さわさわと梢を渡る風が鳴いた。
ゆれる枝からこぼれ落ちる光は、柔らかく薄緑色に染まる。
きらきらと目に入る光に、思わずまぶたを閉じると二度と開けたくなくなってしまう。
絨毯のような丈の低い植物に大の字に寝転んだままで、彼女ははっと目を開いた。極楽猫は彼女の腹の上で丸くなり、うっとり目を閉じご満悦の様子。
頭上は木々から伸びる豊かな葉が屋根になり、空――天井からの光を心地よくさえぎってくれる。枝の切れ間から見えるガラス張りの天井は、やはり暗い空が見えているけれど、そのフレームにたくさん取り付けられた照明が昼間のように地上を照らしていた。
周囲よりもひと回りほど大きな木の根元で、昼寝に落ちかけながら見上げる初めての植物は、不思議と安心感をくれる。聞こえるのは風にゆれる葉のこすれ合う音だけ。まるでささやくように耳に届いた。
上から見下ろすほどは木々は密集しておらず、お互いの枝が絡み合わないようちょうど良い距離で生えている。当然といえば当然だが、人工的な森なのだろう。それでも、暖かい光と清々しい風と新鮮な緑の香りは、未経験の彼女にはとても貴いものだった。
天窓から落下した彼女は、姿勢制御をする間もなく木々の枝に突っ込み、あちこちぶつけながらもほぼ衝撃無く地面に尻もちをついた。おかげで葉っぱにまみれて髪も乱れパーカーも少しよれてしまったけれど、怪我や損傷はどこにもない。
ただ最後の衝撃を吸収してくれた腕ほどの太さの枝が、へし折れて彼女のそばに転がっている。こうして見上げていると、その枝の折れた傷跡が目に入って痛々しく思えた。
「ごめんね、ありがとう」
思わず口をついて言葉が出た。
その少し大きくて立派な木が風に吹かれてわずかに身じろぎしたように見えた。
「構いませんよ、この程度」
空耳ではなく、確かに聞こえた声に驚いて上半身を起こす。転げ落ちた極楽猫は不満げな声を上げて、彼女の膝から地面へ逃げ、また丸くなってしまった。
見回してみても人影は見当たらない。先ほど会った助手子のような存在も、見えるところにはいなかった。何よりもその内容から考えると。
「君は、君なの?」
よくわからないセリフになってしまったが、頭上の木に向かって語りかけてみた。もちろん植物が話すことなどありえないと思っているのだけれど、自分にインプットされている知識だけでは計り知れないことがたくさんある。
立ち上がって見上げた枝はやはり風にそよいでいた。
「私は私であることに間違いはありませんが、それを証明することはとても難しい。では逆にお嬢さん、あなたは自分が自分であることを証明できますか?」
「あー、そういうことじゃなくって」
思ったよりも面倒くさそうな返答が返ってきて少し眉をひそめてしまう。
「君は、その、ボクの目の前の木なの? しゃべれるの?」
「そう樹木だからといって差別しないでもらいたいですね、知性も理性もあり人間の言葉も解しますよ」
あいかわらずどこから声を出しているのかわからないが、ともかく目の前の木が話していることは間違いないようだ。言葉はわかるけれど、会話をすることには苦労しそうだと思ってしまうが。
「あの、大丈夫? 折れちゃったけど」
「私は強いので大丈夫ですよ、このくらいすぐ生えてきます、もちろん痛覚もありませんからご心配いりません、あえて言うと裂けた樹皮から病気をもらったりすると大ごとですが、ここではその心配もありませんからね」
「ふ、ふーん」
そっけない声になってしまって、慌てて咳払いをしてごまかす。身体の一部――枝を折ってしまったのだから申し訳なく思わなければいけないだろう。当人があまり気にしていないのだとしても。
「とにかく、ありがとうございます、おかげ助かりました」
「こちらこそ助けられてよかったですよ、お嬢さんでは私の栄養になりませんからね。そちらのチビ助くんならいくらか美味しそうですが」
「うわ、ヤベーやつだ」
なんとか小声にはしたが、表情では完全に嫌悪を表してしまう。植物として、例えば生物の死骸から養分を吸収することもあるのは理解できるが、言葉にされるとおぞましさが先に立つ。そして自分がロボットだと看破されたことにも気づいた。
「ちょっと待って、ボクのことわかるの? って、この脚見たらわかるかあ」
自分でも外見は人間と見分けがつかないと思っているけれど、膝関節から下はなかなかロボめいている。果たしてこの目の前の木に視力があるのかは謎だが。
「私たちには生命活動がわかるの、不思議なものでうまく説明はできないのだけれど」
「母上、それに父上も、ご機嫌いかがですか?」
穏やかな声が後ろからして、木の声がどこかうれしげに呼びかけた。
どんな木かと思いながら振り向くと、予想とは違うふたつの人影があった。
ひとつは白いフレームの車椅子に座った白衣の男性。白髪で老年ではあるがしっかりとした瞳の光は若々しく力強い。折れた枝と木肌の傷跡を見比べてどこか不機嫌そうにも見える。
もうひとつは、その車椅子を後ろから押している緑色の肌の女性。髪と服にあたる部分が生い茂った葉で、動くたびにさわさわと気持ちの安らぐ音がする。声と同じく穏やかな瞳の、さながら植物人間という姿だった。
「命があるものは感じることができるの。だから、あなたが生き物でないことがわかるのよ」
「…うん」
それは事実だったけれど、なぜだか少し切なくなった。
「でも、あなたは呼吸をしているのね。豊かな感情も持っているよう」
うつむいてしまった彼女に、緑色の女性は優しく微笑む。
「とても丁寧に大切に、愛されて生まれたのね」
「うん!」
自分だけではなく、父親とその過ごした日々も認められた気がして、満面の笑顔でうなづく。優しい緑の瞳は木漏れ日と同じように安心感をくれた。
「あなたはどなたかしら? あの天窓から落ちてきたのね」
「ロボ子だよ、ここを上から見つけて、見ていたら穴が開いて、ごめんなさい」
「そう、ロボ子ちゃん、怪我はなさそうね、あの子も自分で大丈夫と言っているのでしょう?」
あの子とは、あの話す木のことだろう。うなづく代わりにその枝がざわざわと揺れた。
「じゃあこれ以上気にしないでね、このくらいの事故は自然にはよくあることだもの。アナタも、そんな怖い顔していたら嫌われちゃうから」
アナタと呼ばれた白衣の男性は、言われてはじめて気づいたように、自分の頬を片手で触った。そうして自分に呆れたように苦笑する。
「ああ、君に悪意のないことはわかった、この仏頂面は生まれつきだが」
「ごめんなさいね、この人、ただ植物が好きすぎるだけだから」
ごく普通の会話が、この二人の重ねてきた年月を少しだけ感じさせた。年老いた人間と若々しい緑の樹人、不釣り合いなようにも見えるけれど、長い間いっしょに生きてきたのだろう。
「天窓の修理は作業ボットに指示しておく。君は出口へ案内しよう、ここは立ち入り禁止の研究棟だからね」
「じゃあガゼボに寄り道してお茶にしましょうね」
「ナツメ、ここは非公開の実験だってあるのだから…」
彼の言葉の途中で突然周囲が闇に閉ざされた。まぶしく光っていた天井の照明がすべて消えて真っ暗闇に、ガラス天井をとおしてかすかに空が見えた。すぐに非常灯がうっすらと周囲を照らしてくれるが、その弱い光は相手の表情を読むことさえ難しいくらい。
「な、なになに?」
うろたえる彼女と同じように、さすがに驚いた様子の極楽猫が、足元に寄ってくるのを感じた。
「またか、ここのところどうなっているんだ?」
「ロボ子ちゃん、すぐに回復するから大丈夫よ。最近中枢からのエネルギー供給が不安定でね、不可欠な部分は予備電源があるからいいのだけれど」
送風装置も非常停止しているようで、静まり返った森の輪郭だけがうっすらと見える。闇の中で息をひそめるように全員が動きを止めていた。
「ねえ二人は、この施設の?」
「そういえば自己紹介がまだだったわね、この人はこの食料プラントの責任者で植物研究者でもあるの。そして私はその助手」
「タチキという。彼女はナツメ。この下の階層で主に野菜のたぐいを栽培している。そして、この階層は研究棟だ。しかし、こう何度も照明が落ちるといずれ生育に影響が出てしまう」
そう言った直後に、また不意に照明が復活したが、彼の表情はさえないままだった。
太陽に似た照明に鮮やかな緑とざわめきを取り戻した森は、どこか喜んでいるようにも見えた。
「さあ明かりも戻ったし行きましょう、おチビちゃんも」
森と同じように明るい表情で、ナツメは近づいてきて極楽猫を抱え上げた。彼女のことを信用しているのか、さっきまで不安げだったホロも優しい葉に包まれてご満悦の表情。暗めのピンク色から黄色を経て明るい緑色に体色を変化させる。
「まったくまったく、ノンキなんだから」
「その動物は、何者だ?」
その体色変化を目にして、タチキは驚いた顔を見せた。電動車椅子を前進させナツメの腕の中の小動物をのぞき込む。悪いものを感じないのか、ホロのほうは気楽に「にゃん」と鳴いてこたえて見せた。
「お友達のホロだよ。極楽猫っていうみたい」
「極楽猫、実際に目にするのは初めてだ」
「あらアナタが動物に興味を持つなんて珍しい」
そんな軽口には反応せずひとしきりホロを観察したあと、タチキはいやに熱のこもった目で言った。
「頼む、分析させてもらえないだろうか?」
「えっ」
分析という単語に猟奇的な想像が浮かんで思わず身を固くすると、ナツメが安心させるようにやさしく微笑んでくれた。
「もう、きちんと言わないと不安になるでしょう。酷いこととか痛いことはしないから大丈夫よ。写真を撮るくらいで済む解析機だからね」
「でもホロちゃんが嫌がるなら…」
という心配をよそに極楽猫はナツメの腕と胸元の柔らかい葉に包まれながら、タチキの方へ前足を伸ばしている。言葉を理解しているのかいないのか、嫌がるどころかリラックスした様子だった。
「あー、うん、べつに大丈夫みたいだから、好きなようにしてください」
あきれた声で言ったのは通じていたのだろうか。相変わらずホロはあくびなどして気にしたふうもなかった。
同じ階層をしばらく歩いたところがタチキの研究室だった。
彼に先導されながら森を進み、森を外れて菜園のような一角や、池のほとりを歩いてきたが、初めに話しかけられたようなしゃべる植物には出会わなかった。
ありふれた存在と思っていたわけではなかったが、そこらじゅうで話しかけられるわけではないとわかって少し安心した。もちろん、黙って正体を隠しているだけという可能性もあるのだけれど。
「私はさっきの停電の影響がないか確認してくるわね」
ナツメはそう言って別の場所へ向かった。雑談のなかで、彼女のような樹人たちの世界があって、二人はそこで出会ったのだという話を聞いていた。しかし、ここのしゃべる植物はそれとは違う存在らしい。
詳しく聞く時間はなかったけれど、確かに人型と完全な樹木では、見た目からして別物ではある。後で聞くことができるだろうか。
「乱雑だが少し我慢してくれ」
そうは言いながら、タチキの研究室はこざっぱりと片付いていた。彼の電動車椅子も、どこにもぶつかることなく奥へ進むことができる。
いくつも並んだデスクに、よくわからない器具や機械が所狭しと並んでいた。一方の壁面は、ガラスケースに小ぶりな植物が生育途中であったり、土だけが満たされていたりする。全体に明るく清潔な白色の室内だった。
「その解析機の中央に座らせてくれ、できるだけ動かないように頼む」
奥のデスクの端にあまり使っていなさそうな機械が据え付けてあった。タチキの胴体ほどのサイズで、円形の台座にそれを囲むような二本のアームが伸びている。彼がどこかを操作すると電源が入ったようで台座の円盤とアームの先端に明かりがともった。伸縮して上下に動くアームは遅く、危険性などは特に感じられない。
「ホロちゃん、大人しくしてね」
「にゃん」
いつもの薄いピンク色に戻った極楽猫は、心得たとばかりに良い返事をする。台座の中央に収まったあと、自分を取り巻く機械のアームに興味があるようで、視線だけでその動きを追っていた。
「少し時間がかかるぞ」
目の前の操作ディスプレイを見つめながらタチキが言う。時折何かの入力や操作をしながら、その画面にくぎ付けになっている。
「お話ししても、いいですか?」
「…ああ、構わないよ」
視線は動かさないまま返事をする。会話をするくらいは邪魔にならないようだ。
「おじいさんはあのしゃべる樹を研究しているの?」
「いや、あいつは研究の産物だ、実験体だがナツメはコウイチと名前を付けていたな」
研究の結果しゃべるようになったということだろうか。
「私の研究は、強い植物を作ること。どんな病気にも負けず、どんなところでも、それこそ宇宙空間でも育つ植物を作ることだ」
「そんなことできるの?」
「まだできていないから研究している、その子も何かのヒントになるかと思ったんだよ」
当の極楽猫は意外にも大人しく動かずにいる。ときどき我慢できないのかあくびが出てしまうようだが、寝ころぶこともしないでいた。
「こちらからも質問していいかな? 君はどのくらい生きてきた? この世界に生まれてどのくらい経つ?」
「ボクは…生まれてから、ずいぶん長い間眠っていたんだと、思う。パパと過ごした時間のほかには、まだぜんぜん生きていないんだ」
「そうか、まだ若いのだな」
納得したのかどうなのか、タチキはしばらく黙って機械を操作していた。
「私は君のような存在がうらやましい、妬ましくさえ思うこともある」
思ってもみなかった言葉に返事ができなかった。だが彼の声音はまったく憎々しさのあふれるものではなく、落ち着いた理性的なものだった。
「君には寿命なんてないのだろう? 人よりもよほど長く、自分が納得するまで生きられるはずだ。適切に整備すれば永遠にさえ」
そう意識したことはなかったが、きっとそうなのだろう。まだ死ぬことなんてわからないが、タチキにとってはもっと現実的なものなのだと思う。
「私は植物の時間を生きたい」
その言葉にふくまれた意味を理解しきることはできなかった。けれど不思議とナツメの笑顔を思い出してしまう。彼女はきっとすごく長命だ。
「人間でも生き続ける方法はもちろんある。だが、こうだから私なのだとも思うのだよ。延命するために人間でなくなったとして、私は私なのか、とね」
ふっと手を止めて、彼は脱力したように背もたれに体を預けた。
「可笑しいだろう、こんな研究をしておきながら、自然のままがいいのだとも思う。自然のままの彼らと、私のままの私で、いつまでも寄り添うことができたら、どれほど幸せだろうか」
いつしか解析機の動作が止まり、待機位置まで戻ったアームからは明かりが消えた。
「さあ、終了だ、ありがとう。しかし今のところ、驚くほどなんの変哲もない小動物のデータでしかないな」
ふにゃふにゃとその場に丸くなった極楽猫に、タチキは少しあきれた様子だった。そのなんの変哲もない希少生物を抱き上げて、彼の手元の画面をのぞき込んでみた。表示されている文字や数字は、そもそもその意味するところさえ理解できなかった。
「その極楽猫は、体色変化の原理が解明されていない。死ぬと変化しなくなる、遺伝子操作やクローン技術でも再現できない、という伝説めいた存在なのだ。絶滅したものだと思われていたのだが、しかし、この解析では何も特別なところは見られないな」
「じゃあ、役に立たないの?」
今、腕の中で遊ぶように、桜色から赤、青、緑と変化を繰り返す動物が、特別ではないというのもあまり納得できない。
「それはまだわからない。詳しくデータを分析してみないとね。あまりにも普通すぎるのが逆にすこし引っかかる」
さっきまでの感傷的な言葉はもうどこにも見られなかった。年老いてはいても意志のしっかりした瞳は力強い。
「もうナツメが戻ってくるだろう、出口まで案内させよう。私はこのまま残って続きをすることにするよ」
それはこれ以上の会話を敬遠するかのように聞こえた。興味深い内容に早く取り掛かりたいのか、これ以上余計なことを言いたくないのか、どちらなのかはやはりよくわからなかった。
「私たちは、もう何十年かここにいるのよ。あの頃は彼ももっと若かったわね」
出口に案内すると言いながら、池のほとりのガゼボまで連れられて、お茶を前に雑談が始まった。もともとそのまま帰すつもりではなかったらしい。
「ここに来たときは、まだこれほど栄えていなくてね、そもそも食糧の自給もできていない状態だったの」
木の葉をまとった姿のナツメは、肌の色こそ人間ではない緑色だったが、若くて美しい容姿をしていた。緑なす髪――頭部の葉はしっとりと流れるように背中へ伸びていて、まるで長髪のように見える。緑色の肌も、いわゆる樹木とは違ってしなやかで柔らかそうだった。
「だからこの施設を?」
「そう、私たちでできることを、精いっぱいしたわ。まあ、お野菜くらいしか作れないのだけど、ふふっ」
声をおさえて笑う様子は穏やかで、確かに年齢のせいなのか落ち着きを感じたけれど、同時に見た目に似合う愛らしさも感じられた。
「ううん、すごいすごい、そのおかげでみんな暮らしてるんだね」
「少しでも役にたてたら、ね。いいえ、他に行ける場所がなかったから」
少しだけ後ろめたそうにナツメは言った。彼女のそんな顔を見ていたくなかったから、わざと明るい声で別のことを言う。
「あの、タチキ博士とはどう知り合ったの?」
けれどあまり効果がなかったのか、ナツメの表情はすぐには晴れなかった。
「…よくある話よ。彼が私の命を救ってくれた」
しばらく黙ったあと、少しはにかみながらそう言った彼女は、その当時の気持ちを思い出そうとしているようにも見えた。
「昔から彼は植物を研究していてね、私たちの世界に人間としてはじめて訪れたの。昔から変な人だった」
くすりと笑うのにつられて思わず笑顔を返した。
「ずいぶん勉強になった、って言っていたわね。ちょうどそのころ未知の病気が流行して…その彼の研究のおかげで、たくさんの仲間が救われたわ。私もそのひとり」
言葉をにごすのが、それが深刻な状態だったという証だろう。
「そのときに彼がただの変な人じゃないってわかったのよ」
「ひどい言い方ぁ」
その言葉を受けて彼女はいたずらっぽく笑ってから、今度はすこし演技のような怒った表情になった。
「ひどいのはあっちの方よ。助けられたっていうのに、彼が病気を持ち込んだなんて言い出して」
「そんなのってないよ!」
「もともと種族違いの偏見もあったみたいだけど、私は納得できなかった。抗議をしても意味がなかったから、二人で飛び出してきたのよ」
落ち着いた物腰だと思っていたけれど、実際はなかなか感情的なようで、はじめよりももっと好感を抱いてしまう。
「それって、いわゆるカケオチ?」
「そんなっ、大層なものじゃないわよ、ただ彼を助けたくて」
言葉にしないけれど、きっと二人だけに通じる思いがあって、そうなったのだろう。知識と推測でしか考えられないけれど、うらやましいような不思議な感情がわいてくる。
「この街はおおらかなの。好きなものを好きでいて、誰も邪魔しようとしない。たまには衝突することもあるけれど、自由なのよ」
「うんうん」
「だいたいほら、フツーなら、私みたいな緑肌の植物女なんて不気味がられるものでしょう?」
姿形が自分自身と違うと忌避され、それが多数になると排斥される。それが『普通』。
「ううん、すごく綺麗だよ。それにかっこいい」
人間でも獣人でも、喋る植物だって、抵抗なく受け入れられるのは、自分が生き物でないからだろうか。複雑だがそれはそれで誇らしい気がする。
「ありがとう、彼も私も含めてこの街は変人の集まりね。それがとても居心地がいい」
そこでなんだか深くひと息をつくと、彼女はそれまでの高揚が冷めていくように、姿勢を崩すと背もたれに体を預けた。
「ここに来て、私はずっと幸せよ。故郷は捨てたけれど、そんなものよりももっと大切なものを手に入れたもの」
けれどその口調は言葉とは裏腹で。
「でも幸せであればあるほど、お別れの時ばかり空想してしまう。今が瑞々しい夏だとしたら、どんな秋が来るだろうって。私たちはどんなふうに終わるのだろうって」
「あ、あのっ、ボクまた来るから! また来るから、いろんなお話聞かせてほしいから、何回も来るから、ね」
思わず身を乗り出すと、ナツメは笑顔でうなづいてくれた。
だから、微かに感じた紅葉の香りは、気のせいだと思いたかった。