海賊は、明日死ぬのが不思議ではない稼業だ。
それはすべての海賊たちの根底に根ざす不文律である。こればかりは古参も新参も関係がない。
どれだけの船団を率いていようが、無敵の肉体を誇っていようが、ともすればあっさり死ぬのが海賊という生き物で、そんな因果な商売に好んで身を窶したものたちに相応しい末路ともいえる。
そして、宿業ともいえるそれを本能に刻まれた海賊たちの中でも命知らずで物見高い新参者たちが、まるで示し合わせたように集まっていた。
マリンフォードの沖合、海軍の攻撃も届かない海域にはのちに『最悪の世代』と謳われるルーキーたちの海賊船が実に七隻、それぞれに戦塵の吹き荒れるマリンフォードの趨勢を見守っている。
そして、そんな不揃いに海賊船が並ぶ海域から突出──どころか、ほぼマリンフォードに肉薄せんばかりの距離につい先程浮上したばかりの船がある。
他の海賊船に比べればいささか小ぶりな、鋼鉄の壁に素っ頓狂なひまわり色の塗装を施された潜水艦だった。
壁面の真ん中あたりにシンボルマークがでかでかと描かれているので、かろうじて海賊船と認識できる。
その甲板兼デッキの上では、揃いのツナギ姿をした船員たちが慌ただしく出たり入ったりしている。手には双眼鏡や電伝虫、場合によっては必要になるかもしれないので狙撃銃を手にしている者までいた。
「見えたか!?」
「ぜんッぜん! ッつか、戦況がわからん! どっちが勝ってんだあれ」
彼ら『ハートの海賊団』が現在血眼で探しているのは、未来のクルー(暫定)であるミオの姿である。
過日、船長であるトラファルガー・ローにおんぶされて『ポーラー・タング』号へ来訪したミオは数日間をこの潜水艦で過ごして、マリンフォードへと旅立ってしまった。
理由は全員が知っている。というか、ローがミオを連れ込んだ初日にクルーたち全員に話して周知させたのだ。
当時昏睡状態だったコラソンの身内であること。ローの命の恩人がこの二人であること。ミオはゆえあってマリンフォードに行かなければならないこと。
そして、マリンフォードから見事戻って来れた暁には、『ハートの海賊団』の一員になる予定であること。
元々、船長至上主義なきらいのあるハートの船員たちは特に否を唱えたりはしなかった。ジャンバールの件が良い例だ。船長が船員たちに無断で誰かをスカウトしてくることはまれによくある。
しかも相手が船長の命の恩人とあれば、それはひいては『ハートの海賊団』にとっても恩人ということだ。ついでにいうなら、逗留……もとい療養の間にミオの人となりは船員たちも多少知ることができた。
賞金稼ぎの『音無し』と知ってびびるものもいたけれど、本人はうすらぼんやりして掴みどころがないものの、悪い人間ではなかった。むしろお人好しの部類に入るタイプで、最終的にはマリンフォード行きを心配するクルーまで出たくらいである。
だから、シャボンディ諸島の放送で流れた『白ひげの娘』だった、という事実には混乱よりも納得が先に立った。マリンフォードに単身乗り込む理由には十分すぎる。
そんな交流の甲斐もあって、甲板の上では船員たちが大わらわだ。
ベポやシャチたちはもとより、中でも同性であることでかなり仲良くなっていたイッカクの熱の入れようは凄まじい。長い黒髪を邪魔そうに払いのけ、双眼鏡を頑として手放さずに血眼でミオのちっこい姿を捉えようと躍起になっている。
そんな船員たちを横目に見つつ、甲板の先でコラソンの乗る車椅子の後ろに佇むローはぼそりとつぶやいた。
「たしかに戦況が見えねェ……どうなってやがる」
シャボンディ諸島からマリンフォードまでの渡航時間の間、彼らは当然ながらマリンフォードでの戦況の推移を知る術がなかった。
少なくない時間の間にどれだけの出来事が起きたのだろうか。戦況は刻一刻と変化する。把握すら難しい。
「まァ、姉さまのことだから死んではいねェ、はず……」
ドフィもいるし、とはコラソンは思ったけれど口に出さなかった。ローはコラソンの実兄を蛇蝎のごとく嫌っている。
すでにコラソンは『ハートの海賊団』の一員のような位置づけになってしまっているが、センゴクの件もあるし、海軍はコラソンの古巣である。思うところは当然あったが、戦争の発端やらの情報を得てしまうと一概に海賊側を糾弾する気にはなれないし、ミオにはもっと言えない。ミオと『白ひげ』の付き合いは長い。むしろ、ああそりゃ行くに決まってるわなと諦めの気持ちの方が勝ってしまう。
「そうでなきゃ困る。おれはミオを迎えに来ただけで、遺体の回収なんか冗談じゃねェ」
ローは懐に大事に仕舞っている『質種』にそっと触れた。
あたたかく、かなり速いが脈打っている。ローの能力でミオの身体から取り出された、人体の中でも最も重要な臓器。そのひとつ。
心臓が鼓動を刻んでいる間は、確実にミオは生きている。
「だよな。おれも、これがいきなり消えたらと思うとゾッとする」
コラソンも手の中にあるミオのビブルカードに視線を落とす。磁石に引かれるようにじりじりと動くミオの命を示す紙は、ローから譲り受けたときからサイズはさほど変わっていないように見えた。
「……」
生存を確認できる手段があるのは有り難いが、一秒先は分からない。戦場というのはそういう場所だ。
ミオの口にした、たったひとつの約束だって守られるかどうかわからない。そんなことはわかっている。本人は意地でも遵守しようと奮闘しているだろうが、外的要因がこうも物騒では確実に履行されるかどうかの保証などない。
それでもローはその約束に賭けた。
ミオが後顧の憂いなく『ハートの海賊団』のクルーになるためには、どうしても必要な過程なのだと悟ったからだ。
だから、こうしてここにいる。信じて、待っている。どんな怪我をしてたって構わない。ローは『死の外科医』だ。死んでないなら、どんな重傷でも必ず完治させる自信はある。
だが、もし、もしも──
「くそッ」
がん、と苛立ち紛れに拳を鉄柵に叩きつける。不安は拭えない。焦燥がじりじりと身を灼く。
「……死んだら、殺すぞ」
懐の心臓へ話しかけるような、低い、低い、呪詛のようなつぶやきだった。
まだ、発見の声は上がっていない。
×××××
シャボンディ諸島でバーソロミュー・くまに受けた攻撃を吸い込んだ
処分に困っていたが、その威力は絶大だった。
「ッだ」
遅れてやってきた凄まじい衝撃で全身がしたたかに打ちのめされ、地面に叩きつけられる。ミオはくまではないから、反動があることを考慮に入れるべきだったのだ。
「ぐえっ」
おかげで背中に庇っていたルフィを思い切り潰してしまった。ゴム人間なので、余人のように骨が折れたりすることがないのは幸いかもしれない。
ミオは跳ね起き、荒い呼吸を繰り返しながら油断せず周りを見渡す。赤犬の姿はどこにも見当たらない。
くまに食らった第二撃は、自分をシャボンディ諸島を横断させてしまうくらいの力が秘められていたのだから、あの衝撃貝に込められた衝撃は如何ほどのものだったのだろうか。果たして自然系にどれほどの効果が見込めるかは不明だが、しばらくは戻ってこれない、と思いたい。
思考しつつ、左手をぞんざいに振ると手首にかかっていた海楼石の錠が音を立てて落ちた。
引っかかっていた関節が砕けてしまったのだから当然だった。おかげで倦怠感は消えたが、ぐんにゃりと折れ曲がった手首は力が入らないし、指先が動くかも分からない。まだ痺れが強くて痛みは遠かった。
肩に力を入れて左手を持ち上げながら覗き込むと、指先は焦げが目立つし手のひらに砕け散った衝撃貝の破片がいくつも刺さって流血している。
周囲は奇妙に静かだった。
海賊にとっては最大の脅威が、そして海兵にとっては自分たちを束ねる将のひとりが忽然と姿を消してしまえば、混乱以前に頭が真っ白になるのも当たり前かもしれない。
「ミオ」
目立つ破片を引き抜いていると、ルフィの傍らで膝をついたままの姿勢だったエースが死にそうな声を出した。
あんまり悲愴な声だったのでぎょっとして慌てて振り向くと、呆然としたまま蒼白の表情のエースはなぜだか口ごもり、逃げるように視線を落とす。
「その、ルフィが白目剥いて気絶してんだが」
奇しくも衝撃吸収材の役目を押し付けられたルフィは衝撃に耐えきれなかったのか体力の限界か、おそらくはその両方で意識を失っていた。しばらく目を覚ますことはないだろう。
「あ、その、『赤犬』をぶっ飛ばした反動が思ったよりすごくて……大事な弟さんをごめんね!」
ルフィを押しつぶすつもりはなかったのでさすがに申し訳なくてへにょりと眉を下げると、エースは立ち上がりながらものすごく慌てた。
「ちがう! そうじゃねェ、いや、そうじゃなくねェけど……ああもう!」
ぐしゃぐしゃと頭をかきむしり、なにか、もどかしい感情に突き動かされるようにエースは腕を伸ばしてミオを抱きしめた。痛いほどのちからと、熱い肌の感触と、血と汗と埃の臭い。
エースの生きている証が染み込んで、ミオは心の奥のどこか、自分でも届かないところでほっとした。
生きてる。エースも、ルフィくんも、自分も。腕だってまぁ、シャンクスみたいにちぎれたわけじゃない。
「悪ィ、本当に……ごめん! おれのせいで、」
だから、自分の暴走が招いた怪我だと罪悪感で今にも泣きそうな声を出すエースの額をびすっと突いて、ミオはちょっとだけ笑った。
『赤犬』の挑発をエースが無視していればこうならなかったのかといえば、分からない。
無傷で逃げ切れる可能性だってあったかもしれないが、逆に、想像もつかない強烈な攻撃を食らってそれこそ三人揃ってお陀仏になっていたかもしれない。
今だって衝撃貝が機能してくれたから生きているが、無駄撃ちにしかならなかったらと考えるとぞっとする。エースでも自分でもルフィでも、誰が死んでもおかしくなかった。
「そりゃそうだけど、いいよ。死んでないから」
それを思えば、自分の片手がぶっ壊れたくらいでなんとか生き延びている今の方がずっとマシだと思ったのでさばさばと言って、エースの抱擁から抜け出して無事な方の手でその背中をばしんと叩く。
「ほら、僕はエースを迎えに来たんだから、ちゃんと助かって! それでチャラにしたげるから!」
エースはそんなミオを見下ろして、一度ぎゅっと目を閉じて、開いて、ぎゅっと握った拳を自分の手のひらに叩きつけた。
「おう!」
瞬間、背後から飛来した光弾がエースの腿を貫いた。
エースが激痛に顔を歪め、間髪入れず陽炎のように現れた『黄猿』が体勢の崩れたエースの側面に強烈な前蹴りをぶち込んだ。身体を炎に変える暇すら与えない、まさに光速の動きである。
「エースさん!」と背後でジンベエが声を上げたので、どうやら彼が受け止めたらしい。同時に海賊・海兵問わず再起動を果たしたらしく、喧騒が一気に戻ってくる。
「エース!」
「やってくれたねェ~、『はしっこいおチビ』さん」
その呼び名は、戦桃丸に時々呼ばれていたものだ。おそらく前から話を聞かされていたのだろう。
『黄猿』の視線はエースを一顧だにせず、ミオにのみ注がれていた。傍らで威嚇音を上げている軍曹にすら気を払っていない。声音だけは間延びしているが、渦巻く殺意はこれまでの比ではなかった。
「アンタがなんかしたんだよねェ~……、『赤犬』は、どこに行っちゃったんだい?」
笑みの形の瞳の奥は鋭く、問いの形をとってはいるがその凄み、威圧の気配は他の追随を許さない。周囲の海賊たちの構える銃すら意に介していない。
産毛が残らずそそり立つような怖気を感じながら、ミオは『黄猿』をまっすぐに見据えて口を開いた。
「どこかにぶっ飛ばしただけです。威力については、バーソロミュー・くまにでもお尋ねになられては?」
「くまァ? くまねェ~、ああ、そういうことかァ……」
『黄猿』はミオの足元に落ちている衝撃貝の欠片や言葉から、大体のことを察したらしい。
指先で顎をしごきながらミオに視線を戻し、『黄猿』は心底不思議そうに首をかしげた。
「なんでお嬢ちゃんはそんなに頑張ってるのかねェ~? そんな忌み子どもは、ここで死んだ方が世のためってもんでしょうが」
『黄猿』の声にはどこか諭すような響きがまじっていたのだが、ミオは逆にしらけたようにふ、と表情を消した。
「エースたちが死ななきゃ維持できないような世界なら、いっそ滅んじゃえばいいのでは?」
ごく真面目に口にされた言葉に、『黄猿』はじゃっかん引いたような顔をした。
「ええ~……本気で言ってる?」
じりじりと強くなる威圧感に背筋を震わせ、ミオは痺れが抜けて襲ってきた激痛に脂汗を浮かべて、それでもまっすぐに突っ立ったまま。
「本気ですとも」
能面のような顔に、明らかにそうと分かる嘲弄を貼り付けて、せせら嗤う。
「僕が死んでも、あなたが死んでも、エースでもルフィくんでも海賊でも海軍でも……誰が死んだって滅んだって、勝手に朝が来て、夜になる」
誰がどこで何をしていても、世界は勝手に動いてて、世界は勝手に美しい。その平等さは容赦がなくて、ともすれば無情なことだが──それでいいとミオは思う。
どこでだって同じだ。遼遠で美しく、厳しく無残で残酷で、誰にも優しくなんてない。
それを思えば、人が夢想する『世界』という定義のなんとちっぽけで狭隘なことか。
そういう意味において、ミオと海軍はどこまでも相容れない存在かもしれなかった。
「人間なんか世界とぜんぜん関係ないし、おこがましいなぁ──あのね海兵さん」
彼らの矜持を、凡そ海軍に身を置く者すべてが根幹に据えたものを揺さぶり、心から侮蔑しながら、ただの事実を。
「
転瞬、サングラス越しの『黄猿』の目の色が変わるのがわかった。
限界まで圧搾された殺意が光のかたちに変換され、持ち上げられた指先が無言でミオを標的に定める。それは『黄猿』にとっての銃口に等しい。
これ以上は一言だって聞きたくないとばかりに『黄猿』の指先から放たれようとした光弾は、けれど凄まじい勢いで割って入った闖入者二人に阻止された。
「ッの、馬鹿野郎!」
「無茶をするな!」
ビスタの立てた刀身にビームは弾かれ、マルコの覇気を込めた蹴りが『黄猿』を強襲する。
エースのお返しとばかりにその一撃をまともに食らって吹き飛ばされた『黄猿』を警戒しながらマルコたちが怒鳴った。
「あんなもん相手にしてんじゃねェよい! とっとと逃げろ!」
「『赤犬』がいないチャンスを逃がすな!」
鞭のような声に背を伸ばしたミオは「はい!」と返事をしてから視線だけで感謝を示し、踵を返して走り出す。軍曹もぴょいと飛んでミオの頭にしがみついた。そこへ背中にエース、片手にルフィを抱えたジンベエが並走する。
さっきの『黄猿』の一撃が思ったより効いているのか、エースはジンベエの首あたりにしがみつきながら痛みを堪えるように荒い呼吸を繰り返していた。炎に変わる余裕もないらしい。
今ならルフィを引っ張って行った時のように足場を『固定』してジンベエを引きずっていくこともできるだろうが、生憎片腕だけでそれをできる自信がない。途中で放り出してしまったら一大事じゃ済まない。
「あとは逃げるだけじゃ! とにかく走るぞ!」
海楼石という文字通りの枷から開放されたおかげでミオの足取りに不安はない。けれど、ジンベエは不規則に揺れる左腕を気遣わしげに見やりながら言った。
「嬢やも辛いならわしが背負っていくぞ。その手では辛かろうに」
ジンベエの言葉に、痛みのせいで血の気の引いた青っちろい顔色で汗の粒を浮かせたミオは半泣きで笑う。
「そりゃーむちゃくちゃ痛い、けど、いいです。さっきよりマシなので」
まぁ、人目がなければエビみたいに丸まりながら悶絶して泣きわめきたいぐらいには痛いし辛い。
けれど、さっきまでの情けなさと悔しさで死にたくなるような気持ちを抱えてエースに担がれていた時よりずっとマシだ。お荷物にならないで済む。
それに、ルフィとエースを抱えているジンベエの負担をこれ以上増やしたくないし。
「あと、そしたら親分さんがめちゃくちゃ狙われますから」
そして、自分の発言にハッとした。
海軍の『必ず殺すリスト』に入っているであろう三人が仲良く逃走というのは、海兵に狙ってくださいと言っているようなものだ。
マルコたちの足止めだっていつまで保つかわからない。現時点でいちばん狙われるのは、たぶんミオだ。なんせ海軍大将をふっ飛ばした張本人であるからして。
「麦わらボーイが無事で安心したけど、無茶も大概にするのねキャンディガール!」
そこへ追いついたのはイワンコフだ。ミオはそれを見て咄嗟にイワンコフの方へ走り寄って、服の裾を掴んで引っ張る。
「イワちゃんさん! 麻酔系のやつ一発ください! 短時間でいいから、キッツイの!」
イワンコフはホルホルの実の能力者で、ホルモンを自在に操る『ホルモン自在人間』。その実力はルフィを回復させた実績もあって折り紙付きだ。
ミオの腫れ始めている左腕をチラッと見て、イワンコフはちょっと考えるような素振りをしつつ指先の爪をにゅっ、と伸ばした。
「ヴァターシの能力は痛みを誤魔化すだけ。あとでちゃんと治療を受けチャブル!!」
「わかってます! 心配ご無用、
その時だけ、ミオは蒼白の頬に笑みを浮かべた。宝物を自慢するような明るい笑顔だった。
それで納得したのかイワンコフは「じゃあいくよ! ヒーハー!」と雄叫びを上げながら、ミオの左腕めがけて注射針のように変化した爪先をぶすっと刺した。
「あ痛ぁッ!」
「我慢おし! すぐ効くよ!」
イワンコフの言葉通り一瞬痛みを感じたが、数秒もすると爪先注射を打たれたあたりからすーっと激痛が引いていった。
試しに左手を揺らしてみても違和感はあるが痛くはない。相変わらず力が入らないのでぶらぶらと揺れるだけだが、痛みがないのは素晴らしい。吐き気も消えたし汗も引いた、これで怖いもんなしだ。
「ありがとうございますイワちゃんさん!」
「ンーフフ、どういたしまして!」
「じゃあ別行動します!」
『なんでだよ!!』
なんと周囲全員からツッコミが入ってしまった。
しかしチャンスは今しかない。固まって行動しているから海兵も狙いやすいのだ。
「このまま三人でいると集中砲火食らうし、そもそも『白ひげ』じゃない僕はここらでとんずらします! 元気でね! 特にエース! あとで電話するから! たぶん!」
「とんずらはいいけど、おい!」「たぶんじゃ駄目だろ!」という海賊たちの声を背中で聞きつつ、ミオはほぼ言い逃げの体で今度こそ能力を発動してダッシュした。
目指すは折よく近くに来ていた外輪船──の、端っこにくっつけておいた『モビー・ジュニア』である。
撤退時に必要になることはわかっていたから、軍曹と相談しておそらくは最後に使用されることになるであろう外輪船の船体部分につけていた。海底、というのはそういうことだ。
さっきよりあからさまに増えた海兵をばったばったとなぎ倒し、外輪船へとにかく走る。
恐ろしい気配がこちらを追跡しているのを感じるが、構わない。両方釣れてしまったら、そのときはそのときだ。痛みがないのでずいぶん身体が軽い。
それはいい。とてもいい、の、だが……。
「なんでついてくるんですか親分さん!?」
思わず背後に振り向いて怒鳴り散らすと、ジンベエ(+α)は走りながら困ったような顔をしていた。
「エースさんが追いかけろっちゅうんじゃ!」
「ここで別れたら、そもそも生きて会えるかもわかんねェじゃねェか! ふざけんなよ!」
「ふざけんなはこっちの台詞じゃー! 分散の! 意味!!」
ぎゃあぎゃあと言い争いつつ走りまくっていたら、もう外輪船は目の前である。こうなったら仕方がない。状況は止まってくれないのだ。
頭に乗っていた軍曹がぴょんと降りて凄い速さで外輪船の壁を登坂し、固定していた『モビー・ジュニア』に取り付いて糸を切ってくれる。
へばりつくように糸でぎちぎち固定していたが、すべての糸を切断しなくても途中からは自重で勝手に切れていく。いくらも経たないうちに垂直落下してきた『モビー・ジュニア』が地響きを立てて広場に落ちてきた。外輪船と違ってこちらは普通の船なのでここでは動かすことなどできない。
「お前、『モビー・ジュニア』まで……いや、ここで下ろしてどうすんだよ! 海でもねェのに!」
「いいから乗って! なんとかするってか、なんとかなるからわざわざこっちに回ってきたんだから! もー!」
ミオは軍曹を再び頭に乗せてジンベエの背中に回ってぐいぐい押しながら船に登らせつつ、しがみついているエースの尻を怒りに任せて一発はたいた。
「だっ! 何すんだよ!?」
唐突な臀部への打撃にエースが超びっくりした顔をしたが、これくらいでミオの感情が納まるわけがなかった。
心配してくれるのはありがたいし、嬉しくないといえば嘘になる。が、時と場所と場合を考えて欲しい。確かに守ってやると言ってくれたが、それにしたって。無事に戦線離脱しなきゃならない人物筆頭のくせに。
「ちゃんとみんなのとこ戻れば話早いのに! ばーか! ばかエース! こうなったら一蓮托生だからあとで文句言うなよな!」
「言わねェから何発も叩くな! 地味に痛ェぞこれ! あとおれが馬鹿の精鋭みたいな言い方やめろ!」
ひとしきりエースの尻をしばいてからミオは一度船室へ入り、戸棚に入っていた包帯を持てるだけ持ってすぐに出てきた。
その時──この戦争でも初めてといっていいくらいの激しい揺れが船全体を襲った。
「うわ!?」
「ッ、オヤジだ!」
エースにはすぐ察知できたらしい。慌てて『白ひげ』の姿を探すと、いた。
「受け取れ海軍!!」
多少の焦げや傷を負っているもののかろうじて戦火を逃れ、今や他の海賊船と同じく撤退のために動き始めている『モビー・ディック』号の甲板。
「土産だァああ!!」
まるで戦争の始めに時間が巻き戻ったように、船員たちに支えられながら舳先で大薙刀を振り抜いた姿勢の『白ひげ』の姿がそこにはあった。
『グラグラ』の異能を最大限に込められた一撃はマリンフォード中を震撼させ、地割れを引き起こし、威力は減衰されることなく──海軍の基地そのものに直撃した。
壮烈な音を立てて頑丈にできているはずの基地の壁が音を立てて剥離し、瓦解していく。がらがらと崩れて、建物のあちこちから海兵が飛び出してくる。当然だが、海軍の混乱は相当なようだ。
「──」
あまりの破壊力に口を閉じることも忘れて見入っていると、ふと視線を感じて顔を上げた。
舳先の『白ひげ』はまっすぐにミオを見つめていた。「早く行きやがれ」と言われた気がして頷くと、『白ひげ』は満足げにかすかに顎を動かし、またすぐに海賊たちの方へ首を向けてしまった。
けど、それでよかった。
改めて包帯を右手と口で器用に左手に巻きながら、ミオは船室の裏手に回った。船室の裏手は倉庫の形になっている。引き戸になっているそれを足で引きながらジンベエたちを呼んだ。
「おま、こんなもん……」
「嬢や、これは……」
中に入ったジンベエ、否、エースも同様に驚愕の表情を浮かべていた。
まさかこんなものを銃弾飛び交う鉄火場に持ち込むとは思ってもいなかったのだろう。ミオはちょっぴりだけ口の端を上げて胸を張った。
「撤退用に持ってきた。これで一気に逃げるから、しっかり捕まってて。そんでルフィくん落とさないようにね」
言葉少なに説明しながらミオはそれにまたがり、ハンドルにも包帯を巻いて自分の左手をしっかり固定していた、その時。
最初に気付いたのはジンベエだった。
「ぬゥ! 嬢や、『黄猿』じゃ!」
その言葉が終わるか否か、いくつもの光弾が飛来して壁を屋根をぶち抜き床で炸裂する。
もうもうと木屑が舞う中でミオは舌打ちした。
「ほらぁ! やっぱり! そりゃこっち来るわ! 早く乗った乗った!」
「よし、いくぞエースさん!」
「あ、ああ!」
ジンベエが慌ててミオの後ろにまたがり、その間に珊瑚片を取り出したミオが素早くシャボンをふくらませる。ほんの数秒保てば御の字だ。
そして──『黄猿』のビームが倉庫を半壊させると同時、
アクセル代わりの噴射貝を限界まで噴射させ、稲妻の如きスピードで疾駆する!
衝撃に耐えかねシャボン玉は早々に脱落したが、そのときのために魔改造……もとい、タイヤを装着していたのだ。何ら問題ない。
『モビー・ジュニア』周りへ集結しつつあった海兵たちの顔が「な、なんだあれは!?」「ボンチャリ!?」「馬鹿な!!」と驚愕に歪み、想像だにしなかった二輪駆動の登場であからさまに腰が引ける。
「
そんな海兵たちを馬鹿にするように悪辣な笑顔を顔に貼り付けたミオは、そのまま海兵たちの頭上すれすれの空間を『固定』して一気に駆け抜けた。能力が使えるのならばコース設定は思うがままだ。
「ボンチャリにこんな使い方があったとはのう!」
「ひゅーッ! すっげェなミオ! ルフィも目が覚めてりゃなァ!!」
撤退のために軍艦を奪っていた『白ひげ』たちからも歓声が上がり、エースたちまで必死でしがみつきながらもあまりの速度に笑っている。
とはいえ、ミオは笑ってもいられない。狙われ続けているのだから、どれだけ速度を上げてもいずれは追いつかれてしまう。光速には敵わない。けっこう焦る。
ミオは坂のかたちにコースを作って駆け上がっていく。目指すは一点。脳内地図と現在地を照らし合わせ、
「ぎょえええ!? なんじゃァああああ!!」
ブレーキなんて欠片も頭になかったため、途中で空中をふわふわしていたピエロもといバギーを跳ね飛ばしてしまった。普通に交通事故なのだが、これはもう運が悪かったと思ってもらうしかない。必要のない犠牲でした。すいません。
内心で謝罪しつつ、人間では到底出せない速度で疾駆することしばらく──やがて、見えた。
滞在の間にすっかり見慣れたひまわり色。
「キャプテン! 三時の方向からぼ、ボンチャリっぽいのが!」
甲板には何人もの、これまたすっかり見慣れたかの船のクルーたち。
そして、
「? ボンチャ……、やっとか!」
慌ただしくこちらへ走り寄ってくる、肩に長刀、もふもふ帽子の隈のひどい船長さん。
その横では、いつ頃目が覚めたのだろうか、でっかい車椅子を動かそうとして柵に引っかかってにっちもさっちもいかなくなっているドジの多い、ミオの弟。
『ミオ!』
「ロー! コラソン!」
ユニゾンする二人を見下ろして、ミオは大きく手を振ってあかるく笑った。
「おまたせ!」