お時間とご相談の上、この小説なんだっけ、と思いながらお読み下さい。
[part:イリ]
私は一体何なのだろう?
人として備わっているべき感情が、いまいち足りない存在。
クロスさんと出会ってから、そんな疑問が際限無く浮かんでくる。
そのたびに考えないようにしてきたけど、一向にこの考えは消えない。
それが―――鬱陶しい。
けれど、この感情さえ作り物。
模倣しきれていないものにすぎない。
人は誰しも感情を模倣しているけど、私の模倣は少しだけれども致命的に完璧ではなかった。
それは例えるなら、彫像の一部が欠けている。かすり傷が出来ている。
そんな小さなもの。
だけど、彫像は一部が欠けているだけで芸術的価値が薄れ、かすり傷は小さいのにピリピリと痛みを訴えてくる。
どれも些細な点だけれども、決して無視できないもの。
私の模倣のミスはそのようなものだった。
クロスさんと出会ってから、何故自身の感情について考え始めたのかは分からない。
村の皆さんと生活している中では考えた事なんてなかった。
それが…不思議で堪らなかった。
[part:イリ:end]
村外れに立派な馬が立っている。
立派な馬は誇らしげに、己と同じくらい立派な荷台を引いている。
そこに近づくのは少年少女。
少年は、慣れた様子で立派な馬を労う。
少女は、慣れない様子で立派な馬を眺める。
不意に、少女が声を上げる。
「クロスさん!クロスさん!」
少年は面倒臭そうに、少女に応対する。
「はあ……何だ?」
少女はそんな少年の態度を意にも返さず、興味の対象を眺めつつ言う。
「これが、『馬』という動物ですよね!?」
「はいはいそうだよ。珍しいか?」
雑な少年の対応に、少女は満面の笑みを浮かべて応えた。
「はい、珍しいですよ!生まれてこの方初めて『馬』という生き物を見ました!」
「…へえ。なら、馬車に乗った経験も無い訳だ。気をつけろよ」
…もの凄く最近見たような邪悪な笑みを浮かべているクロスに、イリの警戒心がMAXまで引き上げられる。
実際、気をつけろ、というのは本気だったのだが……
「おろろろろろろろ」
意気揚々と馬車に乗り込んだまでは良かった、とイリは思う。
あの後はしゃぎ過ぎたのがいけなかった。
現在、イリは馬車の隅っこで吐いている。
気分は、なかなかに最悪だ。
【酔う】という感覚がここまで気持ち悪いものだとは、思いもよらなかった。
完ッ全にナメていた。
「大丈夫か?」
イリの背中をさすりながら、クロスは呆れた眼差しでイリを見ている。
「うっぷ………大丈夫です…うぇ」
吐く合間をぬって、イリは大丈夫と言うが、どう見たって大丈夫じゃない。
そんな少女を眺めながら、クロスは少し前の出来事を思い返していた。
イリを辱めた後に逃げられたわけだが、しばらくするとイリは髪飾りを付けて戻ってきた。
クロスから見て右についた髪飾り。
それは花の茎みたいなもので、イリの白色のもみあげに巻きついていた。
「どうしたんだ…それ?」
「おばさまから貰いました」
クロスの質問に素っ気無く答えると、さっさと行こう、とばかりにイリは急かす。
その目元が赤いのはさっき泣かせたからだろう、と見当をつける。
何故急いでいるのか気になったが、泣かせた負い目があるせいか訊くことが出来なかった。
そして、そのまま流される様に動いた。
「私は世界を救うんですから、障害になんて躓きませんよ」
その際、挑戦的な目でイリが言った言葉だ。
(早速躓いてんじゃねえか…)
現在の様子を見て、クロスがそう思うのも無理はないことであった。
場面は戻り、現在。
吐き気はなくなってきたが、依然体調が優れないのかイリは横になっている。
地面の凹凸が激しいのか、それともこれが普通なのか、ガタゴトと馬車の演奏は鳴り止まない。
(どうすれば、この揺れはおさまるでしょうか?)
あまりにも揺れが酷いので考えてみよう、と思った。
が、考えるのも面倒臭くなってきたので、目の前のクロスの動きをボーっと眺めることにした。
(縦、縦、横、横、右斜め、左斜め、納刀………?)
「って!!それ、武器じゃないですか!!」
「元気だなぁ……体調はもう大丈夫か?」
「あっ…少し、少し良くなりました。看病してくださってありがとうございます」
そう言って微笑むイリはまだ具合が悪い様で、荷台の壁に寄りかかってジッとしていた。
だが、すぐに表情を一転させて少女は怒る。
「それよりっ、何でそんな危ない物振り回しているんですかッ!!?」
「…体調悪くてもうるせえなぁ、お前は」
煙たそうに顔をしかめてテキトーな対応をするクロスに、イリの心は加熱していく。
「うるさくて結構です!!とりあえずその危ない物、私に預けてください!!!」
「……ほらよ」
少し考えたクロスは結局、振り回していた飾り気の無い黒い短剣をイリに向けて投げた。
短剣は綺麗な弧を描いて、まるでどうでもいい物の様に無造作にイリの足元に軽い音を立てて落ちた。
足元に落ちた短剣に若干びっくりしたイリは、非難の眼差しをクロスに向けながら、器用に足で短剣を手元まで飛ばして拾う。
あまりにも容易に手元におさまった生き物を傷つける為の道具。
ためしに鞘から抜いてみると、イリの柔肌を簡単に傷つけられそうな鈍い光が目を貫く。
その光を見ている内に理解した。
この輝きこそが人を狂わせ、戦いに駆り立てるのだと。
ならば
コレを壊せば闘争が無くなるのか?
「イリ?」
不意に滑り込んで来たクロスの声に驚いて、イリは軽く跳ねる。
どうやら相当思考に囚われていたようですね、と苦笑しながら、何でもないですよ、と手振りで誤魔化す。
丁寧に納刀してから、そっと床に置く。
結局のところ、コレを壊しても闘争が無くなる筈がないから。
人は武器に頼り、己の肉体を甘くみているけど、最後に頼るのは己の肉体のみなのだから。
この肉体があるかぎり、人は争える。
真に争いをなくしたいのならば、人を滅ぼすしかないだろう。
育った村は未だに近く、目指している町は未だに遠い。
だったらいいだろう。
鬱蒼とした森は抗い難い眠気を誘うから、次の町に着くまでは……
ご読了ありがとうございました。
イリの感情の模倣のミスは、たった一点だけです。
そこだけが他の人とは圧倒的に違います。