正面から見つめられて、はにかみながら指を二本立てた。
満足そうな笑顔につられて自分も笑顔を返す。
初めての起動実験のときだ。
動けるようになって、はしゃいでハンドガンを乱射した。
実験の合間の他愛ない会話で笑いあう。
次々と現れるメモリーの断片。人間はこれを夢と言うのだろうか。
果たして自分にそんな機能が。
数えきれないほど調整をしてもらって、何度も服や道具を合わせてもらって、たくさんの知識や感情を教わって、成長していく自分。
確かにそれは幸せだった。
「パパ」
いつかそう呼びかけたとき、彼は驚いていただろうか。
新しい髪形が気に入って喜ぶ自分を、優しく見つめてくれていた。
気が付けばいつも笑顔でいさせてくれた。
「ありがと」
照れながら言った言葉はうまく伝わっていただろうか。
完成すれば、いつまでも一緒にいられると思っていた。
けれど、砂ばかりの場所で目覚めたとき、ひとりきりになっていた。
寂しさの中、遠くに橙色の影が見える。
よく見ると人型のようなそれは。
「必ず、帰る」
――システム再起動
通電した光学センサーは、ぼやけた視界いっぱいに薄ピンク色の塊を映した。
横向きの視界に、鼻先をくっつけるほど近づけた猫の顔。様子をうかがうようにスンスンと鼻を鳴らし、こちらのまばたきを確認すると満足げに「にゃん」と鳴いた。
「おは、ろぼ…」
目覚めたはずなのにどこか意識がはっきりしないのは、充電電圧が安定しないからなのか、それとも。
充電中に何かがあったようにも思うが、システムが休眠しているのだから何もできるはずがない。生物の睡眠とは違うのだから。
「ホロちゃん、元気そうだね」
横に転がった姿勢からおっくうそうに起き上がり、うなじから充電用のケーブルを取り外した。ソファの上で腕と背筋をほぐすように、思い切り伸びをする。もちろんそれは彼女には不要な行動なのだけれど、習慣というか条件反射というか自然と出てしまうのだ。
「にゃーん」
ホロと呼ばれた小動物――極楽猫は身軽に床へ飛び降りると、彼女を振り返り腰を下ろした。昨日のにぎやかなやり取りの果て、虹色に変わる体色からそう命名したが、基本はやはり桜色のようだ。
「何もなかったよね?」
質問の意味は彼女自身もわからなかった。ただ何か気になっただけ。極楽猫とよく似た色見のピンクパーカーの、乱れたフードを直しながら彼女は部屋を見渡した。
突然たどり着いたこの街で、突貫でつくった自分の居場所。もともとビルのてっぺんにある空き家だったのだから殺風景なものだ。コンクリートの外壁は構造材がむき出しで、壁沿いの作業棚と机、天井に吊られたむき出しのランプと相まって、良く言って倉庫にしか見えない。しかしそれは彼女の生まれた場所に似た雰囲気で、不思議と嫌ではなかった。特に偶然拾ってきた黒いソファは、新しさもあって彼女のお気に入りになっていた。
「ホロちゃんはご飯どうするの?」
壁から生えた充電ケーブルを束ねながら尋ねる。これもこの場所を住みかに決めた要因のひとつだった。壁の中にエネルギーラインがあって、しかもそれが生きている様子だったから、なんとか自分用のコネクタを作って無理やり接続することができた。充電さえできれば彼女は生きていくことができる。
「って言っても、ボク食べ物なんて持ってないんだぁ」
彼女にも食べる機能はあるが、生きるために必須ではない。しかし生物は食物がなければ生きられない。
当の極楽猫はすまし顔で毛づくろいなど始めてしまった。もしかすると彼女が眠っている間にどこかで済ませてきたのかもしれない。もともと野良だったようだし、思ったよりもたくましいのだろう。
昨日の誘拐騒ぎよりも前に、この街のあちこちで何度か顔を合わせていた。あの時もメインストリートの片隅で見かけて、挨拶でもしようと思った瞬間の犯行だったのだ。つい勢いで「友達」だなんて言ってしまったけれど、嫌われてはいないようで良かった。
「ボクも野良猫みたいなものか」
身寄りがなくて行く当ても決まっていない。この街にたどり着いたのも偶然の産物。果たしたい目的はあるけれど、その方法は見当もついていなかった。
「この世界を救ってください」
唐突な声は、その姿が現れるより先に耳に届いた。
この家の入口、さびの浮いた鉄扉はピクリとも動かなかったが、その前にオレンジ色の光が揺らめいている。水面に映る光彩のようにゆらゆらと大きくなって、伏し目の女性の輪郭で落ち着いた。
「うん、いいよ」
「えっ? えっ?」
軽々しい返事に、その橙色の人影の落ち着いた表情はすぐさま崩れた。立体映像のようなその姿は、動揺を表すように輪郭のあちこちを乱しながら驚いた顔でこちらを見る。
「ふつう質問を返しません? そもそも疑うでしょう、私が何者かとか? だいたいこの世界なんて言いましたけど、この街の言い間違いですし、ああ、もう、あんなに練習したのに台無し!」
痛恨の表情で頭を抱える様子を眺めて、極楽猫は余裕のあくび。
「ええっと、良かったらもう一回はじめから」
親切なのだかよくわからない言葉に、女性の輪郭は半ばあきらめたような表情でしばらく押し黙る。表面上は落ち着いてその橙色の姿の乱れもなくなった。
「どうか、この街を救ってください。このままではこのターミナスは崩壊してしまう」
「うんうん、よくわからないけど、ボクにできることなら」
また二つ返事に一瞬不安げになったがすぐに気を取り直す。
「ここターミナスは多元宇宙をつなぐ中継地点として存在します。各世界を離陸したステートシップはいったんこのターミナスを通り、目的とする別世界へ到着します。それはここがステート間移動技術の発祥地であり、各世界から直接別世界への窓を開くことができないからでもあるのですが、ともかくこの街は宇宙最大の空港を持つ街なのです。つまりそれに伴って別世界との接続を維持するチューブの数も最多なのですが、ご存知のようにその維持には莫大なエネルギーが必要でして、この小さな街だけでは、あら、聞こえてます?」
「うん? まあ待たれよ、すぐわかるからね」
意味不明な受け答えに、橙色の女性は何かに気づいて手を打った。
「もしかしてチューブって知りませんか? シップに乗っているだけではあまり気にしませんものね。別世界への通路『ウィンドウ』はそのままでは自然消滅してしまうのですが、それをつなげたままにするアンカーのような役割をしているのです。シップの飛行中に真下にケーブルのような物を見ませんでしたか? かなり強度が必要ですから特に素材には苦労して、って、どうしました?」
「??」
どんどん応酬される情報についに瞳の中まで疑問符。
「チューブのことは知らない? では、シップには乗りましたよね、この街に来るために、乗っていない? で、ではこの街がターミナスという名前なのも、ご存知無い?」
たっぷり返事の時間を待ってから、女性の人影は我慢できなくなって悲鳴のような声を出した。
「あなたいったいどうやってここに来たのですか!」
「ボクもわかんないんだってば!」
覚えているのは故郷の砂漠の地下施設、ひとりで目覚めてそして、気が付くとこの街にいた。メモリーの欠落がある気もするがそれはわからない。
「もうすぐチューブの維持でこの街のエネルギーが尽きます。チューブを減らす必要があるのです」
もう諸説明はあきらめて、端的にそう言った。先ほどまでと違いその表情は真剣。気のせいかその橙色の姿もくっきりと明確に思えた。まっすぐ長い髪に意志の強そうな瞳、前合わせの丈長の服はきっと白いのだろう。年齢は少女と大人の間くらいに見える。
「あなたのお名前は?」
「私は、この街を作り上げた博士のお手伝いをしていました。博士からは助手子と」
「じょしゅこ、さん?」
その名前を誇らしげに言うのが可愛らしくて微笑んでしまう。
「ボクの名前はロボ子さん、いちおうさんまでが名前だけど、呼びやすいように呼んでもらったらいいよ」
「では、改めてこの街を救ってください、ロボ子さま」
「ちょっと待って、やっぱり、さんがいいかも」
なんだか収まりが悪くてそう言うと、助手子と名乗った橙色の人影は小首をかしげてみせた。やはり立体映像のようにも見えるが、透けていないその姿は何かの物質にも見える。
「それとね、協力はしたいんだけど、ほんとに他に方法がないのかな。チューブって色々な世界をつないでいるんでしょ? それを減らすってことはさ、なんか寂しいよ」
関わり合うたくさんの世界がこの街を形作っているのだろう。街で見かけるたくさんの種族や文化は、交わった世界の証明。まだここに来て数日だけれど、その混沌感を気に入ってしまっている。
「そのつながりが悲しみを生むのだとしてもですか?」
挑戦するような鋭い瞳で見つめられて言葉に詰まった。
自分は何も知らないのかもしれない。ただひとりきりが寂しくて嫌なだけかもしれない。
視線をそらした先で、偶然ホロと目が合った。退屈そうに丸まったまま、首だけ起こしてこちらを見ていた。体色と同じように色を変える瞳はとても深かった。
「それでも、出会いって大切にしたいよ。もちろん助手子さんともね」
あっけにとられた表情で、一瞬その橙色の輪郭がぼやけてゆがむ。
「あなたは、どうしてそんなに…」
それ以上何か言うより先にオレンジ色の光は人型ではなくなっていた。
「今日はこれで失礼いたします」
最後の言葉ににじんでいたのは悲しみだろうか。
出現したときと同じように、その姿は揺れながら消えていった。
しばらくその空間を見つめていたが、戻ってくることはないようだ。
「ホロちゃん、散歩でも行こうか?」
そう言って彼女は黒いソファから立ち上がった。昨日破損したドローンの修理だとか、いくつかやることはあったが、今はどうもじっとしていたくない気分だった。
返事をする代わりに極楽猫はいち早く出口の前へ歩いて行って、催促するように振り返った。
「もー、しょうがないなぁ」
さびの浮いた鉄扉は少しきしみながらスライドして開く。極楽猫を先に通してから、彼女は外から元どおり閉じておいた。室内の明かりがさえぎられると薄闇が広がる。
ターミナスに昼はない。太陽が存在しないようで、いつもかすかに明るい夜空が広がっているだけだった。その夜空に月や星が出ているのも見たことがなかった。
彼女の住みかは比較的高層の屋上で、見晴らしは良い。薄明るい夜空を切り取って、ビルの影があちこちから突き出していて、街灯や窓の明かりが無数に光っている。
いつもどおり少し湿った風が吹いてきて、今は束ねていない髪をなでていった。少し向こうに繁華街の明かりが漏れ見えて、喧噪がかすかに聞こえてくる。
「やっぱり気に入ってるんだ、きっと」
屋上の縁でどこか自分に言い聞かせるように声に出した。
遠くで明かりが星のように瞬いた。そういえばこの街の発電施設を見たことがない。どういうシステムなのだろうか。エネルギー不足だというなら増やせばいいはずなのに。
当然の疑問が出てきて彼女は少し考えた。
「また今度聞いてみよう」
きっと助手子はまた訪ねて来るだろう。その時に一緒に解決方法を考えてみよう。
「にゃーん」
気がそれているうちに極楽猫は配管を伝って隣のビルへ移動していた。かなり密集建築な街なので、場所によってはひとまたぎで隣へ移動できる。いつもそのように散歩しているようで、極楽猫はすいすいと屋上を移動していく。
「ホロちゃん、ちょっと待ってよ」
慣れた様子で先々に行く極楽猫を追いかけながら、彼女は気になるものを発見した。今よりも少し高いビルの、その屋上にまぶしいくらい明かりの漏れる一角があった。彼女の記憶にある太陽のような色の光だった。
「あの場所は、食料プラント?」
彼女のメモリーにはそう登録されている。関係があるのかはわからないが、この夜が続く街には明るすぎる光だった。
「寄り道してみよっか」
そう言うと彼女は極楽猫を片手に抱き上げるとビルの端から跳躍した。いくつかビルを経由し徐々に高いビルへ。近づくとその建物は、屋上から少し突き出したガラス張りの天井のようだった。
最後の跳躍はひときわ高く、ガラス天井のほぼ真上から降りていく。
「これって植物? 森になってる?」
踵部のスラスタで落下慣性を打ち消して、そっとガラスの上に着地する。かなりの面積があるそのガラス張りは、内部に緑色の有機体のかたまり、樹木が数えきれないほど生えている。おそらくビルの内部数層をぶち抜いて相当の高さも確保しているようだった。
彼女は実物を目にするのは初めてだったが、知識にはあったから理解できると同時に、ビルの中の森などというものが不自然であることもわかった。
「どうやって、こんなこと…」
風にそよぐように揺れる足元の樹木に目を奪われていた彼女は、不意にその立っているガラスが無くなったことに反応できなかった。ちょうどそこが天窓になっていることになど気づいていなかったのだ。
「えっ、ウソだぁぁ!」
内側に外れた天窓と一緒に、彼女はうっそうと茂る森へ落下していった。