地獄はどこだろう。
ぼくがきっと堕ちるところは。
あえて言うなら地獄はぼく自身だ。だから逃げられないんだ。目を閉じても耳を塞いでも、それは心にずかずかと上がり込んでくる。
そう考えればぼくは地獄そのものであり、地獄を恐れている人間の一人だ。なんだか滑稽に聞こえてくるだろう。
すると、ぼくは自分の見ている景色に変化が起きたのが分かった。色の変わった葉が存在している。芸術家に劣らないくらい、ぼくは色の見分けがつく。スナイパーと猟師、芸術家は色の違いに敏感という点では共通している職だ。
ぼくはその色が変わった葉が僅かでも不自然に動けば撃つ準備は出来ている。が、前回の銃声が鳴り止まない戦場とは違い、静かな圧がプレッシャーを掛けてくる。あとは、この静かな状況での人殺しはあたかも私的な殺しのように感じている節がある。そのせいだろうか、引き金はいつも以上に重くなっている。
そして、その葉が上下に動いた。自然的なものではなく、明らかに人為的な動きである。あれがギリースーツだと確信したぼくは引き金を力一杯絞る。村にあった瓶を利用した即席の消音器が、発砲音を些細なものに軽減してくれる。命中したのがこちらでも確認できると、スポッターのグリゴリーが「命中確認」と呟く。
ぼくはスナイパーライフルのボルトを引いて排莢を行う。まだ熱を帯びている薬莢が草上にことりと落ちた。そしてボルトを引いたことによって開いた薬室に、もう一発の弾を直接込める。どうやら普通の歩兵が使うライフルと違って、精度向上のための機構がスペースをとってしまいこのような仕様になっているらしい。しかし、それは伊達じゃなく、高威力を保ちながら恐ろしい精度を持っている。針の先のような着弾予想が出来る。
しかし、ぼくら二人が安心することは許されないようで、すぐ近くの木の枝にへし折れる音が聞こえた。それと共に、一発の銃声が鳴り響き今度はぼくら目と鼻の先にある土を抉った。
ぼくらはここが既に敵の照準に捉えられていることを理解すると、木の幹に身を隠してスモークグレネードを投げると移動を始めた。連邦兵の増援が呼ばれる前にもう一人のスナイパーを排除しなくてはならない。いや、正確に言えばスポッターが、死んだスナイパーのスナイパーライフルを拾って対抗してきているのだろう。
すると、茂みに紛れて動いていたはずのぼくの頬、そのすぐ横を銃弾が通過していく。ぼくは倒れ込むようにしながら後ろを振り返り、それと同時にスナイパーライフルを構える。さっきの弾道がまだ線状に“見えている”から居場所は把握している。そして、草むらだけがあるように思える場所に銃弾を叩き込む。銃弾が草むらに突っ込むと、マントを羽織った連邦兵がばたりと倒れる。
ぼくらは周囲の安全を確認すると、待ち伏せに警戒しながら次の狙撃ポイントへ移動を開始する。
狙撃ポイントに着き、伏せたときに偽装が馴染むように体をもぞもぞと動かして調整する。そして完璧な偽装で連邦兵の目を欺けると確信したぼくは、スナイパーライフルの銃口を前へと突き出す。スコープは付けていないから反射光でバレることはないだろう。
それにしても、ここの連邦兵はどこか焦っているように感じる。さっきのスナイパーにしろ、もっと狙いを定める時間はあったはずだ。奴らには何か重要物資があったりするのだろうか。
すると、遠くに補給を受けている戦車が見えた。何やら木箱──恐らくは砲弾か何かを積み込んでいる様子だ。ぼくは同時に、そのすぐ横にラグナボックスが無造作に放置されているのを目にした。二年前だったか、ヨシフがラグナボックスに引火させて小屋を全壊させたことがあった。ぼくはそれを思い出すと、この景色と結びつける。
照星を青い光より一ミリほど上に持っていき、グリゴリーに「始めるよ」と伝える。グリゴリーはただ頷いて答える。
ぼくが引き金を引くと、ラグナボックスが爆発しその周囲も爆風と飛んできた破片でもみくちゃにされている。ぼくは周囲に残っている連邦兵を次々に撃ち抜く。それに同調して味方の自警団も突撃を開始している。みんながちゃちな装備を付けているが、それは銃や手榴弾であることに変わりはないし、戦術次第で物の性能なんてどうにでもなるのだろう。
ぼくは順調に一人ひとりを仕留めていくが、ある人物の姿を照星に捉えたとき、グリゴリーが怒りを含んだ声を出す。
「おい、ありゃ衛生兵だ。撃てば軍事裁判所だぞ」
「撃つ気はないけど、ぼくらは民間の組織だろ?軍事裁判に出ることはないんじゃないか」
「いいや、近年のことだが自警団やレジスタンスも衛生兵を撃てば法で裁かれることになったらしい」
「まあ、当然の成り行きかもしれないね」
ぼくは再び照星に集中すると、明らかに女の体をした連邦兵が見えてしまった。しゃがんだまま動いていないし、弾頭が落下するほど距離が離れているわけでもない。こちらにも気づいていない。一発で仕留めるなら絶好のチャンスだ。しかし、その連邦兵をカチューシャと重ね合わせてしまう。最低だ。味方を殺すかもしれない相手を撃てない。引き金が引けない。
「チバ、女だから撃てないのか……!」
グリゴリーがぼくの頭を叩いてきた。その衝撃で目が覚めた。ぼくはカチューシャや子どもたちを守るために村を守るんだ。
引き金を一気に引いて、反動を肩で受け止める。女の連邦兵は横に引かれるように倒れ込んだ。
ぼくは肺の中が空になるほど息を吐き出す。女を撃ち殺すことになるなんて。兵士になるということはこういうことなんだろうか。
すると、気付けば戦闘は一方的なものとなっていた。戦車も失い、多方面からの攻撃を受けた連邦軍は総崩れになって撤退をするが、ぼくは撤退を開始している装甲車のタイヤを走行中に撃ち抜いて、装甲車をスリップさせる。そして、走行不能になった装甲車から飛び出してくる連邦兵を味方と共に狙い撃ちにする。
装甲車の後部ハッチ付近は幾つも死体が積もっていて、遠くで見ているぼくにすら吐き気を催させた。
すると、装甲車の中から白旗が挙がる。それは降伏を意味していて、それ以上は攻撃してはいけない。
ぼくは照星から目を離して、装甲車のある所へ走って向かった。
ぼくが坂を滑って下りると装甲車の真横に出て、ばくはライフルを構えながら装甲車の後部ハッチを覗く。
すると、そこには酷く怯えた様子で両手を上げている連邦兵がいた。そしてその連邦兵たちの後ろには一人の少女がいた。幸い、少女は寝ているようでこの景色を見ずに済んだのだろう。そう願いたい。
ぼくが連邦兵たちに「降りろ」と命令し、顎を振って催促すると、連邦兵たちは素直に従って両手を掲げたまま、低いハッチをノーハンドで降りるのに苦労しながらもすぐに降りた。
ぼくは連邦兵の捕虜を一列に並べる。その人数は四人であり、話を聞く限り何か重要な物資を運んでいたようなのだが「蒼い光」とかなんだがよく分からないことを連呼している。自分も捕虜になった時はここまで可笑しくなるのだろか、と思いながら捕虜たちの移動を開始しようとしたときだった。戦闘に参加していたサッヴァが俺を突き飛ばして、捕虜たちに銃口を向ける。彼らには目隠しがされており、今から射殺されるなんて予想も出来ない。
ぼくも彼らの怯えた様子には共感するものがあり、彼らも人間であることを再認識させられた。
「やめろぉ!」
ぼくはサッヴァに向かって叫びながら体当たりをするが、彼はそれにも動じずに引き金を引いた。一人の捕虜の頭に入っていた脳が頭蓋骨の保護をなくし、その所在地を求めて地面に飛び散った。未だにぼくは彼を止めようとするが、彼は意地でも捕虜を殺そうとしている。
すると、残りの三人が銃声と水音で何が起きたのかを把握して、両手を縛られたまま走って逃げ出す。もちろん目隠しをされているから転びやすくなっている。
サッヴァはその逃げている後ろ姿を次々と撃ち抜く。ぼくは彼が拳銃を持つ手を思いっきり殴る。すると、やっと彼の暴虐が終わりを告げて地面に金属が落ちる音が聞こえた。
捕虜は一人だけが生き残り、右のアキレス腱を撃ち抜かれて這いずって逃げようとしていた。ぼくはその捕虜の襟を掴むとその体を持ち上げて背負うと、自警団の詰所に向かった。
「軍規違反だ、サッヴァ。お前には相応の刑罰を与える」
村に到着した帝国軍司令官がサッヴァに告げる。サッヴァは「俺は命令通り“一人でも多くの”連邦兵を殺した!俺は軍規違反なんかしていない!」と終始喚き続けていた。ぼくはただあの捕虜たちが不当に殺されるのだけは許せず、サッヴァとぼくしかいなかったあの場での行動を証言したのだ。
そして、憲兵隊の輸送者に乗せられるサッヴァを見送ると、ぼくは一人生き残った捕虜と、装甲車のなかにいた少女の元へと向かう。二人は拘束されていると言っても、少女の方は監視要員が一人いるだけでその他は基本的に自由となっている。しかし、どうやら少女に聞くには、自分に親はいない、と言っているそうだ。肉親というものが存在しない、とまで。ぼくにとって戦場は命を粗末にするばかりの場所かと思っていたが、もっと酷い。狂った人間たちの集まりだ。いや、戦場が──戦争が人を狂わせるのだろう。
ぼくが捕虜を拘束している小屋のドアを開ける。すると、グリゴリーが捕虜と向かい合って話しているのが見えた。案外険悪な雰囲気でもなく、妙な諦めがあるのだろうか。ぼくはグリゴリーに「何を話しているんだ」と声を掛ける。
「ああ、こいつが紅茶を飲みたいって言うからどっかで調達できないかって話してたんだよ」
「紅茶かい。ならきっとサッヴァが良い茶葉を隠し持ってるのを知ってるよ。あいつのオフィスにある業務机の棚を漁ってみてごらん。なに、文句を言う人もいないさ」
「助かる。──それで、お前も何か用があって来たんだろ?」
ぼくは捕虜の方に視線を落とし、
「うん、“彼”にね」
と出来るだけ物腰の柔らかい風に言う。あまり警戒させても意味はないだろう。
「じゃ、俺は退散するぜ。サッヴァの茶葉を貰いに行かないとならんしな」
「わかった」
グリゴリーが小屋を出ると、さて、と言い話を始める。
「何か不自由なことはあるかい。と言っても、捕虜になって手錠を掛けられてちゃ自由とは言えないけど」
「捕虜としての範囲なら十分な待遇だろう。俺もそんなにファーストクラスの待遇を求めているわけじゃない」
「そうか。なら良かった。それで今決まったんだよ、君の仲間を撃ったやつのことが」
すると捕虜はほんの少し眉をひそめて、
「どうなったんだ」
「軍規違反で憲兵隊に身柄を確保された。“相応の刑罰”が与えられるそうだよ」
「でも他に連邦兵を殺したがってる連中はいるんじゃないか?」
「いいや、あの結末だ。到底、真似する人間が現れるとは思えない」
「そうか」
ぼくは会話に一拍おいて、次の──一番気になる問題を質問する。
「それから、ぼくが聞きたいのは次で最後。あの少女は誰だ。どこから攫った」
「攫った?俺たちは確かにあの少女を護送していたが、何を意味しているのかも知らないし、そこまでベラベラ話す敵国の兵士もなかなか居ないと思うぞ」
図星だった。そもそも機密情報かもしれないことを訊くのが間違っていた。
「とにかく、俺たちはあの『ザ・ファースト』については何も知らない」
そこでぼくは聞いたことがない言葉を復唱してしまう。
「ザ・ファーストはだな……っと、これ以上話したら戦後に命を狙われてしまう」
「どういう意味でザ・ファーストという名前を付けているんだい?」
「そのままだよ、きっと。
「そうか。ならあの少女に直接訊いたほうが良さそうだね」
「ああ。だがあまり深入りはしないほうが命拾いするかもしれんぞ」
「どうしてだい?」
「連邦は歪んでいる。いや──戦争で歪んでしまった」
「歪んでいる……」
ぼくが困惑していると、捕虜が時計をちらちらと確認するのが見えた。
「なあ、そろそろ一人にしてくれないか?」
「ああ、もうこんな時間か。じゃあ今日の尋問はここまでだ。また明日にしようか」
「そうだな。精々、俺の気を変えるように頑張ってみろ」
ぼくはその言葉に対して苦笑で答えると、小屋から出ていった。