懸命なリハビリと弛まぬ鍛錬によって、ほぼ記憶と同程度の身体能力を取り戻すことに成功したミオは、仕事をするに差し支えないと判断したので、手始めに身支度を整えることにした。
簡単にいえば変装と武器の調達である。
ミオの手配書はニュース・クーという、この海でも珍しい全国区の新聞に挟まれるくらい世に広がってしまっている。
これをどうこうするのは個人の力では不可能なので、となるとミオ自身が変わるしかない。身長などは無理でも、相手の受ける印象が変わればそれでいい。
そんなわけで、手っ取り早く髪を染めることにする。
髪を染めるのは初めてだったので色見本片手にさんざん悩み、途中で通りがかったドフラミンゴの鶴の一声でなぜか金色に決まった。
ここ数ヶ月の間に伸びた髪を切ることはせず、淡く弾けるシャンパンゴールドに染まった髪をベビー5が嬉々としてみつ編みにまとめてくれた。
そして、額のあたりには雑貨屋で見つけたいくつかの細いヘアピン。小指の爪よりも小さなハートの飾りがついたものが気に入って、よくそれをつけている。
それでも不安なときには、赤いフレームの伊達メガネを。つねに顔周囲には特徴をひとつ、を心がけている。それが特徴的であればあるほど、人は顔に印象を持ちにくいからだ。
念には念を入れて、和を感じさせる装いも封印した。パステルカラーのシャツに若草色の薄手のコートを羽織り、下は紺のスラックス。さすがに腰周りのベルトは武器を携行する性質上変えるわけにはいかなかった。
ドレスローザという国の建築様式は、どことなくスペインに似ている。
からりと乾いた夏の陽気と、この国の名物だというコロシアム。煉瓦造りの壁を彩るカラフルな屋根には天を衝くような細長いものもあって、目にも楽しい。
更に特徴的なのは、この国の王が海賊ということもあって、あちらこちらで存在を主張する彼らの海賊旗をモチーフとした装飾品だ。にんまりとした笑顔にも見えるそれはドフラミンゴのそれを彷彿とさせる。
「ああ、これは失礼」
くん、となにかに引っ張られる感覚にミオが首を向けると、おおきなウサギの人形が会釈した。
そのウサギの頭の更に上、宙に浮いた糸受けから伸びる繰糸のいちぶがミオの袖に引っかかっていた。ミオはそれをていねいにほどいて、会釈を返した。
「こちらこそ失礼を」
「ホゥホゥ、ではお互いさまということですなァ!」
妙に明るい態度で一度だけぴょんと跳ねて、大げさにかくんと頭を傾けるウサギはまさしく『オモチャ』そのものだ。
ドレスローザとスペインとのいちばんの違いは、このウサギ──街中いたるところで見かけるオモチャたちの存在である。彼らは人間と共存しており、よき隣人で、友人で、恋人で、家族であるらしい。
街に出ることすら日の浅いミオには、でっかいオモチャがごく自然に歩いている姿に違和感を覚える。
「いずれは慣れる、のかなぁ」
ウサギのオモチャを見送って、歩くことしばらく。
ふと、誘われるように細い路地へ足を踏み入れた。薄暗い路地で、見上げると陽を遮るようにいくつもの洗濯物が建物の窓を通した紐からぶら下がっている。
風でそれらがはためくたびに、ちらちらと地面の影が遊び回った。
それらを追うように路地の奥へ奥へと進んでいくと、突き当りの少し前、視線の先にひっそりと小さな露天を見つけた。
店主は女物の日傘を差した老人がひとり。
「いらっしゃい」
低い声の老人の目の前には木箱に布を敷いただけの簡素な陳列台。だが、売っているものはダガーだのボーガンだの鉈だのと妙に物々しい。
なんだろうこの店、とミオが疑問を抱くよりも先に老人が続けた。
「待っておったよ」
「待ってた?」
今日、ここに辿り着いたのは偶然だ。
けれど老人は頓着した様子もなく「ああ」と答えながらいちど木箱の下のあたりに身体を深く折り曲げ、やがて起き上がった。
老人の手にあったものを見た瞬間、声が出ていた。
「ッ、それ」
「昨夜からこいつが妙に騒ぐでな、やかましくてかなわん」
老人が取り出したのは、鞘に納められた一振りの日本刀だった。
その鞘、拵え、伸びた紐からぶら下がる玉飾り。何もかもをミオが見紛うはずもない。
「小狐丸……」
いつでも、どこまでも、苦楽を共に生き抜いてきた、たったひとつの相棒の名が、気付けば零れ落ちていた。
「それを、どこで?」
「どこぞの難破船から手に入れたらしいが、詳しくは知らん」
どうもこの爺さん、難破船専門のトレジャーハンターが持ち込んでくるお宝を買い取って販売しているらしい。
「なにをしても抜けん刀なんぞいらん、と売りつけられてのう」
それはそうだろう。小狐丸はミオの手でしか抜けない。
そういう刀で、相棒で、呪いだ。
「おいくらですか?」
「もしお前さんが抜けるなら、お代なんぞいらんよ」
「いや、それは」
この爺さんにも生活があるだろう。せめて小狐丸を買い取った金額くらいは払わせて欲しい。
そう食い下がると、爺さんはそんじゃ、と続けた。
「抜けたらその刀をよぉく見せておくれ。わしのような物好きには、何よりのお代じゃ」
そういってにぃ、と乱杭歯を見せて笑う老人の顔はなるほど、抑えきれぬほどに沸き立つ好奇心が見て取れた。
「お安い御用ですよ」
差し出された小狐丸を恭しく受け取り、ミオはまるごと抱きしめるようにして鞘に頬を押し当てた。
老人の目など気にならなかった。くっついた頬はひんやりと冷たいが、その馴染んだ温度が信じられないほどの安堵をもたらしてくれる。
「こんなところまで付いてきてくれたんだ……ありがとう」
よかった、ずっと不安だったんだ。
「ごめんね、待たせて」
ミオはそっと囁き、柄頭をするりと撫でるとごく自然な動作で柄へ指を絡ませて鯉口を切り、刀身を露わにした。
海水に浸っていたというのにサビ一つ浮いていない黒瑠璃の如き刀身は、陽の光を弾いて濡れたような輝きを放つ。
「どうぞ」
それを差し出すと、老人は「おお……」としわくちゃの手で小狐丸をそっと受け取り、時折陶酔の滲む声を漏らしながら試す眇めつ、時間が許す限りじっくりと見分した。
「位列にも載っていない名刀、いや、妖刀か……こんな逸品に出逢う日が来るとは、長生きはしてみるもんじゃ」
何度か瞬きして、老人はミオに小狐丸を返しながらゆるゆると笑う。
「お前さんとその刀はよくよく縁があるようじゃ。大事にしてやりなさい」
「もちろん。本当にお代はいいんですか?」
「いらんいらん。むしろ、わしが払いたいくらいよ」
心底満足そうに言われてしまえば、ミオでもさすがに空気を読む。
「では、ありがたく頂いていきます」
「ああ。……まいどあり」
冗談めいた口調でつぶやき、老人はゆるく手を振った。
ミオはそれに深く礼を返し、小狐丸をベルトに差した。
慣れ親しんだ重みと柄の感触に、ミオはようやくこの地をしっかりと踏みしめることができたような気がした。
……不覚にもちょっと泣きそうになったのは内緒だ。
☓☓☓☓☓
奇縁が巡り、頼りになる
それは、部屋の棚に仕舞われていた折れた刀──おそらくはそれまでの『ミオ』が愛用していた刀の弔いだ。
「どこがいいかなぁ……」
この刀に己がどれだけ救われていたのかは、刀身についた細かな傷や鞘の欠け、鍔のひびから容易に読み取れた。
ただ捨てるには忍びなく、かといって墓地というのも何か違う。打ち直すことも考えないではなかったが、あいにくと鋼が足りない。だったら感謝と哀悼を込めて、なるべく静かに眠れる場所へと埋めてやりたい。
丁寧に磨かれ、布にくるまれたそれをバッグに入れてシャベルを肩に担ぎながらノコノコと城の廊下を歩いていたら、秘書よろしくベビー5を連れたドフラミンゴが向こうからやってくるのが見えた。
「こんにちは、若旦那。ベビー5」
「よう、まだ仕事の斡旋した覚えはねェはずだが……何かあったか?」
ドフラミンゴはミオの担いでいるシャベルをサングラス越しに見つつ問うた。
「ああ、これは仕事前にしておきたくて」
ミオは肩から下げたバッグへ視線を落とし、ぽつりと。
「ちょっと、お墓を作りに」
ドフラミンゴとベビー5は一瞬顔を見合わせ、それから長い足を駆使して一歩でミオとの距離を詰めてると、こともなげにシャベルを取り上げた。
「え、ちょっと」
手をのばすより先にドフラミンゴが口を開く。
「あァ、心配すんな。うちには腕のいい掃除屋も揃ってる。現場どこだ?」
「……ん゛ッ!?」
「大丈夫よ! ミオねー……、ミオ! ここは若様の国だもの! たとえ殺しちゃったって弁護士いらずの一発無罪!」
「ヴァー唐突に物騒だし慰めが力技すぎる! なんでだ!」
「それにしてもお優しいなァ、海にでも落とせば済むってのにわざわざ埋めてやろうってか」
「あいにく死体処理に悩んでるワケじゃねーんですけどねぇ! 人の話聞けやおピンクフラミンゴ!」
誤解を解くのに三十分くらいかかった。
なんとかシャベルを返してもらい、ついでにあまり人の寄らない場所を尋ねるとベビー5が答えた。
「それなら、島の端のグリーンビットかしら」
「おい」
咎めるような一声にベビー5が口を噤む。
ミオはすでにこの島の全景を記憶しているから、ベビー5の言った場所のことをすぐに察した。
「グリーンビット、あのやたらと緑が繁茂してるところですよね。確かに、いいかも」
「あそこはやめとけ」
けれど、ドフラミンゴが待ったをかけた。
「なんでです?」
「あの辺り、物騒なモンがうようよいるんだよ。橋を渡る間に食いつかれるのがオチだ」
聞けば、あの小さな島に渡るには鉄橋を渡らねばならないのだが、その周辺には『闘魚』と呼ばれる巨大かつ獰猛な魚類が回遊しており、人間すら餌にするのだとか。
しかし、今のところ他にいいアイデアも浮かばない。
「ご忠告に感謝を。とりあえず行ってみて、無理そうだったら別の手段を考えます」
ミオは軽く頭を下げて、ドフラミンゴの横をすり抜ける。
しょせんは魚と侮っているわけではないが、行くだけ行ってみなければどれほど危険なのかも判断つかない。
「ベビー5、教えてくれてありがとうね」
「い、いいのよ。気を付けてね!」
「なんなら、ヒマなやつをつけてやってもいいぜ?」
「御冗談。無駄飯ぐらいの食客以下に、そこまでの過分なお心遣いなぞ無用です」
ドフラミンゴにさらりと返し、ミオはそのまま小走りで廊下を去っていく。
その姿はだいぶ回復していると見て取れるが、どことなく危なっかしくも映った。あの『頂上戦争』で暴れまわっていた全盛を知っているからこそ、かすかな所作のずれが目につくのだ。
「……ねぇ、若様」
「どうしたベビー5」
「どうしてミオ姉さまには、あの『お姫様』の治療をしなかったの?」
実は、この城には治療に特化した能力者がいる。
それはこの海賊団周知の事実であるし、同時に秘匿されている存在でもある。
けれど相手は記憶を失ってはいても、ドフラミンゴの実の姉。治療を受けさせる資格はじゅうぶんにある。
なにより、彼女の能力で回復させればミオの回復にここまでの時間もかからなかっただろう。
「あァ、そりゃ簡単な話だ」
ドフラミンゴはベビー5の頭をぐしゃりとかき混ぜて、いつものように笑う。
「現状、ミオの身体のいちぶはおれの能力で賄ってる。あの治療能力との相性が読めねェ以上、危ない橋は渡らねェに限るだろ」
彼女の治療能力は確かに希少だし有用だが、それがミオに通用するかは未知数だった。
とりわけ、ドフラミンゴの『イトイト』で賄っているものは人間の最重要臓器である。もし、治療の過程で『イトイト』が解除されてしまえば、その場でミオは死ぬだろう。
「ンなことになったら、おれァあのお姫様を殺しちまうだろうしな。多少の時間がかかっても、自己回復力とミオの根性に賭けた方がいい」
「なるほど……」
こくこくと頷くベビー5にドフラミンゴはそれに、と続けた。
「万が一、ミオがあのお姫様と会って話せば……あいつは、あのお姫様につく。必ずだ」
「ッ、そんなこと」
「あるに決まってんだろ。あれは
確信すら籠もった断言だった。
今のミオにとってドフラミンゴはただの『恩人兼債権者』で、それ以上の感情を抱いていない。
そこへ、海賊団総出で騙くらかしていいように使っているお姫様なんて存在を見つけたらどうなるか。
十中八九、ミオは彼女の味方につく。
そして、もし、お姫様からの縁で小人たちにでも会ってしまったら……それこそ最悪だ。
この島の全容が露呈すれば最悪ドフラミンゴと敵対、どころか、暗殺を企てる可能性すらないとはいえない。
そんな事態になったら泥沼である。
「ベビー5、幹部連中と他の奴らにも言い含めておけ。ミオとお姫様を会わせるな。なにがあろうと、な」
「……そうね、わかったわ。若様」
硬い表情で頷いたベビー5は、こうしてはいられないとばかりに駆け出した。
それを眺めていたドフラミンゴは癇性にがり、と頭をかきながら嘆息する。
「存外、扱い難いもんだ」
お久しぶりすぎて申し訳ありません!そしてお待たせいたしました!
私生活もぼちぼち落ち着いてきたので、また不定期ではありますが少しずつ更新できればと思います。
引き続き楽しんで頂ければ、これ以上のことはありません。