春の光は呪いの鎖になる   作:しゃけ式

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お待たせしました。遅くなってすみません。



6話

 白雪姫という話がある。恐らく誰しも一度は聞いたことのある話で、その中でも話の中核とも言える王子様のキスは内容を知らずとも知っていることだろう。あの話の重要な登場人物は三人だ。まず話のタイトルにもなっている白雪姫は当たり前として、彼女を貶める魔女、そして窮地の白雪姫を救う王子様。その誰もが村人などといった替えが効くような立場の者ではなく、全員が全員オンリーワンの役割を持つ。

 オンリーワンが同じ場所に三人も集ったのだ。話の展開上これはそうなって然るべきなのだが、これを逆説的にいえば特別な人が三人揃えば何かしらの物語が出来上がることなど当たり前だと言える。

 

 閑話休題。白雪姫は起きる瞬間まで王子様がどんな見た目をしているか知っておらず、もっと言うと彼の人となりさえ知らないのだ。起きないのだと小人に泣きつかれた、やや作為的に言い換えると今の白雪姫は何をしても起きないのだと言質を貰った王子様は何をしただろうか。

 つまり起きる確証なんてなく、ただただ綺麗な姫だったからキスをした。そうするとたまたま白雪姫が目覚め、たまたま身分が同じ相手だったため結ばれた。そもそも寝ていた自分にキスをする相手に対して全く警戒しなかったというのもおかしな話だ。

 言いたいことが何かと言うと、要は白雪姫の王子様は望んだ相手が来るとは限らない。だが白雪姫にも相手を選ぶ権利がある。

 そういった当たり前のことが欠落している物語は、果たして物語と言えるのだろうか。

 

 いや、それは一体誰の物語なのだろうか。

 

 

 

 

 午前八時五十分。大教室の中から見える外は遮られることのない日光に照らされ、まるで地面が歌っているような気がした。対して俺は沈みがちで、五月に入るなり二日目にして既に五月病を発症していた。

 

 

「大丈夫?」

 

 

 机に突っ伏している俺に声をかけたのは、今となればもうお馴染みである鶴岡だ。この授業は基本的に隣に座ることが多い。席も前半分の中程のところと勝手にだが指定席にしている。

 

 

「ああ……、まあ」

 

 

 大丈夫だとは言わず、だが大丈夫じゃないわけでもないのでとりあえず曖昧に答える。体は机に投げ出したまま、右側にいる鶴岡に右手を振る。

 少しすればチャイムが鳴り授業が始まる。三分程経ち、そろそろかと思って嫌々ながら体を起こした。教授は既に来ているが、今日はなぜか教壇の前に立っておらず教室の隅の方で男女二人組の生徒と話している。どんなやつかなど見ても見なくても同じであり、しっかり顔を見ることなく俺は注意をそこから外す。とりあえずカバンから筆箱やら何やらを準備して、チャイムを待った。

 

 

「はい、ちゅうもーく!!」

 

 

 大きく手をパンと鳴らす。音源は先程教授と話していた男女のうちの一人、遠目から見てもわかる美人だった。メリハリのついた体に肩口まで伸ばされた綺麗な髪。無機質で温度の感じない笑顔はどこか既視感を覚え……。

 

 

(!?)

 

 その顔は今朝も見たもので、思わず彼女の顔を凝視した。目を見開きながら驚く様はさぞ滑稽に映ったことだろう。しかしそれがきっかけになったのか、陽乃さんは俺に気付き仮面を少しだけ外して微笑んだ。

 

 

(だから今朝は俺よりも早く出たのか……)

 

 

 俺の驚愕を隠すようにチャイムが鳴り響き、同じタイミングでスマホが振動する。今はとりあえず俺の意識を逸らすものがほしかった。

 メール画面を開くと、まさかの差出人は他でもない陽乃さんであり内容は全力で断りたくなるものだった。

 

 

『私が立候補者を募ったら挙手するように』

 

 

 心底嫌そうな表情をして陽乃さんの方へ顔を向けると、彼女はそれには反応せず自己紹介を始めた。

 

 

「私は学生合同文化祭実行委員の雪ノ下陽乃です! ……まー本来は私がやる予定じゃなかったんだけど、就活終わってるなら去年と同じようにやってくれってね」

 

 

 彼女の荒っぽい自己紹介に、教室内は一気にざわつきだした。合同文化祭? やあの人めっちゃ綺麗じゃん、どこの大学なんだろうなど皆が思い思いに疑問を口にしているようだった。

 

 

「学校には慣れた?」

 

 

 投げかけられた質問により、先程まで喧騒を保っていたというのに一気に静まりかえってしまう。ふう、と一息ついた陽乃さんは続ける。

 

 

「みんなって大学の文化祭がどんなのかは知ってるかな? 多分考えてるよりかなり大きな規模なんだけど、私達はそれをもっと盛り上げようってことで来ました。具体的にはさっきも言った合同文化祭ってことね」

 

 

 ここまで来れば何の立候補者を募るかなど火を見るよりも明らかである。

 

 

「ね、あの人ってもしかして前に来た比企谷君の彼女?」

「前って言うとあの飲み会か。……そうだったら良いんだけどな」

 

 

 去年に比べると距離は数段近くなったように思う。だが現時点で陽乃さんは俺の何かと言われたら、彼女と答えると嘘になってしまうことは確かだ。実際俺はあの人にどう思われているのだろうか。

 

 

「てことでこの学校の一年生からも実行委員を募りたいんだけど、どうかな?」

 

 

 ろくな説明もないまま希望者を募る。仕事内容はどんなものなのか、言い方を変えるとどれだけ面倒臭いのかはっきりしていない状態では誰も手を挙げず、先程までざわついていた教室は一気に静寂に包まれた。

 俺? そんなもん挙げるわけねえだろ。誰が好き好んで社畜に成り下がるんだよ。

 

 

「んー、やっぱりいないか。じゃあそこのアホ毛の君! キミに決めた!」

 

 

 どうせ俺が立候補しないことも分かりきっていたのだろう。全く慌てる様子もなく俺を指名する。

 

 

「すいませんサークルがあるんで」

「こういうみんなの物語を個人で否定するのは頂けないなぁ」

「いやマジで抜けれないんですよ」

 

 

 言わずもがな嘘である。そんなことは誰よりも陽乃さんが知っているはずだ。

 

 

「何サークル?」

「……バドミントン、ですね」

「サークル名は?」

「あー、えっと……」

「嘘?」

「いや、名前がパッと出ないだけです」

「じゃあ確認していくから君が嘘をついていたら来てもらうからね?」

「……あれですよ、あれ。やっぱ先輩に迷惑がかかるんで行きます。それで良いですかね、……えっと、雪ノ下さん」

 

 

 陽乃さんは笑う。あの嬉しそうな笑みは俺が自信を持つのに充分な感情表現であり、まるで小さな子どもが母親を笑わせるために奔走する時のような気持ちになる。

 

 

「じゃあ他にはいなさそうだから君ね。この授業の後は何かある?」

「二限空きの三限四限なので大丈夫です」

「じゃあこれが終わる時間に落ち合おっか。それじゃあ失礼します」

 

 

 隣の男と共に教授に一礼して教室を出ていく。去り際、陽乃さんは俺の座っている机の上に連絡先と称した一枚の紙切れを置いていった。まさか本当に陽乃さんの連絡先ではないだろうと思いその中身を見る。

 

 

『挙手しなかったから罰ゲームね。今日の実行委員の集会までに心の準備をしておきなさい』

 

 

 ……何をされるんだよ、こええわ。

 

 

 

 

 

 四限が終わり、俺は陽乃さんと正門で待ち合わせる。向かった先には陽乃が既に待っており、小走りになってそこへ向かう。

 

 

「今度はさっきの男いないんすね」

「なあに、ヤキモチ? 可愛いとこあるじゃない」

「そんなんじゃないですよ。で、どこに行くんすか」

「うちの大学。本来なら同じ大学の実行委員が連れていくはずなんだけど、君のところは今年から合同になるんだよ。だから勧誘も他大の私が来たってわけ」

 

 

 歩きながら話す。陽乃さんの通う大学までは一駅か二駅といったところで、歩いて行ける距離である。それでも二人共何も言わずに駅に向かうのは、お互い歩くくらいなら金を使ってでも労力を使いたくないということなのだろう。享楽的な陽乃さんは一概にそうだとは言えないかもしれないが、少なくとも俺はそうだ。

 

 

 移動すること二十分。俺達は陽乃さんの大学に着き本部と呼ばれる教室に入った。大きな教室には既に人が結構入っていて、見た感じは五十人を超えているほどだ。

 

 

「お、隼人! やっぱいたんだ」

「隼人?」

 

 

 聞き覚えのあるいけ好かない名前に嫌な予感を抱きつつ、陽乃さんの向かう方を……。

 

 

「うおっ!?」

 

 

 見ようとした矢先、陽乃さんに手を引かれる。その先にいたのはやはり葉山隼人であり、俺と同じく葉山も驚いていた。

 

 

「比企谷……、珍しいな。お前がこんなところに来るなんて」

 

 

 呼び名がヒキタニ君ではなく比企谷。どういう立場なのか明確にした上で会話を始める。

 

 

「陽乃さんにな」

「あ、そうそう罰ゲーム。忘れてるかもだけど私は本当にするからね?」

「え、あれマジなんすか」

「比企谷、お前壊されるなよ?」

 

 

 不穏なことを言う葉山へ縋るような視線を送ってみるが、それを見た葉山は鼻で笑う。こいつ高校の頃より感情を隠さなくなってるな……。それか面子が面子なだけか。どっちでも良いが。

 

 

「君はまるで人柱の化身だな」

「何本当はちげえみたいな言い方してるんだよ普通に人柱だクソが」

 

 

 開始時間まであと十分ある。俺と葉山の会話にたまに陽乃さんが茶々を入れ、そうやって時間を潰していく。相手があの葉山だというのに、何故か俺はこの会話を苦と感じていない。この変化はやはり陽乃さんの影響なのか。そんなことを考えつつ、ガチャリとなったドアの方へ自然と視線を向ける。

 

 

「……あ! 葉山君!! うっそすごーい!」

(……マジかよ)

 

 

 ショートヘアーで男の先輩(らしき人物)の隣にいた女は先輩を置いてこちらへ走ってくる。軽薄そうな雰囲気。大学生と言えばこんな感じだろうという量産型スタイル。嫌な既視感は恐らく気のせいではないのだろう。

 

 

「やあ、相模さん。久しぶり」

「ホントだよー! ……って、え」

「久しぶりだね、相模ちゃん? ほら、比企谷君も挨拶しなさい」

「アンタは俺の母親ですか」

 

 

 それまで尻尾を振る犬のごとく顔を綻ばせていた相模だったが、俺と陽乃さんを見るなり表情が硬直する。

 そりゃそうだ。似たような状況のトラウマでの加害者一号と二号が勢揃いしているなんて、いくら葉山がいたとしても看過できるものではないだろう。

 

 

「実行委員の雪ノ下陽乃です! 今回もよろしくね、相模ちゃん!」

「え、あ、えと……」

 

 

 思わぬ相手の挨拶に、相模はちゃんとした答えを返すことが出来ず口篭る。なんとかよろしくと言えた相模であったが、その顔は来た時とは似ても似つかないものだった。俺も一応会釈だけして前の方の席に着くと、遅れて陽乃さんも隣に座った。

 少しすると立っていた周りのやつらも座るようになっていき、ものの五分で全員がひとまず席に着いた。

 

 

「よし、じゃあ始めようか」

 

 

 実行委員長であろう高身長の男は静かになった教室の中口を開いた。

 内容は合同文化祭の詳細な説明やどこと提携しているか、またそもそもの規模など思ったよりも量が多かった。

 

 

「じゃあここで一年生の代表と副代表を決めたいんだけど、誰か立候補者はいる?」

 

 

 しかしやはりと言ってはなんだが、手を挙げる者はいない。それは委員長もわかっていたようで、どうしようかなと独りごちながら顎を触っていた。

 そんな中、ある人物が手を挙げた。一年生は助かったでも言いたげな表情でその人物を見るが、残念なことにその人は一年生ではない。

 

 

「四年生の雪ノ下陽乃です。いないなら推薦が良いと思うんだけど、どうかな?」

 

 

 その質問は周りに投げかけられたように見えるが、反応を期待しているのは委員長だ。そのことは彼にもわかったようで、いないならそれしかないかなと思考を放棄した。

 

 こんなやり方ならどうしたって責任が付きまとってしまうのに。そんな憂慮もなく頷いたのは、彼の能力が高いせいだろう。それは当たり前のことで、そして成功するのも当たり前。そうとしか思えない行動に、そしてやはり陽乃さんもそうするとわかって訊いたのだろう。

 

 

「でも君達一年生はみんな殆ど初対面だよね? だから私から一人推薦したいと思います!」

 

 

 はあと大きく溜め息をつく。恨みの篭った目で彼女を睨むと、陽乃さんはいつもの楽しそうな笑顔ではなくにやりとした意地の悪そうな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

「相模ちゃん! あなた二年の時高校の文化祭の実行委員長だったよね?」

 

 

 

 

 

「「……は?」」

 

 

 俺の声と相模の声が重なる。全く予想していなかった指名に思わず声を漏らし、相模の方を見た。驚愕に支配された表情は何とも痛ましく映り、その驚いた顔で誰が相模なのか周囲が理解していく。

 

 

「そうだったよね? 隼人」

「ん、うん……。まあ」

 

 

 白々しい確認に葉山もなんとか返す。あいつもあいつで予想していなかったのだろう。必死に思考を回しているようだった。

 

 

「他に推薦したい人はいない?」

 

 

 先程一年生は殆ど初対面だと言ったくせにそんなことを訊く。手を挙げるやつなんているはずもなく、陽乃さんは話を進める。

 

 

「じゃあ相模ちゃんが一年の代表で良い?」

「え、まあ俺は大丈夫ですけど……」

 

 

 委員長は呆気に取られながらもしっかり返答する。彼の目を見る限り、陽乃さんはここでもこんな感じなのだろう。諦念の混じった視線には慣れも含まれていた。

 

 

「最後に相模ちゃん、本当に大丈夫?」

(……この人性格悪すぎるだろ)

 

 

 誰が断れるんだ、こんな脅迫。相模は嫌そうにしながらもまあ、なんて言葉を口にする。

 

 

「私は相模ちゃんの自由な発想がこの実行委員には必要だと思うからさ。悪いんだけど受けてもらえると嬉しいかな」

 

 

 マイナスから一転、耳障りの良い言葉を並べてやってほしそうに頼む。それを聞いた相模は初めこそまだ渋っていたが、やがてわかりましたと力強い返事をした。

 ……いや、流石に断れよ。面倒臭くなるのが目に見えてるじゃねえか。

 

 

「えと、一年生の相模南です。うちに務まるかはわからないけど、精一杯頑張ります!」

 

 

 一昨年の文化祭で誰に貶められていたのか完全に忘れているのか、それともその場で乗せられると後のことを考えずに行動してしまうのか。相模は自信満々といった表情で意気込んだ。周りのやつらも拍手を賛成とし、手を叩く音が相模へと降り注いでいた。

 

 

「えっと、じゃあ次は副代表かな? これも推薦にする?」

「それはこの子で決まりだよ。ね? 比企谷君」

「え」

「みんなもそれで良いよねー?」

 

 

 流れるような確認に、周りは思わず拍手する。疎らな拍手はやがて先程のものと変わらなくなり、否定する間もなく決定してしまう。

 

 

「あの」

「さ、比企谷君! 挨拶挨拶!」

 

 

 俺の背中を叩いて催促する。周りの視線は間違っても助けてくれるようなものではなく、小さく溜め息をつきその場で起立した。

 

 

「……比企谷八幡です。代表をサポートできるよう、精一杯頑張ります」

 

 

 言い終えると俺はすぐに座る。周りのやつらは拍手をするタイミングを失い、遠慮がちに聞こえた手を鳴らす音はまるで俺の困惑をそのまま映しているようだった。

 

 それからは委員長が軽く纏めて解散となった。陽乃さんは終わってからもにこにこしており、相模は俺の近くで小さく最悪と愚痴ってから部屋を出る。

 

 

「比企谷」

「葉山か。なんだ」

 

 

 出口とは真逆の俺の席にわざわざ出向いて話しかける。別に話すようなことは無かったはずだが、邪険にする理由もないので要件を訊く。まあイケメンの時点で殺されても文句は言えないはずだけどな。

 

 

「……一年だからそれほど責任のある仕事に就くとは思わない。だけどもしも俺の力が必要なら、いつでも頼ってくれよ」

「何の話だよ。というか別にお前の協力なんざなくてもやっていける。なにしろぼっちは全部一人でやらなきゃいけないからな」

「比企谷だけなら俺だって何も……、いや。これは失言だな。忘れてくれ」

 

 

 いつに無く真剣な表情の葉山。こいつの言いたいことなんて、こっちに来る前から予想出来ていた。一々明言する必要もねえよ。

 

 

「汚れ役でもやってもらうか」

 

 

 冗談半分で言った言葉。二年も前に窘められたことを強要しても鼻で笑うだけだろう。そんな俺の安易な予想は、しかし。

 

 

「それもいいかもな」

 

 

 それは誰のことを考えて言った言葉なのだろうか。俺にはどうしても意味の無い戯言には思えなかった。

 

 

 

 

 

 帰り道。俺は陽乃さんと並んで歩いていた。傾いた太陽は蒼天を赤く染め、散る雲はまるで止まっているかのようにゆっくりと流れる。

 

 

「陽乃さん」

「どうしたの?」

「あれが罰ゲームですか」

「最初は普通に代表にしてあげようと思ってたんだけどね。文句なら相模ちゃんにお願いね?」 

「というかそもそも俺を実行委員にした理由はなんですか。まさか俺と一緒にいたいから、なんて可愛い理由ではないでしょう」

 

 

 橋の上に差し掛かる。穏やかな川の流れは今のゆったりとした時間を暗示しているようだ。

 

 

「本質的にはそれで合ってるけどね」

「本質的に」

「そ。正確に言うなら君と堂々と歩くための理由が欲しかったの」

 

 

 今までも普通に一緒にいただろう。それとも実は陽乃さんの中ではこそこそしていたのだろうか。示す意図がわからずに、出来る限りの思考を巡らせる。

 

 

 

 

 

「だから、これは近付いた距離の証」

 

 

 

 

 

 ふわりと、唇が柔らかさに包まれる。眼前には陽乃さんの長い睫毛にくりっとした目が笑っていた。キスされていると気が付いたのは、触れている唇の角度が変えられた時だった。

 

 

「……こんなことしてたら、勘違いされますよ」

「勘違いじゃないから安心しなさい。……っと、ありゃりゃ。これはまずったかな?」

 

 

 陽乃さんは俺から距離を取る。足音で気付いたのか、俺の視線の奥の人物へと体を反転させた。

 

 

「陽乃。あなた何やってるの?」

 

 

 和服を身に纏う上品な女性。その顔は以前にも見たことがあり、その時は雪ノ下の母として出会った。

 今は陽乃さんの母親として。この違いは重要である。

 

 

「まさかこれが理由?」

「何の話? 言いたいことが見えてこないよ」

「っふ、そんな口を私に利くのね」

 

 

 俺には要領を得ない話で言い合いになる二人。俺はその会話とも言えない口喧嘩を傍目から見つつ、あることに思いを馳せていた。

 

 

 陽乃さん、あなたにとって俺は一体どういう存在なんだろうな。ただの妹の知り合いか、珍しい後輩か、はたまたはそれですらないのか。

 

 

 

 

 ──見えてたんですよ。あなたが自分の母親を見つけてから俺にキスするところ。今のを親への一手とするのなら、俺はそもそも人とすら見られていないのか。

 

 

 

 

 ただそれでも、俺は恐らく陽乃さんのことが好きだと思う。その気持ちが続く限り、たとえ俺は彼女の道具と成り下がっても、死ぬまで道具として利用され続けることだろう。

 

 

 夜の帳が降りる。何も考えなくても夜は訪れてくれる。それが思考を放棄した状態だったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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