ひっそりと更新。
陽乃さんではなく相模を選んだあの日から二週間が経った。あれから俺は陽乃さんの家には行っておらず、会話も殆どしていない。時たま俺から話しかけることはあるが、それでも陽乃さんは以前のように嬉しそうな顔をすることも、また面倒臭そうにすることもなくなった。その他大勢と同じ、そんな表現が当てはまってしまう。
「比企谷」
「ん?」
「言われてたやつ、やってくれた?」
代わりにと言っては何だが、最近は相模がよく話しかけてくるようになった。依然として俺のことを嫌っている節はある。しかしそれでも会話さえままならなかった頃に比べると態度は明らかに軟化していた。
「おう。一応確認しておいてくれ」
プリントアウトした名簿を手渡す。四校の一年生全員の名前が印刷されたもので、先日やっと名前の正誤チェックが終わったのだ。どうせなら各大学にデータで提出させるようにしたらコピペするだけだ終わったのに、どうしてかうちの委員長様は無理にでも仕事を作っているように見える。
……思っていたより楽だな。そう思わせないためってところだろうか。今のうちに仕事に慣れさせる。そう考えると納得だが。
(面倒臭いんだよな、正直)
一年生の代表と副代表、つまり相模と俺には他よりも多く仕事を回される。これも後のことを考えたら理解出来るが、面倒臭いものは面倒臭い。しかも相模は何かと理由をつけて俺に任せることが多々ある。専業主夫志望を働かせんなよ、本当に。
「お前が養ってくれるんなら別だけどな」
「は? キモすぎ」
「俺の罵倒に限ってすぐに理解するのはなんでだよ」
「比企谷がキモいからでしょ。……ああもう! どこまでチェックしたか忘れたじゃん!」
名前欄と持ってきた紙を睨めっこしながら不満を漏らす。改めて考えてみると今の俺と相模は変な距離感だな。そう思わずにはいられない。
「お疲れ様、比企谷、相模さん」
「葉山君!」
パッと弾けるように相模は顔を上げる。葉山はいつものイケメンスマイルを浮かべており、手にはA4サイズのプリントの束があった。
てか相模お前、今のでまたチェック漏れただろ。色々注意力散漫なんだよ。
「これで良かったかな、相模さん」
葉山は束の一番上のプリントを手渡す。これも数日前に相模が委員長に任されたものの一つであり、一人ではやり切れないと俺に泣きついたものだ。そこから横流しで葉山へと渡った。つまりワークシェアリングなわけで、別に俺が楽したかったからとかじゃない。絶対に。
「うん! ありがとう! ほら比企谷からもお礼言いなよ」
「ん……、……いやいや、別に頼んだわけじゃねえから。押し付けたのが俺だ。だから立場は俺の方が上なわけでだな、つまりご苦労とは言えどお礼なんて言う筋合いはない」
「比企谷キッモマジでキモい」
「あはは、いいよ相模さん。比企谷も俺に頼ってくれたんだからさ、これは成長を見せちゃったことに対する照れ隠しだよ」
は? 何言ってんのこいつ? 馬鹿なの? イケメンってパッシブで頭脳デバフ受けてんの?
「比企谷……、何でそんな顔してんのさ」
「いやだって葉山が頭のおかしい発言するから。流石にイケメンスキーのお前でも今のは引いただろ?」
「誰がイケメンスキーよ! ていうか全然引かないし、むしろ比企谷の照れ隠しは合ってるでしょ!」
「合ってるわけねえだろ馬鹿かお前!」
「二人とも仲良くなったな」
葉山が(こう言うのは誠にどころか死ぬほど遺憾だが)微笑ましそうに俺達を見て、そう笑う。
俺と相模が仲良く、ねえ。チラッと相模の横顔を盗み見るが、感じるものは何もない。ただビッチになりきれない中途半端女だな、としか思えない。
「っ」
視線に気付いたのか、相模は横目で俺を見た。正確には視線を感じる方向だろう。だが今ので二人の目が合ってしまう。
「……すまん」
「えっ?! いや別に大丈夫……、あ、やっぱりキモいから! 別に何も思ってないから!!」
なんだこいつちょっとあざといな。変に見栄張るよりはこっちの方が全然好感持てるわ。いや別にあざといのが良いわけではなく。
「あ、そろそろ会議始まるみたいだね。俺は戻るよ」
「うん! またね!」
「ん」
そして葉山の言う通り、それから程なくして会議は始まった。
席は前と同じく陽乃さんの隣に座っているが、あのむず痒いような絡みも、ドキッとするような視線もない。ただの隣人。陽乃さんを意識すれば意識するほど、過去とは比べるまでもなく冷たく感じる。
今日は特に差し迫った仕事はないらしく、今後の予定を確認してどの日に誰が来れるかを詰め、解散になった。以前なら陽乃さんと一緒に帰るのだが、最近はもう別々だ。別にひとりだから寂しいだとか、そんなことは思わない。ただあれだけのことでそこまで引きずるのかと思うと、どうしても思うところは出てきてしまう。
それとも、彼女を選ばない俺には興味が無いのか。悪寒にも似た予感は、たしかに俺を凍りつかせた。
「比企谷君」
「っ」
そんなことを考えていたからか、およそ二週間ぶりに俺の心は跳ねた。それまでにも何度か話してはいたが、向こうからは本当に久々だ。
「どうしました?」
努めて冷静に訊く。俺はあなたには興味ありませんよ。そんな風を装いながら、内心の狂喜を隠す。
「……そっか、安心したよ」
「何をですか」
「君がそんな風に想ってくれてたなんて。もっと早く話しかけたら良かったかな」
陽乃さんは少し照れたように笑う。頬をかく仕草は今まで見たことがなく、その意味を考えるが『照れ臭かった』しか出てこない。彼女に限って、そんなことがあるのだろうか。
というか、それよりもだ。
「俺、そんなに想ってるような顔してましたか?」
「私を誰だと思っているの?」
「……ですね。場所変えましょうか」
気付けば本部からは半数以上の人が消えていた。それほど話していたわけじゃないのに、不思議なものだ。
「何? もしかして襲われちゃう?」
「お望みとあらば」
軽く流して陽乃さんの手を引く。それに驚いたのか、陽乃さんは慌てて自分の鞄を持ち、俺についてくる。本部を出て少ししたところにある空き教室。そこに連れ込んだ。
カーテンが閉まっていたため教室には光があまり届いておらず、電気も点いていないため全体的に薄暗い。
二人だけの空間。無音がどうしようもなく体を刺す。
「比企谷君さ、ここ最近お姉さんが構ってくれないからって怒っちゃっ……んんっ?!」
言葉を遮って口付けをする。苦しそうにして押し返すが、構わず抱きしめる。
やがて抵抗がなくなったところで唇を離す。生理的なものだろうが、陽乃さんは少し涙目になっていた。
「怒ってるというか、不思議なんですよ。あんな茶目っ気でそこまでします? みたいな」
「……それで無理やりキスしたの? ガハマちゃんとか雪乃ちゃんならこれだけで落ちたかもしれないけど、私はそうはいかないからね?」
「質問に答えてくださいよ」
「答えるのが恥ずかしいってことくらい察しなさい、バカ」
その口調だとそっぽを向くのがお約束なものだろうが、何故だか陽乃さんはじっと俺の目を見ていた。ほんのり頬を朱に染めているが、構わず俺の目を覗き込む。そこから何を読み取られているのか、俺は少しの恐怖とある種の期待を滲ませた。
「今日陽乃さんの家に行っていいですか?」
この人相手に自然な流れや口上は不要だ。そんな不自然、彼女が看破出来ないはずがない。
「……じゃあ、帰る?」
そう言いながらも、陽乃さんは俺の首に両手を回す。彼女が目を瞑るまでもなく、俺は彼女の腰へ手を回して再度口付けをする。それはやはり正解だったようで、陽乃さんは目を細めながら、やがて閉じた。
「ん、メール」
「誰から?」
陽は落ちた午後七時。陽乃さんの家で夕食を食べていた時、不意にスマホが鳴った。
「……聞いても怒りません?」
「ん? それはお姉さんが君に送ったメールの主に嫉妬するってこと?」
「端的に言えば」
「お姉さんを誰だと思ってるのよ」
「相模からです」
「…………ふーん」
(この人意外と嫉妬深いな……)
他の人には見せない、いかにも人間ですよとアピールする顔と雰囲気に俺は小さな笑いをこぼし、メールの内容を確認する。何かまた頼み事だろうか。別名仕事の押しつけ。
『もし良かったらだけど、今週末どっか行かない? うち的には葉山君と二人っきりが良かったんだけど、なんか葉山君がどうしても比企谷とも行きたいって。まあ別に断ってもいいけど。そしたらうちと葉山君の二人っきりだし』
……なんだこれ。珍しいこともあるもんだな。高校生の頃なら考えられないな、こんなメール。
「で、どんなメールだったの?」
「遊ばないか、的な」
「へえ。行くの?」
「そんなわけないでしょう」
俺は適当に行かないとだけ書いて送信する。断っても良いのなら喜んで断るだろ。誰が好き好んで嫌われに行かなくちゃならないんだよ。そうでなくとも時間が勿体ない。
ブーッ、ブーッ。
「……またか」
特に陽乃さんには何も言わず、メールを開く。今度もまた相模からで、しかし内容は想像とは異なっていた。
『葉山君に言ったら、比企谷が来ないならまた今度比企谷が来れる時にしようだって。本当は死ぬほど嫌だけど、来てよ』
……なんだこいつ、ちょっと可愛いな。なんかツンデレの匂いがする。まあこいつに限っては確実に俺のことを嫌っているからデレるなんざ天地がひっくり返ってもありえないだろうがな。
『なら行く。何時にどこだ?』
過去の体裁が軽くなった分、葉山も仲良くなって欲しいからとかいう戯言のためではないはずだ。何か別に理由がある。今のあいつには、そういう前とは違う
最終的に、週末の昼過ぎとのことで昼飯は各自で食べてくる旨が返ってきた。そのメールを受けた時には既に夕食は食べ終わっており、俺が皿を洗っている時だった。
「比企谷君、お風呂湧いたしそれ洗い終わったら先に入っておいで」
「いやいや、人様の家で一番風呂を貰うとか図々しいでしょう」
「それを言うならお皿を洗わせてるのも図々しいよ? 合鍵を渡してお皿を洗わせる。この意味をよく考えるんだね」
「……なら、お先に頂きますね」
丁度最後の皿を洗い終え、乾燥機に詰めたところ。俺の着替えは既に何着か陽乃さんの家に置いてあり、いつもの場所からそれを取り出して風呂へ向かう。
こういうのが同棲生活なのかもな。思わずにはいられなかった。
洗髪、洗顔を終えもう一度シャワーを浴びる。この家の高そうなシャンプーにもやっと慣れたな。いつもはなんか藻がどうたらとかいうのを使っているから、こういういかにも値段張りますよみたいなのは初め本当に慣れなかった。まあ慣れたってのは、つまりそれだけ長い時間ここで過ごしたのだろう。少しだけ感傷に浸りながら、後ろのドアが開く音を聞いた。
……後ろのドアの開く音?
「ひゃっはろー、比企谷君! お背中流しに参りました!」
「ちょっ、馬鹿じゃないですか?!」
「据え膳だよ。す・え・ぜ・ん」
いたずらをする子どものように笑う陽乃さん。しかしいくらタオルで隠しているとはいえ彼女の肢体はどう見ても子どものそれではない。
「さ、比企谷君! 私の見立てでは多分丁度洗顔が終わった頃だと思うんだけど、どう?」
「あんたマジで怖いな!」
「やっぱり当たり? じゃあ体は私が洗ってあげる。体の隅々までね」
「いや結構ですから! 俺上がりますんで!」
このままだとまずい。血流はもう既に局部へ集中しているのだ。何がやばいかってもう我慢出来る自信が無い。
「じゃあ……、えいっ」
「あざとってか押し付けんな陽乃さん!!」
……まあしかし、あれだ。そりゃあれだよ? こういうのは付き合ってからじゃないとさ、やっぱり不誠実じゃん? そう思って俺も陽乃さんに言ったんだよ。だけど。
『あーあ、今日付き合ってもない男の子から無理やりキスされちゃったなー? 純情弄ばれちゃったなー?』
とか言われたらさ。何も反論出来ないじゃん?
結局、俺は我慢出来ませんでした。まる。