気に食わないお隣さん   作:難民180301

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後編

 日曜日の大学のキャンパス内は閑散としている。平日授業に使われる講義棟は軒並み施錠され、休日にわざわざやってくる学生の大部分が図書館の自習スペースか部活の活動場所に集まっているからだ。

 

 とはいえ例外もあって、部活動に精を出す学生向けに休日も開かれている食堂棟と購買の周囲だけは、まばらに人影がある。広々とした食堂の屋外テーブルにはサークルの集まりだろうか、若い男女がいくつか固まって雑談を交わしている。

 

 そんな彼らは雑談の合間にチラチラと、一点に視線を向けていた。

 

 食堂棟と隣接する自販機スペースのベンチの上。そこでスヤスヤと寝息を立てる男女――イズミと掛野の二人が、視線の向かう先である。

 

 深く寝入っている二人は仲良く肩を寄せ合いお互いに寄りかかって眠っているのだが、四十センチ以上も身長差があるのでせいで大木に寄り添う猫のような図となっており、学生たちは微笑ましくその様子を見つめている。

 

 しかし寄りかかられているのは猫、イズミの方も同じで、大木たる掛野に体重をかけられているせいで非常に寝心地が悪かった。

 

 顔をしかめながらまどろみを振り払って目を開ける。

 

「うーん、重い……おい、君。起きろ」

 

「くく、そこでリバサ昇竜たあ安い、安い女だぜ……」

 

「ふんっ!」

 

「ぬう!?」

 

 脇腹をひじでついた。極めて不愉快な夢を無理やり中断させる。

 

「な、なんだ? もう時間か?」

 

「待ち合わせの二十分前だ。そろそろ起きてた方がいい。君、低血圧なんだから」

 

「そうかあ……ふああ」

 

 掛野が一目をはばからず大あくびをするので、イズミもつられて小さくあくびをもらす。

 

 夜通し格ゲーで戦い続け寝落ちした二人は、結局起きてすぐ対戦を再開して三時間近くモニターの前に釘付けとなった。イズミの友人に彼氏の体で掛野を会わせる予定が昼の十一時からだったので、それを思い出した二人は大慌てで支度し、待ち合わせ場所についたとたん揃って眠りに落ちたのだ。

 

 ちなみに対戦は僅差で掛野が勝ち越した。リバサ昇竜とはイズミの好きなリスクの高い逆転戦術の一つで、これが裏目に出て掛野に勝ちを奪われてしまった。先ほどの寝言は勝利の余韻だろう。イズミにとっては苦い敗北である。

 

 不意に立ち上がる掛野。

 

「エナドリ買うわ。お前もなんかいる?」

 

「カフェ……ブラックコーヒーちょうだい」

 

「おう。あ、やべ間違えた」

 

 お互い体力が残ってないので煽り合い皆無の淡泊なやり取りに留まる。

 

 が、掛野に投げ渡された缶飲料のラベルを見ると、イズミの中でスイッチが入った。

 

「これどう見てもカフェオレなんだけど。寝起きはブラックがいいんだけど」

 

「お前みたいな子供にブラックはまだ早い。背伸びはかわいいだけだからやめとけ」

 

「同い年だろーが! それとかわいいとか言うな! 君に言われると寒気がする!」

 

「朝からテンションたけーなオイ……」

 

「逆に君はどうしてそう冷静に僕の神経を逆なでするのかな。まったく」

 

 小さくいただきますとつぶやいて、カフェオレを一口。甘い。眠気覚ましには足りないけれど、やはり味としてはブラックよりも断然好みだ。もちろんそんな感情はおくびにも出さない。

 

 ちびちびと冷たいカフェオレの味を楽しんでいると、エナドリですっかり覚醒した掛野が口を開く。

 

「よし、目は覚めた。最後の打ち合わせといっとくか」

 

「うん。ここで認識がずれると一気にボロが出るからね。まず、僕と君の出会いは?」

 

「駅前のゲーセンで対戦してから意気投合してよく会うようになった。いつの間にか付き合っていた」

 

「次に、彼女のどんなところが好き?」

 

「全部」

 

「次に――」

 

 二人が打ち合わせているのはカップルとしてのカバーストーリーである。恋人同士でもなんでもない二人だが、イズミのプライドを守るために友人の前でカップルを演じなければならない。そのための基本設定を確認しているのだ。

 

 ただし、二人とも恋愛経験皆無な上どうでもいいことには手を抜く性格のため、細かい部分はかなり雑だ。たとえばお互いのどこが好きか、なんてことは考えようもないので思考放棄で全部としている。

 

(この人のことが好き、か。演技にしてもぞっとしないや)

 

 設定を復唱していく掛野を見ながらイズミはこっそりため息をつく。

 

 ひょろっとした長身痩躯、ワカメのような乱れ髪に鋭い目つき、しゅっと通った鼻筋と突き出た頬骨によりシャープな印象のある顔貌。見た目は細いことを除けばさほど悪くないし、内面は、煽り合いをしてばかりで大して知らないけれど、ニッチな世界でプロをやれているならまあ悪人ではないのだろう。

 

 けれど好きか嫌いかで言えばどちらでもない。そんな感情よりも、格ゲーで完膚なきまでに打ち負かして二度とあなたには勝てませんと敗北宣言をさせたい気持ちの方がはるかに強い。

 

「――こんなところか。何か間違いはあったか?」

 

「特にないよ」

 

「そうか。それにしても、お前が俺の彼女なんて演技にしてもぞっとしねーな」

 

 掛野は知らぬ間にニヤニヤとした腹立たしい笑みを浮かべていた。人を全力で煽るときの合図だ。対抗するようにイズミの額に青筋が浮かぶ。

 

「……はぁ~? そんな態度でいいのかな? 今のうちに愛想振りまいとけば本物になってくれるかもよ? 君みたいなさえないノッポが彼女を持てるチャンスだよ?」

 

「はっは、チビがなんか言ってんな。彼氏彼女なんて言葉はな、その幼稚園児ボディーをどうにかしてから言うセリフだ。じゃなきゃ背伸びしているようにしか見えねーからな」

 

「幼稚園児言うな! 小学生くらいはあるわ!」

 

「俺にとっちゃ百四十センチ以下はみんな一緒ですぅー」

 

「このデカブツ……!」

 

 ここまでが二人の間でのウォームアップだった。一度ツッコミに回った分、戦局はイズミのやや不利か。一触即発のピリピリした空気が漂う。

 

 いつもならイズミが暴力に訴えるか、掛野がキレるかして終わる煽り合いだったが、

 

「こんにちはー。 二人ともまだ十分前なのに早いねー」

 

 待ち人が来たのに合わせ、争いの空気がきれいさっぱり霧散した。お互いに後で覚えてろ、という意図を込めた一瞥をくれてから気持ちを切り替える。

 

 こうして、イズミの面目を保つための演劇が開幕したのだった。

 

---

 

 待ち合わせ場所に現れたのはイズミの友人の一人、田宮である。肩甲骨あたりまで伸ばされたふわふわのくせ毛、おっとりしたタレ目、サイズ大きめのカーディガンが緩くおおらかな印象を与えている。

 

「あれ、田宮一人? 松井は?」

 

「バイトー。どうせイズミちゃんにべそかいて謝られるだけだから、休んでまで行く価値ないんだってー」

 

 もう一人の友人はイズミの嘘を見抜いてドタキャンしたようだ。もしも先日の対戦で掛野に負けていれば敗者のプライドが邪魔して頼み事なんてしなかっただろうから、今日の待ち合わせでは本当に謝るしかなかっただろう。

 

 閉口するイズミから視線を外し、掛野を見やる田宮。

 

 掛野がうさん臭い営業スマイルを浮かべると、田宮も微笑で応えた。

 

「でもその価値はあったみたい。初めまして、田宮です」

 

「どうも初めまして、このチ――イズミの野ろ――イズミさんの彼氏の掛野です」

 

(今チビって言おうとしたな!? 人の名前くらい普通に言え!)

 

 初手からガタつきを見せる演技だったが、それからは手はず通りに進行した。イズミにとっては寒気のするような営業スマイルと丁寧口調で、主に掛野が田宮の質問に応対する。馴れ初め、お互いの好きなところ、日常でのノロケ経験など、想定通りの質疑応答を通して彼氏彼女の関係を田宮に刷り込んでいく。田宮自身も恋愛に疎いのか、イズミたちの想定を超える質問をすることはなく、円滑に目的達成へ近づいていった。

 

「ところで」

 

「はい?」

 

 その流れをぶった切ったのは演技の主役、掛野その人である。

 

「彼女、恥ずかしがって大学でのことをほとんど話してくれないんですよ。よければ何か教えてくれませんか」

 

「いいですよー」

 

 イズミは眉をひそめた。掛野に大学生活の話をしないのは恥ずかしいからではなく、その暇があれば煽るか対戦をしているからだ。まさか掛野がこちらに興味を持つわけもないし――イズミはハッと息をのむ。

 

(コイツ、煽りのネタを探すつもりか!)

 

 掛野の貼り付けたような笑顔が若干崩れ、にやりと唇が吊りあがっているのを見てイズミの疑念が確信へ変わる。煽りのネタ、つまりイズミの弱味を未発掘の一面から探ろうとしているのだ。

 

 彼氏が彼女の未知の一面を知ろうとするのはおそらく不自然ではないから、イズミが無理に止めることはできない。できることは田宮が下手なことを言わないよう祈るばかりである。

 

「まず、私たちの所属しているサークルが『格ゲー愛好会』っていうんですよ。それを立ち上げたのがイズミちゃんなんですー。入学式にジャージ姿で、『格ゲー好きな人サークルやろう』って書かれた看板片手に正門前にポツンと立ってました」

 

 イズミにとっては特に恥でも弱味でもないエピソードだった。真新しいリクルートスーツを着込んだ新入生たちの中で一人だけジャージだったのは場違いだったが、悪目立ちでも宣伝効果が高まったので結果的に正解だった。ほっと息をついて続きを聞く。

 

「あんまり目立ってたから、新入生も在学生も気になって結構集まったんです。私もその時の一人ですね。集まった人たちにイズミちゃんがサークルの趣旨を説明して、みんなで駅前のゲームセンターへ格ゲーをしに行きました。そしたら――」

 

 クスクス、とおかしそうに笑う田宮。

 

「イズミちゃんが全員叩きのめしちゃったんですよー」

 

「はは、そうなんですか」

 

 愛想笑いで驚いたふりをしているが、掛野の目は笑ってなかった。結果を知っていたイズミ自身も特に思うところはなく、口を噤んでいる。

 

 格ゲーの勝敗には操作技術と知識が直接反映される。運も絡むことはあるが、それは実力が高いレベルで拮抗している場合に限ってのことだ。プロ級の実力を持つイズミが初心者やライトゲーマーに負けることは天地がひっくり返ってもあり得ないだろう。

 

「それから自信のあった人たちがムキになって何度も再戦するんですけど、一回も勝てないんです。結局、『たかがゲームじゃないか、本気になってみっともない!』って大騒ぎし始めて。そしたらイズミちゃんが」

 

『たかがゲームで顔真っ赤にして大騒ぎするのはやめなよ』

 

「って言い返してですねー、もうほとんどの子が怒って帰っちゃったんですよー!」

 

 何がおかしいのか、心底愉快そうに笑っている田宮だが、イズミには笑いどころが分からない。首をかしげながら当時に思いをはせる。

 

 小さいころから格ゲーが好きで、ゲームセンターで暇を持て余した大学生たちや中年オヤジ相手に戦ってきた。知り合いは大量にできたものの、率直すぎる言葉選びはしばしば煽りや挑発としてとらえられ、親しい遊び仲間を得ることはなかった。

 

 そこで閃いたのが大学のサークルだ。サークルは特定の何かが好きな者同士で集まって構成される。自分と同じくらい格ゲーの好きな同志なら、多少の煽りにも耐えてくれるだろうし、単純に自分の実力を超えるかもしれない。その思い付きの結果は田宮の話した通りだ。周囲に迷惑だからあまり騒ぐな、というイズミにとっては煽りでもなんでもない正論を口にしただけで学生たちは去って行った。その時残ったのが田宮ともう一人の友人で、今では数少ない格闘ゲーム仲間だ。

 

 なお、学生たちの機嫌をとるために本気を出さない選択肢はなかった。誰が相手だろうと本気で勝ちに行く。ついでに煽る。それがイズミの生き方である。

 

「ハハッ、そりゃあ笑えますね!」

 

「でしょー!」

 

 また白々しい演技を――呆れながら掛野にジト目を見たイズミは絶句する。

 

 掛野が笑っていた。

 

 煽りの一環でも、営業スマイルでもない、心の底から湧き出る満面の笑みだった。

 

 見たことはあった。際どい接戦を制し勝ち星を拾ったとき、掛野はこの表情をしている。けれどすぐに腹立たしいニヤニヤ笑いに変わってしまって、今のように長続きはしない。

 

 なぜそんな顔をするのか、どこが笑えるのか、案外笑顔はカッコイイかも――と、イズミが混乱している間にも掛野と田宮はひとしきり笑い合っている。その様子が妙に仲睦まじく見えて、知らずのうちに口を開いていた。

 

「も、もういいだろ、その話はっ」

 

「そうだねー。今日は二人の話を聞きに来たんだものねー」

 

 じゃあ次は何聞こうかなーと考え込む田宮。掛野はすでに営業スマイルを取り戻している。

 

「掛野さんはゲームセンターでイズミちゃんと知り合ったのよね? 格ゲーが得意なの?」

 

「世界で一番得意です」

 

 即答。食い気味に発された答えは大げさなようだが事実である。掛野は昨年の世界大会で海外の強豪を蹴散らし見事優勝、この功績でプロとしての基盤を整えた。格闘ゲーム界では現在世界で一番強いプロゲーマーとして知られている。

 

 しかし誰が認めようともイズミは掛野を認めていない。猛然と食って掛かった。

 

「嘘つけ。たまたまキャラ相性のいい相手が連続しただけだろ。それに何より僕が出てなかった。僕が出てたら絶対君は世界二位だったね」

 

「キャラ相性を活かしきるのも実力だっての。海外遠征の旅費さえ賄えない貧乏人ちゃんは黙ってやがれ」

 

「くぅ……! お金さえあれば君なんか、君なんかぁ……!」

 

 結果はイズミの負け。ジャブを放ったところに右のカウンターをもらった形だ。トーナメントの当たりが良かったことや、イズミに大会で活躍できるポテンシャルがあるのは事実だが、勝負の世界にたらればはない。世界大会優勝という確固とした強みの前にはイズミの煽りも弱かった。

 

「あらー? 痴話喧嘩?」

 

 ここで状況を思い出す。二人の頬に揃って冷や汗が流れた。

 

 ついいつもの調子でやり取りをしてしまったが、これは恋人らしくない。恋人とは、よく分からないが常にベタベタして甘い言葉をささやき合っているもの。煽り合いやケンカなどもってのほか、と二人は認識している。

 

「喧嘩なんてしませんよ。我々は仲良し。なあ!?」

 

「そうだねっ! とってもナカヨシ!」

 

「んー……?」

 

 わざとらしく腕を組むイズミと掛野。ガタガタの演技を見せつけられた田宮が訝しげに首を捻る。

 

「仲良しな我々はちょっと一緒にトイレへ行きたくなった! 行くぞ恋人!」

 

「よし来た!」

 

「トイレはさすがに別々だと思うけど?」

 

 二人は奇天烈な理由で席を立つ。田宮の制止は聞こえないふりをして、自販機スペースの裏にあるトイレの前へ引っ込んだ。「カップルってそんなものなのかな?」と田宮は納得しかけている。

 

「おいチビ女! 当たり前のように口を挟むなよ、素が出ちまっただろーが!」

 

「う、うるさいなノッポワカメ……ご、ごめんなさい……」

 

 蚊の鳴くような声で謝罪するイズミ。一応こちらの頼みを聞いてくれているのにその邪魔をしてしまったのだ。掛野も演技を忘れてやり返しはしたが、イズミが口を挟まなければ演技を続けていただろう。十割の非があるとなればさすがのイズミも謝らないわけにはいかない。

 

 すると、掛野はバツの悪そうな顔でガシガシと頭をかいて舌打ちする。

 

「お前、もう帰れ」

 

「えっ?」

 

「お前といるとどうしても気が緩んじまう。だったらお前より弁の立つ俺が一人で対応した方がいい。腹痛で帰ったってことにしとくからよ」

 

 イズミは言い返せなかった。掛野といるとつい素の自分が出てしまうのはイズミも同じだったからだ。このまま二人でいれば先ほどのように何度もボロを出すことになるだろう。

 

「……君ってそんなに口が達者だったっけ?」

 

「なめんな。一部の例外を除き、プロゲーマーってのは強いだけじゃやっていけねえ。スポンサーに売り込む営業力、視聴者の受けを狙うトークスキルがいるもんだ。あのフワフワ女言いくるめるくらい楽勝よ。一人ならな」

 

 一瞬だけ男女を二人きりにするリスクが頭をよぎるものの、すぐに消えた。異性に迫る気力があればその分格ゲーに打ち込む。それが掛野という男だと確信しているからだ。

 

 この頼みを通してお互い貸し借りなしに戻るため、場を任せきりにする申し訳なさはほとんどない。むしろ自分が手伝えない悔しさの方が強い。

 

 その心を察してか、掛野はニヤニヤ笑ってトドメの一撃を放つ。

 

「オラ、素人はさっさと帰れや。邪魔」

 

「く……覚えてろよっ!」

 

 完全敗北したイズミはそう言い捨て、駆け足で帰路につくのだった。

 

---

 

 掛野への戦意を燃やし自宅アパートへ帰ってきたイズミは、アパートの階段を上り切ってすぐのところで足を止めていた。

 

 イズミの部屋の扉の前にセーラー服の少女が陣取っている。制カバンを胸に抱いて扉へ寄りかかる彼女の顔には覚えがあったが、どうしてここにいるのか見当もつかない。

 

「キヨコ、ちゃん?」

 

「あ、イズミさん。こんにちは。昨日はお疲れ様でした」

 

「う、うん。お疲れ様」

 

 昨日の大会でチームメンバーだった少女だ。大会中はほとんど相手選手の分析と掛野との口論に終始していたので、顔合わせのあいさつ以外でまともに話すのは今が初めてである。

 

 さっさと近づいて用件を聞こうとしたイズミだったが、キヨコから発される妙な圧力に押され一歩引いた。きょとんと首をかしげるキヨコの目は据わっており、口元に浮かぶ微笑はどこか白々しい。

 

 平たく言えば不気味だ。近づきたくない。もしかしたら一つ隣の部屋と間違えているのかも。イズミは一縷の希望を持った。

 

「えっと、一応確認しておくけど、僕に用があるんだね? アイツの部屋と間違えてないよね」

 

「間違えてません。今日はイズミさんにお話があってきました」

 

「そっか。うん、とりあえず上がって」

 

 希望は絶たれた。そもそも扉横のポストに表札があるので間違えるはずもない。イズミは割り切って自室へ招き入れる。

 

 普通の女子高生相手なら立ち話で用件を聞いて手早く追い返すところだが、キヨコは若いながら掛野と同じ企業をスポンサーに持つプロゲーマーだ。昨日の大会でも年下とは思えないハイレベルな試合を見せてくれた。懇意にしておけばプロの間の有益な情報や知識を聞き出せるかもしれないし、その知識が掛野を打倒するカギになることもあり得る。

 

 ネット上の攻略サイトが隆盛して久しい昨今だが、格ゲーの攻略情報は今でも流通しないことが多い。プロレベルのやり込みで初めて見つかる情報は秘匿され、自分だけの強みにするプレイヤーがほとんどなので、公開される情報は少しプレイすればだれでも分かる程度のものに限られている。したがって、実力も高く他のプロとのコネもあるだろうキヨコを邪険に扱うのは悪手なのだ。

 

「何もなくて悪いね」

 

「あ、いえ、お構いなく」

 

 申し訳程度のおもてなしとして麦茶を差し出すと、円卓の前で礼儀正しく正座しているキヨコがつつましい社交辞令を口にした。

 

 こういった表面上のやり取りがイズミは大嫌いである。用件があるなら早く言え、と言いかけたのをこらえ、努めて冷静に切り出した。

 

「で、何の用?」

 

「……ください」

 

 キヨコの声は小さく、しかも震えている。下を向いているのもあって聞き取れなかった。

 

 すると、意を決したようにイズミの瞳を見据えはっきりと口にした。

 

「カケノ先輩と、別れてください」

 

「は?」

 

 目が点になるイズミ。それにかまわずキヨコはまくしたてる。

 

「誤魔化さないでください。昨日の先輩とイズミさんを見ていれば嫌でも分かります。表面上はいがみ合っていても、それは心の底で深く愛し合っているからなんですよね。本当にお似合いの二人だと思います。でも! 私は先輩が好きなんです! だから別れてください!」

 

 これは酷い。イズミは戦慄した。価値観や思考回路があまりに違いすぎて、目の前の少女がもはや別の生き物のように感じられる。可及的速やかに少女の形をした謎生物を叩き出したい衝動に駆られるものの、その衝動の通り強硬な手に訴えれば次の行動がまったく予測できない。できる限り相手を刺激しないよう、穏便に論破する必要がある。

 

 大きく深呼吸。

 

「……分かった。僕とアイツが付き合っている、とキヨコちゃん独自の視点で思い込んでいるのはもういい。好きなように考えればいいと思う。でもさ、付き合っている二人に対して正面から別れてくださいってのはないだろ。それは気に入らない人に対して『あなたの存在が気に入らないので今すぐ死んでください』って言うのと同じレベルだよ?」

 

「自分でも酷いことを言っているとは分かっています。ただで別れてくれるとは思っていません」

 

「ただとかそういう問題じゃなくて――」

 

 キヨコが制カバンに手を入れる。スタンガンか、包丁か、はたまた金一封かと緊張を高めるイズミ。

 

 果たして出てきたのは、アーケードコントローラーだった。

 

「ゲーマー同士、格ゲーで決着をつけましょう。私が勝てば、イズミさんにはカケノ先輩と別れてもらいます」

 

「最初からそう言ってよ。すぐ準備するから!」

 

 格ゲーは勝ち負けに言い訳をつけることが難しい。純粋にその時点で強い方が勝つ。白黒をつけるには最適なのだ。下手な話し合いよりもよほど簡単で分かりやすい。

 

 すぐさまゲーム機とアーケードコントローラーの準備を整え、イズミとキヨコは戦いを始めるのだった。

 

---

 

 三十分後。

 

「うええええん!」

 

「ま、まあまあ」

 

 そこには幼児のように泣きじゃくるキヨコと、気まずげにその背中をさするイズミの姿があった。

 

 結果はイズミの圧勝。もともと操作するキャラクターの相性が良かったことと、昨日の大会でキヨコの手癖を見抜いていたことが幸いして一方的な展開となった。

 

 試合内容だけでなく、ルールが一般的な二セット、三セット先取ではなく十セット先取だったこともキヨコの精神を傷つけている。勢いや流れで実力を覆すことのある短期戦ではなく純粋に力の差がはっきりと出る長期戦で完封されたため、プロとしても恋する乙女としてもプライドがズタズタである。

 

「元々付き合ってないから大丈夫だって、ね?」

 

「嘘つきぃぃ僕っ娘ぉぉお!」

 

「僕っ娘は関係ないだろ! ったく、扱いづらい子だなあ」

 

 思い込みの激しいらしいキヨコには何を言っても無駄で、イズミは大人しくティッシュで涙を拭くことに徹した。さすがにここまで激しく泣いている相手を煽りでこき下ろすほどイズミは無情ではない。相手が掛野なら話は別だが。

 

 涙と鼻水を吸ったティッシュの玉で小さい山ができたころ、ようやくキヨコは話せる程度に落ち着いた。

 

「ぐすっ、カケノ先輩はですね、私のヒーローなんです」

 

(うわっ、自分語り始まった)

 

 急に語り始めたキヨコにドン引きするが、口には出さない。下手に会話するよりも言いたいことを全部吐き出させて満足させる方が早い、と判断したのだ。

 

「私は学校でいじめに遭って、学校に行く振りをして毎日ゲームセンターの格ゲーで時間を潰してました。そしたらクラスメイトに遭遇して、対戦に誘われたんです」

 

(そりゃいじめも受けるよ)

 

 このエキセントリックな性格で見た目も抜群にいいとくれば、性格をネタにいじめが起きるのは当然だろう。同情よりも納得の気持ちが先に立つ。

 

「学校じゃ敵わなかったその子たちに連戦連勝して、とっても嬉しかった。でも『たかがゲームでいい気になるな』って言われて――そこに割って入ったのが先輩でした」

 

「へえ、いいとこあるじゃん」

 

「『うるせえ、たかがゲームに命かけてるヤツだっているんだよ! こちとら来週大会控えてんだぞコラ! ガキのケンカならよそでやりやがれ!』って怒鳴り散らしてくれたんです。その子たちは驚いて逃げて行きました。あの時の先輩が本当にかっこよくて――」

 

「いやいやいや! それ、ただ八つ当たりしただけじゃん!」

 

 黙って聞いているのも限界だった。あの男もたまにはいいことをするものだ、と感心したとたんオチがつけられる。しかも大きな試合を控えてナーバスになっていたところを刺激され年下の高校生にキレるという最悪のオチだ。イズミの経験を聞いて珍しく笑っていたのも深い意味はなく、自分の飯の種をたかがと言うような連中が言い負かされたことが愉快だっただけだろう。単純な男である。

 

 しかしキヨコにとって重要なのは困っているところを助けられた一点のみなので、他の部分は都合よく無視しているようだ。イズミの反論さえ無視し恍惚として続ける。

 

「気づいたら私は、彼の所属する企業さんに売り込みをかけていました。ちょっと両親を巻き込んで警察沙汰になったりしましたけど、どうにか彼と同じ身分になれました」

 

「うわぁ……」

 

 巻き込まれた企業とキヨコの両親に最大限の同情を送った。混とんとしたいきさつを「ちょっと」で済ませるキヨコだ。一体どんな無茶な方法を使って無名の未成年がプロになったのか、想像するのも恐ろしい。

 

「彼の近くで少しずつアピールしていく予定だったのに……これからだったのに……私の初恋……」

 

 といっても、今やその当時の活力は見る影もなく落ち込んでいる。しおらしく畳に崩れ落ちるキヨコの姿は弱弱しく、風が吹けば塵と化しそうなほど脆く見える。

 

 キヨコをここまで落ち込ませたのは言うまでもなくイズミだった。活力を爆発させたキヨコに十先勝負を挑まれ、全力で轟沈させたのである。

 

 尋常な勝負の結果とはいえ年下の少女が悲嘆に暮れている様が、イズミの良心をチクチク刺激している。落ち込むならよそでやってと追い出すこともできず、かといって付き合ってもいない掛野と別れることはできない。

 

 イズミはキヨコの肩を叩く。キヨコが顔を上げた。

 

「週一で十先勝負を受けるよ。君が勝ったらなんでも言うことを聞く」

 

「……! 本当ですか!」

 

「うん、ほんと。だから今日はもう帰ってくれない? さっきの対戦のリプレイはネットに上げとくからさ」

 

「ありがとうございます! お邪魔しました!」

 

 ばね仕掛けのように飛び上がったキヨコは、九十度頭を下げてから風のように部屋を出て行った。きっと家に帰って負けの原因を探るのだろう。

 

 台風の去った部屋の中央でイズミは深くため息をつき、大の字で仰向けになった。

 

「めんっどくさぁ……」

 

 イズミにとってのベストの選択肢は「二人が付き合っている」というキヨコの誤解を解くことだったが、キヨコの性格からして不可能。次善は口先だけで別れる宣言をしてから掛野と距離をとること。もちろんこれも無理だった。掛野を負かして煽りに行くのはもはや呼吸するのに等しい。キヨコの機嫌をとるためだけに息苦しくなるのは考えられない。

 

 結局、実行した選択肢は三番目。問題の先送りだった。

 

 再戦を受け付けることでキヨコに希望を持たせること。イズミが負けない限りは現状を維持できる。キヨコもきちんとイズミに勝つための作戦を考えるだろうから、イズミにとってもいい対戦相手となるだろう。

 

 と、こういったごちゃごちゃした考えがすべてあの男に起因すると考えると猛烈に腹が立った。

 

「年下相手にキレただけで惚れられるってどういうことだよ。くっそう、あのワカメ男……!」

 

 続いて『帰れ、チビ、邪魔』などと好き放題にのたまう掛野のニヤケ面が頭をよぎる。その瞬間、煮えくりかえったイズミのハラワタが臨界点を迎え――もっとも効果的な報復をすることが決定された。

 

---

 

 タタン、と軽快なタップ音が部屋に響く。

 

 リズミカルにアーケードコントローラーを叩くのは掛野だ。時刻は午後九時。イズミにはメールで『完遂』とだけ伝えておいた。イズミを帰した後に田宮と夕食を共にしメールアドレスを交換してから別れる流れとなったが、いちいち報告するほどのことでもないと判断してさっさと自分の生活へ戻った。

 

 ひと際強いタップ音を最後に音が途絶える。モニター内では掛野の操作するキャラクターが超必殺技で相手をノックアウトしていた。

 

「はい、九勝目ですね。あと一勝したら休憩します」

 

 対外的な丁寧口調の言葉は独り言ではない。掛野の言葉はヘッドセットのマイクに拾われ、パソコンを通してインターネット上に放送されている。プレイ動画と音声、フェイスカメラでライブ配信しているのだ。

 

 掛野のようなプロゲーマーが自分を発信するメディアはネット上の配信サイトが主だ。テレビよりも知名度は低いが、その分コアなファンや目の肥えた格ゲーファンに自分を売り込める。定期的なライブ配信は名前を広める方法として多くのプロが利用しており、掛野もその一人だった。

 

 インターネットを介した全国対戦で十連勝したら休憩とトーク、もう五連勝で配信終了という掛野の配信は、昨年の功績も手伝ってサイト内でも指折りの人気を博している。

 

『あっさり九連勝!』

『これは全一』

『うまいのは分かったけど、結局昨日の助っ人は誰よ』

『正妻のキヨコちゃんが泣いてるぞ女たらし!』

『最強助っ人ちゃんの情報まだ?』

『昨日キャラ崩壊してたことについて一言』

 

「……キヨコさんが正妻ってのは冗談キツイですね」

 

 配信を始めてからというもの、コメントの多くが昨日の助っ人、つまりイズミの情報を求めているようだ。最弱のキャラクターで並み居る強豪相手に無双したのだから当然だろう。

 

 ただ、下手に答えるとファンの関心のすべてがイズミに持っていかれそうで、掛野は適切な答えを探すのに苦労していた。のらりくらりと質問をかわしながら答え方を探っているうちにもう九連勝、そろそろ答えなければ不興を買いそうだ。

 

 幸い、イズミは日曜の午後九時から十一時までの間は絶対に格ゲーもしないしパソコンもいじらない。九時から始まるお気に入りのテレビ番組を見た後、十一時まで大学の予習復習と入浴の時間に充てているからだ。掛野がどう答えようとも文句を言いに来る心配はないだろう。

 

「まあ、率直にいえばあの人は僕の……あ、人来ましたね」

 

 ぴこん、とゲーム音が鳴る。次の対戦者とマッチングしたのだ。画面には相手の使用キャラクターとランキング、一言コメント、プレイヤー名が表示されており――

 

『IZUMI』

 

「何ィ!?」

 

 今、絶対に相手をしたくない隣人の名前がそこにあった。

 

『神タイミングww』

『え、これ助っ人ちゃん?』

『なりすましでしょ』

『ランキングと使用キャラ見てみろ、このキャラで二桁ランクは一人だけだぞ』

『ラスボス降臨』

『イズミンちゃんキタァァ』

 

「クソ、どういうつもりだこの野郎!?」

 

 一戦ごとに掛野の動きを分析し最適な対策を立ててくるイズミに安定して勝つことはほぼ不可能。だからこそイズミが絶対にプレイしない時間帯を選んで配信していた。イズミと口汚く煽り合いながら大苦戦しているところを配信されると、現時点で世界一の認知が揺らぐだけでなく知的で冷静なキャラクター像さえブレてしまう。かといって対戦拒否などしてはアマチュアから逃げるプロの汚名がつく。そうした理由から配信中のイズミ乱入は掛野が絶対に避けたいシチュエーションだった。

 

『一言コメントww』

『助っ人ちゃんのコメントで草生える』

『大分殺意たけーなw』

 

「コメント?」

 

 対戦者のプレイヤー名の下に表示されている一言コメントが指摘されている。たいていのプレイヤーがデフォルトの『よろしくお願いします』で放置しているので掛野は無意識で読み飛ばしていた。改めてその小さなコメント枠に目を走らせる。

 

『悪しきワカメを刈る女』

 

「……上等だコラァ!」

 

 ダダン、と荒々しくキーボードをひっ叩き自分のコメントを変更した。

 

『生意気チビを潰す男』

 

 私はケンカを売っているぞ、というイズミの意志に高く買ってやる、と掛野が返答した形になる。配信中、しかも九連戦で疲労したところに都合悪く現れたことも挑発の一部なのだろう。

 

 なぜケンカを売りに来たのかは考えない。気に入らない相手が近くにいれば全力で突っかかりたくなるのが人間だ。そこに深い理由は必要ない。

 

 最強の助っ人登場、掛野の冷静キャラ崩壊を受け大盛り上がりを見せる配信のコメント欄を視界の外へどけ、掛野は獰猛な笑みを浮かべてモニターへ向かった。極限まで集中力の高まった掛野の目は、モニターの向こう、アパートの薄い壁の向こうで同じような笑みを浮かべているイズミが透けて見えるように錯覚する。

 

 キャラクターと超必殺技、ステージを選択し、読み込み――そして画面中央に『ROUND1』と表れ、『FIGHT!』へと変化。

 

 やめ時を見失った掛野は時間超過で自動終了した配信のことも忘れ、二つの部屋には夜が明けるまで軽快なタップ音が響き続けた。

 

 寝不足でフラフラになりながら律儀にも敗者を煽りに行ったのはどちらなのか、それは二人以外知る由もないのだった。

 

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テーマ:格ゲー
おおむねまんぞく

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