神秘学者は上位者と友達になりたい   作:ぐるぐるれ

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ゴースとの邂逅

「アッハハハ! これがゴース、あるいはゴスム……! 素晴らしい、これは夢か? ルドルフ、見たまえ、これが神秘!我らに瞳を授けるゴース、あるいはゴスムなのだ! 宇宙よ! 今こそ我らに瞳を授けたまえ! 我らの脳に瞳を与え、獣の愚かを克させたまえ!」

 

とある漁村跡の、早朝の海岸。厚い雲のせいで空も海も青白い。砂浜に打ち上げられたこれまた青白い肉塊と、その前で狂喜乱舞する男。

 

「あー、盛り上がっているところ悪いが、ミコラーシュ。私にはそれが生物には見えない……。いや、生物だったのかもしれないが、もう死んでるような気がするんだが。ただの肉塊に、瞳を与えたりできるものなんだろうか?」

 

「やがてこそ、舌を噛み、語り明かそう。明かし語ろう……。新しい思索、超次元を!」

 

「ダメです先生、聞いてません。頭でも叩けば直るでしょうか?」

 

ナメクジの這い回る白いヌメヌメした巨大な肉塊に縋る丸い鉄の潜水帽を被って全身テカテカタイツを纏ったミコラーシュ。

流木を握りしめた、潜水帽とタイツを纏ったルメール君。

それらを見つめる、これまた同じ格好をした僕とバーティ教授とカレル君。

いやぁ、なんとも面白い構図だ。カメラ持って来ればよかった。

 

「あ、あれがゴース……ゴスム?なんですか?なんか、思ってたより、こう……。気色悪いですね。」

 

カレル君が辟易とした表情で言う。たしかに見ていて楽しくなるものでないことは確かだ。感覚麻痺の霧で満たされた潜水帽越しにも香る素晴らしい匂いにむせ返りそうだ。

 

「あれ自体は変哲も無い哺乳類の死骸に過ぎないんだ、カレル君。感覚麻痺の霧が無ければ、君たちもあれを文献のように美しい顔を持った軟体動物として認識していただろう。ゴースの本質は肉塊を這い回るナメクジのほうさ。」

 

まだ合点がいっていない様子のカレル君に、バーティ教授が補足する。

 

「つまり、過去の間抜けどもが見ていたゴースというのは、実際はただの腐った肉塊だったということだろう?幽霊の正体見たり枯れ尾花、だったか。しかし、当時の遺骸がこうして残っているのは驚きだ。精霊というのはずいぶん融通が利くものだな。」

 

首をかしげるバーティ教授。彼は上位者や神秘についてそこまで詳しくない。彼の専門は古代ヤーナムの体術や身体構造についてなのだ。

もっとも、古代ヤーナムの体術は神秘を扱うものも多い。僕がバーディ教授と知り合ったのも、彼が神秘や秘技についての専門家を必要としていたところにある。

専門といっても、この男は古代ヤーナムの体術を習得することが目的で、正直学者と呼んではいけないと思う。教授とは言うものの、実態はただの体術マニアだ。体得した後は神秘関係の理屈はころっと忘れてしまう。

 

「まだまだ不明なことが多いが、精霊には不思議な権能があるようでね。時間を巻き戻すなんて現象も確認されている。死骸の時間を戻したり留めたりすることで、ビルゲンワースたちの考える"あるべき現実"を、可能な限り再現しようとしているんだろう。僕らの現実が彼等の都合に引っ張られるように、彼等もまた僕らの思考に支配されている。素晴らしい共生関係だと思わないかね?」

 

「いや、思いませんよ。出来ることなら、いますぐ体の中の虫を一匹残らず追い出したい所です。」

 

カレル君がわざとらしくぶるぶる身震いする。まったく、ビルゲンワース所属のくせにいまさら何だっていうのだか。まあ、気持ちはわからんでもないが。

 

「ところでルドルフさん、この丸いのもう脱いでいいですか?すごく曇るし声も聞こえ難くて、鬱陶しいんですけど。」

 

カレル君がぼやく。鬱陶しいとはなんだ。この蠱惑的な黄色と滑らかな曲面の良さがわからないとは……。

 

「おすすめはしないね。霧で満たしているから虫の活動を抑えて正気になれているわけで、大量の精霊が近くにいるいま脱いだらたちまちミコラーシュのように……。いや、あいつ潜水帽脱いでないな。なんで正気を失っているんだ?」

 

「本質からしてあれなんだろう。まったく救えない野郎だ。」

 

バーティが吐き捨てるように言った。腐れワカメは陰湿だから、感情も暴力も真っ直ぐなバーティ教授とは馬が合わない。

昔は陰気ではあるがいい奴だったらしいが。未来では檻をトレードマークひする時点で相当『いい奴』になるのは間違いない。さっきの調子を見るに、既に『いい奴』になったかもしれないな。

 

ちらりとミコラーシュのほうを伺うと、ルメール君の振り上げた流木がミコラーシュの潜水帽にヒットして、ゴーンと景気のいい音が鳴るところだった。ナイススイングだ、ルメール君。

 

「ゴースのくだりは大体分かりましたけど、村人の惨状はどういう経緯を辿ったんでしょう。昔の連中は村人の頭に穴なんて開けて、何がしたかったんですかね?」

 

「この村にはトレパネーション(※頭蓋に穴を開ける民間療法)の習慣がもともとあったんじゃないかな。遺体を見て回ったが、殆どは額の部分に一等大きな穴が空いていたんだ。昔のビルゲンワースはそこに目をつけたんだろう。」

 

個人的には額に穴を開けるなんてぞっとしない話だが、変身願望を満たす要素もあるのだろう。鬼やら怪物やらに変装するお祭りの代わりに、この村ではトレパネーションが選択された。そう考えればおかしな話でもない。

もちろん精霊やら上位者やらが闊歩するこの世界では、実際有用な手段なのかもしれないが。

……やっぱり僕も額に穴を開けてみようか。額の皮膚が破けるなんてそうそうないし、普段は硬い鉢巻のようなもので覆っておけば脳液が漏れることもないだろう。

 

思考に耽っていると、ルメール君がミコラーシュを肩に担いでこちらへ向かってくるのが見えた。

少し早いが、そろそろ撤退するとしよう。感覚麻痺の霧はなかなかに貴重で、今回かなり借りを作ってしまった。ヨセフカは気にしなくていいのよ、なんて言っていたが、後から何を要求されるかわかったもんじゃあない。

 

「それじゃ、いくつか資料をいただいていこう。あまり長居は出来ない。肉片は既に回収してあるから、住民の遺体を3体、あの鼈甲色のツボを3個、海水を10リットルほどと……。いや、今回はそれくらいにしておこう。僕がミコラーシュを運ぶから、ルメール君。適当に頼むよ。」

 

「わかりました、先生。それではバーティ教授、協力をお願いします。」

 

「おう。死体は俺が運ぼう。荷台に容器があるから、ミス・ルメールは海水とツボを頼む。」

 

さて、あとは脳筋二人に任せてはやく帰ろう。留守番がいるとはいえ、タコ助を放っておくと寂しがるといけない。……ミコラーシュ、痩せてる割に重いな。潜水帽が重いってのもあるが。普通に背負うと潜水帽同士がぶつかり合ってごんごんとうるさい。

ちらとカレル君に視線をやると、ものすごい勢いでぶんぶんと首を振った。そこまで嫌がることないだろうに。

 

ああ、癒しのタコ助。待ってろ、いまお土産の海産物を持って帰るからな。

僕はワカメに勢いよく齧り付くタコ助を想像しながら、砂浜に足跡を残していった。

 

 

 

 

 

 




トレパネーションには科学的な根拠はありません。が、現代でも神秘的ななにかを信じて額の骨に穴を開けている人がいるらしいです。是非一度触ってみたい……。

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