春の光は呪いの鎖になる   作:しゃけ式

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3話

 大学生活が始まり早一週間。三日ほどかかった全体のオリエンテーションも終わり、本格的な授業が始まって二日経った。九十分授業というものは五十分で慣らされた十二年間のせいかとても長く感じ、スマホで時間を確認して辟易するのがいつもの流れになっている。

 大教室の中、俺は真ん中よりも少し黒板よりの方の席へ座っていた。三人がけの席の左を陣取っており、真ん中の席に鞄を置いている。ちらほらとぎこちない会話を耳にしながら、これは大学生活でもぼっちだなあと一人黄昏れる。まあ大学は高校ほど人付き合いが重要にはならないだろうと勝手に考えているあたり、端から俺は友人など作る気もないんだろう。授業開始まではあと八分。少し早く着き過ぎたと反省する。

 

 そんな折、全く予期していないことが起こった。

 

 

「あ、あの! ここ空いていますか?」

 

 

 三人がけの右側に立って俺へと声をかける。突然の事で、俺は何も言えずに本当に俺に言っているのか確認するため辺りを見渡した。

 

 

「あ、すいません……」

 

 

 それが友人を探す仕草に見えたのか、気弱そうな女は残念そうにその場を離れようとした。そこを引き留めることが出来たのは、高校の頃に成長出来ていたからだろうか。

 

 

「え、はい……?」

「いやここ、空いてます」

「……あ! すみません、わたし勘違いして……」

 

 

 わかりやすく落ち込む女。白地の英字が書かれたTシャツに紺色のミモレ丈のスカートを履いており、清潔感はある。ただ先の行動にもわかる通り、出会ったばかりなのに自信の無さが透けて見える。

 

 

「いや、俺も悪いんで」

「は、はぁ……」

 

 

 俺が真ん中に置いた鞄をどけると、遠慮がちにその女は座ってきた。

 

 

 俺の隣、すなわち()()()()()()()()()()()

 

 

「……すいません、そこ荷物置く場所じゃ……」

「……っっ!? ご、ごめんなさい!! そうですよね! わたしもおかしいとは思ってたんですよ! 本当にすみません!!」

 

 

 すぐさまそこを飛び退き、慌てて右端の席に座る。顔を赤くしながら「ですよね、ですよね!」と小声でぶつぶつ言いながら手で顔を仰ぐ姿はまるで女版ぼっち、言ってみたら俺が女になったようなキョドり具合だった。

 その後すぐにチャイムが鳴り授業が始まる。授業中の間話すことは無かったが、時たま刺さる右側からの視線は少し鬱陶しく感じた。

 

 

「あの……」

 

 

 懲りずに話しかけてきたのは、授業開始から八十分、と言っても授業自体はもう終わっており、身支度をして帰ろうとした矢先だった。

 

 

「どうしました?」

 

 

 ここで一つ補足だが、なぜ俺がずっと敬語なのかと言うと相手が年上の可能性があるからだ。浪人生や落単して留年といった歳が違うのに同じ学年ということもあるため、一年しかいない必修の授業でも話しかけられたら基本は敬語を使うことにしている。

 

 

「あ、あの……。……お昼ご飯、もし良かったら一緒に食べませんか……?」

「え、あ、いや……」

「そ、そうですよね! 急にごめんなさい!」

 

 

 言い淀むとそれをすぐに拒絶と勘違いしてまくし立てる。本当は俺が異性に慣れていないせいです。まして初対面の相手なんか、レベル違いもいいところである。

 

 

「いや、まあお邪魔でなければ」

 

 

 普段断るであろう俺がそれを了承した理由は、ひとえにこの女に同情したからである。友人を作りたがっている点で俺とは異なるが、ぼっちは基本ぼっちに優しいのだ。そんなところで同族嫌悪してしまってはただでさえ絶滅危惧種なのにさらに絶滅が加速してしまう。まあ消えたところでまた新たに出てくるんだろうけど。働きアリもいれば、ってやつだな。

 

 

「あ、な、なら購買に行きましょう! 場所はその後……」

「俺弁当持ってるし先に場所取ってくるわ。その後連絡……いやすまん。流石に早いな」

 

 

 ちなみに弁当は小町お手製である。毎日これを食べに大学へ来ていると言っても過言ではない。

 

 

「いえ、いえ! もし良かったら交換……、お願いできますか?」

 

 

 涙目にも見える表情で俺の顔を覗き込む。何これこいつ本当にぼっち? こんな表情出来るくせにぼっちとか周りのやつは何をしてんの?

 

 

(……いや、まあこの性格だしな)

 

 

 一人で勝手にぼっちの理由を決めつけながら、ポケットに入ったスマホを取り出す。それを渡すと相手は驚いてあたふたしていたが、少しするとロックのかかっていないことに気付きぎこちない手付きで入力した。チラリと見えたこの女の連絡先の数は、本当に数える程しかなかった。

 

 

「は、はい! 出来ました!」

「ん」

 

 

 というか俺結構受け答え出来てるよな。これってあれか? 緊張している時にそれ以上緊張しているやつを見ると逆に冷静になる的な。

 

 

「と、それでですね……。実はわたしもお弁当持ってきてて……」

「あ、そう。なら移動するか」

「は、はいっ」

 

 

 先んじて歩き出すと、少し遅れてこいつもついてくる。教室を出ると思った以上の人間がわらわらとたむろしていたが、視線を気にせず外へ出ていった。

 

 春の陽気は肌に優しく、太陽の下で飯を食おうが暑いと感じることはない。むしろ気持ちの良い気温で、外に設置された木組みの机と椅子に向かい合って俺達は座っていた。

 小町弁当を開けると、中はオーソドックスなものだったが10割増で美味しそうに見えた。なんてったって小町の作った弁当だからな。ダンボールが入っていても美味しく食える自信がある。

 

 

「あ、綺麗なお弁当……」

 

 

 意図せず呟いたのか、言ってからハッとして口を塞いだ。何その動きあざとくない? まあ指摘はしねえけど。

 

 

「そりゃ小町が作ったもんだからな」

「あ、彼女さん……」

「妹だ」

 

 

 ちなみに彼女にしたいと考えたことは無い。嫁ならあるけど……いや入籍って形式に拘らなければ行けるんじゃないか? 何だかんだ言って小町も面倒見てくれそうだしなあ。千葉の兄妹ならそれくらい嗜みレベルだろうし。

 なんて一人で妄想していると、俺が呼ばれていることに気付いた。

 

 

「あ、あの!」

「ん、ああすまん。なんだ?」

「この連絡先の名前って、何て読むんですか? ひ、ひき……、やわた?」

 

 

 自身のスマホの連絡先画面を表示して俺に見せる。比企谷八幡。確かに初見で正しく読まれた覚えがないな。

 

 

「ひきがやはちまん。比企谷でいい」

「ひきがやはちまんさん……。はい! では、比企谷さん! わたしのことは鶴岡でいいです」

 

 

 スマホに登録された画面を確認すると、どうやら苗字が鶴岡らしい。縁起の良い苗字だなと考えつつ、よろしくとだけ言っておいた。

 

 それからはたまに会話をしたりするだけの、ただの昼食の時間が過ぎた。元々どちらも(といっても鶴岡がぼっちかどうか言質は取っていないが)人と殆ど話さない質のため、これが当たり前と言えば当たり前である。

 

 

「あの」

 

 

 こういった具合に、時たま話す時の会話の始まりは大体こいつからだ。

 

 

「サークルとかって決めましたか?」

「いや、まだ何にも」

 

 

 もっと言えば入るつもりすらない。しかしそれを言うと会話が終わってしまうため口には出さない。

 

 

「そうですか。……もし良ければですけど、一つ一緒について来てくれませんか?」

 

 

 曰く、幼馴染みの女の先輩が入っているサークルの新入生歓迎会に一度来てくれないかと頼まれたとのことらしい。サークル自体はバドミントンサークルだが初心者の集まりのような緩いもので、これまで何もしていなかったやつにとったら取っ付きやすいグループというわけだ。

 

 

「ん……」

 

 

 ただ面倒臭い。非常に面倒臭い。日付はおろか時間すら聞いていないが、俺の中では既に断る理由を考えたいた。

 しかし神様はそんな俺を見透かしたのか、乗り越えられないような試練を課してきた。

 

 

「あ、鶴ちゃん!」

 

 

 長い茶髪でストレートの、いかにも大学生といった風貌の女が駆け寄ってくる。鶴ちゃんと言うように、どうやら鶴岡の知り合いらしい。

 

 

「鶴ちゃん友達出来たんだ〜。てことはこの子も一緒に?」

「う、うん。そのつもり。今日の夕方からだよね?」

「そ。今日の十九時から二時間、大学近くの飲み放題で! じゃ、あたしは行くから!」

「あ、おい……」

 

 

 俺の呼び止める声などまるで聞こえていないかのように(実際聞こえていなかったのかもしれないが)、先輩と思しき女は去っていった。てか鶴岡も何勝手に承諾してるんだよ。ぼっちはぼっちらしくぼっちのためにぼっちを汲んでやるもんじゃねえの? ぼっちを笑うやつはぼっちに泣くぞ。

 

 

「……良い?」

「ぉう……、いや待て」

 

 

 先程の上目遣いパート2で俺に問う。これずるくない? お互い椅子に座ってんのに上目遣いとか結構な技術じゃねえの? 一色辺りなら難なくこなせそうだが。

 

 ……陽乃さんも出来そうだが、あの人は上目遣いというより下目遣いだな。そもそものステージが俺と違うし、俺の場所よりも下に降りて見上げるよりもその場所から見下ろす方が楽そうだ。

 

 

「あ、やっぱりダメだったかな……?」

 

 

 髪の毛をくるくるしながら俺ではないどこかを向く。視線の先は恐らく地面で、この下向き加減が鶴岡の自信の無さ加減を助長しているようだった。

 

 

「……ま、今回は行く。だが次似たようなのがあっても行かねえぞ。てか勝手に決めんのは俺以外でもしない方が良いだろ」

「あ、うん! ……その、ごめんなさい」

 

 

 卑屈加減がいい加減鬱陶しくなるが、それをこの場で注意する気は無い。俺だって『その気持ち悪い笑い方やめて』とか言われても、直すことなんて土台無理な話だ。つまるところ、ぼっちの間に培われた癖は一朝一夕で直るようなものではない。

 

 

 その後は取っている授業が異なるため別れ、次に合流したのは十八時半の正門前だった。日はまだ暮れず、しかし空はオレンジ色に染まっていた。夕方の中の鶴岡は元々の雰囲気も相まってなぜか幻想的に見えた。

 ただ、“なぜか”とあるように鶴岡にその感想は少し大仰だとも感じている。そういった壮大なオーラを纏えるのは俺が出会った中だと雪ノ下姉妹くらいか。少なくとも自分に自信が無い鶴岡には勿体無い言葉だ。今日会った相手に随分失礼な評価だな、というのはさておき。

 

 

「あの集団に付いて行けばいいのか?」

「うん。あ、ほらさっき会った女の子前にいるでしょ?」

 

 

 見ると、確かに前の方でチャラそうな男女グループと話していた。そのグループがその女に対して敬語を使っているのを見る辺り、あそこも一年なのだろう。出会って数日で男女グループとか正気の沙汰じゃないな。いやグループ作るのすら俺には到底真似出来ない芸当だが。

 

 

 そのまま後をついて行くこと五分強、目的の店に着いたのか皆ぞろぞろと中へ入っていった。進みが急激に遅くなったのは中で金の徴収をしているからだろう。

 

 

「はい、じゃあ一人三千円ね。あとこのガムテにカタカナで名前書いて」

 

 

 え、三千円? サイゼの某洋風ドリア十個分? とんでもないカルチャーショックに動きを止めていると、隣にいた鶴岡は何の迷いも無く千円札三枚を先輩らしき人に手渡しガムテープにツルオカと書いた。

 仕方なく俺も財布から三千円を渡してガムテープにヒキガヤと書くと、それを確認した先輩は奥の座敷ねと俺達を促した。

 

 

「なあ、これの相場ってこんなもんなのか?」

「わたしも驚いたけど、多分そうだよ。飲み放題だからそれくらいなんじゃない?」

 

 

 成る程。ただそれでも酒を飲めない俺達にとってはかなりの損だよな。言おうと思ったが座敷の向こうの状況を見て二の句が継げなくなっていた。

 茶髪金髪は当たり前、中にはグラデーションになっている面白頭まで蔓延る阿鼻叫喚。まだ素面だというのにかなりのテンションでがやがやと会話をしていた。俺達の後ろに並んでいた人を含めると、総勢約六十人程度か。これが多いのか少ないのかはわからないが、取り敢えずこのサークルには二度と顔を出さないんだろうと決意した瞬間であった。

 

 全員分の金を回収し終えたのか先程の先輩は大部屋に入るなりふすまを閉め、パンパンと二度手を叩いた。

 

 

「今日は新入生歓迎会に来てくれてありがとう! 飲み物とかお酒は適当に頼んでいくし、飲みたい人はじゃんじゃん飲んでね! それじゃあみんな騒いでいこう!」

 

 

 といった具合に音頭を取り、全員に飲み物が行き渡ってからは再度乾杯の挨拶をしてグラスを鳴らす。俺も前に注がれた飲み物を控えめに掲げ、隣にいた鶴岡と小さく音を立てた。

 

 

「か、乾杯……?」

「お、おう……」

 

 

 またも出てくるあざと行動に一瞬ドキッとし、それを忘れようとするかのごとくグラスをグイッと傾ける。瞬間飲み慣れない苦い味がし、顔に少し熱が帯びて──

 

 

「んぶっ、これ酒じゃねえか」

 

 

 少し吐き出してしまう。幸い飛沫となって出たため大きな被害はないが、隣の鶴岡はそれに驚いてむせてしまったようだ。

 

 

「すまん、大丈夫か?」

「うん、平気平気……。あ、私のはただのお茶だし、良かったらどうぞ?」

「助かる」

「あっ……」

 

 

 渡されるまま手に取り少量を喉へ流す。今度はちゃんと飲んだことのある烏龍茶であり、少し落ち着くことが出来た。

 

 

「すまん」

「あ……、いや、えっと……」

 

 

 返されたグラスを手に取るが、それをテーブルに置こうともせず何度も宙で動かしている。何をそんなに意識しているのだろうか。

 

 

「……あ」

 

 

 間接キスか。気付いた時にはもうやらかした後で、もしかしたら今のは鶴岡なりの冗談だったのかと考えると本当に申し訳ないことをした。

 

 

「それ貰えるか? この際だから全部飲む」

「いやいやいや、大丈夫だから! ホント気にしないで良いから、ね?」

 

 

 そう言って鶴岡は半ば強引にグラスの烏龍茶を全て飲み干し、赤い顔でえへへと笑う。素でやってんのか知らんが、本当にあざといなあ……。どこぞの後輩を思い出すわ。

 

 

「お、これもう女の子酔ってんじゃん? 君が飲ませたの? やるね〜。ほら、君……えっと、ヒキガヤ君もささ!」

 

 

 急に乱入してきた男が突然机に置いていたグラスを俺に差し出し、飲むように指示する。相手のガムテに大きく3と書かれているあたり、恐らく三年生なのだろう。拒むに拒めず俺はそのグラスを受け入れ、三回ほどに分けて飲み干した。

 一応鶴岡にアルコールが入っていないことは黙っておいた。その方が後々面倒なことにならないだろうと考えたためである。

 

 

「じゃあ俺も!」

 

 

 一度席へ戻ったと思うとジョッキに注がれたビールを一気に飲み干し、みるみるうちに顔が赤くなっていった。そこでようやくこのサークルはそういうやつなのだと理解した。初めてのサークルの新歓でそういう地雷があることに気付けてラッキーと思うのか、そもそも地雷を踏んでしまったことに項垂れるのか。ペシミスト気質な俺は恐らく後者の感想を抱いたことだろう。

 

 

「ねえねえヒキガヤ君! 君彼女はいるの?」

 

 

 肩を組んでそう訊いてくる。鼻につくアルコールの香りによって顔を顰めさせられる。

 

 

「いや」

「え、マジ? この子彼女じゃないんだ? てかヒキガヤ君格好良いのにね〜。ね? えぇっと……ツルオカちゃん!」

「え?! は、はい!」

 

 

 鶴岡よ。そんなところで同調してしまうと後で何を言われるかわかったもんじゃないぞ。と鶴岡が標的にされることを恐れていたのだが矛先は未だ俺から変わる気配はなかった。 

 

 

「ちょ、スマホ貸して。着歴調べるわ。女の子いたらかけるからねー」

「は、ちょっとそれは」

「おお! いるじゃんしかも先週! これはハルノって読むのかな? とりあえずかけんべ!」

 

 

 俺の静止も虚しく、先輩は電話をかける。時間的にはまだ七時半そこらなので心配していないが、それでも緊張してしまうのは不可抗力というものだろう。

 

 

『もしもし? 比企谷君からかけてくるなんて珍しいね〜。大学にはもう慣れた?』

 

 

 未だ肩を組んでいるため会話は筒抜けになる。しかし周りの喧騒によりちょうど鶴岡には聞こえないくらいの音量だ。

 

 

「あ、もしもし? 今比企谷君と話してたらお友達を呼びたくなっちゃったらしくてさー。もし良かったら来てくんない?」

 

 

 向こうの事情は一切考慮せず、この場所をぺらぺらと言って切ろうとする。しかしその直前陽乃さんは待ったをかけた。

 

 

『丁度近くにいるし合流するよ。あと十分くらいで着きそう』

 

 

 それだけ言って通話を切る。先輩はにやにやとし、鶴岡は困惑している様子だった。

 

 

「ヒキガヤ君。今話してた子って可愛い?」

 

 

 鶴岡も気になるのか少しだけ聞き耳を立てているようで、とりあえずは本当のことを話した。

 

 

「ええ。可愛いというよりかは綺麗と言った方が正しいかもしれませんが」

「お、それマジ? 彼女じゃないんなら狙っちゃっても良い?」

「……」

「ヒキガヤ君?」

 

 

 その瞬間、予想出来てしまった面倒な事態に頭痛を覚えた。場合によれば俺まで孤立することになるな。まあこのサークルには金輪際来ねえからどうでも良いけど。

 問題は鶴岡だ。俺と一緒に来ている手前どうしても変な目で見られてしまうかもしれない。一応そのことを伝えておこうかと思ったが、鶴岡は鶴岡で居心地の悪そうな顔をしていたため言うのをやめる。入りたくないのであれば一々言う必要も無い。

 

 

「相手に出来るのであれば」

 

 

 その言葉にはある種の自負も存在していたのかもしれない。俺の方がお前よりも陽乃さんに相手にしてもらえる。そもそもお前のような人種が陽乃さんの眼鏡にかなうわけがない。そんな浅はかな自慢を胸中で渦巻かせていると、それから本当に十分ほどで閉じられていたふすまが大きな音を立てて開いた。  

 

 

「この中に比企谷君はいる?」

 

 

 喧騒は一瞬にして止み、陽乃さんは視線を一点に集めた。しかし物怖じするどころか薄笑いを浮かべ、俺を見つけた彼女はつかつかとこちらへ歩いてきた。ざわめきは取り戻したものの、依然静かな場はこちらへと意識が集中していた。

 

 

「で、私を呼んだのは誰」

 

 

 温度の無い、というよりは意図的に下げられたのか。冷たい視線は俺の隣を陣取っていた件の先輩へと注がれる。

 

 

「キミ?」

「そ、そう! 盛り上がるかなー、って思ってさ。まさかこんな綺麗な人だとは……」

「帰るよ、比企谷君」

「は?」

 

 

 今の言葉は誰のものだったのだろう。俺のかもしれないし、先輩のかもしれない。ただ一つ確かなことは、突拍子もない提案に周りは最初意味を汲み取れなかった。

 

 

「こんなところにいたら君の良さが無くなっちゃうよ。個は個でいないと」

「ぼっちを強要するとか、酷い人ですね」

「その痛みには慣れてるくせに」

 

 

 立ち上がり俺の手を引く。慌てて俺もカバンを手に取ると、陽乃さんはもう一度だけ一同の方へ向かって。

 

 

「群れる相手は考えてあげてね?」

 

 

 それだけ言い残して大部屋を出る。シンと静まり返った部屋の、最後に見た鶴岡は酷く悲しそうに見えた。

 

 

 

 

 

 外に出るともう既に夜は訪れていた。先程までのオレンジ色が嘘のようだ。

 

 

「なんであんなことしたんすか」

 

 

 もうあのサークルには行けないじゃないですか。ここまで言わずとも汲み取ってくれる陽乃さんは、話していて楽でもあり面倒臭くもある。会話というものは自分が出来るレベルを相手にも求める傾向があるからだ。

 

 

「君には私だけで充分だよ」

 

 

 手は引かれたまま、少しだけ握る力が強くなる。陽乃さんが前を歩いているので顔は見えないが、不思議と感情が伝わるようだった。

 

 

「雪乃ちゃんには悪いんだけど、私本格的に君を気に入っちゃったみたい」

 

 

 歩幅を大きくして陽乃さんの隣に辿り着く。真顔でそう言う彼女には少しの狂気さえ見えるようだった。

 

 

「好きとは言ってくれないんすね」

 

 

 対して俺に出来る反撃と言えばこれくらいで、しかしその時に限って俺は陽乃さんの顔を見ていなかった。

 

 

「烏滸がましい」

 

 

 そんな風に俺をあしらいながらも、手は繋いだまま。何度か手を繋いだことはあるが、何度手を繋いでも慣れない。それはひとえに俺の女性経験の不足によるものなのか、それとも。

 彼女の態度とは裏腹に指を絡めてくる。だがなぜかその変化によりかえって冷静になり、そしてあることに気付いた。

 

 

「……すいません、定期落としてるっぽいです」

 

 

 不思議と焦りは感じていなかったが、申し訳なさは感じていた。今更あの場に戻るわけにも行かず、鶴岡にその旨をメールしてスマホをポケットに戻す。大学で落としたのなら落し物センターにでも届けられているだろう。

 

 

「ならさ、うち来る?」

 

 

 さも当然のことのように、陽乃さんはそう提案する。行った後のこと、つまり両親にどう説明するかなど断らなければならない理由は枚挙に暇がない。

 しかし、その時の俺は酔っていたからだろうか。理性の化物と呼ばれた俺は完全に理性を捨てていた。

 

 

「喜んで」

 

 

 

 

 

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