桃鳥姉の生存戦略   作:柚木ニコ

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十一ノ幕.世界で一番とおせんぼ

 

 

 今、海賊たちが足場にしているのは青キジの能力で凍り付いただけの海である。

 

 溶かせば水になるし、砕けたらそれで終わりだ。

 

 ならば海軍は足場を奪うだろう。それを効率的にできる者がいるのだから、手っ取り早くて効率的な手段である。海兵たちが氷上から退避していた理由はおそらくそれだ。

 あの包囲壁とでも呼ぶべき鋼鉄の群れは、海賊にとってひたすらに邪魔だしエース救出の障害に間違いないが、同時に海軍を脅威から守る役割もあるのではないだろうか。

 

 直後に響いた轟音は、ミオの思考を裏付けるものだった。

 

 花火が上がるときに聞くような甲高い音が鼓膜を叩いた瞬間、本能的な直感に従って空を見上げたミオは、それをしっかりと視認していた。

 暗雲を突き破り、天高くから飛来した赤黒い、拳のような熱の塊がぐんぐん巨大になり、迫ってきて──氷上を殴り抜けた。否、墜落したと表した方が適切だろうか。

 

 幸いなことに距離があったから動きが阻害されずに済んだが、傘下の海賊船が木っ端みじんに砕かれた。遅れてきた衝撃波と熱波が白い髪をなぶり、服の裾がひらめく。

 

 隕石……むしろ、これは火山弾だ。

 

 火山から噴出する爆熱を孕んだ巌の塊が摩擦熱と重力を味方につけて、たったひとりの人間の自由意志によって無数に撃ち出されている。

 

 ミオは全身がけば立つような寒気を覚えた。

 

 本当に、こんなことまでできるのか。

 

 大将サカズキ。自然系・マグマグの実の『マグマ人間』。これでは動く活火山だ。でたらめにもほどがある。

 遠距離からの多角的な爆撃。海賊をまとめて滅ぼすのにこれほど効率的なことはない。船は木造、いくら氷が分厚いものだろうと高高度から墜ちてくる熱塊ですべて溶き砕かれるのは目に見えている。

 

 

 そして当然──ひとつでは終わらない。

 

 

 出現する無数の、数え切れないほどの熱の拳骨。空を埋め尽くすような、豆まきのようにばらまかれた──ひとつひとつが、船を砕き氷を溶かし、海賊たちの命を奪って肉塊に変えてなお余りある破壊力の権化。

 直撃すれば即死だ。そんな死の顕現が無造作に降ってくる。圧倒的な量に悲鳴が響き、海賊たちに動揺が走る。統率が乱れ、逃げ惑うしかない。だってこんなの災害じゃないか。

 

 恐ろしい数の火山弾で、地面すら暗くなっていく。世界が閉じていく。破滅という言葉を戯画にしたような、それはあまりにも理不尽な光景だった。

 

「──」

 

 ミオは絶望そのもののような光景を見て呆然と立ち尽くし、息を呑んだ。

 かたちのある呪いのようだ。お前たちなんかいらない、不要だ、とっととくたばれと言葉なき暴虐が告げてくる。死んで死んで死に尽くせと怒鳴りつけられているような気持ちだった。

 全身がすくんで、冷や汗がじっとりと背中を濡らす。

 

 

 けれど、だけど──

 

 

()()()()()()

 

 

 低い、獣の唸りに似ていた。

 無意識だった。口に出してから自分の声に気付いた。

 

 恐怖よりも、腹の底から沸々と滾るものがある。

 

 一方的で理不尽なものに対する、それは純粋な怒りだった。なんでそんなことを、お前に決められなくちゃならないんだ。

 これが戦争なのだと己の冷徹な部分が思考する。そうかもしれない。圧倒的な武力で敵を圧倒するのは、戦の常道。あちら側からしてみれば、最小の被害で最大の戦果をあげられる。国家間のものではないから、手心を加える必要もない。

 

 実行できるから、した。それくらいのものだろう。

 

 だが、それであっけなく潰されることを良しとできるかと言われれば、否である。たったひとりの攻撃で、大事なものを根こそぎ蹂躙されるなんて冗談じゃなかった。

 

 唐突で理不尽なものに、ふざけるなと怒鳴り散らすくらいの権利はミオにだってあるはずだった。

 

 そこまで考えて、ふと──

 

 

()()()()()

 

 

 あの鋼鉄の壁を見て、反射的に自分が動いた理由。

 

 そして、もうひとつ。

 

 『白ひげ』の親愛に、ローの心に、何もかもに背を向けて、なげうって、ここに来たことに意味があるとすれば──それはきっと、たったひとつ、この瞬間のために。

 

 脳裏で閃くものがあった。論理を抜いた確信がある。もはや天啓に等しい。

 

 ミオは助太刀すると言った。

 

 白ひげは期待していると言ってくれた。

 

 

──ならば、それに応えなくてはならない。

 

 

 シャボンディ諸島での思いが胸に蘇る。あのとき、自分が戦場で何ができるのかわからなかった。『モビー・ジュニア』を整備しながらずっと考えていた。ずっと不安で仕方がなかった。

 もし、自分に役割があるのなら、それは一体なんなのだろう。それはこの戦争が始まってからすら、ミオの心の片隅に引っかかっていた。

 

 でも、今、ようやくわかった。

 

「そうだよね」

 

 ひとりごちる。

 

 視線をずらせば、いつの間にか近づいていた『モビー・ディック』号。無意識の内に戻ってきていたらしい。

 片腕を上げれば腕に何かが巻き付く感触。待機していた軍曹が魚でも釣り上げるようにミオに糸を巻き付けて牽引してくれる。ミオの姿が見えたから白ひげについて行かなかったのだろう。助かる。

 

 あっという間に甲板に引き上げられて、ミオは軽く軍曹をひと撫でしてからしっかりと足を踏みしめる。

 

「ただいま、『モビー・ディック』号」

 

 さっきは伝えられなかったことを告げて、ミオは慣れた動作でするすると見張り台に辿り着くと顔を上げた。

 

 馴染んだ感触に安堵を覚える。そうだ、ここは『モビー・ディック』号。どんな荒波からだって船員を守って、苦難を一緒に乗り越えてきた『白ひげ』の母船で、みんなの寝床。僕らの大事な()()()だ。

 ミオにはできることがある。それはたぶん自分にしかできないことで、理屈を越えた部分でそれが分かる。安堵めいたものを覚えて、かすかに口の端がつり上がる。

 

 武者震いのような痺れがじわりとうなじを這い上がり、不敵に腕を組んで空を見上げた。なんだか負ける気がしなかった。

 

「『モビー・ディック』号は僕の、お父さんの、みんなの……エースの大事なおうちだ」

 

 それを、あんな無粋な岩石如きに壊させてたまるものか。怪我ひとつさせたくない。当たり前だ。

 

 胸の奥で決意が灯る。高圧で閉じ込めた焔のようだ。静かな戦意と高揚が爪の先まで循環して、あんなに暗かった視界が一気に広がっていく。

 『モビー・ディック』号が力を貸してくれてるみたいだった。遠くの遠くまでよく見える。

 処刑台のエースと目が合った気がした。

 ああ、やっぱりあんな表情も手枷も鎖もエースには似合わないなと思う。彼に似合うのは脳天気な笑顔と自由で大きな海とお日様だ。安心して欲しくて、自然と笑った。

 

「まーかせて」

 

 だってさ、エースを迎えに来たのに、そのせいでおうちが壊れたらあとでめちゃめちゃへこむに決まってる。意地っぱりなのにすげぇ繊細で、『モビー・ディック』号のことが大好きなの、よーく知ってるんだから。

 うちの末っ子は手間がかかるんだ。だから守る。だってそれなら、僕できる。

 

「チェレスタ、ありがとう」

 

 心からそう思う。この能力があってよかった。

 

 ルフィくんみたいに伸びないし、ローみたいに汎用性があるわけでもない、ドフィみたいに糸を操ることも、エースみたいに炎も出せない。お父さんみたいに世界を壊すちからも、まして救うことなんてできっこない能力だ。

 

 けど、誰かの足をひっぱることに関しては特級品だ。留めて、止めて、固定する。その場に縫い止めて、動かさない。

 

 たったそれだけの、それしかできない能力。

 

 そんなちっぽけなちからを駆使して、ミオはこれから拳骨の驟雨に立ち向かう。

 

 パンッ、と手のひらに拳を叩きつけて気合いはじゅうぶん。

 

「我らが船長の宝は『家族』。だったらお家だって当然お宝に決まってる! ぼーぼー燃えてる危ない塊なんか、ひとつも通してやらんからな!」

 

 自分を鼓舞するように押し寄せる地獄へ怒鳴りつけ、己の奥の奥でまどろんでいる悪魔を叩き起こす。能力を励起させ、呼び覚まし、解放する。

 

 

「──ここから先は"通行止め"だ!!」

 

 

 その言葉を鍵として、かつてはミオの大事な友人で、そしてエドワード・ニューゲートの友だった男から受け継いだ悪魔のちからが、そのすべてを解き放った。

 

 

 

×××××

 

 

 

 大将『赤犬』が噴出させた無数の火山弾という、絨毯爆撃もかくやという惨劇が海賊たちを阿鼻叫喚の地獄絵図に陥れていく……はず、だった。

 

 少なくとも海軍はそう信じて疑わなかったし、海賊たちはほんの数秒後に訪れるであろう蹂躙の気配に少なからず惑乱していた。

 

「な……ッ、!?」

 

 けれど、その場にいた海賊、海兵の区別なく、マリンフォードで空を見上げていた人間たちは、眼前に展開された状況に一人残らず呆然と口を開ける羽目になった。それまでの狂騒が鳴りを潜め、静けさすら漂う現状は戦場においても異常事態といえる。

 

──そんな中、たったひとり、『白ひげ』を除けばこの場で最も元凶のことをよく知っている王下七武海の一角だけが、堪えきれぬとばかりに喉の奥を震わせていた。

 

「フ、フッフ、フフフ、フフ……ッ!」

 

 せめて爆笑だけは抑えようとしているものの、漏れ出る笑いだけはどうしようもない。

 戦場でもなお享楽的な雰囲気を崩さないドンキホーテ・ドフラミンゴだが、それにしたってこれは予想だにしていない最高の隠し球だった。この戦の趨勢にてんで興味がないからこそ、おかしくてたまらない。

 

「フフッ、さすが我が家の血筋は優秀じゃねェか。まさか"覚醒"までしてるたァ、おれでも予想できねェよ」

 

 悪魔の実の能力者には、稀に"覚醒"する者がいる。

 その条件ははっきりしていないが、"覚醒"した者たちは揃ってこれまで以上のちからを発揮できるようになるのが通例だ。

 たとえば超人系の場合、本来なら自分と、ごく近距離にしか使えないはずの能力範囲が飛躍的に広がることが多い。ドフラミンゴもそうで、本気になれば自分のみならず周囲の街や地面にまで影響を与え、すべてを糸と化して自在に操ることが可能になる。

 

「しかもあの能力……とんでもねェ実を食ってたもんだ。海軍の奴ら、今頃泡食ってんだろうなァ?」

 

 十年以上にもなる最後の邂逅でミオが使ったという能力のことは、報告からいくつか予想はしていた。これはその中でもとびきりのビンゴだ。

 

 本人がどう認識しているかはともかく、『コチコチの実』は『オペオペの実』と同じくらい海軍が手元に確保しておきたい悪魔の実のひとつであることをドフラミンゴは知っている。

 

 というのも、『コチコチの実』は自然系と()()()()()()()()能力だと言われているからだ。

 

 他の能力者に関しては不明だが、こと自然系に関しては最大限その権能を発揮できるというのがもっぱらの噂である。

 

 

 そしてまさに、噂の証明が目の前に広がっている。

 

 

 『赤犬』の放った"流星火山"。

 それは活火山の噴火とほぼ変わらない。マグマを押し固めた無数の拳は、一発一発が破滅的な破壊力を秘めた災害そのものである。

 

 

 そんな天から降り注ぐ焦熱地獄が──何の前触れもなく、おおよそ視認できる範囲すべての拳が音もなくぴたり、と、一斉に止まった。

 

 

 『モビー・ディック』号の上空を基点として透明な膜でも張られているように、膨大な火山弾は物理法則を無視して落下を阻まれたまま停止している。映像電伝虫で画像を止めた時に似ていた。それが現実で起きている。

 

 異常で、異様で、壮観ですらあった。

 

 『赤犬』が意地になっているのか、まだ火山弾は降ってきているのだが、先に『固定』されている火山弾が邪魔して積み上がっていくだけだ。そうなると重なった拳もまとめて『固定』されてしまう。意味がない。

 阻まれ、止められ、押し留められたせいで上空でひしめき合っているマグマの塊は、もはや得体の知れない黒山になりつつあった。

 

「的を絞ったのが裏目に出たな」

 

 もう一度、ドフラミンゴはくつりと嗤う。

 

 マリンフォードは仮にも海軍の基地である。

 最新鋭の機器や海兵の家族が住む居住区、加えて世界中から招集した味方の海兵。それらの安全を最低限確保しなければならない以上、必然的に攻撃範囲は限られたものにならざるを得ない。

 

 それだって赤犬の規格外の攻撃力で基地そのものが損なわれることのないように、包囲網と称した鋼鉄の壁を用意した中でのみ可能な、ごく限定的なものだ。いくら『赤犬』とて、『白ひげ』を殲滅させるためにマリンフォードを焦土にする覚悟で野放図に発射することは出来ない。なんたって『絶対的正義』を掲げる海軍の大将様だ。

 

 その結果、マリンフォード湾頭部分というごくごくいちぶに雨あられと降らせた灼熱の拳は、ひとつ残らず中空で『固定』されることになった。

 

「見事なものだ」

 

 いつの間にか近くにいた、先ほどまでミオと打々発止の大立ち回りを演じていた鷹の目が、腕を組んだままつぶやいた。

 視線の先は上空ではなく『モビー・ディック』号、もっといえばそのてっぺんに備え付けられた見張り台に固定されているようだった。ドフラミンゴも目を凝らしてみれば、見張り台にぽつんと小さな頭が見えた。

 

 桜色の瞳に決意と覚悟を滾らせ、雪色の髪を揺らし、何かを押し上げるように片手を突っ張った妙な姿勢のミオがそこにいた。

 

「ああ、『コチコチの実』は()()()()()って噂だったが……海軍が捜索するわけだ」

 

 自然系と相性がいい、というのはそれに起因している。

 

「見る限り攻撃力に乏しく攻め手に欠ける、が、脅威に違いあるまい」

 

 ふむ、と鷹の目は指先で顎をしごきながら頷いた。

 

「自然系の天敵、というわけだ」

 

 自然現象と化した箇所から空間ごと固定されてしまうのであれば、なるほど、それは自然系にとっての天敵と呼んで差し支えないだろう。能力に胡座をかいているタイプには殊更に効くはずだ。

 とはいえ、なんでもかんでも『固定』できるなら初手で三大将を完封することもできたはず。それをしなかったということは、『固定』にも何らかの条件付けがされている可能性が高い。

 

 万能無敵な能力というのは存在しない。『コチコチの実』もそれは同じで、事実ドフラミンゴ相手にミオは苦戦していた。

 おそらく超人系や動物系とはさほど相性がよくない……それこそ能力次第でまちまちなのだろう。

 

 しかし、今、ここで海軍の最強戦力が放った攻撃を押し留めたという事実はとてつもなく大きい。

 

 果たして──ドフラミンゴの予想通り、そこらの海兵たちが持っている電伝虫から、怨嗟すら滲む怒号が一斉に響き渡った。

 

 

『誰でもいい!! あの小童を潰せェえええッ!!!』

 

 

 そりゃそうだろうよ、とドフラミンゴはさしたる感慨もなく納得する。

 

 元帥に喧嘩売ったと思えば今度はこれだ。海軍が是が非でも邪魔されたくない部分にピンポイントで当ててくるあたり、ドフラミンゴの悪辣な部分に通じるものがあってさすがうちの姉貴だなとニヤニヤしてしまう。

 ただ、いつまでもニヤニヤしていられないのが困りものだ。これでミオは海軍の明確な敵……どころか、下手すると『白ひげ』や『火拳』と同じくらいの『危険因子』にランクアップしているだろう。

 

 あんなんでも大事な姉だ。国で盛大なもてなしを期待されていることだし、くたばる前にとっととかっ拐ってしまいたいものだが……。

 

「そういえば、貴様はあの娘と何か関係があるようだが」

 

 思考を巡らせていると、鷹の目が唐突に水を向けてきた。先ほどの弾丸の件から多少の類推を働かせたらしい。

 俗世との関わりが薄いのが鷹の目だ。こいつには隠さなくてもいいかと、ドフラミンゴはこともなげに答えた。

 

「アイツはおれの身内だ。頑固で馬鹿でずるくて、おまけにろくでなしの可愛い身内さ」

 

 鷹の目はその答えに珍しく目を瞠り、ややあってから納得顔で頷いた。

 

「なんだ、貴様の娘であったか」

「ちげェよ」

「悪いが貴様の娘の命、いずれはおれが貰い受けることになると思うが──」

「おいやめろ。あと娘前提で話進めんじゃねェ!」

 

 頂上戦争とはまったく、これっぽっちも関係のない、とてもくだらない理由から王下七武海による同士討ちが始まりそうだった。

 

 

 

 


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