春の光は呪いの鎖になる   作:しゃけ式

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12話

 今日最後の講義である三限。いつも通り鶴岡の隣に座り、興味のない一般教養を聞き流していた。

 

「比企谷君、何か元気ない?」

 

 と、そんな折唐突に心配される。いきなりのことで、俺は何も言えなかった。

 

「何だか、今日は雰囲気がしっとりしてて」

 

 冗談を言っている様子はない。本気でそう思っているのだろう。

 

 

 理由ははっきりしている。勿論、陽乃さんに昨日のママのんとのやり取りの結果を伝えなければならないことだ。付き合うと言った翌日に振る。俺じゃなくても気が滅入るはずだ。

 

「……まあ、色々な」

「話せない?」

「言ったところでしょうがないからな」

「愚痴は言うだけでも心が晴れるよ」

 

 俺にはもう慣れたのか、最近はこうやって踏み込んでくることも多くなった。良い傾向なのだろう。

 

「じゃあ端的に」

「はい!」

「昨日付き合いだしたのに今日別れなきゃならんことになった。正直切り出し方がわからん」

「……さいてー」

「端的に、つっただろ。やむにやまれぬ事情ってのがあるんだ」

「それってもしかして二股?」

「陽乃さん以外に好きになる人なんかいない」

 

 あの人本人の前でなければ、こうしてさらっと“好き”を明言できるんだよな。陽乃さんの前で言えないのは、多分照れとかじゃなくて意地。

 

「羨ましいなぁ……」

「……」

「あ、えと、そそ、そうじゃないから! 別に比企谷君のこととか全然好きじゃないから!」

「それはそれで傷付くぞ」

「うっ、ええっとね……」

 

 いやまあ、意図は何となく理解出来ているが。どことなく由比ヶ浜を連想させるな、こいつは。

 

「それだけ好きになってもらえる、その、陽乃さん? 凄い果報者だなあって。前の新歓の時の綺麗な人だよね」

「その人だ。まあ見た目も確かにめちゃくちゃレベル高いわな」

「見た目も」

「……あの人の本質はそこじゃないんだよ。それで俺はその本質に魅入られた、というか。……なんで別れなきゃならんのにこんな惚気みたいなことしてるんだ俺」

「でもさっきよりは顔楽になってるよ」

 

 言われて省みる。認めるのは癪だが、確かにさっきのような鬱屈した感情は薄れていた。

 こいつも極度の人見知りなだけで、本来はこういう気を使えるやつなんだな。

 

「でさ、別れなきゃダメな理由はやっぱり話せない?」

「悪い」

 

 短い返答。だが鶴岡はそれだけでしっかりと線引きを理解した。

 

「わかった。吐き出したくなったら言ってね」

 

 鶴岡は最後にそう残してくれた。こいつの人となりを知るまでは長いが、知ってみるとやはり良いやつだ。

 

 願わくば、俺がいない時でもこうやって誰かと話せれば友達も増えるのにな。まあ俺が鶴岡の友達なのかは疑問だが。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 講義が終わり、鶴岡と共に正門を出る。駅までは鶴岡とも同じなので、いつもはこうして二人で帰っているのだ。

 

 だが、今日はそうもいかないらしい。

 

「比企谷君!」

「陽乃さん」

 

 衆目に晒されるのも厭わず、陽乃さんは正門の真正面で待っていた。彼女の容姿や雰囲気も相まって、かなり注目されている。

 

「じゃあ私は行くね。またね、比企谷君」

 

 気を利かせた鶴岡はそれだけ言って歩き出す。しかし鶴岡が去ってもその場の注目は止まず、俺と陽乃さんは顔を見合わせた。

 

「……場所変えましょうか」

「あら、そう? 私は別にみんなに見られてても良いけどね」

「ぼっちに強要するもんじゃありませんよ」

「私も一緒だけどね」

「……どっちの意味にしても、俺にこの状況は居心地が悪いです」

 

 この場には俺だけじゃなく陽乃さんもいる、その意味で『私も一緒』。もしくは陽乃さんも同じくぼっちという意味で『私も一緒』。

 ただし後者は成り立ちが違うが。俺は環境に適合しなかったから。陽乃さんは周囲とは一線を画す能力を持っていたから。結果だけに親近感を覚えるのは馬鹿のやることだ。

 

 俺と陽乃さんはその場を移動し、あてもなく静かな場所を目指す。流石の野次馬共もついて来てまで見ようという輩はいないようだ。

 

 少し歩いて見つけた場所はいつぞやの病院傍にある桜並木。今は全て葉桜になっており、新緑が風に揺られてさわさわと音を立てている。

 

「懐かしいね」

「ええ。と言っても、まだ先月の話ですが」

「何か、君といる時間は長く感じるや」

「楽しくないって面と向かって言われるのは慣れてます」

「逆。私には楽しくない時間しかなかったから、今みたいな楽しい時間は濃いんだよ」

 

 まるで答えになっていない発言。意味だって通っているか危ういが、今のに対しては恐らく意味を求めること自体無粋。

 

 単に長く感じる。それだけでいい。

 

「やっぱり患者さんも割と居るね」

 

 車椅子を押されている人、看護師さんと共に歩く老人、病衣を身に纏った二人の子ども、後ろを歩く白衣の医者。

 

 

 

 瞬間、鼻腔に届く蠱惑的な匂い。橋の上で出会った、あの時と同種のもの。俺は思わず目を見開いて陽乃さんを見た。

 

 

 

「ん? どうしたの?」

 

 が、陽乃さんではない。彼女からはいつもの甘い香りしか漂ってこない。となると、この匂いの源はもしかして病人だろうか。だが彼らと陽乃さんに共通点なんて見いだせない。

 

「いえ、何でもありません」

 

 平静を装ってそう伝えるが、果たして陽乃さん相手に通じたのか。まあ恐らく、そんなことはないのだろう。だが自分でも突拍子のないことだったため、彼女に思い当たるはずがない。

 何かあったのだろう。恐らくそれだけしかわかっていない。

 

「初デートにしては悪くないチョイスかな? これで映画とか誘ってたら幻滅だったよ」

「……」

「さっきから考えることが多いね」

「いえ、まあ」

 

 陽乃さんはやはり普通にデートだと思っている。似たようなことなら付き合う前にだって何度も、それこそキスやそれ以上のことだって何度もしている。

 

 それだけに、俺はどう切り出そうか悩む。

 

「初デート、ですか」

「そうだよ? まあそれっぽいのはいっぱいしてたけどね」

「あえて名前を付けるのなら、これは初デートもですがラストデートでもあるわけだ」

 

 極力、俺は本心を隠した起伏のない声を意識する。

 

 隠した本心は“別れたくない”。少しでも顔を覗かせてしまえば、恐らく爆発してしまう。

 

「……そう」

 

 陽乃さんは優秀だ。もう自分の事のように理解していること。それだけに、他のやつのように聞き返してくることなんて殆どない。

 今回にしても、陽乃さんは即座に理解した。

 

「理由は、やっぱりお母さん?」

「知ってたんですか」

「いや、君が私から離れるなんてそれくらいでしょ? というか告白した時点でそうなるかもとは考えてたし」

「好きとは言われてませんけどね」

「言わせたがり」

 

 お互い軽く息をつく。空気が軟化することはない。

 

「にしても、そっか。比企谷君なら……とは思ったんだけどなぁ」

「買い被りすぎです」

「その言葉はそう思ってた私を疑うことになるよ」

「俺に関してだけ言えば、俺の方が知ってますよ」

「私が誰かに負けるはずないでしょ」

 

 ……相変わらずの荒唐無稽。そしてそれを押し通せる程の特別。

 

 雪ノ下も手がかかるやつだ。そんな彼女をしても、自己犠牲を伴わなければ救えないとは。そういった意味では完全に妹属性を持ってるよな、あいつ。

 

「……嫌だなぁ」

 

 それは、今までのどの言葉よりも感情がこもっているように聞こえた。多分俺の思い上がりでもない。

 

 

 ──そして、病人だけではなく陽乃さんからも漂いだした“あの時”の匂い。

 

 

「……また目見開いてる。何?」

「気付かないんですか? 俺が初めてあなたに惹かれた匂いですよ」

「匂いは禁止。せめて香りって言って」

「すみません、良いですか」

 

 俺はずい、と陽乃さんへと近付く。それは初めて彼女の家へ招かれた日と同じ、匂いを嗅ぎたいという意思表示。

 

 しかし陽乃さんは体の前に手を置き、俺の接近を止める。

 

「ダメ」

「……頼みますよ」

「じゃあ私と別れないで」

 

 陽乃さんは本気の表情でそう言っている。雰囲気からも読み取れる。それほど許嫁が嫌なのか、本当に俺の事を好いてくれているのか。

 

 恐らくどちらもあるだろう。だが一番の理由は“自分の人生を勝手に決められたくない”。聞くまでもない。陽乃さんはそういう人だ。

 

「なら良いです」

 

 諦めて離れる。距離を取ると同時に陽乃さんの手が少し前に出た気がした。

 

「……もう良いや。ごめんね、迷惑かけて」

「いえ」

「じゃあね」

 

 またねではない、じゃあね。そういうことなんだろう。

 

 立ち去る陽乃さんを、俺は追いかけない。資格さえ──

 

 

「──あ」

 

 

 思わず漏れた声。しかし陽乃さんは止まらない。止まるはずがない。

 

 

 そう思ったのだが、どうやらあの人もちゃんと人間のようだ。陽乃さんは足を止めて振り返った。その瞳に一縷の希望が覗いていることは、口にはしない。

 

 

「もしもこのまま付き合い続けたら、名前で呼んでくれますか?」

 

 

 それはいつかの日にか、彼女の放った言葉。

 

 

『呼んで欲しいんなら私に認められなきゃ。ね?』

 

 

 陽乃さんから発せられる、俺を惹き付ける香り。なぜか一瞬だけ薄まったそれは、再び濃度を増して。

 

 

「私を救ってくれたら、名前で呼んであげる。比企谷君」

 

 

 そしてその現実は変わらない。俺は、彼女にとってはどこまでも“比企谷君”だ。

 

 

 陽乃さんが俺から離れていく。見えなくなるまで、俺は彼女の歩く道を見ては、轍に目をやる。

 

 

 俺が振ったのにな。けれどこの状況はまるで振られた側じゃないか。

 

 

 彼女の持つ特別。こんな時でもそれを押し通せる陽乃さんは、本当に、俺なんかには充分勿体ない。

 

 

 

 

 そしてそれが自身を守る合理化だということも、俺は等しく理解している。

 

 

 

 

 

 

 





残すところは後2話です。どうか最後までお付き合いしてやってください。
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