桃鳥姉の生存戦略   作:小日向ひより

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頂上戦争編、スタートです


頂上戦争編
序ノ幕.たとえば君だけは、


 

 

 きっかけは、本当に些細なことだった。

 

 傘下でも白ひげでもないと公言して憚らないのに紛れもなくオヤジの娘なのだと胸を張る、どう見積もったって年下にしか見えない年上の『姉』なんていう、とびきりへんてこりんな生き物を白ひげの、エースの本当の仲間にしたいと思ったのは。

 

 冬島の近くだった。

 

 夕方から降り始めた粉雪は夜になる頃にはぽってり重たい牡丹雪で、舳先にもうっすら雪が積もっていた。空には星も月も見えなかったけれど、小さな灯りを雪が反射しているおかげか案外に明るい夜だった。

 モビーディック号に『帰宅』したミオが不寝番を引き受けたことを思い出したエースは、厨房からちょろまかした酒瓶片手に物見台に向かった。お互いに自己紹介をしてから暫く、お互いの距離感がようやく掴めてきて気安く話ができるようになった頃だった。ヒマを持て余していたらしいミオはエースの来訪を素直に喜んで、二人で小さな小さな宴会のようなお茶会のようなものをした。

 エースは持参した酒を、ミオは不寝番用にとサッチからもらったという熱いお茶を飲みながら、沢山の話をした。

 

 何がどうなってそんな話題になったのかは藪の中だ。

 

「そういえば、ミオは『海賊王』をどう思ってるんだ?」

 

 話に脈絡はあったような気もするし、なかったような気もする。要するに覚えていない。

 

 けれどなんとなく、本当になんとなく、気になったということは覚えている。

 

 海賊の娘なのに海賊じゃない、そんな奇妙な立ち位置にいる小さい姉は『海賊王』をどう捉えているのだろうか。偉大なる先達なのか、それとも世界最悪の犯罪者か。

 ミオはエースの唐突な質問に何度か目を瞬かせ、それからあまり深く考えた風もなくあっさりと。

 

「え、世界一周したおじさん」

 

 想定していた答えはどれも外れで、意味はわかるが謎の返答を寄こしてきた。

 

「は?」

「ん?」

 

 あまりにも思考の埒外にあった返答でエースは反応に困り、ミオはミオでそんなエースの反応が不思議だったのか首を傾げた。

 それから自分の言葉が足りなかったと思ったのか、指をぐーるぐる回しながら付け足される。

 

「えーと、世界をぐるっと回って同じ所に戻ってきたってことは、僕らが立っている()()が丸いことを証明した人なわけで、それは偉業だと思うのだけれども」

「それは、まぁ、そう……か?」

「どっかから援助もらった探検家でも冒険家でもない、いち海賊が達成したのは凄いのでは?」

 

 そう改めて言われるとそうなのかもしれないが、いまいちピンと来ない。そういう考え方をしたことがなかったからだ。

 

「な、なら『ひとつなぎの大秘宝』は?」

「お宝を見つけるのは海賊の仕事というか習性みたいなもんだと思うし……ああ、探せって言ったらしいからゴールド・ロジャーはその『お宝』を世界のどこかに置きっぱなしなんだった。気前いいなぁ」

「きまえがいい」

 

 もうミオが何を言っているのかわからない。本当に同じ言語で喋っているのかすら疑わしくなってくる。

 いや、理屈は分かるっちゃ分かるんだが、海賊間の認識とも世に広がっている『海賊王』を表する言葉のどれとも該当しないもんだからうまく飲み込めないのだ。

 

 そんなエースをどう思っているのか、ミオは寒さに鼻のてっぺんを赤くしながらいひひと悪戯っぽく笑った。

 

「いやだって、お父さんだったら手放さなかったんじゃないかな? わりとケチっちゅうか吝嗇家なとこあるんだよね、うちの大黒柱」

 

 そこら辺で唐突にエースは理解した。

 

 ミオにとって『海賊王』とは、その程度の意味しか持たない存在なのだ。

 

 世界的犯罪者でも偉大なる海賊の王でもない、世界をぐるりと一巡りしたひと。『ひとつなぎの大秘宝』を見つけて、気前よく世界のどこかに置いてきた、ひと。

 成し遂げたことはすなおに評価するが、ミオの興味はそこで止まっている。それから世界に波及した影響だの時代の立役者だのといった部分については、理解はしているようだがまた別の話らしい。

 

「……まァな」

 

 それが分かって、それだけは理解できて、エースはなんだかほっとした。

 

 安心して、気が抜けて、だから口が滑ったのだ。

 

「なら、もし、ロジャーにガキがいたら……」

 

 ミオにとっては他愛もない会話の延長で、エースはそれでよかった。

 おそらく己の出自をミオに語ることはないだろう。それでも好奇心が勝った。

 

 海賊なのに海賊じゃない、年上に見えない姉の返答は簡潔で明瞭だった。

 

「そりゃおめでとう、でいいんじゃない?」

 

 子供が生まれるということは、新しい命がこの世界に誕生するということ。

 

 それが幸なのか不幸なのかは、誰かが判断することなど到底できやしない。それこそ人それぞれという奴だし、意識の埒外で営まれていることだろう。それに(くちばし)を突っ込むのは、突っ込むことが出来るひとは限られている。

 

 でも、だからこそ――『おめでとう』でいいと――僕なんぞは思うのだと、ミオは語る。

 

「せっかく生まれてきてくれたなら祝福すべきだし、祝福されるべきだと思う」

 

 親の七光り、なんて言葉もあるように出生にはとかく偏見が付き纏うもので、エースは生まれ落ちたその時からそれに悩まされ縛られ呪われている。

 何も言わないエースに目線を合わせ、ミオは少しだけ眉を寄せながら皮肉げに頬を緩ませた。

 

 その時だけ、ミオは年上どころか擦り切れた老爺のような厭世的な空気を帯びる。

 

「だって生きるのって苦しいし、しんどいし、辛いことばっかりだからさ」

 

 それは誰もが無意識の内に理解している当然のことで、エースだって、ミオだって、みんなみんな分かってることだ。

 

「それならせめてスタートラインくらいは、ね」

 

 どこか独白するように呟いて、視線が落ちる。手の中の湯飲みに視線が吸い込まれていく。

 羽毛のような睫毛が雪の中で混じって消えてしまいそうで、何もかもに倦み疲れてしまったような雰囲気を滲ませるミオは脆く儚い硝子細工のようだった。

 

「おめでとうってお祝いして、ありがとうって抱きしめられたらいいと思う」

 

 それは、とても甘くてしあわせな理想だ。夢物語に近い。

 そんなに甘くないことを、優しくないことを、エースは知っている。――そしてきっと、ミオも知っている。

 望まれないのは苦しくて、祝ってもらえないのは寂しい。諦観は病毒のように心を凍らせて、虚無は寄生蟲のように蝕んで、いつしか食い尽くされて空っぽになってしまう。 

 

 それを、知っているからこそ。

 

 この世界にどんな形であれ生まれたことを、生まれてくれたことを、寿いで拍手して、祝福して万歳して、これから命が歩む道程に、少しでもいいことがあればいいと祈るくらいしたって、バチは当たらないはずだと、かぎりなく遠い、些細な理想を語る声は優しくて、甘くて、少しだけ苦かった。

 

「世間に求めるのが酷でも――僕は、そうしたいな」

 

 それは望みで、希望だった。

 ミオは顔を上げてしんしんと降る雪を見つめながらゆるゆるとはにかんで、それこそ夢でも見るように。

 

「それで会えたらきっと嬉しいし、一緒に遊んでみたいと思うよ。もし仲良くなれたら、とびっきりだ」

 

 もしも逢えたら『初めまして』、一緒に遊べたら『よろしくね』、仲良くなれたら『ありがとう』。

 山のように積み上げられたもしも、もしもの先にある、数えきれない仮定の果てにある、おはなし。

 

「僕の答えはそんな感じ」

 

 そして、その果てしない『もしも』のその先に──エースとミオはいた。

 

「そうか」

 

 その時、胸に募った感情をエースは今でも言葉にすることができない。

 

 息が詰まるような、喉がひきつってしまいそうな、何かがあふれてこぼれてしまいそうな。

 

 エースは酒瓶に残っていた中身を飲み干してにかっと笑った。雪降りしきる夜中だというのに、ひなたが差し込むような明るい顔だった。

 

「なぁミオ、やっぱり『白ひげ』に入っておれの部下になれよ!」

「おっと? そのやっぱりはどっから来たの?」

「どっかからだ!」

 

 自信満々に言ってのけるエースによくわからんという顔をしたミオは「むりー」とすげなくあしらったけれど、ここから始まったエースの「おれの部下になれ」コールは鳴り止むことはなく、やがて根負けしたミオから『予約』をもぎ取るまで続いた。

 

 ミオの言葉はべつに救いとかじゃなかったけど、いつも心のどこかに隠れている苛立ちと鬱屈を抱えた子供の頃の自分に、そっと灯りの見える方を示してくれたような気がした。

 強引に矯正するのではなく、頬をつついて悪戯するみたいに、こっちの方が明るいよと手を差し伸べられたような。

 

 そんな日が来るかどうか分からないけれど、いつか言えたらいいとエースは思った。

 

 

 

──そのとびっきりは、もうとっくに叶ってる──

 

 

 

「お前の父親は!! "海賊王"ゴールド・ロジャーだ!!」

 

 それが、世界政府が『白ひげ』と全面戦争を起こしてでもエースを処刑しなければならない理由である。

 

 世界各地より集められた海兵の精鋭──十万人にも及ぶ大軍勢、そして映像電伝虫の映像を固唾を呑んで見つめているであろう聴衆へ向けてセンゴク元帥がそう告げた。

 エースがどれだけ自分のオヤジは白ひげだけだと否定しようとも、命を賭して自分をこの世界へ産み落としてくれた大恩ある母の姓を名乗ろうとも、血の連なりは呪いのようにエースを捕らえて離さない。

 

 忸怩たる思いはある。納得はできずとも、海軍がそう判断するに足るだけの力を持つ名前なのだ。

 

 

 だが、それでもエースの『オヤジ』は『白ひげ』だけだ。

 

 

 その信念が、覚悟が肯定される瞬間はすぐそこだ。

 

 天を衝くかのように屹立している『正義の門』。

 開かないはずの大扉が、何かを招き入れるために音を立てて勝手に開いていく。

 

 そうして──大挙して押し寄せるは『白ひげ』傘下の大軍勢。

 

 新世界にて名を轟かせる海賊たちの船が続々と正義の門から押し寄せてくる。知っている顔がある。自分が下した船があった。

 声は遠く、けれど聞こえずとも伝わってくる。彼らすべてが集った理由はエースのためだ。

 

 そして、最初に気付いたのは誰だったのだろう。

 

 ごぼりとあぶくの弾ける音がした。

 

 三日月型をしたマリンフォードの中央、湾内で巨人が呼吸するように次々に泡の柱が沸き上がり、やがてぶち上がる波飛沫とともに水中から何かが躍り上がってくる。船だ。鯨を模したそれは巨大な海賊船だった。追従するように後続の船が次々浮上してはその威容を露わにする。海底を進んだ証である虹色のコーティングが外気に触れて次々に割れていく。揃った海賊船は実に四隻。

 

 乗船しているのはもちろん『白ひげ』擁する幹部の面々。

 

 そして『モビーディック』号の甲板、船長服を翻し愛槍片手に威風堂々。

 

「おれの愛する息子は、無事なんだろうな……!!!」

 

 存在の放つ威圧感のみで空気の色すら塗り替えてしまいそうな巨漢の男が、エースを視界に捉えて傲岸に笑った。

 

「オヤジィ!!」

 

 『海賊王』に最も近しいとも称される、エースが世界で一番敬愛する船長が己の船とともにあらわれた瞬間だった。

 

 

 

×××××

 

 

 

「ちょっと待ってな……エース」

 

 己の『息子』の無事とは言い難いものの確かに生存していることを確認した『白ひげ』はうっすらと笑い、振り上げた拳を宙へと叩き付けた。

 何もないはずの空間が轟音を響かせ、ヒビの入った大気が震撼する。先手を仕掛けたのは『白ひげ』だ。

 

「オヤジ……みんな、おれはみんなの忠告を無視して飛び出したのに、何で見捨ててくれなかったんだよ!! おれの身勝手でこうなっちまったのに……!」

 

 マリンフォードに『白ひげ』が姿を現した時点で戦争は止められないものとなった。それでもエースは叫ばずにいられなかった。

 

 あの時、エースはミオに嘘をついた。

 

 本当はやめておけと言われたのだ。話なんかついていない。今回ばかりは特例だと、妙な胸騒ぎがすると言う『白ひげ』を始めとした幹部から口々に止められて、それでもエースは強行した。

 『白ひげ』の、オヤジの顔に泥を塗ったティーチを許せるはずがなかった。ましてティーチは自分の部下だったのだ。どうあっても落とし前はつけさせなければならなかった。

 

 それがオヤジの息子としての責任で、隊長の果たすべき義務だと信じて、結果はこのザマだ。

 

「いや……おれは行けと言ったはずだぜ、息子よ」

 

 けれど、そんな親の忠告を無視して無様をさらしている息子へ、『白ひげ』は静かに告げる。

 

「嘘つけ! バカ言ってんじゃねェよ!! あんたがあの時止めたのに、おれは……!」

「おれは行けと言った。そうだろ、マルコ」

「ああ、おれも聞いてたよい。とんだ苦労をかけちまったなァ、エース」

「元はといえばおれが下手打ったせいじゃねェか! エース、ごめんなぁあ!!」

 

 『白ひげ』の有無を言わさないような頑とした口調に続いたマルコはただ頷き、その横に立っていたサッチは傷だらけのエースを見てほぼ半泣きになりながら鼻音混じりのだみ声でがなる。

 すっかり回復したらしいサッチを見ることができて、エースは少しだけほっとした。悪いのはティーチで、下手こいたのはエースで、サッチはちっとも悪くなんかない。だから、そんな顔をしないで欲しいと思う。

 

「この海じゃ、誰でも知ってるハズだ」

 

 マルコがこの世界の常識を紡ぎ、周囲の海賊すべてがそれに応えた。

 

「おれたちの仲間に手を出せば、一体どうなるかってことくらいなァ!!」

「おまえを傷付けた奴ぁ誰一人生かしちゃおかねェぞ、エース!!」

「待ってろ!! 今助けるぞオオオ!!!」

 

 万雷の鬨の声が開戦を告げ、『白ひげ』の拳ひとつで引き起こされた"海震"は、怒濤の津波と化してマリンフォードの両端から海軍を強襲する。"グラグラの実"の力は世界を滅ぼせるほどの異能である。爆発の如く隆起した波頭が渦巻き、まるで神話の光景だ。

 

「……あのハナタレは、おれの言いつけを守ったか」

 

 喧噪の隙間を縫うように『白ひげ』がぽつりと言った。

 

 この戦争からたったひとりだけ弾き出した、そうせざるを得なかった『白ひげ』のひとり。視界の届く範囲にあの小さな白い頭を見つけることは終ぞなく、マルコも小さく嘆息した。

 なんせマリンフォードに来たらその時点で『絶縁』するとまで言ってあるのだ。シャボンディ諸島に潜んでいる『情報屋』に預けた伝言は必ず届いているはずだろう。マルコにとってはいけ好かない()()()だが、それくらいの信用はあった。鳥と蛇は仲が悪いのだ。

 

「あァ、まぁ散々脅したし、来たくても来れねぇだろうよい」

 

 一応、傘下の連中にも追い返せと厳命してある。

 勘当まで盾に取るのは確かにやり過ぎな感もあったが、事実それくらいしておかないと安心できない危うさがミオにはあった。

 エースの危機とあれば、あの無鉄砲な馬鹿娘は必ず駆けつけようとするだろう。だが、それを許容することが『白ひげ』にはできなかった。

 

 ミオは確かに『白ひげ』が『娘』と認めたが、それ以前にエドワード・ニューゲートが『ラグーナ海賊団』ひいてはラウネ・チェレスタに託された『忘れ形見』である。

 

 真実『白ひげの娘』という肩書きのみならばいざ知らず、友誼を結んだ人間から託された信頼に背を向けて、彼らが己の残した莫大な隠し財産と引き替えにしてまで願った『いっとうだいじなおほしさま』に向かって『エースを取り返すために、おれたちと一緒に死んでくれ』なんて、口が裂けても言えるはずがなかった。

 

 だから、

 

「エースはおれたちで取り返すからよ……てめェは阿呆面下げて待ってろな、ミオ」

 

 届かぬことを知りながら愛娘へとつぶやいた『白ひげ』の声は、どこか祈りに似ていた。

 

 

 

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