なんとか話数が溜まったので、しばらくは連続更新いたします。
零.墓標とゆびきり
──落ちていく。
落ちていく。
落ちていく。
ふんわり、落ちていく。
ここはどこだろう。これはなんだろう。わからないけど、ただ、ただ、落ちていく。
落下。重力。引力。そういう何かとは、べつのもの。
だけど、沈み込むような。深く、深く。どこまでも、引き込まれるような。
夢か、現か、それすらも判然としない。
そういえば、と。
いつかのどこかで聞いた、無呼吸ダイバーの話。海で下へ下へと潜ると抵抗が途中でなくなり、ある一点で引き込まれるようになるのだそうだ。
ただ、底へと。
落ちる。落ちていく。
ただ、ただ、底の方へと。
闇のような、夜のような。慕わしいけど、どこか馴染めない。妙な感じ。
でも、怖くはない。ただ不思議だなぁ、と。それだけを思う。
まわりには、無数の輝きのかたち。
泡みたいな、流し込んだ水の中できらめく小さな粒。煌めいて、儚くて、もろい、だけどあたたかいもの。
ほろほろして、ふわふわして、綺麗。なんだろう。
仄青くてあかるい色がとりまいて、流れて、こぼれていく。
コーヒーに落とした角砂糖がくずれて、とろけて、消えるみたいに。それはひとときまたたいて、きらきら光って、ふつりと消えていく。
雪のように。歌のように。
いのちの──ように。
僕はなんだかそれが、さびしかった。わけもなく悲しくて、苦しかった。
……さびしい?
ああ、そうか。そっか。そっかぁ……。
青。青い色。それは空いっぱいに広がる色で、僕らのさいはての色。
僕は、旅をしていた。
そんなに長い旅じゃなかったけど、僕にとっては一生分の旅。
奇妙な世界で出逢った小さな子供。女の子。茶色いおかっぱ頭がよく似合う、まっすぐで可愛い子。その子と交わした約束をひとつだけ抱えて、僕は『彼ら』についていった。
女の子の大事なものは家族で、ともだちで、自分を育んでくれた土地だった。それを守ることが、僕たちの交わした約束。僕はみんなみたいにはなれなかったけど、目的は同じだった。
奇妙な世界で出逢った『彼ら』。大切な仲間たち。刀を未だ腰に携えた人斬りたち。彼らは、戦が欲しくてたまらなかった。己の力を真に活かせる地をのみ求めていた。狂わんばかりに、欲していた。
だから、窮状に喘ぐ農民たちに請われるままに彼らは頷いた。あまりにも無謀で傲慢で、此の上なく真摯な頼み事。ひたすらに蹂躙されることに耐えかねた嗚咽と報仇の全てを、農民たちは彼らに託したのだ。
それは実際に命を賭すこととなった者たちにとって、目眩がするほどの陶酔をもたらしたことだろう。
その証拠に、誰も彼もが嬉々として自由意思で集結し、馬鹿みたいに強大で無数でおおきな敵を相手に、十にも満たない人数で、最後の大勝負へと赴いた。
そんな死に場所へ行くために生きる馬鹿の群れに、歩く死人たちの求め続けた極上の晩餐に。のこのこと。
死出の旅路へ、同道した。
彼らは、みんなは、忘我の極地で自らの矜持の残滓に酔いながら、目標に向かってひたすらに奔り抜け──そして。
幾人かはそんな幸せの極みの最中で砕けて、散って。
そして、僕は──
耳を弄する瓦解の音を聞いた。ひびの入る音。軋んで、たわんで、崩れる、いやな音。終わりをもたらす音。覚えてる。
空。生と死が行き交い、血と機械油の中で死の舞踏を刻んだ――あまりにも美しい、底のない棺桶。
かつて自分が何者であったのかを思い出し、消え果てる。彼らの望んだ桃源郷。
最終決戦の地。大空を駆ける城塞。
崩壊に巻き込まれ、がれきが嵐のように全身を取り巻いて、目を閉じた。ああ、これでお終いなんだ、とか。こりゃどうにもならないなぁ、なんて。思って。後悔なんてなかった。
見届けられなかったことは申し訳なかったけど、村はもう大丈夫だって確信があったから。生き残った面子もいたし、やれるだけのことをして、できるだけのことを成せた。
あの子とのたったひとつの約束を、村を守るという約束を――果たせた。
だから、満足してた。
死への恐怖なんてとうに消えていて、来たるべき時が来たという、それだけのことだった。抵抗することもなく、身を任せた。
だって──世界でいちばん大切なひとと同じところに骸を混ぜられるなら、それはとても幸せなことなんじゃないかな、と、思ったから。
旅路で××になったひと。背の高いあなた。空ばかり見ているひと。無口で、朴念仁で、とびきり強くて、呆れるくらいまっすぐな、ひどいひと。
最初は敵だった。何度も切り結んだし、喧嘩もした。それから好敵手になって、仲間になって、たまに助けてくれて、いつの間にか背を預けられるようになって、それから。
それから……。
野良猫みたいなひと。きれいなひと。頭の中は空ばかりで、こっちの事情なんかちっとも斟酌してくれなくて、僕はなんだか振り回されてばっかりで、本当に自分勝手な、ずるいやつ。
それは最後の最後までずっとそうで、それがあのひとで、生き様だった。己の信念をひたすらに研ぎ澄まして、そのためにすべてを斬って捨ててきた、抜き身の刃そのもののような、あのひとの。
僕は、最後を見届けることができた。心の底の底にまで刻まれるような忘れ得ぬ追憶と、消えぬ傷痕を、はなむけにもらった。それでよかった。最後の終わりのどん詰まりでも、あのひとはあのひとだったから。ひとつも揺らがず、いったから。
でも、だけど。だけどね。
本当は。
僕は、僕の気持ちに、名前をつけてあげたかった。
ちょっとした会話とか。思いも寄らないところで見つけた、とか。ただ、隣にいてくれた、とか。
なんでもない時に、なんでもないことで、少しずつ、しんしんと。
降り積もっていった、あのひと宛の気持ち。
むねの奥で、きらきらして、ちくちくして、きれいで、やわくて、でもちょっと苦くて、いたい。
ほしがふる、ような。
煌めく星がまき散らすスペクトルが震えて、弾けて、火花のように輝いて。
あの、言葉にならない、できない、とくべつな気持ちに名前をつけて、ちゃんと、おしまいにしたかった。
心残りといえば、それくらい。
名前をつけて、ひとつもこぼさないように大事にひろって、抱きしめて、そうしたら。
──墓標に刻むことが、できたのに。