桃鳥姉の生存戦略   作:柚木ニコ

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明けましておめでとうございます!
鈍足更新ではありますが、引き続き楽しんで頂ければ幸いです!


幕間.きみが不在の成果と相談①

 

 

 ばくばくムシャムシャぼりぼりガツガツ……

 

 世間の喧騒も、常識外れの天候すら遠い"凪の帯"の中に存在する女ヶ島、『アマゾン・リリー』。

 普段ならば喧騒すら響かないその島の湾岸で異音が響いている。

 

「ハキ? むぐ、しらねェ!」

「まさかとは思ってたけど、ルフィおまえ、ば、ごりっ、もぐもぐ。ごくん。覇気もしらねェで、よくここまで……」

 

 肉を片手になぜか堂々と胸を張るルフィと、半ば感心すら含めながら呆れたようにつぶやくエース。二人の全身は衣服の必要がない気すらするほど包帯に覆われ、中にはまだ血が滲んでいる部分もあって痛々しい。

 だが、そんな二人の前には調理された肉や野菜、果物などが山盛りに積まれており今も着々とその量を減らしている。その速度は二人とはいえちょっとえげつないくらいで、見ている方の食欲が落ちそうだ。

 

 モンキー・D・ルフィとポートガス・D・エース。

 

 先だってのマリンフォードで勃発した戦争、現在では『頂上戦争』と世間では呼ばれている一大決戦で瀕死の重症を負った二人である。

 

 片や戦争の引き金ともいえる処刑対象、片やその処刑対象たる兄を助けにマリンフォードへ突撃したいち海賊。

 

 そんな生き残っただけで奇跡といえる二人が、なんだって海軍の追手に怯えることもなく呑気に飯をかっ喰らっているかというと、それはひとえにルフィに恋に恋する『海賊女帝』ボア・ハンコックの助力あってこそである。

 ほんの二週間前、生死の境をさまよっていた二人を治療・保護していた『ポーラー・タング』号を追尾していたハンコックは、彼らが浮上すると同時に接触、二人の療養地として己の領地たる『アマゾン・リリー』を提案したのだ。

 ボア・ハンコックが七武海である以上、あまりにも常識からかけ離れた提案だったのだが、そんなことは彼女の一途な恋心の前には些事である。

 ことがことなので海軍の追手に気を揉んでいた『ポーラー・タング』号はその提案を受け入れ、ハンコックの迎えの船とともに一路『アマゾン・リリー』へと舵を切り、現在の療養生活に至る。

 

 ただ、男子禁制という鉄の掟を持つ女ヶ島への上陸は、ルフィのみならともかく彼の兄や『ハートの海賊団』の面々まで揃ってとなると当然却下である。侃々諤々の議論の末、特例として『ポーラー・タング』号は『アマゾン・リリー』の湾岸への停泊を許可され、張られた天幕内でのみ自由行動を許されることになった。

 

 女ヶ島はグランドラインの両端を挟む"凪の帯"の中に位置する島で、気候は常に温暖。"凪の帯"は嵐ひとつ起こらない代わりにその海面下では大型の海王類がひしめいており、海軍も専用の軍船がなければ近寄ることすら難しい。

 天然の要塞に囲まれている女ヶ島は二人の療養地としてはうってつけだった。

 

 医者の知見からすればルフィにせよエースにせよ生きているのが不思議なくらいの重傷で、特にルフィは凡そ人体が許容できるダメージの範囲を大きく逸脱していた。ショック死していないのが奇跡である。

 

 ハンコックが強奪した軍船に潜んでいたインペルダウンの元囚人──イワンコフを始めとしたニューカマーの面々──の話を聞くに、『頂上戦争』の前から相当なダメージを蓄積していたらしい。それでも『頂上戦争』であれだけ暴れ回ってこうして生き延びているのだから、よほど天運に恵まれているのだろう。

 

 そしてエースはというと、外傷もひどいがそれにもまして内臓へのダメージの方が深刻だった。

 インペルダウンでの悪辣な環境で体力と気力を底部まで削られほぼ餓死寸前の状態のまま、あれだけの大立ち回りをしてみせたのだからその消耗も頷ける。

 長期間必要な栄養を摂取することができなかった内臓機能はひどく衰え、回復にはどれだけの時間がかかるか見当もつかない。──と、不本意ながらも彼らの主治医となったローは医者として判断していたのだけれど。

 

 ローのそんな予想は現在進行形でことごとく覆されっぱなしである。

 

 一週間ほどの昏睡から脱したルフィは全身ズタボロのくせに開口一番に「にく!!」と雄叫びを上げ、駄目だ粥でも食ってろというローの制止も聞かず「にく食ったら治るんだ!」と本当に肉をもりもり食べ始めてしまった。

 そしてそれはルフィから少し遅れて目覚めたエースも似たようなもので、馬鹿野郎まずは重湯からだ胃を慣らせ死ぬぞというローの注進を最初は聞いていたがそれも二日ともたず、二人は再会を喜び合いながら毎日とんでもない量の飯を腹におさめているという現状である。しかもそれで本当に二人の回復力が飛躍的に上昇しているのだから意味がわからない。ローはさじを投げたくなった。

 まぁ、医者として手がかからない領域まで回復したというのは素直に喜ばしいことではある。ちょっと、釈然としないけど。

 

 とはいえ、ローとしても二人以上の『重大事』を抱えている身だ。最近は包帯の交換や経過観察以外には手がかからなくなった二人を横目に、自分の『重大事』を注意深く観察している。

 

「どうだ?」

「生きてはいる。それ以上は……」

 

 二人の近くにある岩陰に腰掛けたローは、松葉杖を傍らに立て掛けてながら隣に座るコラソンにそう答えた。

 

「そうか。こっちも、まぁ、そこまで変化はねェな」

 

 コラソンの手のひらに注意深く乗せられている小さな紙片。

 一度はビーズくらいにまで縮小していたそれは、ようやく親指の爪程度の大きさにまで回復している。

 それは本人の生命をあらわす奇妙な紙。ミオのビブルカードである。

 

「けど、生きてるってのがわかるだけマシだ。居場所のことは考えたくねェけど」

「……ああ」

 

 短い返事をして、ローは『あの時』を思い出して鬱々とため息を漏らした。コラソンも似たようなものだ。

 

 

 

☓☓☓☓☓

 

 

 

──あれは、どれくらい時間が経ってからだろうか。

 

 ミオが単身囮として離れ、『ポーラー・タング』号が戦線離脱している最中だった。

 『青キジ』からの攻撃を辛くも避けながら海中を全速力で潜航しているその最中で、突然コラソンが半狂乱で悲鳴を上げて今すぐ海上に出てくれと訴えたのだ。

 

 しかし、ちょうどローは緊急手術の真っ最中。

 

 こんなド級の危険地帯でキャプテンの許可もなしに浮上できるかと今にも暴れ出しそうなコラソンを手の空いているクルー総出で食い止めて、それはローが手術を終えるまで続いた。

 コラソンは立て続けの手術で集中力も切れかけていたローが手術室から出るなり食ってかかり、ローはローで最初は戸惑っていたものの、コラソンが手の中にあるものを見せた途端に短時間の浮上を命じた。

 

 コラソンが見せたものは、指先でかろうじてつまめるくらいの小さな紙片。今なおじわじわとサイズを減らしつつある、ミオのビブルカードだった。

 

 慌ててローも胸元にしまい込んでいたミオの心臓を確かめると、鼓動を感じることはできた。生きてはいる。けれど安堵はできない。脈がひどく弱っていた。

 なにかあったのだ。

 危険はついて回るがつべこべ言っていられる状況ではなかった。浮上までの時間ももどかしく、甲板が海面から顔を出した瞬間ドアを蹴破る勢いで開き、まだ濡れそぼる柵にぶつかるように体を預け、コラソンは片手に乗せたビブルカードで方向を確認、もう片方の手で持ってきた双眼鏡を構える。

 

 果たして、コラソンが分厚い硝子越しに見つけたのは──遥か彼方の空を駆ける、豆粒ほどの桃色の塊だった。

 

 余人が見ればただの鳥にも見えたかもしれないが、このときばかりはコラソンの中の血脈が痛いほどに告げてきた。

 

「……ドフィ……──ッッ!!」

 

 コラソンは飛び出しそうになった怒声を意思のちからで抑え込み、奥歯が軋むほどに唇を噛み締めた。

 追いかけるには遠すぎるし、今『ポーラー・タング』号には重傷の患者が収容されている。万が一にでも危険に晒すような真似はできなかった。それではミオが単身囮になった意味そのものが消失してしまう。胸が抉れるような悔悟の念に侵されようと、追跡は断念せざるを得なかった。

 

 だが、ある種の信頼が湧いて出たのも……本当だ。

 

 身内に至上の価値を見出しているあの男ならば、彼女を粗雑に扱うことはまずしない。どんな怪我を負っていても全力で癒そうとするだろう。

 それは、それだけは、信じられる。……それからのことは、考えたくないが。

 

 結局、追いついてきたローにコラソンは見たことをそのまま伝えることしかできなかった。

 それを聞いたローの顔はそれはもう恐ろしい形相になったが、そこは患者とクルーを預かるキャプテンとしての責任と理性がものを言う。

 おおむねコラソンと同じ結論を叩き出し、クルーに再び潜水を命じて患者の治療を優先させた。

 

 だいたいの治療を終えて船室に戻ったローは暗がりの中ぶつかるようにベッドに腰を落とし、巾着から取り出したミオの心臓を両手で包み込み、誓うようにそっとひとりごちた。

 

「今は無理でも、取り戻す」

 

 あのとき無理にでも船に押し込めておけば、という腸が煮えるような慚愧の念はあれど、すでに事態は動いたあとだ。

 

 なら、ローがすべきことは決まっている。

 

 いとしい人たちを永遠に喪ったと感じた、あの途方も無い絶望と焦燥を抱えて生きてきた年数を思えば、今の状況はまだマシとすら考えれる。吹けば飛ぶような余裕だが、ないよりいい。冷静になれる。相手がドフラミンゴなら尚更だ。必要なものは見えている。辿り着くべき場所もわかる。己が成すべきことが、分かっている。

 

 だったら、ローは耐えられる。

 

 耐え忍び、力をつけ、情報を集めて、地道に進むだけだ。

 

 弱々しいがあたたかい、いのちの証にもう一度、決意を込めて囁いた。

 

「必ずだ」

 

 

 

☓☓☓☓☓

 

 

 

 包帯まみれになりながらも山盛りの食料を元気よく食べ続けている怪我人組と、お通夜もかくやという雰囲気をダダ流しにしている医者とそのクルー(暫定)。

 

「これではどっちが病人だか、わかったもんではないのう」

 

 エースとルフィの怪我の様子を見にきたジンベエは片手に読みさしの新聞をぶら下げながら、つくづくといった口調でつぶやいた。

 ジンベエも重傷ではあるが、その回復速度はエースたちのような化け物クラスではない。その証拠に、彼の歩き方にはまだ違和感がある。

 

「うるせェぞ『海峡屋』」

 

 聞こえたらしいローが力なく悪態をついた。

 ローとコラソンの気持ちも分かるので、ジンベエは言葉を選びつつ新聞を広げる。

 

「ビブルカードもそうじゃが、お前さんの持っとるそれが脈打っとるということは、嬢やが生きておるという証拠じゃろ?」

 

 ローが肌身離さず持っている小さな巾着。柔らかな布地に自船のマークが刺繍されたそれの中身は人間の最重要臓器、ミオの心臓である。

 中身の正体を知ったときは仰天したが、ローの能力かつ本人が『質種』に差し出したという経緯を聞けば納得できる部分もあった。

 

「それに、海軍も嬢やの生死を未だ確認できておらん。その証拠に、ほれ」

 

 と、ジンベエは新聞に挟まれていた一枚の手配書をローへと放った。

 危なげなくそれをキャッチしたローが視線を落とすと、そこには例の映像からトリミングされたらしいミオの姿と、とんでもない額の賞金、そして海軍がつけたらしい彼女の異名がでかでかと載っていた。

 横からそれを覗き込んだコラソンがその異名を目にして苦笑する。

 

「『白の魔女』だってよ。金額もすげーけど、わりと当たってるとこあるかもな」

「おおかた、麦わら屋が白いの白いの連呼してたせいだと思うが……」

 

 あとは『白ひげ』がミオを魔女と称したせいでもあるのかもしれない。

 

「新聞、あとでおれにも貸してくれ」

 

 コラソンの言葉にジンベエはもちろんじゃと軽く頷いた。

 ジンベエの持っている新聞は以前よりページも増えて分厚い。『頂上戦争』からこっち世界は荒れている。しばらくは新聞社もネタに困ることはないだろう。

 

 今回の『頂上戦争』において『白ひげ海賊団』の『勝利』と、海軍の『敗北』は、海軍側がエースの公開処刑のために持ち込んだ機材のせいで隠蔽することなど到底叶わず、大々的に報じられた。

 

 当然海軍は世界政府から激しい突き上げを喰らって敗北の責任を問われ、現在大規模な再編成を余儀なくされている。海軍サイドとすれば当然報復に討って出たいところであろうが、まずその余裕がないというのが現状だ。ミオの語った未来予想図はおおむね正鵠を射ていたというわけだ。

 

 ただ、予想とは異なっている点だってもちろんある。

 

 海軍の敗北は確かに一般の人々にとって絶望そのもののような事実だが、相手が『新世界』にその名を轟かせるかの『四皇』の一角たる『白ひげ』ならばこの結果もやむなし、と考える市民も多かった。

 そのため、市民からの評判はガタ落ちする一方で、危機意識の向上から己の家族は己で守るしかないのだと奮起する人々が自警団を結成したりしているため、島々の治安は一定の水準を維持することに成功している。

 

 ……と、『海軍』に関する情報は新聞等からある程度得られるが、海賊に関してはそうはいかない。

 

 まして現在地は『女ヶ島』。現世と隔絶していると言っても過言ではないこの島だからこそルフィやエースが安心して療養できているが、こと情報収集に関しては困難極まりない。

 

 しかし、それは唐突に現れた二人の来訪者によってあっさりと解決することになる。

 

 ひとりは海からやってきた。

 嵐によって船を失ったものだから仕方なく泳いできた、と今しがた仕留めた海獣を片手に飄々とそう口にしたのは、かの『海賊王』の右腕を務めた伝説の男『冥王』シルバーズ・レイリー。

 既に老齢の域に達してはいるものの、その纏う空気、鍛え抜かれた体躯には未だ彼が現役の海賊であることがじゅうぶんに伝わってきた。レイリーは麦わらと浅からぬ縁があるようで、『ボア・ハンコックが麦わらのルフィに恋をして匿ってるんじゃない?(意訳)』という同居人のトンデモ推理に乗っかってここまで辿り着いたそうだ。ほぼ正解を引き当てているあたり、その同居人とやらの勘の良さが窺える。

 

 そして、レイリーの来訪にどよめく海賊たちに追い打ちのかけるかのようにさほどの間を置かず、空から飛来したもうひとり。

 エースのビブルカードを辿ってきたという『白ひげ海賊団』一番隊隊長、『不死鳥』のマルコである。

 先だっての戦争で負った傷は浅くはないはずだが、単に隠すことに慣れているのか憔悴の色はあまり見えない。

 

「ルフィくんに会いに来たのだが、思いがけず懐かしい顔にも出会うとは。驚いたよ」

「まったくだよい。まさかエースの弟とあんたに繋がりがあったとは……海賊の世間も狭いもんだ」

「はは、確かに」

 

 どこか懐古の念を滲ませながら瞳を眇めるレイリーとマルコはいくつか会話を交わし、そうこうしている間にルフィとエースがジンベエに背負われて転がり込むように駆けてきた。

 

「レイリーのおっさん!! それに、白ひげのおっさんとこの……」

「マルコ! それに、あの爺さんがレイリー? レイリーって、『冥王』か!?」

「本物か……!? 驚いた……」

 

 三者三様の反応を示すルフィたちに、レイリーはマルコからエースへと顔を向けた。

 

「!、……」

 

 謎の壮年男性が『海賊王の右腕』と知ったエースは視線を伏せ、くちびるを引き結んだまま無言を貫いている。

 おそらくは、どう反応すればいいのかわからないのだろう。彼にとってレイリーは実に複雑な立場にいる男だ。

 

「直に会うのは初めてだな、エースくん」

 

 そんなエースを見つめるレイリーの瞳にふと、どこか仄暗い、けれど柔らかな彩が宿る。

 

「そうか──そうか。ああ、うん……」

 

 いとしい故郷を偲ぶ、老爺のそれによく似ていた。

 

「エースくん。きみはおそらく、言われたくないだろうが……」

 

「言わなくていい」

 

 短いが、明確な拒絶だった。

 けれど顔を上げたエースの表情に嫌悪の類は浮かんでいなかった。

 

「おれは『ポートガス・D・エース』で、オヤジの『息子』だ」

 

気負いも衒いもない言葉だった。

 

「今までも、これからもな」

 

 レイリーは少しばかり目を瞠り、それから小さく吹き出して苦笑した。

 

「はは、あいつ(ロジャー)が聞いたら泣くな……。だが、そうだな、我ながら無粋を言うところだった。忘れてくれ」

「……ああ」

 

 それで話はしまいとばかりにレイリーはマルコを視線で促し、自分は本来の目的の人物へと向き直る。

 

 レイリーはルフィへ、そしてマルコはエースへと。

 

 マルコは表情を引き締め、エースもつられるように雰囲気が硬くなっていく。

 

「エース。おれがきた理由は察しがつくだろぃ?」

「……ああ、もちろんだ」

 

 その場で膝を折ったエースはまだ包帯の取れぬ両手の拳を握りしめて地につき、細く、呻くように吐き出した。

 

「言い訳はしねえ。おれのしでかしたことが発端で、オヤジにも、みんなにも、どんだけ迷惑をかけたかしれねェ。どんな処分も受け入れ──」

「馬ァ鹿」

 

 しかし、マルコはエースの言葉が言い終わらぬ内に、そのおでこにデコピンをかました。

 

「だッ!? ……え?」

 

 その衝撃にエースはのけぞり、額をおさえて目を白黒させる。

 そんなエースを見つめるマルコは呆れたように嘆息してから自分も膝を折り、目線を合わせながらつぶやいた。

 

「それもあるが、そんなもんは後だ、あと。おれがきた理由はもっと単純だ。決まってんだろい」

 

 そうして、マルコはエースの存在を確かめるように腕を伸ばしてそっと抱きしめた。

 

「おれは、うちの末っ子の安否を確かめに来たんだ」

 

手のひらからほんのりと蒼い炎が灯る。それは慈しむようにエースの肌へじんわりと沁みていく。

 

「あの状況から、よく……よく生き延びてくれた、エース」

 

 心からエースの生還を寿いでいるとわかる声音に、呆けていたエースの瞳に理解が灯り、くしゃりと歪んだ。

 かすかに肩がふるえ、俯いたエースの真下の地面に点々と染みができていく。エースの口の中だけでつぶやかれた言葉は周囲には拾えず、マルコだけが何度か頷き、けれどなにも言わずにしばらくそうしていた。

 最初は心配そうに様子を見ていたルフィも安心したのか、レイリーの横で珍しくおとなしくしていた。

 

「……さて、こっからはエース。話をしなきゃいけねェ」

 

 エースから身体を離したマルコが言い、エースも一度おおきく洟をすすってから「ああ」と頷く。

 

「船長命令に背いて招いた今回の顛末だ。本来なら白ひげからの永久追放ってところだが……」

「だろうな」

 

 エースは真顔で頷く。

 戦争開始時に白ひげ本人の口からは「命令した」とは言っていたが、それはあくまで海軍に対する建前に過ぎない。

 エースが白ひげの命令に背いてティーチを追ったというのは、『白ひげ海賊団』内部では周知の事実である。知らないものがいるとすれば、当時エース本人から嘘を教えられたミオくらいのものだ。

 船長命令に背いたという事実は重く、まして今回の被害は計り知れない。厳罰を与えるのは、組織維持の観点からも当然の措置といえた。

 

「しかし、マルコ。追放はいくらなんでも……」

 

 エースの胸中を知るジンベエが口を挟もうとしたところを、マルコは片手を振って制止しながら続けた。

 

「けど、そうもいかねェんだ」

「え?」

「どういうことじゃ?」

「どうもこうもあるかよい」

 

 二人が疑問を飛ばし、マルコは肩をすくめながらどことなくさばさばと言う。

 

「エースを追放したとあったら、『白ひげ』がなんのために命張ったんだかっつう面子もあるがそれより……ミオのことがある」

 

 唐突に飛び出した名前に、ほぼ他人事の体で聞いていたローが顔を上げた。

 

「うちの末妹が、うちとの縁故と命までかけて戦場に臨み、エースの弟と協力してエースを助け出した。結果論だがオヤジのことも、な」

 

 本人にその自覚はないだろうが、ミオが今回の戦争で成してきたことは『白ひげ海賊団』にとってかなりでかい。功績といっていい。

 オヤジの命を掬い上げ、彼らの母船たる『モビー・ディック』号を守り、『赤犬』からの攻撃を最低限にまで抑え込んだ。

 

 そして、それらすべては()()()()()()()()()()()、なのだ。

 

「そんなわけで、エース。おまえは隊長格を剥奪。下っ端の下っ端、見習いの新入り以下のクルーにまで降格してもらう」

 

 マルコの口元にかすかな笑みが浮かぶ。

 

「仁義を欠いちゃ渡世はできねェとおれたちに教え込んだのはオヤジだ。元娘とはいえ、きっちり仁義を通したんだ。それに報いねェとあっちゃ、もう白ひげとはいえねェだろい?」

 

 恩義の貸し借りというのは、ときに紙の契約などよりよほど重い効力を持つ。それが海賊ならば尚更である。

 肝心要を叩き出すような罰を与えるには、『白ひげ』がミオへ返すべき『借り』の多寡が大きすぎるのだ。

 

「それ、エースはまだ『白ひげ』にいられるってことだよな! よかったなエース!」

「い、いいのか? そんなの……」

 

 ジンベエは声もなく胸を撫で下ろし、ルフィはすぐさま喜びはしゃいでいるがエースはまだ戸惑いの色が濃い。

 

「こんな折衷案、滅多にあるもんじゃねェよ。エースはせいぜい二人に感謝しろい」

 

 そんなエースにマルコは少しばかり語調を強めつつそれに、と付け足した。

 

「残れるっつっても、それはそれで厳しいよい。体調が回復次第、エースにはそれこそ馬車馬みてェに働いてもらうことになるからな」

 

 エースの救出という目的自体は達成できたとはいえ、『白ひげ海賊団』の被った被害は尋常ではない。

 潰れた傘下は数しれず、中にはこの機に乗じて『白ひげ』の縄張りの乗っ取りを企む海賊も数多い。

 

「手始めに、あちこちの島を回ってアホな海賊どもを蹴散らしてもらうことになる。寝る暇なんかねェから覚悟しろよい」

 

 にや、とマルコが焚きつけるように笑うと、エースの表情にもようやく笑みが戻った。

 

「おう、どこにだって行ってやるさ。望むところだ!」

「その意気だ」

 

 そう言うマルコの瞳に、かすかに陰りが浮かんだ。

 

「……そうやって命張って『白ひげ海賊団』守ってりゃ、他のやつらも、納得はできなくても理解はするだろうよい」

 

 いつになるかはわからねェがな、と締めくくったマルコの言葉の意味をいち早く理解を示したのはジンベエとレイリーだ。

 

「確かに、エースさんが『白ひげ』に残り続けるとすれば、そうする他ないか」

「こればかりは時間をかけていくしかないことだからな……」

 

 そんな様子を少し離れた位置で眺めていたコラソンは脇のローにこっそりと尋ねた。

 

「『不死鳥』の言ってること、わかるか?」

「ああ。簡単な話だ」

 

 ローは帽子の隙間からコラソンを見上げる。

 

「『白ひげ屋』の仲間も傘下も、今回の戦争で受けた被害は甚大。例えば船長をなくした傘下の海賊連中、そうでなきゃ大事なやつをなくしたクルーとかな。生き残れなかったのがそいつの実力不足といえばそれまでだが、そいつは感情で割り切れるもんじゃねェだろう」

 

 その船長が慕われていれば慕われているほど、大事なひとが大事なほど、エースに対する負の感情はどうしたって湧き上がってくるものだ。

 『エースの救出』が目的であった以上、彼が生きていることは喜ぶべきことで間違いないが、それとこれとは別問題である。まだ混乱が残る現状ではそこまで考える余裕はなくとも多少の落ち着きができれば、そういったある種の不満はどこかで噴出するであろうことは想像に難くない。

 

「だから、これから『火拳屋』は、自分が生還できたことには意味があったと、犠牲になった『誰か』は無駄じゃねぇんだと、その生き様で証明し続けるしかねぇ」

 

 それは、もしかしたら海賊団からの強制追放よりも辛く苦しい、茨の道かもしれなかった。

 

「そうすりゃ──『火拳屋』の成すことが、そいつらの功績になる」

 

 視線を眇めてそう告げるローの横顔には、奇妙なまでの実感がこもっているようだった。

 

「……そうか。そう、だな」

 

 その様子に、コラソンはなぜか妙に胸が騒いで、そう答えるので精一杯だった。

 

 

 

 


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