桃鳥姉の生存戦略   作:柚木ニコ

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お姉ちゃん?編
とある船長のねがいごと


 

「あんたになら、いいか」

 

 くひひ、と息だけで壮年の男は笑った。

 震える手が己の懐をまさぐる。足りない指先でつまんだ地図がふるえていた。古ぼけた、あちこちが血で汚れた地図だ。

 

「仲間を、家族と呼べるあんたなら」

 

 辺り一帯が奇怪な植物と、奇妙な生き物の残骸だらけだ。硝煙と血の臭いが蔓延している。

 得体のしれない熱が焦土から立ち上り続け、周りにはいくつもの肉塊が垂れ下がり、哀れな骸を晒していた。激戦のあとだ。

 焼け焦げた木の根が、かろうじて壮年男の身体を支えていた。

 駆けつけた時には遅かった。

 

「おれたちの隠し財宝、丸ごとぜんぶくれてやる」

 

 生き残っているのは、口を開けるのは、見える範囲では目の前の男だけだった。

 

「そりゃまた豪気な話じゃねぇか」

「くひ、地獄にゃ持っていけねぇからよ」

 

 一言、一言発するたびに、猛烈な勢いで彼の命が消費されている。

 長年海賊暮らしをしているのだ、それが痛いほどに理解できてしまう。

 目の前の壮年の男はとある海賊団の船長で、自分たちの友人だった。

 海賊のくせに奴隷が嫌いで(自分も嫌いだが)奴隷商を見つけちゃ潰して回るので、そういう界隈では災害扱いされていた。当然、そういった組織のブラックリストにも載っているため小競り合いなんてしょっちゅうで、たまにうちの海賊団も巻き込まれてえらい目に遭った。

 

 しかし、侠に生き、仁を貫き、義に報いることがおれたちの誇りなのだと恥ずかしげもなく嘯く友人たちのことを、自分は存外気に入っていた。

 

 予期せぬ奇襲を受けて壊滅寸前になっているという情報を受けた瞬間、全てを押して急行してしまうくらいには。

 

 それでも──間に合わなかった。

 

 島に上陸した時には既に彼らの仲間は死に果てて、かろうじて命を繋いでいる友人の命脈もあと僅か。海賊稼業で友人の死を間近で看取れるだけ僥倖といえば、そうかもしれない。

 血痰混じりの唾を吐き出して、友人は言葉を絞り出す。

 

「財宝ぜんぶくれてやるから、ひとつ、頼まれちゃあくれねぇか」

 

 今、喋れているのだって蝋燭の最後の瞬きのようなものだろう。

 奇跡で、長くは保たない。

 力なくつままれている地図は今にも落ちそうだ。友人の目が早く取れと促してくるから、男は慎重に地図を受け取った。

 

「こいつが隠し財宝とやらの地図か?」

「ああ、そこに溜め込んだ財宝と……おれたちのいっとう大事な『たからもの』が、ある」

 

 地図を無事に渡せたという安堵からか、男の全身が弛緩して見えた。

 泥のように木へもたれかかり、ひゅうひゅうと笛のような呼吸を繰り返す。

 

「『それ』は、それだけは大事にしてやってくれ。それが、頼みだ」

 

 おおよそ財宝を対価に口にするような頼みではなかった。

 

「大事に、だぁ?」

 

 そして友人の言葉だけでは『宝物』の詳細がてんで掴めない。

 大事にする?宝石か?生き物か?

 怪訝な顔をすると、男は少しばかり口の端を緩めた。死にかけた海賊が浮かべるものとは思えない、ゆるい笑みだ。

 

「ああ。なぁに、心配すんな、悪いもんじゃねぇ。きっとお前も気に入るさ」

 

 その時だけ、友人の瞳にほのかな光が宿った。

 本当に大切なものを誇るときのそれだ。

 息苦しそうな呼吸の隙間から、途切れ途切れに訴えた。

 

「けどよ、おれはこのザマだ。どうしようもねぇ。だからあんたに頼むんだ。白ひげ、頼む。おれたちの、いっとうだいじなおほしさまを──たのむよ」

 

 いっとうだいじな……『おほしさま』。

 なんだろう、やはり要領を得ない。

 だが、末期の友人の願いを断る方がどうかしている。考えるまでもなかった。

 

「ああ、任せとけ」

「ありがとよ」

 

 大柄な男の──白ひげの返事に、友人は安心したように深く息を吐き出した。

 

「これでようやく、筋がとおる。誇って逝ける」

 

 少しだけ笑って、静かになった。遠くで怪鳥のいななきが聞こえる。この静寂もそうは保たない。

 それは分かっていたが、白ひげはまだ動けない。

 潰える命のひとしずくまで、見届けなくてはならない。

 

 そうして、もう自分が目の前にいることを忘れたかのように、ぽつりと。

 

「ちくしょう」

 

 友人は、呻いた。

 悔しげに目を細めて、拳を握る。端から見てもろくに力が入っていなかった。

 目の端に、血の混じった涙のつぶが浮かぶ。生への渇望と未練が叫んでいるみたいだった。

 

「ちくしょう、ああ畜生、しにたくねぇ、なぁ……」

 

 死に瀕した海賊が口にする、当然の願いだった。

 けれど少し温度が違った。ひたひたと迫る死の感触を感じ、容認してなお残る後悔と未練。

 

「ほんとは……おれが、助けたかった。恨まれて、呪われて、怒られたかった。ふざけんなって叱り飛ばされて、そんで、」

 

 (はな)を啜り上げながらくしゃりと顔を歪めて、男は空を見上げた。

 グランドラインでは珍しいくらいの澄んだ夜。

 

 闇夜の中でひときわ煌めく星灯り。

 

 伸ばしたてのひらは、どこにも届かない。

 

「なかなおりが──したかった」

 

 その祈りは、到底海賊の口にするようなものではなかった。

 どこにでもあるような願いで、悩みで、希望で──だからこそ、なにより尊いもののように白ひげには思えた。

 

「ああ、けど……」

 

 いい大人がするとは思えない、悪戯をしでかした青臭いガキのような顔だった。

 バツが悪そうに照れくさくはにかんで、どこかくすぐったく、しあわせそうに。

 

「きっと、泣いてくれるんだろうなぁ」

 

 それが、最後だった。

 

 鼓動が止まり、命が消えた。

 

 奴隷嫌いで有名で、漁業が趣味の、すぐ医者を勧誘したがる風変わりな白ひげの友人たちがこの世から消えた瞬間だった。

 

 

 

 

 


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