』なんておれにとっちゃどうでもいいんだよ!」

 

 大軍勢に一人と一匹が加わったところで何になる。それでひっくり返るような状況ではないことぐらい、本人が一番知っているだろう。

 

「おれが大事なのは──死んで欲しくねェのはミオだけだ」

 

 それでも無理を押し通そうとするのならば、ここでローがミオを止める。能力を行使してでも、絶対に。この前のように足をもいでも、場合によっては『モビー・ジュニア』を真っ二つにしてでも阻んでみせる。

 

 海軍、ひいては政府の悪辣さをローは肌身に浸みて痛感している。形の見えない悪意に世界でいちばん大切なひとが無為に潰される危険性を本人が行きたがっているからと大人しく看過できるほど、ローは殊勝でも大人でもない。

 かつてその悪意に蹂躙された者として、ミオの無謀で無茶な行動を黙認することなどできようはずがなかった。

 

「『火拳屋』のことは『白ひげ屋』に任せておけばいいじゃねェか! それで何の不都合がある!?」

 

 叫びざまに鬼哭を抜き払い、剥き身の刀身をさらけ出したローは柄を握り閉めて大上段に構えて振り抜こうと、して──

 

 

 

×××××

 

 

 

 限界だった。

 

 

「なんで」

 

 

 大上段に構えたローの前で、迎撃しようとも、それどころか構えるという概念すら失ったかのように棒立ちになったミオの瞳から、ぼろりと何かがこぼれ落ちた。

 まなじりを伝って落ちた球形のそれが地面にころりと転がる。それは涙色の鉱石に見えた。

 

「ッ!?」

 

 瞬間、鬼哭を構えたままのローの動きが唐突な涙で驚き、びきりと固まる。そのせいで集中力が途切れたのか、ついでに"ROOM"もふつりと消えてしまった。

 ミオはといえば、そんなことに気を払えないくらいいっぱいいっぱいだった。泣いていることにすら気付いているのかどうか。

 

 ローの言い分は、わかった。

 

 ローはミオがこの戦争に首を突っ込んだら『白ひげ』から勘当される、ということを知らないから、彼からしてみればミオのやろうとしていることは『ハートの海賊団』より『白ひげ』を取ったという解釈になる。

 『ハートの海賊団』入りを約束していたのだから手酷い裏切りに見えても当然で、それを引いても危険地帯に恩人がのこのこ行こうとしているのだから阻止に動くのも理解はできる。

 

 でも、だけど。

 

 能力を展開して鬼哭を構えたローの発した文言は、これ以上ないほど的確にミオの心を打撃した。その胸中を支配したのは理屈も論理もぶっ飛ばした単純な感情の奔流である。

 

 世界から放り捨てられたような形容し難いほどの心細さと、寂しさ。

 

 それはミオの魂に根ざした問題が露呈した瞬間でもあった。

 

 だからこそ──掛け値なしの限界だった。

 

「どうして、エース助けたいだけなのに、迎えに行きたいだけなのに、みんな来るなって言うのかな」

 

 心底からの疑問の声だった。

 迎撃の姿勢どころか突っ立ったまま微動だにしないミオに毒気を抜かれたのか、ローは構えを解いた。眉間の皺は取れないままだが、少なくともすぐさま攻撃に移るつもりはなくなったようだった。

 

「……そりゃ、止めるだろ。とりわけ、あんた、何かにつけ危なっかしくてしょうがねェし」

 

 ごく単純に感想を述べるローをぼんやりと見つめたまま途方に暮れた子供のように佇んで、ミオは譫言のように言葉を零す。

 

「死ぬつもりなんかないし、危ないのはそうだと思う。でも、動かないなんて、そんなのむりだよ。できっこないよ。僕にできることがあるのかないのかも、それだって、わかんないけどさ」

 

 溜まりに溜まっていた感情が涙と一緒にぼたぼた落ちてくる。それは流れ落ちた端から真珠のように凝って地面に転がったものと弾き合い、氷が衝突するような音を立てた。

 表情がろくに動かないものだから『泣いている』というより、目から変な水が出る玩具のようだった。

 

「でも、そんな条件はみんな同じはずなのに、なのにみんなはよくて、僕だけ駄目だって──そんなの、ひどい。大事だからってよってたかって爪弾きにされるの、さびしいよ」

 

 論理もへったくれもない子供の理屈だが、心の底からあふれた吐露だった。

 

 ミオはいつだって、どこででも、誰かのために動いてきた。

 願いを支柱に、託された思いをよすがの(しるべ)に、己の持てる力すべてを尽くして戦い抜いてきた。

 誰かのために戦って、なにかのために骨身を削って、たとえ粉になってもそれでミオは満足できた。大切なひととの約束を鉱石のような覚悟にして、伽藍堂の中身にそれだけを大事に詰め込んで、そのためだけに消え果てることができたのだ。

 

 目眩がするような陶酔を噛みしめながら、笑って手を振ることが。

 

 それがミオの病気で、狂気で──無意識の底で切望して追い求めている底抜けの白い闇だった。

 

 なのに、それがない。

 

 今生では、幼い弟たちのために。

 

 次はローとコラソンのために。

 

 だけど今回は、そうじゃない。

 

 エースを迎えに行きたい。

 

 狭苦しいだけの暗い所から連れ出して、仲間たちの待つ広い広い海へと。

 

 けれどそれはミオだけの願いで、望みで、誰ひとりとして一緒に戦ってくれと言ってはくれないのだ。

 支柱もなく、依る辺もなく、己の願いのみを頼りに動いたことのないミオには、それが苦痛で寂しくて悲しくて仕方がなかった。

 

 だからといって、諦めることもできなかった。

 

 できるわけが、なかった。

 

「みんなが走り回ってる中で、いつも通りの生活なんて送れないよ。しんどいよ。やれること全部やらないと、あとで後悔する」

 

 だってそんな自分を、ミオは許すことができない。

 あったはずの可能性を自分の手で潰しておいて知らん顔できるなら、それはもうミオではない。

 

「それに、もし、これで本当に僕がマリンフォードに行かないまま、エースになにかあったとしたら……絶対、恨む。たぶん一生、白ひげの、お父さんのことも、みんなのことも、ローのことだって恨んじゃう。逆恨みなことなんて百も承知で、それでも……」

 

 そこから先は言葉にならず、背筋を這い上がるような悪寒がして誤魔化すために拳を握った。瞬きをしたら目の前が霞んで眼球が熱かった。

 くちびるを引き結んで強く噛みしめて、呻く。

 

「そんなの、いやだ。誰かのせいになんかしたくない。考えたくないよ。エースが死ぬのはいやだ。それは、そんなの、ぼくが死ぬよりずっと、ずっとこわくて、いたい」

 

 そうして、どうしようもないから歯を食いしばって考えて、考えて考えて……大切な繋がりが断ち切られることすら是として踏ん張っていたのに、よりにもよってローにまで阻止されそうになっている。

 

 つらい。

 

「そもそも、エースがいなくちゃ説得できないじゃん。ローの仲間になるために通さなきゃいけないスジが立ち消えなんて、困るよ。なのに、なのにさ、エースの情報は差し止め、されるし……」

 

 そこまで吐き出して、喉の奥が引き攣って俯いた。鼻の奥が痛い。足元にはラムネ色をした小さな粒が無数に転がっている。

 能力が勝手に発動している。ろくな制御ができないくらい疲弊するのは白ひげにチェレスタたちの趨勢を聞かされたとき以来だった。

 

「お父さんにもくんなって言われるし、そんで、もしマリンフォードきたら、かんどー、するってぇええ……」

 

 自分で改めて口にすると現実がぶん殴ってきて、足元すらおぼつかなくなってきた。目の前がぐらりと揺れて、立っているのも辛くなってしゃがみ込む。

 心がぐしゃぐしゃで動ける気がしない。ここでなおローがミオを追い打つなら、もう抵抗すらできないだろう。

 

 奇妙な沈黙が落ちて、ややあってから声が落ちてきた。

 

「──おい」

 

 顔を上げると、目の前にはしゃがみ込んだローの姿。鬼哭を持っていない方の手が無造作に伸びてきて、反射的に仰け反ったミオの顔面──正確には額にぺたりと当てられる。

 

「……?」

 

 ちょっと間を置いて、ローは深々とため息を吐いた。

 

「やっぱりか。さっきから血色が良すぎるのが気になってたが……熱がある。打撲からの発熱みたいだが、本当に手当てしたのかよ」

 

 剣呑な目つきのローにかすかに頷いて答える。

 

「した、けど」

「じゃあ治療不足だ。うちで治療してやるから、それが終わったら飯食って、寝ろ。コラさんの横に寝床作ってやるから」

 

 ローの声と眼差しには有無を言わさない迫力があって、是とも否とも言わない間に腕を掴んで引っ張り上げられる。

 

「そこの軍曹も来い。大根やるぞ」

 

 マングローブの陰から様子を窺っていたはずの軍曹がシュタッと現れた。

 ローは軍曹を一瞥してからミオに視線を移し、少し考えてから軍曹に鬼哭を預けてひょいとミオをおんぶした。そのままスタスタと歩き出してしまう。

 

「え、え、ちょ、ロー?」

 

 一瞬抜け出そうかとも思ったが、細腕のわりにはがっつり掴まれているためろくに動けず、熱を自覚した途端に目の前が薄暗くなった。

 バーソロミュー・くまの攻撃はミオが考えるほど甘くはなかったらしい。

 

 急展開にただでさえ発熱で惚けている頭ではついていけないが、ローはどうも自船でミオを治療するつもりのようだ。

 

「……止めるつもり、じゃないの?」

「今だってそう思ってる。腕でも足でも臓器でも取り上げて邪魔してェに決まってるだろ」

「え゙」

 

 吐き捨てるように言われて、やっぱりビブルカードだけスり取って逃げた方が懸命だろうかと束の間怯えた。

 

「けど、ンな真似したらおれはあのくそ野郎と同類になる。おれは恨まれるなんて御免だ」

 

 クソ野郎と言われて真っ先に浮かぶのはドフラミンゴだが、おそらく間違ってはいまい。

 人の譲ることができない信念と覚悟を踏みつけにしてでも我を通そうとするような行為は、ローの矜持に悖るのだ。

 

「しかも一生とか言いやがって、どんな脅しだよ」

「でも本当に恨むよ。恨むというか……呪う?」

「効力がありそうだからやめろ。ったく、そんなに『火拳屋』が大事か」

「今の優先順位はエースだけど、大事度でいうならローとコラソンの方が大事」

「……そうか」

「うん、僕はローとコラソンになら殺されてもいいから」

 

 世間話の延長のような、明日の天気でも口にするようなごく素朴な口調だった。

 

「……」

 

 けれどそれを聞いた途端、一定の調子で歩いていたローの足がぴたりと止まった。

 

「……ロー?」

 

 ミオの位置からではローの顔は見えない。

 ローはミオを背負ったまましばらく沈思に潜り、やがて、

 

「……──ああ、そうか」

 

 心から納得したようなつぶやきを漏らした。

 

 

「それが、あんたの『基準』なのか」

 

 

 そして、再び歩き出した。

 

「しかし本当に面倒くせェな、ミオ」

「自覚はあります」

「余計にタチ悪ぃな。おまけに頑固で阿呆で融通の利かない馬鹿だ」

 

 ボロカスである。

 

「それは、うん、ごめんね」

「全くだ。惚れた弱みがなきゃ三回はバラしてる」

 

 そんなにか。

 

「本当、イヤなとこばっかりコラさんそっくりで……どうしようもねェ姉弟だよ」

 

 淡々としたつぶやきには諦めと面映ゆさと、なにか強い感情があった。

 

「……あんたが火拳屋の奪還に行こうとしてんのは、おれの仲間になるためか?」

「うん」

 

 エースの救命は、そのまま『ハートの海賊団』へ入団するための道に続いている。

 それを聞いて、ローは静かにつぶやいた。

 

「なら、おれは『ハートの海賊団』の船長として、おれの()()()を万全な状態で送り出す」

 

 それが、これまでの問答でローが出した答えで、覚悟だった。

 『火拳のエース』の奪還に動こうとしているミオを止めることは不可能だった。否、不可能ではないが、それをすれば最後──ローはドフラミンゴと同じ外道にまで成り下がってしまう。

 

 それだけは、できなかった。

 

 それならば、あの時コラソンにできなかったことを、傷を完璧に癒し、体調を整えさせて、信じて送り出す。

 

 そして、船長がクルーを信じるのは当然のことだ。

 

「だから、とっとと『火拳屋』を奪還して──全力でおれのところまで帰ってこい」

 

 それがローにできる勝負で、祈りだった。

 

「……うん、ありがとう。行ってきます」

 

 そう答えてからミオはふと、ベポを思い出した。

 

「あ、ちがうね」

 

 ローのことを、ベポは、確か。

 

 

「アイアイ、キャプテン?」

 

 

 ふ、とローは息だけで笑ったようだった。

 

 

「いい返事だ」

 

 

 

×××××

 

 

 

 それから、ミオは残されていた猶予いっぱいを『ポーラー・タング』号で過ごした。

 

 バーソロミュー・くまから喰らった打撲の他に、背中についた軍曹の爪傷がどうやら化膿しかけていたらしくローにしこたま叱られて抗生剤をぶち込まれた。

 残念なことにミオが滞在している間にコラソンが目覚めることはなかったけど、全身包帯塗れでも、温かく、柔らかく、胸を上下させて呼吸を繰り返す様子はミオを心底安心させてくれた。

 

「コラさんが起きたらミオのやらかしたこと、全部喋るからな。せいぜい怒られろ」

「ひでぇー」

「ひでぇのはおれたち置いて出ていくあんたの方だ。せいぜい言い訳考えとくんだな」

 

 ぐうの音も出ない正論である。

 

 

 そして、出発の前夜。

 

「ねぇ、ロー」

 

 ミオはローにひとつ、ある提案をした。

 

「約束だけで不安なら質種(しちぐさ)も渡そうか」

「質種?」

「そう、僕があげられる『ハートの海賊団』にぴったりの、質種」

 

 ミオの口にした『それ』はあまりにも突拍子のないものではあったが、ローは暫く悩んでから結局、その『質種』を約束の形に取ることにした。

 

「ちゃんと返してもらうから、大事にしてね」

「ああ。当然だ」

 

 それを聞いてふわりと微笑ったミオは準備万端整えて、万全の体調で出航したのだった。

 

 

 

 




次回から『頂上戦争編』スタートになります
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