桃鳥姉の生存戦略   作:柚木ニコ

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さん.託して託され受け継がれ

 

 

 目を開けたら天井が見えた。

 

 映る紋様はゆらゆら、きらきらと形を変えて、海面の反射だとぼんやり思う。さわさわと耳を刺激するのは船が水を切る音だ。

 つんと刺激する臭いは消毒薬のそれで、目を瞬かせる。

 壁にも天井にも彩り豊かな紋様が描かれ、鈍く光る塗料は派手すぎず、かといって地味でもなかった。ベッドだけが真っ白で、色彩の中で浮いていた。

 

 腕からは何本ものチューブが繋がっていて、点滴の雫が一定の間隔で絶えず落ちている。左手の違和感に視線を動かすとギプスで固定されていて、まだ身体のあちこちに包帯が目立つ。

 

 どこだろう、ここ。

 

 なんでこんな大怪我してるんだっけ?

 

 動かそうとすると、からだのあちこちからじくじくと鈍痛が走って、起き上がるのは無理っぽい。

 少し息を吸うだけで肺がぎしぎし痛んで、呼吸そのものに難儀する。

 

 というか──そうだ、そうだよ。

 

 カチッとスイッチが切り替わった気がした。

 怒濤のように記憶が蘇って、こめかみがずきずきする。全身の血の気がざぁっ、と引いた。

 

「! どふぃ、ろし、とうさま、ちぇれ、す、ごほッ……」

 

 喉が掠れて激しく咳き込む。そうだみんな思い出した。

 あんにゃろう、なにしてくれたんだ。もしや拉致? 拉致ですか? 怪我人を拉致るとか鬼かよ。いや海賊だったわ、おいおいおい勘弁してくれよ。

 

 咳き込みまくってたら部屋の外からバタバタと足音が聞こえてきた。誰だ、チェレスタだったらぶん殴ってやる。

 

 そう間を置かずバン!と扉が開いた。

 

 顔を出したのは、知らないひとだった。気合いを入れたのに反応に困る。でもなんか、髪型が面白かった。パイナップルに似てる。あと背が高い。

 

 え、だれ?

 

 呆然としている僕とお兄さんは数秒視線を合わせ、ハッとしたように外へ怒鳴った。

 

「おいオヤジに知らせろ! 『おほしさま』が起きたよい!」

 

 任せろ! と何人かの野太い声と足音。よ、よい? 口癖かな? あとお星様ってなに?

 面白い口癖のお兄さんはそのままずかずかと部屋に入って、隅っこにあった小さな椅子をベッド脇に持ってきて腰掛けた。

 

「よお、随分寝てたなぁ。ひょっとしたら、このまんま目ぇ覚まさないのかと思ってたよい。まぁひでぇ怪我だったから、無理もねぇか」

 

 気安い感じで話しかけ、お兄さんは手に持った水差しを傾けてコップに水を注ぐと、差し出してくれた。ありがたく受け取って、ゆっくりと飲んだ。喉からじんわりと染み込む感じが心地良い。それにしてもまたよいって言った。やっぱり口癖みたい。

 随分とフランクかつ親切なお兄さんにどう答えればいいのか迷う。

 

「え、あの、えっと……おはよう、ござい、ます?」

 

 迷った末に出たのは朝の挨拶でした。いやだって、随分寝てたとか言うから。

 お兄さんは僕の返事に一瞬瞠目して、ぶはっと噴き出した。

 

「おうそうだな、おそようさん。あんた、自分の名前わかるか?」

「あ、はい、ミオと申します。はじめまして」

 

 頭を下げようとしたら、うまくいかなかった。

 それを見ていたお兄さんが、僕をそっと起こして背中にクッションを入れてくれた。いいひとだ。

 

「おれら的には初めましてって感じじゃねぇんだけどな、まぁいいか。おれはマルコ、よろしくな」

「よろしく、です。あの、ここどこですか?」

「海賊船だよい。おれたち白ひげ海賊団の」

 

 ……海賊船かーそっかー。

 じゃあなんだ、僕は略奪品かなんかだろうか。いやーそんな価値ないし、もっというと厄種に近いぞ。

 そもそもチェレスタは海賊だったので、マルコさんは同業他社? っていうのか? この場合。

 

 だめだわからん。

 

「……チェレスタて、知ってます?」

「『奴隷嫌い』の?そりゃ知ってるよい。だいたい、あんたはあいつらのもんじゃねぇのか?」

 

 奴隷嫌い。元奴隷なんだからそりゃ憎かろう。

 

 いやしかし聞き捨てならない点が。僕はチェレスタ率いる海賊団のもの扱いされている、みたい?

 状況的に考えるとそう、なのか? ボロ雑巾で保護? 拉致? されたワケで。

 

「略取品としてならたぶんそうですけど、強いていうなら僕は僕のもんだと思います」

「ほーん? 『おほしさま』だってのに報われねぇ話だねぃ」

 

 なぜかチェレスタに同情してるらしいマルコさん。なんでだ。

 

「てか、お星様ってなんでしょう?」

「チェレスタのやつがそう呼んでたって、オヤジが言ってたよい」

「なにそれ恥ずかしい」

 

 そんなメルヘンな呼び方しないでくれよ。

 しかしなんだろう、話が噛み合ってない気がする。マルコさんもそれは感じていたようで、腕を組んで不思議そうに首をひねっている。

 

「まてまて、あんたは『ラグーナ海賊団』の『隠し財宝』と一緒にしまい込まれてた。んで、オヤジはそれをあんたごと託された。ここまではいいか?」

「すいませんその海賊団の名前すら初耳です」

「ええ……?」

 

 しょっぱなからお互いの理解している部分が乖離しているという、残念な事実が発覚してしまった。

 お、おかしいぞ。

 海賊なんて無法者の代名詞みたいなひとがめっちゃ困惑している。だめだこりゃって顔してる。

 

 そこへ、

 

「おう、目ぇ覚めたって?」

「オヤジ」

 

 開けっ放しだった扉から窮屈そうにぬう、と常人離れした巨大な男性が入ってきた。

 肥えているとかではなく、均整のとれた身体つきで、そのまま大きい。なんだか遠近感が狂いそうだ。

 オヤジって呼ばれてたってことは、このひとが白ひげ海賊団の船長なのだろう。すごい、めっちゃ納得する。おひげが見事に白ひげ。逆三日月みたいなブーメランひげ。

 巨体の白ひげさんはこっちを見て、少しだけ目を細めた。迫力はあるけど、怖くはない。

 

「死にかけてたってのに大したもんだ」

「あ、えっと、」

 

 海賊団の船長とは思えぬ良識あふれた言葉に、戸惑ってしまう。いや、治療してくれたんだから、そんなヤバいひとには思えないけど。

 なんとか言葉を絞りだそうとすると、大きな指で頭を小突かれる。

 

「ああ、いい、いい。今日はツラ見にきただけだ。よく養生するんだな、面倒な話はそれからだ」

 

 それだけ言って、白ひげさんは出ていってしまった。マルコさんもそれに続く。ええー、聞きたいこといっぱいあるのに。

 しかし、養生がいちばんだと突っぱねられてしまうと、なにも言えない。

 満身創痍とはこのことか、というくらいにはボロボロであるからして。包帯とかすごい。皮膚呼吸が心配になるくらい巻かれてる。

 

 そして、入れ替わりに入ってきたのはマルコさんだった。この船の船医さんも兼ねているらしい。包帯を取り替えながら容態を説明してくれた。

 失血量が多かったから、一時は危なかったらしい。けれど峠は既に越えているから、重要な臓器や腱は無事なのでしっかり治療すれば、完治するとのこと。ありがたい。

 

 「ただ、傷痕だけはどうしようもねぇ」

 

 悔しそうに告げるマルコさんに僕は構いませんよ、と返した。

 

 「名誉の負傷ですから」

 

 付き合い方は知っているから、大丈夫だ。

 マルコさんは苦虫でも噛み潰したような顔で「……そうかよぃ」とつぶやいて、僕の肩をぽんぽん、と優しく叩いてくれた。

 

 

 

×××××

 

 

 

 肝心な疑問はちっとも解消されないまま、どんどんミオは回復した。

 

 そうなると肝心なことを何も聞けていないので、さりげなく探りを入れてみたりしたのだが、「それは完治してからオヤジに聞いてくれ」と言われるとぐうの音も出ない。

 

 迷惑をかけたいワケではないので、そうなると引き下がるしか選択肢がなかった。

 ちょっともどかしいが、同時に自分を心配してくれているというのがなんとなく分かってきたので、それ以上突っ込めなかったのだ。

 

 船員たちともわりと仲良くなった。

 というか、彼らは海賊なので年下の相手をするなんて機会がそもそも少なく、外見にびびらないミオに構いたくてしゃあないらしい。

 お世話になりっぱなしは心苦しいので手伝いを申し出たら、芋の皮むきとかをさせてくれたのでサッチという船員と仲良くなった。頭部がフランスパンに似ている。

 

 そうして大部分の包帯が外れた頃、唐突にその日はきた。

 

 甲板掃除を手伝っていたらオヤジが呼んでると言われたので、モップを近くの船員に預けてのこのこと船長室に向かった。

 軽くノックをしてから応えの返事を待って、ドアを開ける。中には珍しく白ひげしかいなかった。いつもは船員のひとりかふたり、何か相談したり報告したりしているのに。

 

「白ひげさん?」

「よく来たなァ、まぁ座れ」

 

 ちょいちょいと手招きされたので、椅子を引っぱって白ひげの近くにちょこんと腰掛けた。

 ミオはべつに白ひげの一員ではないので、迷った末に「白ひげさん」と呼ぶことにした。オヤジと呼ぶのはなんとなく、憚られた。

 白ひげはミオが椅子に座ったのを確認してから、口を開いた。

 

「今日はお前さんの疑問に答えてやる。聞きてぇこと、全部な」

「!」

 

 ぴん、と背筋が伸びる。

 これまで抱き続けていた疑問の数々が一気にあふれて、逆に言葉に詰まった。

 

 そんな様子を見て、白ひげは酒瓶を傾けて水みたいに呑んだ。そういえば白ひげが酔ったところをミオは見たことがない。よっぽどザルなのだろうか。

 そう考えたらちょっとだけ落ち着いて、最初の疑問が口を注いで出た。

 

「白ひげさんは、チェレスタを知っていますか?」

「ああ、『ラグーナ海賊団』の船長でおれたちの友人……だった、男だ」

 

 だった。

 

 薄々勘付いてはいたが、改めて言われると刺さる。

 何らかの理由で袂を分かった、ワケではないだろう。過去形で、痛ましいものを見るような白ひげの眼差しとくれば、イヤでも理解せざるを得ない。それでも確認はしなくてはならなかった。

 ふるえそうになる喉を叱咤して、絞り出す。

 

「その海賊団、今は……?」

「……全滅した。船長も含めて、だ」

 

 がつんと頭を殴られたような気がして、目の前が揺れた。

 

 頭のどこかでああそうか、と思う。

 船員たちはこれを危惧して何も教えなかったのだ。おそらくは知己のひとたちが全滅しているなんて事実を、病床の人間に聞かせるリスクを彼らは避けた。

 英断だ。分かる。自分でもそうするからだ。

 

 でも。

 

「あいつらは『奴隷嫌い』と揶揄されるくらい、奴隷を嫌ってた。いや、扱う人間を、か。奴隷商やヒューマンショップを見るとすぐ潰しやがる。方々で恨みを買ってやがった……睨まれた時点でお終い、そういう奴等からもな」

 

 最後の文言で事態は把握できた。

 天竜人だろう。奴隷が大好きなこの世の最高権力者。権力を笠に着てのさばり続ける豚どもにとっては、玩具を定期的に仕入れることができないなんて、我慢できない。

 原因をどうにかしろと駄々をこねて、焚きつけて、そして『どうにか』させられた。おそらくはそういうことだろう。

 

 手のひらでぐしゃりと髪を掴み、なんとか続けた。

 

「白ひげさん。チェレスタ以外の船員の名前を、教えてください。僕は、チェレスタしか──知らないんです」

「ああ」

 

 白ひげは思いつく限りの名前を挙げていった。時折酒で口を湿らせて、ひとつひとつ。

 疑問に全て答えると言ったのは嘘ではなかった。

 多くの名前を聞いた。知っている名前があった。知らない名前もあった。

 

 奴隷が嫌い。当然だ。

 扱う人間が憎い。そうだろう。

 かつて地獄を見た彼らは地獄を作る人間が我慢ならなかった。

 

 海賊にだって一定の不文律はある。海軍に目を付けられると面倒だ。それをかなぐり捨ててでも、彼らにはそうするに足る理由があった。ミオはそれを知っている。

 

 だけど、言わせて欲しい。

 

「……ばか」

 

 馬鹿、馬鹿なひとたち。

 

 彼らのしたことは褒められるべきことだ。

 無辜の民が奴隷から解放され、自由を得た。それは凄いことだ。彼らは得た自由を好きに使った。賞賛されてしかるべきで、責められるいわれなんてない。

 わかっているのだ、そんなことは。

 

 それでも辛い。苦しい。

 

 ミオは彼らに幸せになって欲しかった。長生きして欲しかった。死んで欲しく、なかった。

 どこかで生きているかもしれない、という希望は打ち砕かれた。けれどミオには聞く義務があり、白ひげには話す責務があった。

 

 だからミオは白ひげを責めたりしない。

 膝に乗せた手を痛いほどに握りしめ、つぶやく。

 

「彼らの遺体、は」

「おれたちで埋葬した。まぁ、見つけられた分だけだがな」

 

 白ひげは悔やむような声音だったが、じゅうぶんだ。

 むしろ海賊の死に様としては、上等の部類に入るだろう。海の藻屑になるのが道理の人たちが、土に還る権利を得たのだ。

 

 ミオは深く頭を下げた。

 

「ありがとう、ございます」

 

 その様子に白ひげは「ああ」と頷いただけだった。

 何かを悟ったのか、礼を受け取るだけで問いを返したりはしなかった。

 

 胸がいたい。苦しい。喉がひきつって、鼻の奥がつんとする。目の裏側が熱くなって目の前に白ひげがいるのも忘れて、椅子の上で膝を立てて丸まった。

 膝にまぶたを押し当てて、どうにか涙をこらえる。

 

「しんどい」

「だろうな」

「ばか、ほんとばか。えらいけど、すごいけど、長生きしてよぉ……たたみのうえで孫に囲まれて大往生とかしろよばーか」

「海賊にゃ夢のまた夢みてぇな話だ」

 

弱音と独り言にも、白ひげは律儀に合いの手を入れてくれた。ありがたい。ちょっとだけ気が紛れる。

 

「大体なんで、じゃあぼくだけ生き残ってんですか」

「お前はあいつらの『隠し財産』に混じってたからな」

 

 ああ、それはマルコさんが言っていたなと思い出す。それを白ひげさんに丸ごと託した、とも。

 

「あのアホンダラども、しょっちゅう海軍どもと揉めてたからな。あちこちに財宝を溜め込んでたんだ」

 

 理屈の上では、ミオが家以外のあちこちに金銭を隠したのと同じだ。

 海賊稼業がいくら板に付いているとはいえ、ここはグランドライン。天候不順による海難事故や、海軍・海賊との乱戦で船が壊れる可能性とは切っても切れない間柄である。

 

 そうした危険を常に孕んでいるのだから、高額な金銀財宝を持ち歩くのは現実的とはいえない。大切なものなら尚更だ。

 これが商人なら、現金を守る方法としての為替発行などもあるだろうが、そこは海賊。信用を担保できないのだから、銀行なんて無理だ。

 そうなると、資産をどこかに隠すくらいしか方法がない。

 

 白ひげによると、そんな隠し財産……財宝のひとつにミオが入っていたそうだ。

 

「『たからもの』で『いっとうだいじなおほしさま』。チェレスタの野郎は、おれに隠し財宝ぜんぶくれてやるから、お前を頼む、とよ」

 

 ……だから、白ひげ海賊団にミオは保護されていたのだ。友人の最後の頼みを引き受けたという、何よりの証拠だった。

 

「隠し財産の中に、お前はしまい込まれてた。あいつの、コチコチの実だったか? あの能力で固まったまま、おれが触った途端に息を吹き返した。虫の息で焦ったがな」

 

 そこまで語り、ややあってから白ひげは顔を上げた。どこか懐かしむような、得心入ったという風に。

 

「あいつら、腕も気骨も申し分ねぇくせに医者との縁だけはやたらと悪くてなァ……勧誘しちゃあ、やれヤブだった悪徳野郎だった、あんなのに治療は任せられねぇと愚痴ってたもんだ」

 

 あれはお前を治せる医者を探してたんだな、と白ひげは言った。

 

 ミオを確実に癒すことのできる医者が見つかるまでは危険極まりない海より、財宝と一緒に隠した方がまだ安全だと判断したのだろう。

 でも神様は意地悪で、本当に欲しい『縁』だけは彼らに与えてくれなかった。

 ろくな設備のない場所でヤブに任せたら、ただでさえ瀕死のミオは解凍した途端に死んでしまう。

 それじゃ生かした意味がない。

 信用のおける医者を確保できない限りミオを解凍できないので、結果大事な場所→隠し財宝と一緒に放置……安置? されていたわけだ。

 

「なんにせよ、あいつらはお前を死なせたくなかったんだろうさ。それこそ、何が何でもな」

 

 理解はできるが納得は別問題だ。

 沈黙が落ちる。

 泳ぎ疲れたあとのようなそれ。まばたきひとつすら重いようで、それがひどくもどかしい。

 なにか言わなくては、という気持ちはあるのだが、お腹の辺りが重くて様々な感情が渦巻いているようだった。

 

 心が詰まって言葉が出ない。

 

 何を言っても八つ当たりになりそうで、けれどここまできたらなにを言ってもいい気すらしてくる。

 

「海賊は勝手なやつばっかりだ」

 

 考えるより先に口が動いた。

 滑ったといってもいい。言葉が、そのまま。

 

 そして一度滑ったら止まらなかった。

 

「僕はあそこで死んでもよかったのに、ドフィとロシーと父様が元気でいられるならそれでよかったのに。ああこれで守れたって、大丈夫だって満足して勘違いできたのに、そんなのイヤだ僕ばっか割りに合わねぇっつって、凍らせて連れ去ったのチェレスタのくせに」

 

 自分が何を言っているのか実感がなかった。白ひげが珍しく驚いているようだった。

 

「なのに、いざ目が覚めたらチェレスタいないって、丸ごと全滅ってひどいよ。マイヨール、ヘリッタ、ネクト、自由で誰にも優しくない海が好きだって、だから海賊は最高なんだって言ってたじゃん。覚えてるよ。忘れないよ。そんな薄情じゃないよ」

 

 ミオは自分が買い上げた奴隷のことを、全員覚えている。忘れたりしない。

 

 

「ぼくだって、あいたかった」

 

 

 膝の上に乗せた手を、強く強く握りしめる。手の平に爪が食い込んでいるだろうけれど、どうでもよかった。

 

「ちゃんと起きて、なんてことしやがるって! 怒鳴って! ぶん殴りたかった! そしたら、ありがとうって言えた! いえた、のに」

 

 目の前の白ひげの存在すらどこかに行っていた。

 感情がそのまま言葉として吐き出される。これまで溜めていたものが、ぼろぼろと。

 

「ひとりぼっちにするなら、いっしょに、つれてってよ……!」

 

 白ひげ海賊団に預けられたって、託されたって、そんなの知らない。

 どうせ助けるなら、助けきってからやらかして欲しい。ミオだって会いたかった。ちゃんと怒って、怒られて欲しかった。

 

 だって、そうじゃなかったら、

 

「……チェレスタは、お前と仲直りしたかったって、言ってたぜ」

 

 

 仲直りだって、できないじゃないか。

 

 

「ッ、ぼくだってしたかった! くそ馬鹿! ゆるしてるよ! 大好きだよ! でも、置いてったことだけは、ゆるさない! 一生うらんでやる!」

 

 子供みたいにわめいて、ぐしゃぐしゃと髪をかき乱して叫ぶ。

 

「ぜったい忘れてなんか、やるもんか!!」

 

 頬から熱いものが滑り落ちて──床に『転がった』。

 

 ひとつぶ、またひとつぶと落ちて床に散らばっていく。涙色のちいさな、ビー玉めいた鉱石のようだった。

 

 白ひげが目を瞠った。

 

「そりゃ、あいつの能力か?」

 

 ミオもびっくりして涙が止まった。

 悪魔の実の能力は、はっきり解明されていない部分がある。

 能力者が死亡後、どこかで同じ能力を持った悪魔の実が生まれるというのが通説だが、ひとを不老不死にできる悪魔の実があるという話もあるのだから、例外があっても不思議ではない。

 

 コチコチの実は、凍結のちからは──どうやらミオが受け継いでしまったらしかった。

 

 それはたぶん、チェレスタの根性と気合と願いが無理やり引き寄せた奇跡だった。

 

 涙の粒をひろって、理解して、ミオはそれを握りしめたまま何も言わずに涙をこぼした。

 

「よかったな、チェレスタよ」

 

 グラララ、と白ひげが笑った。

 乾杯をするように酒瓶を掲げて、うまそうに酒を干して、満足そうに息を吐く。

 

 そして、

 

 

「なぁミオ。おれの娘にならねぇか」

 

 

 なんでもないことのように、そう言った。

 

 

 

 

 


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