今回のIFは結構時間の流れが早いです。須美IFが話の開始から終わりまで大体二年くらいでしたが、亜耶IFは四年近くになりますので、結構場面変換が多数あります。
多分誰のIFとも違う感じの展開になっていると思います。それと、活動報告の方で頂いた、こんな亜耶IFが見たいというコメントから発想を得たのですが、コメントとは大分違う感じになってしまったことをこの場でお詫びします。
まぁそんなこんなあって完成した亜耶IFです。それではどうぞ
気が付けば、だった。
亜耶の視線は同居人であり先輩である藤丸に吸われていた。
いつからだろうと考えても分からず。気が付けば同居人で、いつも親切をしてくれる彼の事を無意識に視線で追っていた。そして、彼がしずくや、時々遊びに来る勇者部の人と楽しそうに話していると、ちょっと寂しくなる。
そんなちょっと変な心情を自覚しながらも、一体その正体が何なのか亜耶は分からなかった。
分からなかったが、不思議とそれを気持ち悪いとも異常だとも思わなかった。正体が分からないだけで、小さな蝋燭の火のように燻り燃えるソレは、彼が高校に入ってから一年間。つまり亜耶が中学三年生の間、亜耶の胸から消える事はなかった。
そうしてその火をずっと胸に潜めて、また一年。自分の所属している中学校を大赦から教えてもらい、一度も会った事の無い担任から高校受験に必要な物を受け取り、そして藤丸としずくが通う高校を受験して、無事受かって亜耶は人生で初めての学校生活に身を落とした。
新たな友達はできた。先輩達も仲良くしてくれている。亜耶の学校生活は順風満帆であり、久しぶりの学生生活は楽しかった。
そんな亜耶だが、昼休みになると決まって屋上へと歩を進め、屋上に寝転ぶ同居人の前に立つ。
「藤丸先輩。またここに居たんですか?」
寝転んで空を見上げている同居人、藤丸は亜耶の顔が現れた事に特に驚く事無く、まぁな、と返事をした。
別に彼はずっとここで授業をサボっていたわけではない。ただ、昼休みに静かな場所で寝るために屋上に上がっては音楽を聴きながら寝転んでいる。シャカシャカ音が鳴るイヤホンを外した藤丸は上半身を起こし伸びをした。どうやら今日は寝つきが良くなかったらしい。
「亜耶ちゃんこそ、今日も来たのか? ここ、何もなくて暇だろうに」
「好きで来ているからいいんですよ」
藤丸の横に腰を下ろし、空を見上げる。
神樹様の結界が無くなり、空は数年前から結界越しではなく肉眼でそのまま見る事が叶うようになった。青い空と白い雲。そして眩い太陽。まだ五月も上旬な今の季節、ブレザーを脱いでその下に着ているYシャツだけになり寝転べば、日光の暖かさもあって大分心地が良い事を亜耶も知っている。
だが寝転ぶと髪が崩れるのでしない。代わりに音楽を止め、改めて寝転んだ藤丸に視線を戻す。
「藤丸先輩。アルバイト、そんなに大変ならもっとシフトを少なくしてもらった方が、いいんじゃないですか?」
「いや、いいんだよ。師匠からも今頑張ったら後は楽になるって言われてるし。俺も気にしてないし」
「そうですか……なら、わたしは頑張ってください、としか言えないです」
「……ありがとな」
藤丸がここで寝ているのは、単純に疲れているからだ。
高校に入ってから藤丸は通学路の途中にある、四国内ではかなり有名な洋菓子専門店でアルバイトをしてパティシエとしての修業を積んでいる。しかし僅か十六歳の高校生には学業と修業を両立するのは中々に辛いらしく、朝昼は学校。夕方はそのままバイト先へ向かい、夜中に帰ってきて風呂に入り眠る。
バイトが無い時は勇者部の活動に参加し、休日も基本的には勇者部の活動故にどこかへ行っている。
それ故に、彼は家で何とか休めているがそれだけでは疲れが取れず、二年に上がる前はよく居眠りをしていたらしい。そのため、昼休みは弁当を掻きこむとそのまま屋上へ向かい眠りに就いている。そして起きたら授業に出て、バイトに行って。
確かに藤丸のお菓子を作る腕はバイトを始めてから格段に上がっている。だが、それと引き換えに徐々にボロボロになっていっている気がしてならないのだ。
だが、亜耶にそれを止める資格はない。頑張っているから、大丈夫だからと彼が言うのだから、それに従うしかない。
「……わり。ホントにちょっと寝る」
「はい。時間になったら起こしますね」
「頼むわ……」
そうこうしている間に藤丸の眠気が限界になったらしく、彼はそのまま静かに目を閉じ、一分もしない内に寝息を立て始めた。
藤丸が完全に寝たのを確認してから亜耶はそっと彼の頭を持ち上げて、自分の膝の上に乗せる。硬い床よりも人の膝の方がまだマシだろうから。そんな理由から始めたこれも、もう定番だ。時間になるちょっと前に彼の頭を下ろして、何もなかったかのように起こして。
眠りに就く彼が起きないようにそっと寝かせながら、亜耶はいつも適当な歌を歌う。
小さく、囀るように。
誰も居ないから。誰にも聞こえないから。外から聞こえてくる生徒の楽しそうな声で消えるか消えないか。その程度の声量で小さく歌う。
彼を刺激しないように。彼を癒すように。彼を、この時だけは疲れから解放してあげるために。
でも。
「……なんでだろ」
これだけじゃ満足できないのは。
心の奥底で。本能とも呼べるものがこれだけで満足する事を許さないのは。
自分の胸に手を当て、考える。でも、分からない。大赦で教えてもらった事も、先輩達から教えてもらった事も、この学校に来てから教えてもらった事も、この気持ちには通用しない。
なんでだろ。亜耶はいつもそう呟く。
歌って、空を見上げて、なんでだろ。
そうしている内に時間は過ぎていく。二十分程度かそれ以下か。彼の安らかな時間は終わりを迎え、亜耶は彼の頭を下ろし、彼を起こす。
「藤丸先輩。時間ですよ」
「……ん。ありがと、亜耶ちゃん」
まだ眠たげな声を漏らしながら彼は上半身を起こす。そして笑顔を向けてくれると、なんだか心の奥底で叫んでいる物は成りを潜めた。
「じゃ、俺行くから。このままサボったりしたら駄目だぞ?」
「しませんよ、そんな事」
藤丸の冗談に笑って言葉を返すと、彼はそのまま屋上から出ていってしまった。
あぁ、なんでだろ。
もっと彼と一緒に居たいと思ってしまうのは。
****
一年が、過ぎた。
亜耶の高校生活はもう三分の一を終え、そして藤丸達一個上の先輩達の高校生活は、多忙を迎える。
受験勉強。就職活動。どちらかに集中する三年生たち。それを見て二年生は来年は自分達だ、とガクブル。そんな中でも亜耶は今日もまた屋上へと向かう。もう見慣れた廊下を歩いて屋上に出れば、そこには同居人の姿が。
「おっ、亜耶ちゃん。今日は遅かったな」
「友達と話してて」
一年も経てば、ここで二人っきりで会うのは最早習慣になっていた。
彼の最も多忙な時期は、もう終わった。彼は既に自分の師匠とも言えるかの洋菓子店の店長から無事合格を貰い、園子からも合格を貰った結果、園子専属のパティシエとしての道が確立されていた。
彼の才能と情熱は無事芽吹き、彼の将来は無事安定コースに乗っかったのだった。故に周りは受験だ就職だと忙しそうだが、藤丸は既にそうした活動を止め、残り一年の高校生活をのんびりと暮らす事にしていた。
同じように追われるものが無いのは歌手としての道を確立させた樹、大赦のトップに立つ事が確立された園子、その補佐としての地位が確立された銀の三人。他のメンバー……とは言っても友奈、美森、夏凜の三人だけだが、三人は絶賛勉強中である。
閑話休題。
「……なんだか高校生活はあっという間だったわ」
空を見上げながら藤丸が呟いた。
光陰矢の如し、とは言うが、恐らく彼がそう言ったのは、中学時代に起こった事柄が多すぎたからだろう。
二年生になってから勇者として戦って、そして三年生になったら今度は過去でも戦って。中学生の内に二回も命を賭して戦ったのだから、それが無かった高校生活は少しばかり退屈であっという間だっただろう。
「そうですか? わたしはそこまでです」
「そりゃ亜耶ちゃんはまだ二年生だしな。俺はもう三年生で来年には社会人だ」
大学生になる事も考えたが、それよりも藤丸はパティシエとして働きたかった。
故に彼は空を見上げ、そんな事を呟く。
「亜耶ちゃんは再来年、大学に行くんだっけか?」
「……はい。今の所は、ですけど」
亜耶は現状、将来は大学に行く事を考えている。
理系の科目が大っぴらに得意とは言えないので文系大学だが、一応大学の目星も今の内から付けている。
しかし、どうしてだろうか。一人で進学していく事にあまり気が乗らないのは。
もう二年以上の付き合いになる胸の内の火は未だに燻り続けている。ずっと、ずっと。
正体も分からないソレを理解できる日は来るのか。亜耶はそれが分からなかったが、しかしそれが齎すモノは着々と亜耶の心の色を塗り替える。
こうして藤丸と二人で話していると、どんなにくだらない話題でも、時には黙って携帯を弄っている時でも、楽しい。けれど、家に戻って二人きりではなくしずくを交えた三人になると、ちょっと楽しくない。楽しいには楽しいのだが、これが二人きりだったらと考えてしまう。
そして。
「そういえば昨日、園子が急にこんな事を言い出しやがってさ――」
「え? いきなりそんな事を――」
こうして話している時。
彼の口から自分ではない異性の名前が出てくると、ちょっと胸が痛む。
園子の事はよく知っている。同じ高校の先輩後輩で、よくしてもらっている。それは他の勇者部のメンバーも同じであり、樹とは同じクラスになった事もあって普通に友達だ。
だけど、だけど。
彼の口から自分以外の女子の名前が出てくると、なんでだろ。
あまり、その人の事で楽しく話してもらいたいと思わないのは。
――嫌な子だな。
いつしか亜耶は自分の事をそんな風に思っていた。こんな事を考えてしまうのなら、胸の火なんて消えてしまえばいいのに。そんな事を考えながら。
****
また、一年が経った。
高校三年生。勇者の事、巫女の事、防人の事を全て知る友人はもうこの学校には樹しか居らず。藤丸も、勇者部の他のメンバーも、しずくも。全員が大学に行くか働くかでそれぞれの道を歩んだ。
藤丸は既に一人暮らしを始めて園子専属パティシエとして彼女の側につき、しずくは文系大学に進学して残しておいた実家を売り払い金を作ってから適当なアパートを借りてそこで暮らしている。
他の先輩達も同じようにそれぞれの道を進んで。
亜耶はたった一人、藤丸家で彼の両親に親切にしてもらいながら一人で家事をして暮らしている。
「……屋上、寂しいな」
しかし、そんな風に環境がガラッと変わってしまっても亜耶は変わらず屋上で空を見上げていた。
変わった事と言えば、隣に彼が居ないのと、彼が居ないからいいや、とそこで寝転ぶようになった事か。行儀が悪いけどパックジュースを寝ころんだまま飲みながら、ストローを噛んで、飲み終えたらぐしゃっと潰してから携帯を見る。
友達からどこに居るの? と通知が来ている。それを意図的に無視してボーっと空を見上げる。
そうしていると、自分の顔に影が差し込んだ。
「……下着、見えてるよ」
「女の子同士だし気にしないよ。それとも亜耶ちゃんは気にするの?」
「まさか。芽吹先輩と東郷先輩じゃないし……」
亜耶の言葉に声を返したのは、最近は学校に来る方が珍しい樹だった。
亜耶の顔と太陽の間にわざと入り込んで亜耶の顔に影を落とす彼女のスカートの内側は亜耶からは思いっきり見えており、緑色の布地が丸見えだ。
髪を伸ばして清楚系な雰囲気を出している彼女だが、亜耶は知っている。学校帰りにゲーセンに行って筐体のボタンをバシバシ叩いている、清楚とは程遠い趣味を持った樹を。
亜耶ちゃんも言うようになったよねーと笑う彼女はそっと亜耶の隣に腰を下ろし、そこからは他愛もない話が続いた。
この間勧めた小説買ったー? 読んだー? とか。この動画見た―? とか。ここ行ったー? とか。そんな他愛もない話を一通りしてから、急に樹がとある話題を切り出した。
「亜耶ちゃん、高校に入ってから毎日ここに来てるよね」
「うん。去年までは藤丸先輩が居たから」
「ふーん……」
自分から聞いてきたのにちょっとどうでもいい感じの声を出しながら樹は懐からお菓子を取り出した。
西暦の時代から存在する、お菓子のシガレット。それを取り出して自分で咥えると、樹は箱からもう一本シガレットを取り出して仰向けの亜耶の口に突っ込んだ。一度突っ込まれたらもう吐き出す訳にもいかず、それに貰った物なので大人しく咥える。
「……なんで急に?」
「たまーに唐突に取り出して火を付ける真似をすると面白い反応が返ってくるから」
「趣味悪いよ?」
「今さらだよ」
ジト目を向ければ樹はからから笑いながらそれを躱す。
「亜耶ちゃんも高校に来たばかりの時はもうちょっと純粋だったのに。どうしてこうなっちゃったのやら」
「確実に樹ちゃんのせいだよ。十割十分樹ちゃんのせいだよ」
亜耶は忘れない。樹が笑いながら芸能界の闇……枕とか変な薬とか、そういうのを無理矢理させられそうになったと言ってきたことを。
だが、亜耶はそう言っているが彼女が大赦の純粋培養教育から離れて既に四年近く経っているのだ。流石の亜耶だって俗世に染まってかつての純粋っぷりが黒ずんでくるのも仕方ない事だ。
「そう? 仕事欲しけりゃ枕しろって言われた事とか気持ちいいから薬やろうぜ! って言われた事を話しただけだと思うけど」
「そこに至るまでの会話とその内容を聞いたら嫌にも大人になるよ」
他にも急にテレビ局の社長に呼び出されたと思ったらドアを閉められ、これからも仕事がしたかったら分かってるよな? と脅されたり番組プロデューサーからこれからこの番組に出たかったら、とされたり。急に休日に呼び出されたら明らかにやべー煙もっくもくな部屋に案内されかけたり、薬物乱交アヘアへパーティーに招待されかけたり、酒飲まされかけたり、打ち上げに言ったらソフトドリンクの中に睡眠薬仕込まれてお持ち帰りされかけたり。
それを笑い事のように樹が話すものだから亜耶だって嫌でも大人になっていく。彼女の体験にドン引きすると同時に。
まぁその全部が樹が友奈に教えてもらった護身術やら彼女のマネージャーと大赦仮面の努力によって阻止され続けてきたのだが。
「この間もあったしなー。有名な俳優さんの楽屋に挨拶に行ったら丁度注射器片手にお薬キメたねってタイミングで。見られたからにはって共犯者にされかけたよ」
「お薬飲めたねのリズムでお薬キメたねは笑えないから止めよう?」
「あとは番組の打ち上げに行ったら出演者の方々主催、アヘアへ乱交パーティー開催中で無事押し倒されかけたり。番組スタッフさん達が聞かされてない打ち上げだったからおかしいとは思ったんだよねぇ」
「ねぇ、聞いてる? 止めよう?」
「あ、あとあと。ストーカーにつけられてて家に帰ったらドアこじ開けられて襲われかけたし。まさかお姉ちゃんが用事で居ない日を狙われるとか思ってもいなかったよ」
「聞いて?」
樹が笑いながら語る芸能界の闇が深すぎる。
どうもこれらは神樹様が消えてから今までの僅かな時間に復活してきた西暦の時代の悪しき習慣らしく、樹もそれにかなりの確率で巻き込まれかけているので苦労しているとか。
「ちなみにこのお菓子も実は新手のお薬だったり」
「えっと、警察は……」
「冗談だよ?」
まぁそれは分かっているので別に通報もしないが。
ただ、こうやって笑顔で聞きたくもないブラックな事情をぶちまけてくる樹には亜耶も時々毒を吐いてしまう。
もう、と言いながら上半身を起こしバリボリとシガレットを噛み砕いて一気に飲み込む。ごーかいだねーと呑気に言う樹は煙草を吸うかのようにソレを咥えたまま。
「……で、元気出た?」
何の事? とは言えなかった。
「藤丸先輩が居なくなってから亜耶ちゃん、明らかに元気なくなったよね。話しかけるといつも通りだけど、一人になると前みたいな感じじゃなくて暗い表情浮かべてたし」
図星だった。
確かに、その通りだ。彼がこの学校から卒業してからというモノ、亜耶の心にはどこかポッカリと穴が空いた気分だった。
胸の火は未だに燻っている。しかし、それを囲うように穴が空いてしまった。そんな気分で。
指摘されて何も言い返せなかった亜耶は何もしゃべりたくないと言わんばかりに樹の菓子をもう一本奪い取って咥える。
「……亜耶ちゃんさ、自分の気持ちに気付いてる?」
「…………」
何も言い返せない。
「命短しアレせよ乙女って言うでしょ?」
「……恋って言えばいいのに」
「まぁ恋なんて実質アレだし」
と言いながら樹が親指と人差し指で輪っかを作ってそこに指を出し入れ。
即座に亜耶がその手を叩き落として下品なジェスチャーを止める。女子高生としてそれはどうなんだと言いたくなったが彼女はそんな下品なジェスチャーが軽いものと思える程度のコトを見ているのだからどうにも言えない。
「高校生活終わる前に自覚できると多分後が楽だよ?」
「……なんで?」
「女子高生ってのはそれだけで価値があるんだよ。本体然り、制服や下着然り」
スパンっ! と亜耶の手が樹の頭をシバいた。理解できてしまう自分が嫌だった。
「じょ、冗談だから。あの人、そんなのに拘らないし」
「……樹ちゃんは、分かるの? わたしの気持ち」
「分かるよ。亜耶ちゃん、分かりやすいもん」
樹の言葉に亜耶は顔を赤くしながらも、俯いた。
ほら、分かりやすい。そんな樹の言葉が何だか憎たらしくて、ついついもう一発彼女の頭をシバいてしまった。まぁ馬鹿になったらバラドルみたいな感じでやっていくだろうし何も問題は無かろう。
「もう答え言ってると思うんだけど……まぁ、多分機会はその内来るよ」
樹の言葉に亜耶は何も言わず。
空を仰いで、ちょっと短くなったシガレットを重力に任せて短くなった分口の中に入れた。
来たらいいな。なんて思って、空を見て。
空はいつも通り、憎たらしいくらいには青かった。
「こら! 煙草なんて吸って何している!」
とか思っていたら屋上の入り口から先生の怒鳴り声が聞こえてきた。どうやら樹と亜耶が隠れて喫煙を開始しようとしているように見えたらしい。
まぁ、今日の所はこれでおしまい。とりあえず二人は苦笑しながらお菓子の箱を見せて、誤解を解くことにした。
『これ、お菓子です』
言って、とっととお菓子を飲み込んで、ふと思った。
あの人のお菓子と比べるとあんまり美味しくなかったな、と。謝ってくれた先生を見送り亜耶は空を見上げ、黄昏た。
「ちなみにね、わたし、実は付き合いでこんなの買ってたり」
「ん? ……えっ、それホンモノ……」
「まぁ、そこら辺にポイ捨てしてあった空箱なんだけどね。身分証もないのに買える訳ないない」
「……えいっ」
「まさかのローキック!?」
ついでにおふざけのためにゴミを拾ってくる友人の脛にはローキックを叩き込んでおいた。芽吹直伝である。
****
半年位が過ぎた。
亜耶の進学先は無事決まり、二学期が終われば自由登校期間が始まる。その期間は車の免許を取りに行くなりバイトをして金を稼ぐなり遊び惚けるなり、学生にとって違うだろう。
亜耶はその期間、適当な場所でバイトをする事にした。一応大赦から送られた金がまだ残っているが、これからは大学の学費や食費などは自分で払う必要がある。幸いにも住まいは芽吹とルームシェアをするという事に落ち着いたので家賃は当初の見積もりの半分程度で済んだが。
だが、始まるのは確実に苦学生生活。ちょっと気が重い。
「ん? 亜耶ちゃん、何見てんだ?」
「あ、藤丸先輩。ちょっと短期アルバイトが載ってる雑誌を」
そんな事を考えながら藤丸家で短期アルバイト募集の小冊子を見ていたのだが、今日偶々実家に戻ってきていた藤丸がそんな亜耶を見て話しかけた。
最近は一か月に一度会えればいい方な彼と会えて、亜耶の心は珍しく弾んでいた。学校での暗い表情が嘘みたいに。
「ふーん、短期バイトか……」
藤丸はそう言いつつ、何かを考え始めた。
何か良い宛でもあるのだろうか。暫く考え込んでいた彼だったが、何かを決意するとよしっ、と呟いて亜耶に一つ提案をした。
「亜耶ちゃん。自由登校期間、俺の所で住み込みバイトしないか?」
「え? 藤丸先輩の所で、ですか?」
今藤丸は大赦から支給された社宅を住居として暮らしている。そんな彼の元で住み込みバイトと言われてもパッとしない。
要領を得ないと言わんばかりの表情をしている亜耶に藤丸は実は、という声を皮切りに事情を説明し始めた。
「実は園子の奴が忙しすぎて最近俺の仕事が少なくなってな。だから、許可貰って自分の店兼家を持つことにしたんだ」
「じ、自分のお店と家ですか!?」
「おう。丁度いい空き家があったからな。一応園子専属って事で実入りもかなり良かったし、園子にローン組んでもらってな」
園子の専属だから、こう、おやつの時間とか仕事終わりとかにパティシエの服を着た彼が園子に間食やデザートを毎日提供しているのかと思っていたが、どうやら事情は違ったらしい。
今の園子は食事をササっと済ませて仕事仕事をあっちこっちに飛び回り、深夜遅くに帰ってきて朝早く出ていく。そんな彼女が藤丸の菓子やデザートをそう何度も食べられるわけもなく、週に一回か二回仕事があればいい方なのだ。
しかも仕事は歩合制ではないので仕事が無くても仕事場に居るだけでお金が入ってくる。しかも園子専属なので給料はかなり弾ませてもらっている。故に、それを元手にした上にローンを組んで彼は店を開くことにしたのだ。
幸いにも園子は藤丸を腐らせておくのなら、と彼の言葉に好意的な言葉を返してくれたし。
実際は仕事場や家ではなく彼の店をサボり場として使えるし、他の人の目線を気にせず食べる事も自分の権限なら可能だし、という魂胆があったのだが。
「まぁ、それで一月上旬にはリフォームも終わって、二月の上旬にはオープン予定なんだ」
「凄いですね……」
「師匠も手伝ってくれたんだよ。だから、かなりスムーズに事が進んだんだ」
持つべきものは広い交友関係だ、と彼は笑いながら言った。
「で、店も小さいから本来は一人で回す予定だったんだけど、やっぱ不安でさ。だから、亜耶ちゃんには自由登校が終わるまででいいからオープニングスタッフとして住み込みでバイトしてほしいんだ。勿論給料はしっかりと出すし、朝昼晩の食事は全部提供する。休みもしっかり週二日作るし、用事があるんなら全部考慮するよ」
自由登校期間が終わるまで働いてくれたらこれくらい出す、という言葉と共に携帯の電卓で見せられた桁は、まぁかなり多い。六桁前半の数字ではあるが、後半に差し掛かろうとするレベルの数字が見える。
確実に他の短期バイトと比べても実入りはいいだろうし、この先の生活の手助けになる。
だが、それとは別に、亜耶は嬉しかった。
彼から頼られた事が。そして、彼とまた一つ屋根の下で過ごす事ができるのが。
彼とまた毎日、一緒に居られるのが。
そう思うと、亜耶の口は勝手に動いていた。
「じゃあ、そのお話、受けさせてもらいますね」
暫く浮かべていなかったであろう、彼にしか見せないような心からの笑顔で、亜耶は藤丸の提案を飲んだのだった。
どうしてこんなに嬉しいのか。自分でもわからないままに。
****
オープニングスタッフとしての仕事は、あまり大変じゃなかった。
材料の入荷や店のアレコレは基本的に藤丸が彼の師匠や園子に色々と教えてもらって全部こなしており、亜耶がやる事と言えば店がオープンした時に客に清潔感のある店だと思ってもらえるよう、店の隅々まで掃除する事だったり、決まったメニューをメニュー表に記入していく事。それと店の前に出す黒板を使った看板に書く内容を考えたり。
しかしその仕事も案外早く終わってしまう事が多く、だったら二階三階の居住区を掃除してくれと頼まれ、それも終わるとじゃあ仕事は終わりでいいよ、だ。
「後はテイクアウト用のケーキ等をここら辺に置いた方がいいかもしれないな。それと、ドリンクのメニューももう少し考えた方がいいかもしれん」
「コーヒーとかソフトドリンクですよね。とりあえずソフトドリンクの入荷数を増やしてコーヒーは師匠の所で教わったブレンドコーヒーのレシピをアレンジして……」
「他にも甘味だけではなく軽食もあるといいな。ここは喫茶店の予定なんだろ? ならば甘味だけでは駄目だ」
「そうなりますよね……」
そして件の藤丸は彼の師匠から話を聞いてメモを取りながら店の舵についてあれやこれやを相談している。
彼の師匠も藤丸と同じように自分の手で洋菓子専門店を作り上げ、そこを少人数で回してきた藤丸の先輩でもある人だ。故に、その人の意見を聞きながらもオリジナリティを取り入れて自分だけの店を作り上げる。
そのために藤丸はギリギリまでメニューや店のサービスを考えている。
そうして頭を捻らせる藤丸の元に、一杯のコーヒーが。
「頑張ってくださいね、藤丸先輩」
「あぁ、ありがとう亜耶ちゃん。助かるよ」
「お師匠さんもどうぞ」
「ありがとう」
亜耶のコーヒーはこの二人のように凝って作った物ではない。
素人が片手間で作れるようなコーヒーだ。だが、意見を出しあって披露している二人にとってはその一杯が、案外染みる。
キッチンや流しなどを掃除しつつ亜耶は二人の会話をよく聞いている。一応はオープニングスタッフなので、店の事は一つでも多く知っておこうという亜耶の努力の一つだった。
「しかし、可愛らしい子だな、藤丸。あの子が従業員ならそれだけで来る奴もいるだろう」
「……あの子は四月までしかここに居ませんよ。それに、そんな目的で来るような客はあんまり相手したくないです」
「ははは、なんだ嫉妬か? もしかしてお前の彼女か?」
「まさか。俺には勿体ない程のいい子ですよ。俺なんかじゃ釣り合いません」
その言葉を盗み聞きして、そんなことは無い、と叫びそうになった。
でも、叫びそうになって口を押えて、冷静に考えて。
なんで、そんな事を言う必要があるのだろう。なんで、そんな事を言わないといけないと思ったんだろう。そう思って、それでも出そうになる言葉をなんとか飲み込んで。
結局この日も仕事は案外早く終わって、二階三階の居住スペースを掃除する事になったのだった。
****
喫茶『シャルモン・ブラーボ』、オープン。
新しくオープンした喫茶店は、そこそこの繁盛を迎えていた。
何せ藤丸はずっと前からある有名な洋菓子専門店の店長が育て上げた弟子であり、乃木園子の専属パティシエも兼ねている程の男。それが彼の師匠越しに色んな人に伝わっていき、この人が勧めるのなら。新しい喫茶店だし。あの乃木園子が認めるのなら。
そんな声が広まっていき、シャルモン・ブラーボは客が来ない事に悩むという事はなく、少ない席をほぼ毎日埋めながらちょっと忙しく回っていた。
「いらっしゃいませ。三名様でよろしいですか? ではお好きな席についてお待ちください」
そして亜耶も、そんなシャルモン・ブラーボのスタッフの一人として本格的に接客を始めた。
藤丸の師匠が持ってきてくれた接客マニュアルをしっかりと覚え、なるべく笑顔で接する。従業員服等はないので私服の上からエプロンを着けただけの簡単な制服だが、それでも彼の店をしっかりと助けられている。
そんな感覚が何となく楽しかった。
亜耶が接客し、藤丸は注文を受けて菓子や料理を作る。そんな風にたった二人ではあるが店があまり大きくない事もあり、上手く回っていた。
そんなシャルモン・ブラーボに見慣れた客が一人。
「いらっしゃいませ……って、樹ちゃん?」
「やっほ、亜耶ちゃん」
来たのは、伊達眼鏡をかけて変装した樹だった。
どうやら今日はオフらしく、おしゃれ過ぎず地味過ぎずな格好で、ついでに髪をポニーテールにした樹は出迎えてくれた亜耶に笑顔で手を振っていた。
「いやー、最近忙しかったからオープン初日に来れなかったよ」
「そうだったんだ。あ、好きな席に座っていいよ」
「それじゃあそこのカウンター席に」
樹は軽い足取りでカウンター席に座ると、早速メニューを開いた。
どうやら周りの客は樹の事を芸能人の一人だという事に気が付いていないらしく、それぞれの手元にある洋菓子や料理を楽しんでいる。
そして亜耶はお冷をお盆に乗せてメニューを見る樹の元に。
「はい、樹ちゃん」
「ありがと。そういえば藤丸先輩、お店でわたしの歌流してるんだね」
「流石に特撮の曲は合わないから、樹ちゃんの歌一択だって言ってたよ」
「ちょ、ちょっと恥ずかしいかも」
樹が歌う曲はラブソングだったり、しんみりとした曲だったり。特撮ソングのような熱い曲ではないので案外こういう所で流すとバッチリ合ったりする。
ついでに彼自身も樹のファンの一人なので、そういう意味でも彼女の歌を自分の店でずっと流している。
「それで、注文は決まった?」
「うん。これと、これで」
樹の注文をしっかりとメモして裏へと持っていき、藤丸に樹が来ている事と注文を伝えた。
そして暫くして樹が注文したモノができあがり、亜耶がそれを持っていくが、どうも藤丸も彼女に用事があったらしく、注文がもうないのを確認してから亜耶のすぐ後に厨房を出てきた。
「うっす樹ちゃん。久しぶり」
「あ、藤丸先輩。お店の開店おめでとうございます」
「樹ちゃんこそ、花、ありがとな」
花、と言われるとあのフラワースタンドだろうか。
開店記念にと運び込まれた幾つかのフラワースタンドには確かに樹……というよりも樹を含めた勇者部一同からのフラワースタンドがあった。彼が言っているのは、恐らくそれだろう。
「で、さ。ちょっと一つ頼みたい事があって」
「なんですか?」
「樹ちゃんのサインと写真、店に飾りたいんだ。頼めないか?」
「あぁ、いいですよ、それくらいなら」
「ありがとな。代わりに今日のお代は要らないから」
「やった、ラッキー」
藤丸と樹は先輩後輩として付き合ってきた期間も長いので結構気楽に話しているし、サクサクと会話も進んでいく。
亜耶はその後ろで二人の事を見るだけ。
ジーっと。
「……藤丸先輩。亜耶ちゃんが膨れっ面になってますからそろそろ亜耶ちゃんの方を気にかけてあげてください」
「え?」
それを樹に気が付かれ、樹は苦笑しながら藤丸に亜耶が現在進行形で膨れっ面なのを教えた。
亜耶自身自覚が無かったが、確かに気が付くとどうしてか膨れっ面になっていた。
本当に、なんでだろ。
すぐに顔を背けて元通りの表情を作ると、もうちょっと後で客が少なくなったらサインを書いてもらってから写真を撮ってもらう運びとなり、とりあえずは一旦客と店員に戻った。
戻ったのだが。
亜耶は本当に不思議だった。
藤丸と樹が親し気に二人で話している所を見ると、胸の火の大きさが一気に増したのは。なんだか、藤丸が取られた気分がして、ちょっと嫌な気を感じたのは。
ホントに、なんでだろ。
****
楽しい時間はあっという間だった。
もう住み込みバイトの期間は、長くない。既に卒業式を終え、二週間も経たない内に亜耶は芽吹の部屋に住居を移して大学生活となる。
別にもうここに来れなくなる訳ではない。幸いにもシャルモン・ブラーボは亜耶の通う大学からはそこそこ近い。徒歩で三十分かかるかかからないか。その程度だ。だから、来ようと思ったらいつでも来る事はできる。
できる、けど。
寂しかった。
もうここに居られなくなることが。彼と共に過ごす時間が、もう無くなるのが。
何でか分からないけど。
なんでだろ。
数年前から何度も何度も心の中で呟くその言葉。なんでだろが問う感情は十八歳となったにも関わらず亜耶は分からない。
「……あと二週間」
呟き、亜耶は自室の本棚を見た。
そこには綺麗に整頓された自分が買った本が。
教科書もあれば漫画もあって、小説もある。ジャンル分けして大きさも揃えてしっかりと順番通りに並べたのでかなり綺麗に纏まっている。
その本棚の中から亜耶は特に何も考えず、一冊の小説を手に取った。
半年以上前。樹に勧められて買った小説だ。そう言えば、買って最初の方は読んだが、その辺りで亜耶自身が好きな作家の新作が出たのでそっちを買って読んでしまい、結局今日まで読むのを忘れてしまっていた。
「そういえば樹ちゃんに早く読んでって急かされてたっけ」
ちょっと笑いながら、亜耶はそれを手に取って床に敷いた座布団の上に腰かけ、本を開いた。
内容は忘れているので、最初から。
本の内容は、ベタベタの恋愛小説だった。高校生の女の子が、家が隣の幼馴染の男の子に恋をして。でも、それに気が付かず、恋しようにもできないもどかしい時間が続き。そして、男の子が告白されたと彼女に言ったとき、彼女は自分の心をようやく自覚し、告白。男の子は主人公の女の子を選び、結果的にハッピーエンド。
要約するとそんな感じの恋愛小説。普通に無難に面白い恋愛小説だ。
「……好きな人、か」
胸の火が熱くなった。
「そういえば、何で樹ちゃんはこの小説を……」
口に出してから、また本の内容を頭の中でリフレインした。
主人公の女の子は、男の子と居るだけで幸せそうだった。でも、男の子が別の友達と遊びに行ったりしてしまうと、寂しくなって。そして偶に男の子の部屋に遊びに行くと楽しくって。
でもどうしてそんなに感情が浮き沈みするのか分からない。結果的にそれは恋をしているから、というのが読者は既に分かっている。
分かっているのに、自覚しない。そんなもどかしさを感じて――
「……あれ?」
似ているかも。
そんな事を思うと、亜耶は無意識のうちにこの小説の主人公と自分を重ねていた。
重ねていって、共通点が多い事に気が付いて。そして、最初の方。主人公が男の子を好きだと読者に伝えるための、簡単な一文。
――気が付けば、目で彼を追っていた――
「あっ……」
パズルのピースが、綺麗にハマったような。そんな感覚がした。
そういう事。あのなんでだろは、そういう事。
亜耶は小説を閉じ、ベッドの上に置くと、代わりにスマホを取って電話をかけた。電話をかけた先は、樹だ。
『もしもし?』
「樹ちゃん。小説、読んだよ」
『小説……あぁ、半年くらい前の? そっか。やっと読んだんだ』
樹の声には、ちょっと呆れが含まれていた気がした。
つまるところ彼女は。あの小説を読んで、亜耶と小説の主人公の女の子と重ね合わせて。共通点の多さから亜耶にこの感情についてを教えるために。
『それで、どう? わたしが言いたい事、分かった?』
「……それなら先に言ってよ」
『やだよ、つまんない』
「……こんど、たたく」
『はいはい』
まぁ、そういう事だ。
どうやら亜耶は途中から見事に樹の掌の上だったらしい。
『あと二週間も無いんでしょ? やる事、分かるよね?』
「……うん。勇気、出してみるね」
『頑張れ、亜耶ちゃん』
胸の火は一体何なのか。もうそれを自覚してから四年近く経ったが、ようやく分かった。ようやく分かったから、後は行動に移さないといけない。
時間は、残り二週間。いや、芽吹に同居の断りを入れなければならないとしたら、一週間以内には行動に移さないといけない。でも、もしかしたら一週間でもダメかもしれない。彼には異性の知り合いが多いから、その一週間の間に何かしらあるかもしれない。
だとしたら、今。
確実に、彼に気持ちを伝えられるときに。
そう決めたら、足はもう動いていた。顔は真っ赤だろうし、心臓はバクバク言ってるけど。でも、伝えなきゃ。あの小説の主人公みたいな状況にならないように。日和って勝機を取りこぼさない為に。
「藤丸先輩」
「ん? あぁ、腹減ったか? もうすぐ晩飯できるから、もうちょっとだけ待っててくれ」
こっちの気持ちも露知らず、彼は二階のキッチンで自分と亜耶の分の食事を作っている。
包丁を握っているから、近づくと危ない。それは亜耶だってわかっているが、それでも動いた体はどうする事もできず、気が付けば彼の背中に抱き着いていた。
「えっ?」
身長差は、大体三十センチ。中学生の頃から殆ど成長しなかった亜耶の体と、成長を続けた彼の体。約百五十の身長と、約百八十の身長。
あの心を抱いてから、こんなにも変わってしまった。体も、年齢も。
でも、心は変わらない。あの時から抱き続けていた、名前も知らなかったこの心を、ようやくぶつけられる。ようやく自覚できたそれを、ようやく伝えられる。
「わたし、四月になってからでもここに居たいです」
「し、四月って……でも亜耶ちゃんは芽吹のトコに行くんだろ? 大学もあるだろうし」
「ここから、通いたいです」
「ここからって……急に何でそんな――」
「藤丸先輩が、好きだからです。好きな人と一緒に居たいって思う事……間違ってますか?」
それこそが、亜耶の心。
彼が中学三年生で、自分が中学二年生になったあの日から抱き続けていた名前も知らなかった感情。
恋という誰しもが抱くことができるその感情を、ようやく亜耶は理解し、それをぶつけられた。
「す、好きって……そういうこと、なんだよな」
背中に顔を埋めたまま、亜耶は顔を上下に動かした。
顔が熱い。爆発してしまいそうなほどに。
「……明日まで、考えていいか?」
首を横に振った。
「今すぐってか……」
縦に振る。
今すぐにでも、答えが欲しい。
「――うん、分かった」
彼は一度天井を仰いでから、深呼吸を一回して、そう呟いて。
背中に顔を埋めたままの亜耶に、声を投げかけた。
「恋とかそういうの、もう二十歳も近いのに分かんない男だけどさ。そんな男でよかったら、付き合ってほしい。絶対に亜耶ちゃんを幸せにして、不幸な涙なんて流させないって、約束するから」
亜耶は熱い顔をそのままに、顔を埋めたままでもう一度頷いた。
最初は二か月程度の住み込みバイトの予定だったが、それは永久就職という形に変わったのだった。
****
「……まぁ、そういう事なんです。芽吹先輩、折角同居の事、許してくれたのに急に中止にしちゃってごめんなさい」
翌日の夜。亜耶は芽吹に同居の件を取り消す電話を入れた。
大学受験をする前から芽吹と立てていた予定だったので、申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、しっかりと謝ってなかった事にしようと決め、電話した。
『いえ、別にそれはいいのよ。まだ私も準備っていう準備してなかったし』
「でも……」
『ほんとよ。ただ、一つだけ聞かせて?』
「一つ、ですか?」
『お付き合いの相手は藤丸なのよね?』
「はい、そうですけど……」
『……そう、ありがと。亜耶ちゃんに手を出す虫は抹殺しなきゃ…………』
「え? 芽吹先輩!? ちょっ、今なんて!!?」
電話は相手側から切られてしまった。
分かっていた。分かっていたとも。明らかに芽吹が自分を見る目は友愛とかそういうのを越えた何かになっているって。でも、芽吹は信頼できる先輩だし、まさか手を出すなんて事も無いだろうしと思っていたのだが、違ったらしい。
一応亜耶は美森とも知り合いだ。そして彼女がクソレズなやべーやつだという事は知っている。
芽吹は、その青いのとはちょっと違うが、やべーやつには変わりなかったらしい。すぐさま藤丸へとかけた電話が繋がらないという事態に亜耶はどうしよう、と思いながら天井を見上げた。
まぁ結局。
「ただいまー。なんか芽吹から襲撃されたけど普通にボコり返して交番に放り込んできたわ」
芽吹一人だけで勇者達のメイン盾こと藤丸は抹殺できなかったらしく、亜耶が藤丸暗殺による悲しみで涙を流すという事は一切なかったそうな。
ただ、やっぱり怖かったので亜耶はその日、ずっと藤丸にくっ付きっぱなしだったとか。
と、いう事で。恋したはいいモノの恋という感情が分からず四苦八苦して何年もかかちゃった……的な感じのお話でした。
亜耶ちゃんのIFはまず亜耶ちゃんがどうやって恋を自覚する感じにしようか、と考えたのですが、色々と考えた結果、なら気づかない内に時間を進めて最後の最後で……って感じにしようと思い、こうなりました。
で、そんな亜耶ちゃんを上手く動かす役として当初は芽吹を使う予定でしたが、あのクソ緑が亜耶ちゃんの恋愛をサポートできるかと言われたら否だったので同じ緑枠で同級生である樹ちゃんにサポートをしてもらいました。
前回毒を吐きまくる亜耶ちゃんを書いてしまったので今回は悶々とする恋する乙女な亜耶ちゃんをお送りしました。
これでIFが無い主要キャラは風先輩だけですかね? でも風先輩はマジで思いつかないので多分その前に銀IFと須美IFの続きとか、思いつき次第ですが樹、しずく、亜耶のIFの続きとかも書きたいところ。
ただ、芽吹、雀、夕海子のIFは恐らく書きません。この三人が推しの方には申し訳ない。
あとのわゆ組のIFはのわゆ編終わってから考えます。ただ、書くとしたらちーちゃんスタート。