桃鳥姉の生存戦略   作:小日向ひより

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十八ノ幕.魔女の求めたハッピーエンド

 

 

 戦場で死に花を咲かせるよりも、帰還を選んだ『白ひげ』は呼吸を整え、大薙刀を一度地面へと強く打ち鳴らした。

 

 不思議と葛藤はなかった。あれだけ自分の『宝』たちから求められて、惜しまれて、それを目に見える『糸』として可視化までされてしまえば、もう海兵に命をくれてやるのは馬鹿らしい。

 しかも、どうやら『白ひげ』は『(息子たち)』にとっても大事な『お宝』らしいのだから、これが納まるに最もふさわしいのは『白ひげ海賊団』に決まっている。

 

「今度の"船長命令"はしっかり聞きやがれよバカ息子どもォ!! しんがりはおれが務める! 船長としてこれは譲れねェぞ! 肝に銘じて……走れェ!!」

 

 応! と答える海賊たちの声は力強くも明るく、ほんの数秒前まで蔓延していた鬱屈などすべて吹き飛んでいた。

 現金なやつらだと軽く笑い、『白ひげ』は自分の止めた外輪船へと顔を上げた。まだ呆けたような顔をさらしているスクアードを見上げ、背中に喝でも入れるように怒鳴り散らす。

 

「スクアード! 詫び入れる気があるならしっかりしやがれェ!」

 

 その文言が鼓膜を叩き、脳髄に染み込ませたスクアードの瞳にはようやく光が戻っていた。

 

「任せでぐれェ! オ゛ヤ゛ッざんんん!!」

 

 ただ、その涙声ばかりはどうしようもなかったが。

 悲愴な孤軍奮闘は、今や撤退戦の補助へと役割を変えている。外輪船を操っているスクアードたちは、ある意味最も効果的に『白ひげ』を援護できる立場にある。これで滾らぬわけがなかった。

 『白ひげ』は足を踏み出し大薙刀を旋回させ、能力を乗せて海兵へと思い切り振り抜く。それだけで周囲の建物や地面のみならず、海兵も小虫も同然に吹き飛ばされていった。

 

 途端、『白ひげ』の周囲を取り巻いていた軍曹の絡めた無数の糸が──ぷつん、と切れた。

 

 全身を取り巻いていた霧雨のような細い糸がお役目御免とばかりに、『白ひげ』が動くたびにさらさらと肌を滑って消えていく。その、まるで誂えたかのようなタイミングに──『白ひげ』はようやくミオと軍曹の『悪巧み』の全容を察して、ちいさく鼻を鳴らした。

 

「まんまとおれを乗せやがって……悪ィなぁチェレスタ。お前らの『おほしさま』は、ずいぶんな悪ガキに育っちまった」

 

 その声音に隠しようもない含羞めいたものが混じっていたことは、『白ひげ』が生涯胸に抱えていく秘密だ。

 

 

 

×××××

 

 

 

 前言撤回して先ほどにもましてイキイキと薙刀を振るう『白ひげ』を背に、さぁ全力で逃げようぜ! となっている現状。

 

 僕は全力で怒鳴ったせいなのか唐突に目の前が真っ白になり、あれ、と思ったらその場で倒れ込んで動けなくなった。擬音にするとばたーん、みたいな。たぶん傍から見たらコントみたいなぶっ倒れかたしたと思う。

 背中にはちっこくなった軍曹がくっついて心配からか僕の頬をぶすぶす脚で突いてくる。海兵を散らすのに海水を粗方吐き出してしまったのだろう。これでは乗せて運んでもらうのは無理だ。それはそれとして痛いからやめてくれ。刺さる。

 

「ミオ!?」

「白いの!?」

 

 エースとルフィくんがキョドッた声を上げ、ようやく追いついてきたジンベエ親分まで「嬢やどうした!?」とびっくりしている。いちばん驚いてるのはたぶん僕だと思うけど。

 

「いやその、ごめん。ぜんぜん、うごけない」

 

 身体を起こそうにも指先すらふるえて、てんで役に立たない。どうしよう。なんだろうこれ。海楼石のせいかと思ってたんだけど、なんか違う。そこそこ意識ははっきりしてるのに、身体から意識だけ外れてるみたいだ。

 このままでは役立たず以前の問題だ。こんなのでかいマネキンじゃん。

 

 どうしよう。どうすればいい。どうしよう……どうしよう!?

 

「あ……」

 

 このとき、この戦場に来てはじめて頭の中が真っ白に塗りつぶされた。

 

 生きている間は、動ける間は大丈夫。いつもそう思って、言い聞かせて、大体のことは意地と根性で踏ん張ってきた。

 

 だからこんなのは正真正銘、はじめてだった。

 

 瀕死の重傷ならまだわかる。ドフィたちのときはそうだったし、ほんとのほんとにどうしようもない状態だったから受け入れることができた。まぁ、それは第三者の横槍というか、思いがけない救助でご破算になってしまったけど。

 

 しかしだ、ここまではっきりどうにもならないのは疑問より混乱が先に立ってしまう。体力がいくら底をついていたって、ここまで動けないのは変だ。原因がわからない。不安で、焦る。

 こんな土壇場で、こんな。ただのでくの坊に成り下がってしまう、なんて、悔しい。どうしよう。困るとかそういう問題じゃない。置いていかれるのは構わない。むしろそうして欲しい。だって本気で邪魔だ。このままじゃ……。

 

 エースが無事に逃げるための最大の障害になってしまう。他でもない、自分自身が。

 

 全身の血の気が引いて、頭皮の毛穴がぎゅっと締まる。ぶわりと冷や汗が浮いてうなじを伝う。

 それは僕にとって何よりも恐ろしい、恐怖そのものだ。それは、それだけは避けなければ。だめだ。だめだ。それだけはだめなんだ。絶対。

 

「ごめ、えーす、やっぱり、置いて」

 

 懇願のままに絞り出す声は、我ながら笑ってしまうほどか細かった。

 

「いくか馬鹿!」

 

 けれどエースはそれをしっかり聞いていて、言い終わる前に僕を担ぎ上げて走り出してしまう。

 まっすぐで、苛烈で、優しくて……仲間を見捨てるなんてできない、お日様みたいなエースに、僕みたいな臆病者の嘆願は戯言にしか聞こえない。わかってるけどそうじゃない、そうじゃないんだよ。

 

 エース。

 

 熱い肌の温度が布越しに伝わってくるのが、なんだか泣きそうになる。

 

「やめ、だめだよ。いいよ、ほんとに」

「だまってろ!」

 

 拒絶しようにも並走するルフィくんと親分さんまで「そうだぞ!」「そうじゃ! 置いていくわけがあるか!」と同調してくる。僕にとっては追撃に等しい。

 親分さんがちょっとだけスピードを上げて僕の顔を覗き込んでくる。今まで見たことがないくらい必死の形相で、逆立った眉で怒りの程度がわかった。否定の言葉が喉に詰まってひゅ、と変な呼吸になる。

 

「オヤジさんが帰るのを決めたんは! 嬢やたちが頑張ったからじゃろうが! それを置き去りにしたらわしらの立つ瀬がないわい!」

 

 状況がゆるせば、親分さんは僕の肩を掴んで揺さぶるくらいはしたかもしれない。それくらいの勢いがあった。

 

「あのオッサン縛ったのはそのクモだけど、て、ありゃ?」

 

 ルフィくんが怪訝な声を上げて、それに倣ったエースと親分さんも変な声を上げた。僕に向けていた怒りも霧散する気配がしたので、原因がなんとなくわかった。ああ、切れたかな。

 

「おいミオ! オヤジの糸、あれ」

 

 超至近距離でめちゃめちゃしかめっ面しているエースに、僕は俯いたままぼそぼそと。

 

「すぐ切れるようにしてあったの、あれ。逃げるのに邪魔になっちゃ本末転倒だし、危ないから」

「意味ねェだろそれ!」

 

 横のルフィくんが声を上げるが、後ろの親分さんは何やら考えを巡らせているようだった。

 

「いいんだよ。お父さんが海兵なんかより僕らの方がいいなって、ちょっとでも思ってくれたら、それで」

 

 命を守るも捨てるも個人の自由だ。でも、僕はなるべく死んでほしくなかったからできるだけのことをした。それだけだ。

 愛すべき『家族』がどれだけ『父』を愛しているのかをまざまざと見せつけて、どれだけ必要とされているのかを目に見える形にして問うただけ。そういうのってわりと馬鹿にならない効力を持っているから。

 

 どうせ死ぬ気なら、海兵より僕らと心中する覚悟をして欲しい。

 

 それで帰る気になってくれるならそれで良し、初志貫徹して吶喊するというなら……それまでだ。諦めるしかなかった。

 どのみち戦闘行為において拘束なんてのは邪魔以外の何ものでもないので、すぐちぎれるよう軍曹に頼んでおいたのだった。

 

 船員たちもすぐに糸が切れたことに一瞬動揺していたみたいだけど、撤退命令が『白ひげ』から発令されたばかりだ。

 今更、やっぱり海軍に特攻するぜなどと『白ひげ』が言い出したりしないことくらいは百も承知なので、混乱も最小限に留まっているようだ。数人『白ひげ』へと振り向いて確認しているのもいるけど、許容範囲だろう。

 

「……つまり、オヤジさんを嵌めたんか」

「それ言うならおれらもだろ。ミオはたまにおっかねェよな。知ってたけど」

「白いのってロビンみたいなのにウソップに似てんだな」

「ここにきて僕の株大暴落かよー。いいんだ、僕の人生だいたいハッタリとばくちだから。七割くらい」

「多いな!」

 

 ドン引きの気配を感じるがなんとでも言うがいい。

 ……ここまで来ると、だいぶ投げやりになってきた。僕にだって意地はあるけど、それをあっさり通させてはくれない。エースは、『白ひげ』は、そういう人の集まりだ。

 

 言葉がなくても伝わってくる。

 

 こんなときすら頼らせてくれないのが、さびしくて、悔しい。ちゃんと頼れ。

 

「……そうだね、ごめん」

 

 どうせ身体の自由はきかないのだから置いていかれても、それで死んでも恨まないし、運んでくれるならめいっぱい感謝する。

 

 今の僕にできるのは、きっとそれぐらいだ。

 

「にしても、なんかおれが『ハトのやつ』ぶっ飛ばしたときみたいだな、白いの」

 

 なんて考えてたら、ルフィくんが僕を見ながらふと思い出したようにつぶやいた。え、なにそれどういう事!?

 

「そ、それ詳しく!」

 

 一気に覚醒して、なんとかすべての力を込めて片腕を上げることに成功。ルフィくんの服の裾を指先に引っ掛けて、ぐっと力を込めた。

 「うぉ!?」「動くなよバランス崩れるだろ!」「嬢やあとにせい!狙われとるんじゃぞ、おまえさんらは!」一斉にお叱りを受けてしぶしぶ指から力を抜く。

 

「だって早く動けるように……」

「あとにせいと言うとるんじゃ! ここで生き残らんでオヤジさんに顔向けできると思うとるんか!?」

 

 親分さんが般若の形相で正論をぶつけてくる。ぐうの音も出ない。周囲からだってあっちこっちから走れ走れと矢の催促だ。

 ここで団子状に転びでもしたら海兵から集中砲火が来る。わかってるけど、一刻も早く自由の身を取り戻したい僕にとってはルフィくんの発言もすごく大事だったのである。

 しかし親分さんの方が正しいことは明白なので、「ごめんなさい」とルフィくんに謝罪した。

 

「いーよ。けど、白いのはすげェへばってるだけで、ちょっとすれば動けるようになるんじゃねェかな?」

 

 ルフィくんは軽く許してくれて、ついでにありがたい助言までくれた。

 どうも類推するに、ルフィくんと『ハトのやつ』とやらが激闘を繰り広げたところ、勝ったけど肉体的疲労が限界を超えてルフィくんは動けなくなってしまった、みたいな感じだろうか。で、しばらく時間を置いたら動けるようになったと。

 

「だといいんだけど……」

 

 しかし、僕にはルフィくんほどの体力も根性も備えていないので、動けるくらい回復する時間がどれだけ必要なのかはわからない。これはもう祈るしかない。頼むから早く動いてくれ、これ以上の手荷物はいやだー。

 

 周囲の海賊たちは連携して撤退しているため、ひっきりなしに情報が入ってくるらしく教えてくれる。『モビー・ディック』号を操舵する組と、潰された海賊船の代わりに軍艦を奪ったグループがいること。僕らが乗るとしたら距離の近い『モビー・ディック』号の方だろうか……あ、ローたち今どの辺だろう。もうマリンフォード近辺にいるのだろうか。一応、合流できるように準備はしておいたんだけど、あれ、まだ無事だろうか。

 

 目まぐるしく思考を回転させつつ祈り倒していて──僕だけがエースに抱えられて後ろを見れたから、気付いた。

 

「本気で逃げられると思うちょるんか……! めでたいのう」

 

 海兵たちが突然規律正しく、否、まるで脅えるように道を譲り、出来上がった通路からひとりの男がやってきた。溶鉱炉のように煮えたぎる拳が放たれ、いくつもの海賊たちが被害に遭い苦鳴の呻きを漏らしている。

 まるで僕たちの希望をまるごとくじくように、大将『赤犬』が傲慢な様子で仁王立ちしていた。

 

「まずい。『赤犬』がきた!」

 

 反射的に声を上げると、エースたちの走るスピードが上がった。こんな疲弊した状況でまともぶつかれる相手ではない。

 濃密で爆発的で、まるで活火山の如き殺気が、それ自体が攻撃のような圧力を伴って全身に押し寄せてくる。

 

 けれど、奇妙なことに『赤犬』の声は平静だった。

 

「エースを解放して即退散とは……とんだ腰抜けの集まりじゃのう、白ひげ海賊団」

 

 心底の侮蔑を込めた、びっくりするほど安い挑発に僕は思わず目を丸くした。目的達成してとっとと逃げない海賊なんかいませんよ?

 

『なにィッ!?』

 

 それでも反応しちゃう元うちの海賊団。

 何人かが引っかかるなとすぐ諌めているが、みんな自分の海賊団がすっごい好きなのでその分とことん煽り耐性が低いのである。

 

「まァ船長が船長……それも仕方ねェか」

 

 そんな仲良し海賊団ならば与し易いと判断したのだろうか、『赤犬』は自分の帽子をとって見せつけるように髪をなでつけ、諧謔の響きで『白ひげ海賊団』のいちばん大事なひとを玩弄した。

 

「『白ひげ』は所詮、先の時代の"敗北者"じゃけェ……」

 

 ただ正直なところ、『赤犬』の言いたいことが僕にはさっぱり、ぜんぜん、わからなかった。

 生きてるだけで丸儲けな海賊が今日まで生きてるだけで上等だし、具合は悪いけど酒呑んで宴できるし、一部はアレだったけどみんな仲いいし、年齢のことを考えると大勝利も大勝利って感じだが。

 

 『赤犬』言葉選び失敗してないか、と疑問に思った瞬間、エースがその場でぴたりと立ち止まった。

 

「……敗北者……?」

 

 横顔から見える瞳には炯々と憤怒の業火がゆらめき、囁くような声にはぞっとするほど煮えたぎる感情が含まれていた。

 

 僕にとってはさほどではなくても、エースにとってその文言は逆鱗だった。

 

 その場で足を止めて、両腕から堪えきれぬとばかりに炎が噴出し、とうとうその場で振り向いてしまうほどに。

 

「取り消せよ、今の言葉……!」

 

 低く、炎が爆ぜるような赫怒のそれだった。

 周囲の海賊が馬鹿よせやめろと止めに入るが、エースの耳には入っていない。掴まれた腕を振り払い、吠えるように。

 

「あいつ、オヤジを馬鹿にしやがった!」

 

 まんまと引っかかったことを確信したのか、『赤犬』はにぃと口角を上げてなおも追撃する。

 

「取り消せ、じゃと? 断じて取り消すつもりはない。そりゃそうじゃろうが」

 

 余裕たっぷりといわんばかりの、まるで演説でもするような朗々とした語り口だった。

 

「おまえの本当の父親、ロジャーに阻まれ、"王"になれず終いの永遠の敗北者が『白ひげ』じゃァ。どこに間違いがある」

 

 海兵からみた『白ひげ』はそんな感じなのだろうか、いや、むしろ『赤犬』からみた『白ひげ』評といったところだろうか。多分に挑発用にカスタマイズされてる気はするな。

 そもそも、『白ひげ』はべつに王様になりたくて海賊やってるわけではないのだけど。かの船長が一番大事なのは物理的な宝でも後世にまで名を轟かせるような名声でもないのだから。

 

 聞こえた海賊たちから一斉に怒りの感情が噴出しているが、あちらがヒートアップすればするほど僕はなんだか冷静になっていくようだった。

 

「オヤジ、オヤジとゴロツキ共に慕われて、家族まがいの茶番劇で海にのさばり……」

「やめろ」

 

 エースの言葉ではいそうですかとやめるくらいなら、『赤犬』はこんなところで演説をぶったりしないだろう。

 

「何十年もの間、海に君臨するも、"王"にはなれず、何も得ず……」

 

 当然、止まらなかった。

 

 どころか、嘲弄の響きすら込めてエースを見下したまま、続けた。

 

「しまいにゃあ口車に乗った息子という名のバカに裏切られ、それらを守るためにあの有様じゃ……」

 

 乗った方もそりゃ悪いけど、その口車を吹いたのはどこの誰だと思ってるんですかねぇ?

 

 『赤犬』の挑発演説はエースのみならず、周囲の海賊たちの怒りまでまとめて引きずり出し、地鳴りのような殺意が『赤犬』ひとりに注がれている。

 そんなものどこ吹く風と言わんばかりに、『赤犬』はわざわざエースと『白ひげ海賊団』へ向けて問いかけた。

 

「──実に空虚な人生じゃあ、ありゃあせんかね?」

 

 開いた口が塞がらない、というのはなるほど。こういうときに使うのだなぁと思ってしまった。見当外れが過ぎて呆れてしまう。

 

 だって、『白ひげ』ほど人生を謳歌している海賊を、僕は知らない。『赤犬』の文言は的外れもいいところだ。

 

 けれどそこが、エースの怒りの限界だった。

 

「やめろ!」

 

 エースの怒りを表すように炎が荒れ狂い、一歩を踏み出してしまう。

 イゾウさんたちが慌てて声を上げる。

 

「乗るなエース! 戻れ! ミオも止めろ!」

 

 イゾウさんに頷き、怒りのあまり僕を手放すことすら忘れていたエースの横っ面に、僕は渾身の頭突きをかました「がッ!?」。さっきの仕返しである。

 

「てめェミオ、」

「救出直後に自殺しようとすんな!」

 

 元気いっぱいの『赤犬』と疲労困憊のエースじゃ勝負は歴然。しかし怒髪天を衝いているエースにそんな理屈が通用するはずもなく、エースは痛みなんか感じてないような勢いで僕を乱暴に落として胸ぐらを掴んできた。

 相変わらず身体にちからが入らないので、ぐらぐらと揺さぶられるままだ。ちょっと苦しい。

 

「オヤジは、おれたちに生き場所をくれたんだ! あんなやつにオヤジの偉大さの何がわかるってんだよ!!」

「わっかるわけないじゃんそんなもん! 相手海兵で、大将だぞ!? わかってたら逆に怖いわ!!」

 

 なぜか怒りの矛先をぶつけられ、さすがにカッとなって言い返す。

 

「てか、僕らがどんだけハッピー海賊ライフ送ってたってそう言うしかないんだって! あと、今言っとかないと他で言える機会一切ないぞこのひと!」

 

 勢い任せにびしっ、と『赤犬』を顎で差しながら豪語すると「あァ?」とドスの利いた声が返ってくる。そりゃ当然聞こえますよね。

 

「そんなのッ! ……ん?」

 

 一方エースはといえば、僕の言ってる意味があんまりトンチンカンに聞こえたのか、一時的に怒りがちょっとどこかに行ったらしい。

 

「ミオ、おまえなに言ってんだ?」

 

 エースが真顔になって、僕は胸ぐら掴まれてだらりと弛緩したまま。

 

「え、だって僕らがお家帰ったら今度は海軍が敗北確定だし、下手に機材入れて放送しちゃったから隠しようないし、したらこっからの海軍控えめにいって地獄じゃんね」

 

 こんな状況だというのに、思ったことをつらつらと。

 

「どういう事だよ」

 

 エースどころか周りの海賊まで「なに言い出してんだあいつ」という空気が蔓延してきてしまった。しかし『赤犬』の眉間の皺が天井知らずに寄っていくのが不穏すぎていやだ。あれ、ひょっとして動揺してるのだろうか。

 

 いや、だってさぁ。

 

「どういうって、たぶんこれから海軍の離職率めちゃめちゃに上がって逆に就職率ダダ下がりするし、そんで世界政府から責任追及の突き上げ食らうでしょこれ。処刑失敗して『白ひげ』取り逃がしたら、そうなるよたぶん。それで、これから治安めたくそに悪くなって住民からクレームじゃんじゃん来るだろうから、ほんとに得意ヅラして悪態吐くチャンスなんて今しかないんじゃないの?」

 

 昔ロシナンテに聞いた海軍の内情や、賞金稼ぎ時代に見聞きした情報からの推測だが、そこまで間違っていないと思う。

 ここまで大々的に喧伝した処刑が失敗に終われば、海軍の信用はそれなりに落ちるだろうし、そうなると治安の悪化は必定。そしたら住民の苦情は当然官憲役を務めている海軍に殺到する。

 海軍も当然リカバリーを図るだろうけど、それを間に合わせるには大々的な予算が必要になってくる。んで、おそらく今回の事件にはかなりの資金が投入されていたはずで、なのにそれをしくじったとしたら新たな資金投入をお上が許してくれるだろうか。……来期の予算カッツカツになるくらいならまだいい方で、下手したら三大将の誰かが降格させられたりとかありうるのでは。

 

 僕としては煽るもくそもない、ただの予想だったのだが『赤犬』から噴出した火柱の如き殺気はまっすぐに僕へと矛先を変えていた。

 

 額には青筋が浮き上がり、足元がぐつぐつと煮えている。明王様もかくやという形相で発された胴間声。

 

「黙って聞いてりゃあ、好き勝手言いよって……クソ餓鬼風情にわしらの何がわかるっちゅうんじゃあ!!」

「さぁ? なんにも知りませんよ。だって海軍じゃありませんし。よろしければご教授頂けます?」

 

 なるべく慇懃無礼にそう返すと、「海軍を愚弄するんかおどれェ!!」と怒声が響く。わぁ怖ぇ。

 覇気でも込めているかのようにびりびりと肌が痺れるが、半ばやけっぱちになっていた僕は軽く小鼻を鳴らして首を口をひん曲げ『赤犬』を見る。

 

「愚弄なんてお互い様! そっちだって『白ひげ海賊団(うち)』が、どれだけみんな仲良しで、楽しくて、幸せな日々を送ってるかなんて知るよしもなけりゃ、興味もないでしょ」

 

 じゃなきゃ、あそこまで『白ひげ』を虚仮にする台詞なんて吐けるものか。

 

「当たり前じゃろうが! 人間は正しくなけりゃあ生きる価値なし! おまえら海賊に生き場所はいらん!」

 

 そして『赤犬』は何を今更とばかりに答えを返す。

 

「『白ひげ』は敗北者として死ぬ。わしがここで引導を渡しちゃる。ゴミ山の大将には誂え向きじゃろうが!」

「──ッ!!」

 

 瞬間、エースが僕を大きく突き飛ばした。

 避けられず、僕は結構な勢いでごろごろ転がって──ルフィくんの足元で停止する。その間にエースはぐん、と姿勢を低く足を踏み出した。

 

「『白ひげ』はこの時代を作った大海賊だ!」

 

 全身から乱舞する爆熱を『赤犬』めがけて撃ち出し、獅子吼を上げた。

 

 

「──この時代の名が、『白ひげ』だァ!!」」

 

 

 それがエースの譲れないものだった。

 

 僕は『白ひげ』が時代になんかならなくていいと言った。それは滅びたあとに称されるものだからだ。

 無残に滅びたそのあとで美々しく飾り立てられるのだとしても、これからも生きて、老いて、できることなら天寿を全うしてほしかった。

 

 けれど、エースにとっての『白ひげ』はそうじゃなかった。

 

 彼の中で『白ひげ』は父であり、恩人であり、船長であり、そして──『生きた伝説』なのだ。

 

 生きているからこそ、歴史に刻まれる名前なのだ。

 

 それを否定され、『赤犬』がその時代を脅かそうとするからこそ──エースはすべての怒りを込めて渾身の拳を放った。

 

 だが敵もさるもの、『赤犬』の拳が「ぼこりっ」と音を立てて赤黒く変形し、マグマと化した拳を放つ。

 質量を伴った溶岩と炎では相手に分がある。熱泥はたやすく炎を突破しエースの身体を焼き焦がし、たまらず転がったエースはうめき声を上げながら身を捩る。

 

「エース!」

 

 僕を抱えあげようとしていたルフィくんと僕の声が奇しくも揃った。エースはもう満身創痍。体力だってほぼなくなっているはずだ。

 

「『自然系』じゃいうて油断しちょりゃあせんか? お前はただの『火』わしは『火』を焼き尽くす『マグマ』じゃ!わしと貴様の能力は完全に上下関係にある!!」

 

 服のいちぶを焼き焦がしながら語る『赤犬』にそれはダウトだろオッサンと叫びたかったが、そんなことよりエースを助けに行きたかった。

 けれど動けない。こんなときなのに、エースが大変なのに、身体はぎしぎしとぎこちなく、満足に立つことすらままならない。

 

「エース……!!」

 

 隣で立ち上がろうとしたルフィくんの膝が、唐突に崩れた。押しつぶしてしまわぬよう咄嗟に横へ跪き、顔を覗き込むとあまりの顔色の悪さに心臓が縮んだ。さすがのルフィくんも、すでに限界をとうに超えていたのだ。

 

「おいルフィくん!! お前さん、もう限界じゃ!」

 

 親分さんも止めようとするが、ルフィくんの耳には入っていないようだった。荒い呼吸を繰り返し、地についた両腕がふるえている。

 

「あ」

 

 不意に、ルフィくんの肩口からなにかがこぼれ落ちた。それは白い紙片で、ビブルカードに見えた。

 じわじわと移動する紙片の先はエースに向かっている。そうか、エースのビブルカードだったんだ。きっと、これを頼りにここまで来たのだろう。

 

 ルフィくんが震える指先を懸命に伸ばし、離れていこうとするそれを引き留めようとする。

 

 その先で、膝をついたエースの前に立つ『赤犬』が吠えた。

 

「"海賊王"ゴールド・ロジャー。"革命家"ドラゴン。この二人の息子たちが義兄弟とは恐れ入ったわい……! 貴様らの血筋は既に大罪だ!!」

 

そこで、不意に『赤犬』の鋭い視線が僕を射抜く。

 

「元帥への攻撃、わしらの作戦に対する数々の妨害工作……そこのクソ餓鬼も同罪じゃあ!! 誰を取り逃がそうが、貴様らだけは絶対に逃がさん!」

 

 赤犬の煮えたぎる宣言が場を震わせ、転瞬、あまりにも不吉で静かなつぶやきが、僕の耳朶を叩いた。

 

「よう見ちょれ」

 

 殺気の矛先が変わる。

 躊躇なく押し寄せた熱泥がこちらへと猛烈な勢いで迫ってくる。エースの悲鳴が聞こえた。そうか、ルフィくんを先に殺す気か。ついでに僕も巻き込めたら最高だもんな。

 ルフィくんは避けられない。呆然と『赤犬』を見上げたまま、指先ひとつ動かせないようだった。どうすればいい。僕がなんとかするしかない。でも、どうすれば。

 

 何もかもがゆっくり見えた。炙られる髪も、巨大な拳の形をした溶岩が近付くのも、『赤犬』の形相も。

 

 驚愕の表情を浮かべていたエースが──必死に足を踏み出し僕たちの前に出ようとするのも。

 

「──ッ!」

 

 肌が、心が、本能が考えるよりも先に理解する。これがしのげなきゃ全員終わりだ。

 

 僕らが死ぬ?

 

 それともエースが?

 

 僕らを、かばって?

 

 ローとの約束も果たせずに、こんなやつのせいで?

 

 

 絶対に、いやだ。

 

 

 得体のしれない感情が腹の底から湧いてくる。海賊が憎い。結構だ。気に入らない。海軍なら当然だ。だが、目の前の男がエースたちを狙う理由はそこではないと言う。血統がそもそも罪だなんだとエースやルフィくんが海賊であること以前の、本人でもどうにもならない部分に難癖をつけて、責め立てている。

 

 『徹底的な正義』を掲げているのに、このひとの正義にはずれがある。否、こんなものを僕は正義とは認めない。

 

 

 そんなやつに負けてやるのは──死んでもいやだ!!

 

 

 その、おそらくは刹那にも満たない時間。

 

 無意識に探っていた手になにかが触った。そして、視界に入った海楼石。

 

 それらが噛み合ったパズルの如く音を立てて繋がり、身体が嘘のように動いた。

 

 ルフィくんを背にエースを押しのけ、誰よりも前に左手を突き出した。

 

 手のひらにはおおきな貝殻。

 

 あまりにもちっぽけな抵抗に見えたのだろう、『赤犬』がせせら笑うように口元を歪めた。

 

 発動するかは賭けだ。失敗したら左手はきれいになくなるだろう。だが構わない。

 

 これくらいしなきゃ、ここにいる意味がない!

 

 だから──旅行先がどこになるかなんて知らないが──

 

 

「──ぶっとべ、赤犬」

 

 

 拳が触れる。ぞっとするような熱さと同時に奇妙な冷たさ。

 

 貝殻の擦れる音。めきめきと肉の中で響く骨の折れる音。

 

「ぐ、う――っぁあ!!」

 

 吼え、全力で更に手のひらを押し込んだ瞬間──だった。

 

 

 ぱっ、と。

 

 

 嘘のように。

 

 魔法のように。

 

 拍子抜けするほどあっけなく、目の前の『赤犬』が、その場からかき消えた。

 

 

 

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