動き出したのはほぼ同時。
まずは小手調べとばかり、大上段に振りかぶったミホークの黒刀をミオは己の愛刀で受けて立った。
──激突!
肩ごと外れそうなすさまじい衝撃が腹の底までびりびりと伝播する。やはり膂力では圧倒的に彼が上回る。ミオは歯を食いしばり、地面を縫いとめよとばかりに足を踏ん張った。
剣圧の余波が髪をなびかせ、裾が暴れ回るように揺れる。
「ぐ、う──ッ!!」
たまらず呻き、弾かれたようにミオの矮躯が後ろへ飛ぶ。自由にさせるのは癪だがこちらの腕が保たない。
「逃がさん」
着地するか否か、すかさずミホークの追撃が猛威を奮う。
堰を切ったように黒刃の輝線が文目を紡いで乱れ飛び、迎え撃つ白刃が壮烈な火花を散らして虚空を流れ散っていく。僅かに軌道を逸らされた連撃が四方八方へ穿たれ、そこら辺にいた人間が海兵・海賊問わず流れ弾に当たらぬよう蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
力では押されているものの、危なげなく剣を捌いていくミオにミホークは腹の底から愉楽を覚えて口の端を吊り上げた。
「ふ、面白い。面白いな、やはり貴様は
黒刀をかち上げ、懐に入り込もうにもさすが百戦錬磨の剣士だ。そこまでの隙は見出せない。
「僕は楽しく、ッない!」
心底愉しそうなミホークの言葉に猛烈に腹が立った。
せっかく稼いだ時間という名の千金が目の前の不埒者に利子付きで吸い上げられているのだ。面白いわけがなかった。できればとっとと離脱したい。
今更ながらに道筋を誤ったと痛感している。ドフラミンゴ以上に注意を払って然るべきだった。
「そんなはずはなかろう」
鋼の触れ合う剣戟の合間を縫うように、不思議そうな声が耳朶を打つ。
「──貴様とて、
そんなことは分かっている。
「だから、イヤなんだよ!!」
瞬間、ミオは裂帛の怒号とともに攻勢に転じた。
刺し違えるのも辞さぬ覚悟でひときわ深く踏み込み、袈裟懸けの一撃を振り下ろす。相打ち覚悟の一刀を前にミホークは即座に跳躍すると、己の愛刀に乗り上げ躱しきる。
ぎぃんッ、と鐘打つような音が韻々と響いた。
「──ッ」
この世界で最高の刀工が鍛造した鋼はさすがに硬く、武器破壊などは望めない。なまじ渾身の力を込めていたため、痺れるような痛痒が指先から首まで奔り抜ける。
ミホークが己の得物に再び手をかける前にミオは一度大きく跳び退いて、ようやく距離を置いて対峙することが叶った。
「拒むのは勝手だが、随分と窮屈な生き方をするものだ」
鳥のように地上へ降りたミホークは愛刀を引き抜きながら、僅かに眉をひそめる。
「おれにはできん」
「でしょうね!」
それはそうだろう。彼にとってそんな生き方は死んでいるも同じだ。息が詰まってどうにもならず、どこかで爆発するに決まっている。
間違いなく鷹の目とミオは同類で、同朋で、だからこそ真正面からぶつかり合いになることはできぬ相手だった。
そもそも、初太刀から確信を得ていたから、ここまでミオは逃げ回ってきたのだ。
「──ゆくぞ」
これくらいで死んでくれるなよと、交える干戈が伝えてくる。
刃がひとつぶつかる度、捌く足が擦れる度、音が遠く、気配が遠く、喧噪が遠くなってゆく。
世界が遠ざかってゆく。
他のすべてを置き去りに、相手のことしか見えなくなる。研ぎ澄まされた感覚器すべてが彼にのみ注がれ、引き結ばれた意識が迎え撃つ。
かすかな視線、呼吸、刃擦れの間断、筋繊維が伸びる予備動作までもを捉え、蓄え続けた経験に導き出された最適解が引きずり出されて勝手に動く。
──それはまるで、恋しいひとと踊るように。
分かっていたからいやだった。察していたから遠ざけた。
ミホークとミオは煎じ詰めればどこまでいっても似たもの同士の大馬鹿野郎で、ひとたび本気でぶつかり合えばこうなってしまう。
きっと今、ミホークとミオは同じ顔をしている。
剣に生き、剣に死ぬが道理の救いきれぬ宿業が臓腑の裏まで染み付いた──度し難き、戦馬鹿の顔を。
もとより、勝てる勝負ではない。
それは双方納得ずくである。
ミオの強さは途方もない戦闘経験から培われた勘の良さと軽捷さ、そして視点の広さにある。ただ真正面から見据えることしか頭に浮かばぬ者たちと違い、背後から仰角から俯角からと多種多様な切り口を見いだせる。
だが、それは鷹の目も同じ事。
それに加えて『夜』の射程範囲は広く、ミオの間合いの上を行く。間合いと膂力の差が歴然である以上、じり貧は避けられない。──それこそ、命を捨て石にすることを前提に挑みかかるくらいのことをせねば、勝利なんてものは彼岸の先だ。
生きながら死ぬというのは、つまりそういうことだ。
そして、仮にミオがそうして死中に活を求めなければならない状況があるとすれば、それはこの戦場でしかありえないと鷹の目は言うのだ。
ミオだってできることならそうしたいが、できない。──少なくとも、今は。
「隙だ」
ほんの刹那に生じた思考の空白、それを逃がす鷹の目ではない。振り上げた『夜』は間合いの内だ。
「ッ!」
咄嗟に生存本能に従ってのけぞり、迫る黒刃をからくも避けたが、一度躱された程度で戦闘行為が終わるわけがない。
即座に軌道を変えた剣先が獲物に飢えた鮫の如き執拗さで追いかけてきた、その時──
ちゅんッ
どこからか飛来した一発の弾丸が、ミオの頬をかすめた。
「ッ、」
直撃しなかったのは幸いだった。遅れて擦過傷特有のぴりぴりした痛みが肌を灼き──その痛みを契機として、ミオの意識は完全に『戻って』きていた。
知覚の外に追い出していた海賊と海兵のぶつかる怒号が、渦巻く殺意が、戦場が、そのすべてが怒濤のように戻ってくる。
一瞬、状況の把握に時間がかかり、引かれるように弾丸が飛んできた方へ首を向けると、少し離れた位置にいたドフラミンゴが指を突き出す例の仕草をしながらにやにやしていた。
「……無粋なことを」
「ひでェこと言うじゃねぇか。せっかく援護してやったってのに」
心なし忌々しそうなミホークから、舌打ちが聞こえた気がした。
「果たしてどちらの援護か、わかったものではないな」
そして気付く。
いつの間にか麦わらのルフィがこの近くまで迫っていた。周囲にはその援護なのか網タイツにガーターベルトというアヴァンギャルドな衣装を纏った囚人?らしき人や、追いついてきたらしい白ひげの隊長たちの姿もある。
「──残念だが、逢瀬はここまでか」
「逢瀬いうな」
それだけ言ってミホークから距離を取る。目線だけでドフラミンゴに感謝を述べると、貸し一つだとでも言わんばかりのにんまりとした笑みが返ってきて知らず苦笑してしまった。
たぶん、ドフラミンゴは彼なりにミオを心配してくれている。なんせこの状況、幼少期における彼のトラウマを抉るに申し分ない材料が揃っているのだから。
ミホークはあっさり切り替えたらしく、ゆるりと構えた『夜』の切っ先を変えた。
「さて、興が乗っていたところだが……運命よ。あの次世代の申し子の命、ここまでか、あるいは……この黒刀からどう逃す……」
ひたすらに前だけを見ていたルフィにも、ミホークの姿が視認できたらしい。露骨にイヤそうな顔になった。
「あんな強ぇのと戦ってる場合じゃねェ! おれはエースを助けにきたんだ! ……ん?」
当然、その近くにいたミオの存在にも気付いた。
「白いの! おまえ、なんでこんなとこに!?」
「エースが大事だから!」
「そうか!」
ミオの雑な答えに秒で納得するルフィの代わりに「いやそれ答えになってねェよ!」と周りの囚人たちが突っ込んだ。
ちょうどいいからルフィがミホークと対峙している隙に進もうか、とわりと鬼畜なことを考えるミオである。が、それを見透かしたように遠くのマルコから檄が飛んできた。
「オヤジが麦わらを死なせるなってよ!」
見捨てるつもりはないが放置の方向ではあったので、慌てて脳内軌道修正しつつ「了解です!」と答えた。船長命令はぜったい。
ルフィはミホークの眼前に到達する寸前で身体を捻り、その場からかき消えた。俊足で迂回して剣戟の隙間を縫って避けようという算段なのだろう。
だが、一流に剣客相手にそれは悪手だ。ましてルフィの気配は目立つ。それが証拠にミホークの視線は、ルフィへと固定されたまま微動だにしない。
「射程範囲だ」
「ですよね」
ルフィへと放たれた斬撃はしかし、猛威を振るうその寸前で停止していた。
「む」
触れられず、見えもしない空気の斬撃が、完全に固着していた。先ほどの飛ぶ斬撃同様、ミオが能力で『固定』したのだ。
戦場のただ中で突如として現出した──脅威を凝結させた細工物。
その異様さ、静謐さは熱気渦巻く鉄火場だからこそ異常さが際立ち、ひととき戦場らしからぬ静けさを周囲にもたらすほどだった。
「え?」
一拍遅れて事態に気付いたルフィは状況を理解してミオへ首を向けた。
ミホークも心底不思議そうだった。
「なぜあれを庇う?」
「船長命令なので」
そこにはいかにも不本意です、と顔に書かれている。
ルフィは確かにエースの弟だが、こういうトラブルメイカーと一緒に行動すると厄介ごとが群れをなして襲いかかってくるので、実はあまりお近づきになりたくなかったりする。
「これ、白いのがやってくれたのか? ありがとな!」
にかりと笑うルフィだが、その笑顔はやや精彩を欠いていた。
無理もない。インペルダウンからマリンフォードまで、おそらく戦い通しだったのだろう。スタミナ切れでぶっ倒れていないのが不思議なほどだ。
しかし、その笑顔にはやっぱりエースに似たものを感じてしまい、心中複雑なものを抱えて苦く笑うしかなかった。
「ん、どーいたしまして」
それからかすかに嘆息して、指先をぱき、と鳴らした。
ルフィを狙う別の海兵の足首あたりに能力でごく低い『壁』を形成。人間、小石程度で躓くのだからそれが縁石くらいになればどうなるか。
目視できない壁に引っかかり「おうッ!?」「だっ」海兵たちが揃ってびたーんッとすっ転んだ。
「露払いくらいはしたげるから、ほれ、早くいきな」
ルフィを通過させればどうせミホークはまたこちらを狙ってくるだろう。それなら、任せられる隊長格が追いつくまで自分がミホークの相手をした方が効率がいい。
そう判断しての台詞だったのだが、ルフィはほんのちょっと考えて、ぱっと顔を輝かせた。頭に電球が灯るのが見えるようだ。
あ。なんか、イヤな予感が。
「そーか!」
で、当たった。
「え」
ルフィはガシッとミオの腕を掴んでなんとそのまま走り出してしまったのだ。
「ちょいちょいちょーい、麦わらくん?」
「白いのの能力、ちょっと貸してくれ!」
どうやらエースへの最短距離を踏破するにミオは有用だと判断されてしまったらしい。当たっているところが空恐ろしい限りである。
これでは否も応もない。
「でも僕といると鷹の目がくるよどーすんの!?」
ターゲットがひとまとめになっていれば狙ってくるのは当然だ。
「うえっそうだった! ……あ!」
ルフィは一瞬周囲に視線を巡らし、いちどミオから腕を離すと勢いをつけて両手をびよーんと空へと伸ばし、何やら中空で発生していた砂嵐の中でぐるぐる回っている青い髪のオッサンをとっ捕まえた。
「ゴムゴムの……"JET身代わり"!!」
そしてすさまじい速度で牽引した青髪赤鼻の男を、いつの間にか距離を詰めていた鷹の目の前に引きずり出したのだった。ひでぇ。
「ギャ──ッ!?」
引きずり下ろされた男は小気味よい音を立てて胴体から両断され、しかしイキイキとルフィの胸ぐら掴んで文句を言い出す。
「──ッて何しとんじゃクラァ! 麦わらァ!!」
血の一滴も出ていないところを見ると、どうやら彼も悪魔の実の能力者らしい。まぁ、そうでなければルフィが身代わりに使うことはないだろう。
「なんだよ斬ったのあいつだぞ!」
胴体と足をバッサリ切られているのに平然と声を荒げるピエロ風の男──バギーの怒りはもっともである。ルフィはぜんぜん気にしていないようだが。
しかしそんな会話をしているヒマもなく、再びミホークが剣戟を繰り出したのでルフィは再びバギーを盾にして難を逃れた。料理番組みたいに輪切りにされているが、わりと余裕そうである。
「よし、今のうちだ!」
こうなってしまっては仕方がない。ミオは早々に腹をくくって頷いた。
「わかった、行こう!」
そうして二人で走り出す。
背後で「許さんぞ『鷹の目』ェ~~!! くらえ"特製マギー玉"! 消し飛ぶがいい!!」とかいう雄叫びとともに爆発が起こり、熱波と煙が後押ししてくる。
「ありがとうバギー! おめェのことは忘れねェ!!」
「ああ、あのひとが……」
けっこう薄情な感じのルフィだが、それはバギーに対する信頼のあらわれ、なのかもしれない。たぶん、きっと、おそらくは……。
そうこうしている間に白ひげの中でも指折りの剣客であるビスタを視界の隅で捉えたので、最悪の事態は避けられるだろう。
そう判断してとっとと駆け出してしまうミオも、同類といえば同類なのだった。