(さて……と)
私はシャーペンを筆入れに仕舞い込み、鉛筆を握った。
昔ながらの六角鉛筆を指先で摘まむようにして、コロコロと回転させ感触を確かめる。
うん、いい感じ。
晴れた日の昼下がりは私のお気に入り。
窓から校庭を眺めると、橘の花が咲いていた。
白くて可憐な花は私に清楚な少女を連想させた。
そよそよと頬を撫でる南風は心地よく、ほのかな香りを運んでくる。
試験が終わったこの時期は、生徒をはじめ教師ものびきっていて、黒板に大きく「自習」の二文字を残し、自分の役目は終わったとばかりに船を漕ぎはじめた。
クラスメイトも試験の疲れを癒すため、おしゃべりに花を咲かせている。
そんな怠惰な、でもどこか暖かい優しさに満ちた教室の風景を眺めつつ、私はノートに鉛筆を走らせた。
(やっぱり鉛筆だよね。字が優しくなる)
私のひそやかな楽しみは物語を描く事。
小説なんて言えるほど大それたものではないけれど、色々なストーリーをノートに書くことがとても好き。
自分で考えた人々がひとりでに動きだして、いろいろな物語を語ってくれる。
時には剣と魔法の世界を。時には叶わぬ恋に焦がれる話を。
私は物語の住人と旅をするの。空を飛び、大地を駆けて私を千里の果てまで連れて行ってくれる。
朝露に彩られる新緑の山々や宝箱をひっくり返したような満天の夜空。どれもが美しい光に輝いていた。
時にキャラクターは私の考えていた事とは全く違う事をしてしまう。道を踏み外して、悪事を働いてしまう事もあった。
それもまた物語の面白い所だと思う。
キャラクターが間違ったことをしても、それを正すのもまたキャラクターなのだから。
ここではみんながそれぞれの考えをもって生活している。生きているんだ。
(そうだ。今日は新しい子を考えよう。いろいろな世界を旅していく素敵な子)
午後の優しい空気に抱かれながら新しい子の事を考えると、なんだか瞼が重くなってきた。
(橘の香りの様に優しい子……。でも大人しくてちょっぴりミステリアス。旅の期待と不安合わせ持った夜のベールを纏っている様で……)
穏やかな眠気がやってきて、握っていた鉛筆が手から落ちて机を転がった。
(旅の途中に私と出会って、楽しい話を聞かせてくれるんだ)
窓から流れるそよ風と橘の香りが優しく包み込む。
(それはまるで世界を旅する吟遊詩人みたいでとっても素敵……)
まどろみの中で夢を見る。
私と、橘の香りを纏った健気な少女との、旅の始まりを――。
はじめて宵闇アリスと申します。
この度は拙作「物語の向こう側」をご覧くださり、誠にありがとうございます。
私が初めて小説まがいの遊びをしたのは高校一年の頃だったと思います。
書いたと言ってもゲームとアニメを題材にしたもので、しかもエピローグすら書き終わらずに自然消滅してしまいました。
当時は映像では表せない文章ならではの比喩が楽しくて、無い頭をひねりながら言葉をひとつづつ掬い上げていった記憶があります。
今回、文字をしたためるきっかけとなったのは、高校時代にまで遡ります。
友人が小説の構想を私に話してくれて(体育の授業中に)なにか新しいキャラクターを書きたい。アイディアをくれないか。と言われたことがありました。
そのときのオーダーは主人公のクラスメイトで脇役的な立ち位置の女の子であり、一見普通の名前に見えるんだけど、よく考えたらギャク。という、分かりやすいような、そうでないような不思議なものでした。
私はもともと何かを作ったり考えたりするのが好きだったので、その場であれこれ言い合いながらアイディアを出していき「橘 依夜」という女の子が生まれたのです。
色々と頑張るけど、ちょっと間が悪いのかなかなか報われず、それでも健気に頑張る女の子。うん、可愛い。
名前を声に出してみると何がギャグなのかわかるはずです。
以来、私のお気に入りの子になったのですが、友人の筆が進むことはなく、ついに彼女の活躍(?)が日の目を見ることはありませんでした。
それでも私の中では高校から現在に至るまで常に胸の内側にあり、今でもこの子が生き続けていて、いろいろな物語の中で健気に頑張っています。
彼女には「橘 依夜」という名前がありますが、それは彼女の素顔の一つでしかなく、別の世界では違った名前で存在しているのかもしれません。
貴方は既にこの世界の「橘 依夜」に出会っているのかもしれないのです。
彼女は今でもどこかでひっそりと頑張っています。それはどこかの町で、名も知らないだれかが、名も知らない誰かを知らず知らずのうちに助けているように。
もしかしたら貴方の小説に惹かれて彼女が遊びに行くかもしれません。その時は、暖かい目で見守って下さると嬉しいです。