さて、その異変が起こったのはどの辺りからだったか。
「……んう?」
すうっ、と。
まるで波が引いていくように、シャドウサーヴァントがその姿を消していっているのだ。
気が付けば、残る数はわずかに十数体。はてさてこれは一体どういうことなのか?
不審に思い、大元の原因たる大聖杯を見てみれば。
「……あらー……」
ゴポゴポと不穏な音を立てて、
それはまるで、得体のしれないナニカを産み落とそうとしているかのように。
呆然と立ち尽くすスペンタマユの隣で、いつの間にやら自分の仕事を済ませていたアンリマユが嗤う。
「よう裁定者。知らず知らずのうちに爆弾の起爆に一役買ってた気分はどうだい?」
「考え得る限り最ッ悪ですね。何を企んでんのかと思いましたが、こういう事ですかよくわかりましたさあ死ね」
「おいやめろ馬鹿オレを狙うな! 言っとくけどオレはどちらかと言えばストッパー側だかんな!」
「は?」
短剣を振りかざす少女に、少年が弁解する。
曰く、
・お察しの通り聖杯の中身は『この世全ての悪』
・その目的は魔力を糧に受肉して再誕すること
・ただし悪にも色々あって一枚岩とは限らない
・そのうちの一つが聖杯の中に身投げして復活の時を狙っていた
・それで、シャドウサーヴァントの量産はその一角
・サーヴァント一騎分にも満たない申し訳程度の量の魔力を大量に食らうことで受肉を目論んでいる
・よってオレは悪くない。オーケイ?
とのこと。
ひとしきりその話を聞いたスペンタマユはどうやってしまっていたのかも不明なこぶし大の宝石を懐から取り出し、
「
「おいやめろ馬鹿自爆する気かテメェ!? 知ってるからな、それ魔力も質量もお前が持てるギリギリのレベルまで圧縮されてんだろ!?」
「起爆すればここら一帯消し飛びますね。もう一周回ってそれもアリかもって気がしてなりませんが」
「根本的解決になってねえだろバーカ!!」
そんな喜劇をしている合間にも、状況は進んでいく。
ズアッ! と聖杯の中からどす黒い腕のようなものが飛び出したかと思えば、辺りにあるものをのべつ幕なしに食らい始めたのだ。
はじかれるようにその奔流から逃げ出しながら、彼らは言葉を交わし続ける。
「あーらら。そうまでして魔力が欲しいかね」
「生まれるために必要だからでしょう、っと!」
迫りくる腕の一本を切り落とす。
その途端に金属音のような悲鳴を上げながら、大量の腕が進路を転換し、白い少女目がけて殺到した。どうやら攻撃してきた奴から潰していくように術式が組まれているようだ。
「数が多いなあ……イソギンチャクでも目指してるんですかね?」
「あくまで人から生まれたモンだ、ベースは人型だろうさ。ま、変な因子が混ざってりゃその限りじゃねえけどな」
「そうですか──ハッ!!」
持ち前の敏捷性を最大限に生かして迫りくる触腕のことごとくを斬り落としながらも、裁定者の表情は優れない。
というのも、復讐者が無限の残骸を破壊し尽くしたことで時空のねじれが解けたのか、外に出ていたシャドウサーヴァントが一斉に中に入り込み始めたのだ。
あるいは聖女の死とともに狂った大元帥が。あるいは云われなき風聞に今なお苦しむ護国の鬼将が。あるいはある男への憎悪に猛り狂う美麗なる女戦士が。あるいは月に魅せられたまあ偉大な皇帝が。
歪んだ大聖杯へ向けてなおも進軍を続けていく。
「チィッ、アンリ!」
「なんだマユ!」
「愛称で呼ぶな虫唾が走る! その辺のシャドウサーヴァントを片付けといてください!」
「横暴だなテメェ!」
「口より先に手を動かす!」
「いってぇ!!」
ガツン、と少年の後頭部にこぶし大の宝石が直撃する。もちろん、その正体は先ほど少女が創ったニュークリアジュエルだ。
幸い衝撃には強いようで、ショックで起爆するようなことは無かった。
しかし忘れるな。アレは裁定者が有り余る魔力を使って生み出したド級の爆弾にして極上の魔力源である。
「あっ!? しまった!」
無数に伸びる触腕の一つが、その宝石塊を掠め取る。それに気付いた時にはもう遅く──それが大聖杯の中へと放り込まれた、その瞬間。
スドォッ!! という轟音と共に、大聖杯の中身があふれ出した。
それは周囲を汚染しながら無秩序に流れ出るかと思いきや、直後に統率の取れた動きを見せる。
──最初に生まれたのは、一対の巨大な『腕』だった。
それらは龍洞の天井に巨大な手のひらを押し付けると、
【──────!!!!!!】
轟音、咆哮。耳をつんざくほどの音とともに、龍洞が崩落する。
そうして姿を現したのは──全身をドロドロに蕩かしてなお倒れることの無い、黒き巨人だった。
崩落する瓦礫を足場に駆け上りながら、かつてその名を冠していた必要悪は告げる。かつてその対極に座していた良心の残滓が叫ぶ。
大手を振って世界が誇る、人類史における負の象徴──その真名を。
「は、ははは……
「ヤッベェなこりゃ……さあテメェら気張りやがれ、
「■■■■■■■■■■■■■■■!!!!」
咆哮とともに暴走を続けるヘラクレス。
先の激突の際に粗方の武具に対する耐性は得たのか、それとも一緒くたに『刺殺』というカテゴリに押し込めることで対応しているのか──理由は不明だが、ギルガメッシュの攻撃でも特に傷を負っている様子はなかった。
そして、その様子を呆然と眺めるマスターたちの元へ近寄る影が一つ。
「ふう。なんとか間に合ったみたいね」
「あ、アンタ……」
相も変わらず魔力枯渇でひっくり返っていたセイバーのマスター──衛宮士郎に甲斐甲斐しく世話を焼く白い少女。
そう、彼女こそがバーサーカーのマスターにして聖杯を作った三大元凶の一角・アインツベルンからやってきた刺客、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンである。
「アインツベルン……」
「ええ。私がそうよ」
「……なんで今更来たのよ」
「それは……バーサーカーのせいね」
ほら、と少女の指が今も暴れ狂う大英雄を示す。そういえば以前とは姿かたちが微妙に異なっているが、今度は一体何をしでかしたのだろうか。
「ちょっと英霊としての格を上げるのに手こずったのよ」
「ただでさえ半神半人の大英雄をこの上格上げとか何考えてんの!? 魔力切れたらコイツみたいに倒れるだけじゃすまないわよ!?」
「ええ。当然分かってるわ。そのくらい、対策して当然でしょう?」
「……具体的には?」
アーチャーのマスター──遠坂凛が問う。
それに対してイリヤスフィールは事も無げに、
「魔力源は全部ルーラーに肩代わりしてもらってるの」
「結局人任せか!」
「それはそっちもでしょう?」
なにおう! と憤慨する凛。
しかしマスターがノックアウトされているはずのセイバーの魔力供給も含めて人任せにしているのはこちらも同じなため、それ以上は何も言い返せなかった。
だがその時、異変が起こる。
「……ふむ、地震か?」
僅かにだが、大地が揺れている。
それに気付いたアーチャーが弓をつがえながら眉をひそめるが、その他のリアクションは絶大だった。
ギルガメッシュはあれだけ好き放題にバラ撒いていた宝具の数々を一斉に回収し、手元にある一本だけに留めてしまう。
アサシンはそのスキをついてアーチャー達の元まで後退し、そこへキャスターが素早く結界を張った。
セイバーとランサーは追撃に入る直前の体勢で動きを止め、不審そうに龍洞の
そして。
【──────!!!!!!】
凄まじい轟音と共に、あろう事か
その奥から顔を覗かせているのは、その体をドロドロに融かした不気味な巨人。
呆然とする彼ら彼女らに、鋭い警告が飛ぶ。
いや、それは警告ではなく──諦念と、嘲笑だった。
「は、ははは……
「ヤッベェなこりゃ……さあテメェら気張りやがれ、