桃鳥姉の生存戦略   作:柚木ニコ

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閑話.とある中佐の歓喜

 世界が丸ごとひっくり返るような驚愕と、歓喜で全身がふるえた。

 

 なんでもあり得るのがグランドラインだと思っていたが、これはその中でもとびきりだった。

 

 

 兄を見限り、姉の縁を辿って放浪生活をしていたロシナンテは海軍に拾われた。

 自分を拾ってくれたセンゴク中将は優しくも厳しく、その人柄に惹かれたロシナンテは海軍に入り勉学に励みながら研鑽を積み、本部付きの中佐にまで上り詰めることに成功した。

 

 成長できるのは嬉しかったが、感謝と罪悪感と寂しさがあった。

 姉と同じ年になった時、ロシナンテは少しだけ泣いた。

 

 海軍の情報網を駆使しても、姉の消息は終ぞ掴めなかった。

 いい加減諦めた方がいいのではないか、とセンゴク中将にやんわりと諭されたこともあるが、こればかりはどうしようもなかった。

 

 自分が探し続ける限り、死亡が確認されない限り、可能性がゼロになることはないと思えたからだ。

 ただ、情報精査に混じってくる『ドンキホーテ海賊団』の文字が増えてきたことが懸念材料だった。

 

 海賊界隈において、ドンキホーテ海賊団は恐ろしいほどの成長速度で頭角をあらわしつつある。このまま放置しておけば、いずれ海軍にとっての脅威に変貌するのもそう遠い話ではあるまい。

 これを重くみたロシナンテは、センゴクへドンキホーテ海賊団への潜入捜査を具申した。センゴクは多少難色を示したものの、ドンキホーテ海賊団の危険性を鑑みてこれを許諾。

 ただし、一時的とはいえ中佐の任を解くことになるため、仕事の引き継ぎや潜入に関する段取りを整えるため、潜入捜査は来年以降に実行される予定となった。

 

 そんな時、ちょっとしたきっかけでロシナンテは新兵の実地演習の引率を引き受けることになった。

 本来の引率がインフルエンザでダウンしたため、ちょうどいい人物がいなかったのだ。

 その上官が、自分が研修時代に薫陶を受けたひとだったこともあり、ちょっとした恩返しのつもりだった。

 

 実地演習といっても、情報部から近所に(たむろ)していて比較的レベルの低い海賊をリークしてもらい、それを討伐するという限りなく実践に近い演習だ。

 

 当該海賊の討伐は成功したものの、その後がいけなかった。

 いつの間にか近くに接近していた別の海賊から砲撃を受けた。

 砲弾が飛んできたのは一度きりで、海賊船はそのまま舵を切って逃走を始めた。

 しかし、勝利の昂揚に酔っていた新兵たちが、ついでにあの海賊もとっちめてやろうぜ! と息巻いて舵輪をぶん回したため、慌てて止めようとしたら甲板でスッ転んだ。己のドジが憎い。

 痛みに悶絶している間にみるみる距離が縮まり、気付けば接敵可能な範囲まで近付いてしまっていた。

 

 髑髏に不似合いなひげを蓄えたジョリー・ロジャーに気付いた瞬間、血の気が引いた。

 

「中佐ぁあああ!? あんたこんなところでドジっ子発動させんでも!!」

「珍しく新兵訓練の引率引き受けるなんて言うから! 言うから!」

 

 補佐に助け起こされながら怒られた。じゃっかんの理不尽を感じたが、新兵たちを止めるのは上官の務めなので、素直に謝った。ドジッ子ですまない。

 そして、間髪入れずに中空で舞い踊る青の炎。白ひげ海賊団一番隊隊長、不死鳥のマルコだとすぐに分かった。その背になにか、白いものが光った気がしたが何かは分からなかった。

 

 白ひげ海賊団。

 

 海賊王の時代から、今もなお戦い続けている古強者たちの中でも抜きん出た実力を誇る、世界最強との呼び声も高い海賊団だ。どう考えてもこの戦力で勝てるワケがない。

 どう撤退すべきか、と考えるヒマもなく舞い降りた青い鳥は即座に変化を解き、甲板に立つ二人の海賊。南国の果実めいた髪をした青年。

 

 不死鳥のマルコ。

 

 そして、その横に立っていた小柄な人物を視認した瞬間──ロシナンテの思考が完全に停止した。

 背後で新兵たちが不死鳥のマルコに怯えて気絶してゆくのも、意識から外れていた。

 

 初雪色の髪と、淡いコーラルピンクの瞳。華奢でいとけない、子鹿のような体躯。

 

──ロシナンテの記憶と、寸分違わぬ姉の姿がそこにはあった。

 

「ちっとは歯応えありそうか? ミオ、その辺散らしとけよい」

「アイサー」

 

 驚愕と混乱で棒立ちになる中、ミオ(同名だなんて!)と呼ばれた姉そっくりの少女は、元気いっぱいとばかりに駆け出した。

 自然と姿を目で追ってしまう。

 あり得ない。別人だと脳のいちぶで声がする。確かに姉ならば年齢が合わない。これでは逆転している。

 けれど、その仕草が、笑顔が、何もかもがミオ本人だとロシナンテの本能に訴えてくるのだ。

 

「せめて、あのちびだけでも討ち取るぞ!」

「お、おう!」

 

 意気込んでいる新兵にうっかり止めろと言いそうになって、口を噤む。そんなことをしたら免職である。

 だが、そんな心配は無用だった。

 ミオは踊るように軽快な足取りで、新兵たちを翻弄しながら次々に海へと叩き落としていく。鮮やかともいえる手際で、見とれてしまう。

 

「うちの末っ子になんか用かい?」

 

 あまりに見つめすぎていたのか、不死鳥のマルコが怪訝そうに聞いてくる。

 末っ子、という言葉には大いに疑問を呈したいが、それよりもなんとか言いつくろわねば。

 

「ああ、いや、知人かも、しれないと……」

「知人だぁ?」

 

 ますます不審を募らせる不死鳥のマルコはあらぬ方向を見て、手招きをした。

 さして待つことなく、鞘を腰のベルトにおさめながらミオが不死鳥のマルコの横に並ぶ。

 その光景に、なんだか腹がもやついた。新兵たちは粗方海に落とされたらしい。実力が記憶の通りならば無理もないと思う。

 

「おい、ミオ、その海兵と知り合いか?」

 

 不死鳥のマルコが問いかけると、ミオはちょっと考える素振りを見せてから首を振った。横に。

 

「いや、海兵に知り合いとかいないんですけど」

 

 にべもない返事にグサッとくる。

 ぐらぐらと頭が揺れて、立っていられずに膝をついた。

 人違いの可能性はほぼ消えて失せている。声のトーンも、口調すら変わらないのだ。

 

「本当に知らないのか? あいつ、さっきからずーっとお前のこと目で追ってたよい」

「なにそれこわい」

 

 ひそひそされてもよく聞こえる。

 まずい、このままでは変態だと思われてしまう。ロシナンテは気力で顔を上げた。

 

「その、名前は?」

 

 猛烈にイヤそうな顔をされた。

 現時点ではナンパか尋問かそうでなければ変態だ。めげそう。しかし答えてはもらえた。

 

「はぁ、ミオです」

「!!」

 

 人が名前を呼んでいることより、自分から名乗られる方がよっぽど衝撃だった。

 聞き間違えではなかったのだ。その事実になぜか愕然とする。

 

「……そのひと大丈夫ですか?」

「中佐になんてこと言うんだこのやろう! これだから海賊は!」

 

 呆然としていたら補佐たちがなぜか騒ぎ始め、少しだけ冷静さを取り戻せた。

 

「……家族構成、は?」

「血縁って意味なら両親と弟ふたりで、そうじゃないなら白ひげさんぜんぶ」

 

 淡々と答えながら不機嫌になるのが分かった。

 

「んもーなんですか尋問ですかケンカ売ってるんですか買いますよ?」

「ち、ちがう!」

 

 ケンカ腰になってきた声に慌てて否定する。

 そうじゃない。そうじゃないんだ。

 

「さいごに、ひとつだけ」

 

 聞くのが怖かった。

 けれど聞かずにはいられなかった。

 浮かび上がった可能性を確かめるためには、どうしても聞かなくてはならなかった。

 

 ふるえる唇で、祈るように言葉を紡いだ。

 

「『ロシナンテ』という名前に、聞き覚えおぼろばぁッ!?」

 

 瞬間、なぜか身体がぶっとんだ。

 

「ちゅ、ちゅうさー!!」

 

 補佐の声が遠く聞こえ、一瞬遅れて凄まじい速度と膂力で前蹴りをかまされたと理解した。

 慣性の法則でごろんごろんと転がり、新兵まで巻き込んでようやく停止した。受け身も取れなかったため、全身に痺れが走る。青天井というやつだ。

 仰向けでひっくり返っていると、どすんとお腹に重み。ミオが馬乗りになっていて、ロシナンテの胸ぐらを掴み上げた。

 

 瞳の奥には氷結の殺意。

 

「なんで、その名前を知ってるの?」

 

 低い、低い声音だった。

 ほんの少しでも返答を間違えば死ぬ。

 直感的に察するくらいの覚悟と、心臓を握り潰さんが如き圧力を感じた。

 

「もし、その名前のぬしを、僕の……だいじな家族になにかするつもりなら──」

 

 だが、それは間違いなく。

 

「ぶっころすぞ」

 

 ロシナンテにとっての、福音だった。

 

「……」

 

 叫びだしてしまいそうだった。景色がどんどん歪んでいく。

 手を伸ばして、抱き締めないようにするので精一杯だった。

 

 目の前にいるのは紛れもないドンキホーテ・ミオだった。

 

 家族を愛し、弟を慈しみ、そのためならば全てを捨て去ることを是とする、ドンキホーテ家の長女がそこにいた。

 

 そして、ロシナンテは理解する。

 姉の時間はロシナンテたちが幼い頃──おそらくは、最後の襲撃を受けた時だろう──で、止まっている。

 悪魔の実か、別の何らかの事象なのか、それは分からない。

 だから、ミオの中のロシナンテは幼いまま、変わっていないのだ。それでは成長した自分を認識できるワケがない。

 

 だが、目の前でミオは生きている。

 

 今はそれで──じゅうぶんだった。

 

「ふは」

 

 とてつもない安堵で笑ってしまう。

 何があって所属しているのかは分からないが、白ひげ海賊団なら構わない。彼らは、船員を家族として扱うことで有名だ。きっと大事にしてもらっているだろう。

 それと、家族に危害なんて加えられるはずがない。

 

 自分がその家族なのだから。

 

「は、ははっ、ふふ……そんなつもりはない。安心してくれ」

「ほんと? うそついたら真っ先に探し出して討伐するよ?」

 

 相変わらず家族以外には手厳しい姉が念押ししてくるので、しないしないと首を振った。

 なるべく真摯に聞こえるように、静かに告げる。

 

「本当だ、信じてほしい」

「うん、わかった」

 

 ミオは、拍子抜けするほどあっさりと信じて頷いた。

 無意識にどこかで、何かを感じ取っているのだろうか。どうぶつみたいな所のある姉だからあり得る。

 そうだとすれば、とても嬉しい。

 

 心地良かった重みが離れると、待ってましたとばかりに補佐たちが駆け寄ってきた。

 

「中佐! 大丈夫ですか!?」

 

 問題ないと答えながら、離れてしまうのが寂しくて、けれど感じていた温かさに姉の生を感じて……堪えていたものが噴出した。

 

「うう、ぐすっ」

「泣いてる!? ちゅ、中佐! 中佐ー! お気を確かに!」

「なんでボロ泣きしてるんです中佐!? おいそこのクソチビ! 中佐に何をしやがった!」

「一発蹴り入れただけですけど!?」

 

 あらぬ疑いをかけられている姉には申し訳ないが、しばらく涙は止まらないだろう。ごめんなさいと心の中で謝っておく。

 

「ずびっ、これ以上、新兵の損耗は、ぐずっ、好ましくない。撤退だ」

 

 涙声で(はな)を啜りながら命令すると補佐たちが動き始め、海賊たちを追い払っていく。

 

 積もる話は山ほどあった。

 自分がロシナンテなんだと叫びたい気持ちもあった。けれど、そんなことをしても混乱させてしまうだけだとも、思った。

 

 姉はとても楽しそうだった。怪我もなく、笑顔だった。

 

 今はそれでいい。

 それだけでいい。

 

 ロシナンテは大きくなった。

 強くなって、立場を得た。小さくなってしまった姉を守れるだけの力が、今のロシナンテにはある。

 撤退する間、堪えきれなくて遠ざかる姉に手を振ったら振り返してくれた。

 嬉しくて、幸せで、また涙がこぼれた。

 

 見上げた空はひたすらに青かった。

 常にかかっていた暗い紗のようなものが、取り払われた気がした。

 

 世界が塗り替えられたように何もかもが鮮やかで、きらきらしているように見えた。

 

 

 世界はなんて美しいのだろうと、ロシナンテは初めて思った。

 

 

 


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