海兵たちが目にしたのは抜き身の刀身をさらしたまま、単身滑るように突っ込んで来る白い影。
「お、『音無し』だ!」
「くそッ、早く討ち取れ!」
この中では最も地位の高い将校らしき男ががなる。
『麦わらのルフィ』たちの登場で浮き足立っていた数多の海兵が慌てて武器を構え始めたが何もかもが遅すぎた。
「単身とは愚かな!」
将校はせせら笑う。驚くべき速度ではあるがこちらは多数、あちらは一人。これだけの人数を相手取れば、必ず隙は出来る筈だ。
しかし、そんな盲信が通用するような相手ではないことを痛感するのは、ほんの数秒後。
刹那の内に振り抜かれた凶刃は獰猛に海兵を喰い千切る。
迎撃せんと振り上げられた軍刀が腕ごと宙を舞い、もう一人が水平に振るったナイフを膝を落として避ける。
「な、」
「ガラ空き」
そのまま返す刀で、ミオは海兵の足を両断した。
「ぐ、ぉ……この、賞金稼ぎ風情がァ!!」
両足を失って前のめりに倒れる海兵を尻目に、行きがけの駄賃とばかりにもう一人。
体勢の悪さを狙って振り下ろされた軍刀を紙一重で避け、立ち上がりざまにその喉元に一撃を突き入れる。
「げぉ、ぁ、ガ……」
ミオの髪が数本犠牲になったが、呻き声には耳も貸さぬというように足を振り上げ、将校の腹に押しこんで強引に刃を引き抜く。ぶちぶちと血管やら筋繊維やらが引き千切れ、仰向けとなった身体から首を中心として染み出した血液が地面をしとどに濡らした。
所詮は賞金稼ぎと侮り、警戒を怠った結果がこれだ。肉食獣の獰猛さと精密機械のような正確さで、小さな存在は圧倒的とも言えた戦力差をものともせずに戦場を滑り抜ける。
多勢に無勢などという
「ひぃっ、ひぃいい!」
目の前で突如として起こった死の連鎖を目の当たりにした新兵は精神に恐慌を来たし、ろくな狙いもつけずに銃の引き金に指をかけようとした。
「残念」
が、引き金を引くという僅かな動きを許す間もなく、一足で距離を縮めた血塗れの刀身が弧を描く。逆風の一刀は海兵の腹をやすやすと切り裂いた。
一撃のもとに絶命して、断末魔すらなく噴き上げた凄まじい血煙。くず折れる海兵の背後から、初めて立ち止まった桜色の双眸が呆れたように向こうに居並ぶ海兵を睨み据えた。
「──どけば?」
ぶん、と傘の水を払うような無造作な血振りの動作。地面に円弧の血が散って折り重なる屍を飾る。
一呼吸あったかどうかの間に死屍累々、周囲に広がる一大酸鼻。
「あ、う」
その威圧。死の気配。鉄錆と肉塊の臭いが新兵のみならず歴戦の海兵をも竦ませた。
そんな意識の空白を見逃すわけもなく、頃合い良しとみたミオは口の端に笑みを刻んで音もなく跳躍、滑らかな動きで敵兵の只中へと再び突撃した。
戦闘経験の薄い海兵たちは挑んだ仲間の末路を目の当たりにしていたせいで怯み、怯え、生存本能が上げる悲鳴に従って無意識に足が後退してしまう。
ミオはそんな者たちを追い打つような真似はせず、ただ立ち塞がるすべてを手当たり次第に薙ぎ倒す。
進路方向に点在する海兵を蹴散らし舞わせ、将校の骨が折られ新兵の肉を裂き、血をまき散らし悲鳴を涸らし、次々とくずおれていく。
わざわざ殺すことを意識してはいないが、無傷の者はいなかった。速度を落としたくはなかったし、手傷を負わせることができれば交戦する海賊が有利になるだろう。
氷のエリアを抜け、本来ならば船を係留させるための波止場へ乗り上げると、目に付いた海兵を片っ端から切り捨て御免。
「来るな! ルフィ~~ッ!!」
そんな中、突如として大声が鼓膜を叩いた。
処刑台でエースが必死の形相でがなっている。自分の不手際が弟すらこんな場所に招いた自責の念は相当なものだろう。エースは本当に弟が好きだから。その分心配して、拒絶して、これ以上巻き込みたくはないのだと全力で主張している。
だが、麦わらのルフィがそんなことを聞く耳を持っているはずもなく。むしろ発奮材料になっているようである。おれは弟だルールなんかしらねぇ死んでも助けるぞと火に油どころかガソリンでもぶっかけられたような勢いで猛反発している。
まぁ、そんな兄弟の主張合戦は横に置いて、とにかく進もう。
騒ぎに紛れて距離を稼げるだけ稼いだがこの先はどうだろう。後方では光線だの爆発だのでえらい騒ぎだ。
『その男もまた未来の『有害因子』!! 幼い頃エースと共に育った義兄弟であり……』
心なし不明瞭なセンゴクの声が拡声器越しに響き渡る。回復が早いのが恨めしい。それとも能力的なものでもあるのだろうか。
『その血筋は『革命家』ドラゴンの実の息子だ!!』
その事実がもたらす影響はよほどのものなのだろう。海兵のみならず海賊たちにも動揺が広がっていくことが肌でわかる。
ミオからすれば懐かしい名前の人が出てきたな程度の感慨しかない。珀鉛病に関する資料を追い求めていた時期に耳にしたことがあった。
「通すかぁッ!!」
異常を察知したのだろう、海縁に配置されていたはずの巨人の将校らしき男がミオを強襲した。
大抵の目は麦わらのルフィとその協力者たちに向いているが、こちらもこちらで元帥に痛い目を見せた張本人だ。そう甘くはないらしい。
「死ねェえ!」
巨人の男は超巨大なバトルアックスを振り上げ、真上から思いっきり振るった。鋼色の不気味な光沢が地面に亀裂を入れ、瓦礫と土塊が舞い上がる。
「そんなん当たるか」
べぇ、とミオは舌を出して踊るように身を翻し、地面へ突き刺さった刃の側面を蹴り飛ばして身を沈め──能力発動。
摩擦係数を限りなくゼロに近付けスライディングの要領で足元に接近、踵の辺りを無造作に切りつけた。頑丈な靴の素材を貫通し、白刃が鮮血を帯びて振り抜かれる。巨人とはいえ人体構造はふつうの人間とさほど変わらない。
「ッぐぅ!?」
腱を切断された巨人は反転することもままならず苦悶の呻きを漏らした。
その足元をネズミのようにすり抜け、据えられた砲台の方へとちらと視線を移す。
「……んん?」
そこへ、
「やはり貴様か。嬉しいぞ」
低く、静かな、けれど確かな歓喜を含んだつぶやきが聞こえた。
×××××
「ッ!」
それを知覚するより早く、ミオの身体が勝手に跳び退いた。
同時、一刹那の風切音。
限りなく鋭く速い、不可視の斬撃が今の今までミオの立っていた場所を奔り抜ける。
ほんの僅かでも判断を迷っていれば自分の身体は今頃胴体と頭が泣き別れしていただろう。運悪く後方からミオを攻撃しようとしていた海兵たちのように。
怪物と遭遇したような──否、相手が誰だかを理解しているからこその怖気で全身の毛が残らず逆立つようだった。
「でたーッ!?」
全力の悲鳴である。
ミオがこの世で最も遭いたくない身内はドフラミンゴで揺るぎないが、この世で最も関わり合いになりたくない人間がいるとすればこの男だった。
お化けでも見たようなミオの声に、相手はかすかに眉をしかめたようだった。
「おかしなことを」
首を向けた先で、西洋騎士のような羽根飾りのついた帽子を被った男性──ジュラキュール・ミホークが瓦礫の上に超然とした様子で佇んでいる。
その手には黒瑠璃のような麗しい刀身をさらす長刀。世界最強の剣士が持つに相応しい黒刀、『夜』の名を冠する最上大業物12工が一振り。
「よもや逢えるとは思っていなかったが、これほどの僥倖。運命に感謝しよう」
鷹を想起させるような黄金の瞳がひたとミオに据えられ、沁みるような威圧感がひしひしと場を支配する。
「ここでなければ、貴様はおれと戦うまい」
「当たり前です逃げるに決まってるじゃないですかやだー!」
「だろう」
得たりとばかりに頷かないでください。本当に勘弁して欲しい。内心半べそで嘆いた。
ミオにとって七武海の中でドフラミンゴとジンベエ以外の顔見知り──心底認めたくない──がこの鷹の目である。
出会いは何のことはない。暇つぶしにグランドライン界隈をうろついていたミホークとミオが運悪くエンカウントした。それだけだ。
ただ、その回数が半端ではなかった。
最初の出会いでスタコラ逃げてからこっち、何が彼の琴線に触れたんだかミオがグランドラインに漕ぎ出すたび、ミホークは幽霊のように湧いて出ては勝負をふっかけてきたのである。
さすがに押しかけ弟子ことシュライヤを鍛えている間は空気を読んだのか、登場することはなかったのだが……彼とお別れした次の日、無駄に剣気をまき散らしながらエレガント筏で特攻してきたのには心底びびった。おかしなセンサーでも搭載されてんのだろうか。
ジュラキュール・ミホークといえば名実ともに世界最強と名高い剣豪である。
そんなおっかない輩とまともにやり合っていたら命がいくつあっても足りるものではない。生命活動に支障を来しそうな暇つぶしなんぞに付き合ってられるか、と遭遇するたびにあの手この手でミオは逃げた。恥も外聞もない。とにかく逃げて逃げて逃げまくった。
そんなこんなでミオが鷹の目と刀を交わしたのは、ほんの数合がせいぜいだ。両手にも満たない。
ミオは鷹の目が嫌いではない。苦手というのもまた違う。ただひたすらに関わりたくない。できれば互いに存在を知ることなく一生を終えたかった。
「ここであなたとやり合うのいやです。すごくいやです。とてもいやです」
「戯言を」
首を左右に振りつつ心底からの本音をぶつけてみたが、ミホークはどこ吹く風といった風情である。というか、彼は自分の中で大体の物事が完結しているため、基本的に人の話を聞きゃしないのである。困る。
「むしろ、
鷹の目の声音に険が混じる。ぴりっ、と空気に剣気以外のものが走った。
「不退転の覚悟で臨む戦場。ここにしか、貴様は殺す相手を見出さんだろう」
「──」
瞬間、ミオの顔から表情が抜け落ちた。表面上に浮かんでいた焦りや怯えが残らず消え失せ、くちびるが真一文字に引き結ばれる。
実のところ、この世界でミオが人を殺したのはこの戦場が初めてだ。
それまでの賞金稼ぎや生活において人を殺したことは一度もない。幼少時にドフラミンゴたちを逃がすために囮になったときは単に膂力が足りなかった。そして、賞金稼ぎが海賊を狩り出す際に殺そうが生かそうが支払われる額は一定だ。それなら殺さない。そうするだけの価値がないからだ。
だが、ここでは違う。
海兵は白ひげを、エースを、海賊たちを殺すためにここにいるのだ。それならば、ミオは海兵より『白ひげ』をとる。敵を削り、仲間を生かす。自明の理だった。
価値がないから殺すのではなく、殺すだけの価値があればこそ──刀を振るい、屠るのだ。
そういうミオの理念を、根幹を、鷹の目は理解している、否、しすぎているといった方が正しい。
「貴様がここでおれを止めねば、おれは海賊どもを斬って捨てるぞ」
ミオの表情の変化を満足げに眺め、鷹の目が『夜』を振るう。無造作ともいえる動きだったが、世界最強の剣客が放つ攻撃はそれだけで死の颶風に等しい。
放たれた一閃は不可視の斬撃と化して風を切り裂き、その先で固まっていた海賊たちを真っ二つにする──その寸前で停止した。
「させない」
異様な光景だった。
触れることすらできないはずの斬撃が空中で停まっている。氷結し、固着している。それをミオが拳でぶん殴って粉砕した。凍りついた斬撃はもろくも飛散し、雲母にも似た煌めきを放ちながら空中に散布される。狙われた海賊たちは死が遠ざかった安堵からか、揃ってへたりこんでしまった。
コチコチの実、その異能が持つ真骨頂。現実世界に作用している
ダイヤモンドダストのような銀色の粒子をまとわせて、ミオは一度目を閉じ、開いた。
逆巻く波濤の如き殺気がミホークへと叩き付けられる。
覇気に勝るとも劣らぬ、それは臓腑をひり潰すが如き圧力だった。
これまで一度たりともミホークがミオから受けたことのない、敵意と殺意、そして覚悟を滾らせた瞳がミホークを見据える。
「させて──たまるか」
戦場という、常の理法が通らぬ異界の地でのみ発露する凜然とした艶姿に、鷹の目は満足げな吐息をこぼし、歩き出す。
挙措はあくまでもしなやかでゆるく、悠然としたものだが、纏う気配は抜き身の刃そのもののように冷ややかだ。潜り抜ける隙などあろうはずがない。
ルフィたちに戦力が偏っている現状、せっかく七武海にも当たらぬようあえて遠回りの針路を取っていたというのに、これで全部台無しだ。
「ならば、どうする」
鯉口を切る乾いた金属音が、問いの答えだ。
殺意を以て相対してきたものには、殺意を以て返さなければ禍根が残る。
それはミオの中にある、ごく単純な約束事だ。おそらくは闘争に身を置くものたちが、誰しも無意識に抱く契約。
「そう、それでこそ、だ」
待ちわびていたものにようやく巡り逢えた喜悦を胸に、ミホークは黒刀を構える。
ミオもまた、先ほどまでの慌てようが嘘のように、張り詰めながらも穏やかな所作でゆるりと構えた。
そして、つくづくと、つぶやいた。
「──ああ、いやだなぁ」
いやだいやだと愚痴りながらも、その瞳はすでに猛禽類もかくやという炯眼でミホークへ焦点を引き結んで動かない。限界まで圧搾された敵意が滲むようだ。
ミオは鷹の目が嫌いでも苦手でもない。それでも心底関わり合いになりたくないと願っていたのは。
「ミオ、生きるために死ぬ者よ。貴様の宿痾、満たせるとすれば──おれ以外におるまいよ」
本当に相対したが最後、こうなるしかないと──分かっていたからだ。