「やぁ、また来たよ。」
僕はカンテラの明かりに照らされてもなお、物言わず佇む人形に言葉を掛けた。すこしだけ赤みがかった白い肌に白く長い髪、そして吸い込まれそうな白い瞳。絶世の美女という言葉がふさわしい、美しい顔立ちをしていた。
今にも動き出しそうだが、彼女は人形だから少なくとも現実では動くことはない。
それなりに長い付き合いだが、彼女の指が痙攣するのさえ一度も見たことはなかった。
ここ古工房は、大図書館よりも前の、この世界での最初の拠点だ。
右も左もわからず放り出された余所者には、まともな宿など望むべくもない。
オドン教会も候補にはあったが、あそこは香の匂いがきつい。獣狩りの夜でもないのに、獣除けの香を焚きっぱなしにしているようだ。
赤ローブは嫌いではないが、壺の中には人骨のようなものでいっぱいだし、精神衛生上よろしくなかった。
反面こちらはとても快適だ。ユリ科のような花が咲き乱れて眺めはいいし、下水のきつい臭いも届かない。暇を潰したければ本だって読める。
埃まみれな点を除けば、まさに御誂え向きだった。
僕は人形に薄くかぶった埃を払ってやった。最初にここに来たときは驚いたものだ。埃まみれの家の中、人形だけが汚れひとつない綺麗な状態で残っていた。
不思議な力でも働いているのかと思いきや、それ以降は普通に埃が積もるようになった。じゃあ以前に誰かが手入れをしていたかと聞かれれば、それもノーだ。埃まみれの家の中には僕以外の足跡なんてなかった。
この謎はいまでも古工房七不思議の一つだ。ちなみに不思議は8個ほどある。
ともかく僕は一時期この工房に住んでいたのだ。ゲーム内でも拠点だったから愛着がある。それに宿のお礼はするべきだと、僕はたまにこの古工房を掃除しにくるのだ。なかなかに紳士だろう?
「最近は物騒になったよ。ビルゲンワースもメンシス学派もやたらと活動的になってね。教会は表向き静かだけど、僕の予想ではまた何か企んでるね。まったく懲りない連中さ。」
メンシス学派は人攫いなどでかなり派手に動いているが、ビルゲンワースや教会だって負けていない。
前者は星の子の研究が行き詰まって鬱憤が溜まっているようだし、後者は……。まぁ特別なにかしているという訳ではないが、怪しいから何かしら企んでいるだろう。
ビルゲンワースらはあくまで学問の延長だが、教会は純粋な欲望の掃き溜めだ。人攫いだって全てメンシス学派の仕業かと聞かれれば、首をひねらざるを得ない。
「獣狩りの夜も、近いのかもしれない。僕や君に出来ることは少ないが、せいぜいハッピーエンドになるよう藻搔こうじゃあないか。……僕と君の考える幸せが、同一のものである確証はないがね。」
人形は人ではない。
人形の目的が人を愛する事である以上、悪いものではないだろうが、考え方が人とは根本的に違う可能性もある。
愛というのは、受け取る側にとって必ずしもいいものであるとは限らない。
「それにしても、ずいぶん綺麗になったもんだ。我ながらいい仕事をしている。君もそう思わないかね。」
なんという事でしょう、あんなに汚かったお屋敷が、匠の手により素敵なリラックス空間に早変わり。
姿見だって中の鏡を取っ替える徹底ぶりだ。これを割らずに運ぶのはなかなか難儀した。巨大な割れ物を背負ってショートカットを逆流してよじ登るのはかなりハードだった。
後からフィリップにでも上からロープで降ろしてもらえればよかったと気がついたが、まぁいいだろう。苦労があると感動もひとしおというものだ。
「お礼の言葉を貰ったって、バチは当たらないと思うんだが。君が口をきけたら良かったんだけどね。まったく儘ならないものだ。」
僕は狩人ではないから、狩人の夢を見ることはできない。実を言うと、僕は輸血というのを一度もしたことがないのだ。
ドクター・ドブにかかったときは、ヤーナムの外で出回っている抗生剤を入れて貰った。
教会の恩恵を受けるのが嫌だと言うのもあるが、もっと大きい理由がある。
僕は、輸血液の中には良くないものが入っていると考えている。
輸血液の起源は遺跡から出土した聖体にある。おそらく上位者のものだろう。
別の生命体の体液が人間に良い働きをする、というのは疑わしい話だ。
勝手な私見だが、おそらく輸血液の正体は、幻覚症状のある感染症あるいは寄生虫だ。
たとえばカマキリに寄生することで有名なハリガネムシは、産卵時期になるとカマキリに「熱い」という錯覚を起こさせることで水辺に誘導し、子孫を残す。
アフリカマイマイに寄生するロイコクロディウムは、カタツムリに上を目指させることで鳥に捕食され、鳥の胃の中で産卵する。
同じように輸血液に潜む寄生虫は自分たちの、あるいは自分たちの卵などが潜む血液を取り込むよう人の無意識に働きかけることで、自分たちの子孫を残そうとしている、という憶測だ。
ヤーナムの住民が狂いやすいのも、そこら辺が絡んでいるのだろう。
もちろんただの幻覚じゃない。上位者が夢に実体を与えているのだろう。でなければただの輸血で怪我が治ったりしない。
最初の輸血で拒絶反応が出るのも、説明がつく。
作中で謎の多い上位者オドンは、血こそがその本質だと描かれる。
もし輸血液の正体が寄生虫だとしたら、アリアンナや偽ヨセフカが人ならざる子を孕むのも理由がつく。教会の行なっている血の聖女の調整とは、つまり寄生虫に都合のいい体に作り変えるということなのだろう。
もちろん、寄生虫の全てが悪いというものではない。
たとえばサナダムシ。ご存知の方もいるかもしれないが、サナダムシダイエットというものがある。
体の中にサナダムシを飼って、余計な栄養を消費してもらうことでダイエットを試みるというものだ。
しかも、この方法は花粉症にまで効果があるという。イギリスのヴィクトリア女王もこれをやっていたらしいから、寄生虫との共存はあり得ない話ではない。
まぁ、現時点で住民が発狂したり化け物に変身したりと、悪いところだらけだ。そういうことを無くすための血の聖女なのだろうが……。
保証のないいま、それを体に入れるなんてぞっとしない話だ。
ちなみに我が図書館のみんなはというと、フィリップ君は血酒を嗜む血の常習者だし、ルメール君も何度か輸血を受けている。カミュは分からないが、教会の手の届く場所で生まれたのだ。おそらく一度は輸血しているだろう。
教会は輸血液のほかに、中毒性のある血の酒などで、積極的に血を摂取するよう誘導している。念のため大図書館のみんなや親しい連中には控えるよう忠告してはいるが……。
あまりいい結果は出ていない。
しかしもし予想通りなら、血を拒む僕は夢によって干渉してくる一部の上位者を見ることは出来ないということになる。
そこだけは悩ましいところだ。
「まぁ、いつか僕も血を受け入れて、狩人の夢を見るようになるかもしれない。それまでには是非とも、歓待の言葉を用意しておいてくれよ。」
届いているかは知らないけれど、と付け加える。
人形の正体というのもわからない。とても大切にされていたようだから、おそらく師であるゲールマンのものだと思うが。
人形いわく人によって作られたそうだから、月の魔物のものということはないだろう。
その辺りの秘密も、いつか解き明かしてみたいものだ。
なんたって、秘密は甘いものらしいからね。