残虐で優しい聖女   作:オミズ

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第六話です。
お時間とご相談のうえ、飲み物を飲みながらお読み下さい。


第六話 少女と嫌いの恐怖

「嫌い…嫌い?」

 

初めて他人から受け取った【嫌い】という感情をイリは処理しかねていた。

もちろん、【嫌い】という概念は知っている。

物語にだってしょっちゅう出てくる。

しかし、その感情が出てくるたびに首を傾げたものだ。

 

どうしてこの人はあの人が【嫌い】なんだろう?

そもそも【嫌い】というのは、どんな感情を指す言葉なんだろう?

 

そう思い、物語を読み進めると心理描写は出てくる。

だけど、そこに書かれている内容はこれっぽちも理解できなかった。

それ故に、その未知の感情に恐怖さえ感じていた。

 

そんな感情を今、少年に向けられている。

理解できないものほど怖い、とは言うが、理解した今も【嫌い】という感情は怖かった。

剥き出しになった少年の感情は、イリに【嫌い】という感情を理解させるには充分すぎるほどで、体は萎縮してしまった。

 

「それで…お説教の続きはねえのかい?」

 

少年の一言にイリは意識を少年に戻す。

何か口を開こうと思うのだが、歯がカチカチというだけで、口は一向に命令を聞いてくれない。

誰からも嫌われたことのなかった少女には、少年の感情は精神的ショックが強すぎた。

それこそ、先程までの他者を圧倒する少女から、恐怖に震える少女にされるくらいには。

 

「…一週間の猶予。よく考えて消費しろよ」

 

そんなイリを一瞥した後、少年は興味を失ったようで、後ろ手を振りながら暗い森の中に入っていった。

 

イリは少年が去った後も、しばらく動けなかった。

先程まで、口を結んで事の推移を見守っていた村人達が心配そうに声をかけたが、それに反応すら出来なかった。

考えるのは一つの事。

 

どうして動けなかったのか?

 

彼はイリに【嫌い】という感情をぶつけただけだ。

そこにイリの動きを阻害する要素など無いはずだ。

でも…だったら、何故動けなかったのか?

何度考えても思考は、理解できない、と平行線を辿る。

 

何度かの思考の後、イリの脳内で電気が弾けた。

この問題を解決する【答え】を持っているのは、この問題を引き起こした少年な気がする、と。

 

しかし、面と向かって尋ねるのは怖い。

思考はシフトし、どうやって少年に尋ねるのか、という一点に絞られた。

 

①面と向かって訊く。

 

ダメだろう。

今も先程までの事を思い返すと怖いのだ。

 

②誰かに訊いてきてもらう。

 

…これもダメな気がする。

この答えは、面と向かって聞かないといけない気がする。

これ以外なにも思いつかないイリには、結局①の方法しかないのだ。

すごーくイヤだと思う。

だが、やらねばならない、という使命感にイリは突き動かされていた。

 

バスターに引き摺られるなか、イリは覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は巡って次の日。

妙に現実感の無いふわふわとした気分でイリは眠りから覚めた。

その理由は分かる。

 

このままいけば流されて、後6日でこの村を出なくてはいけない。

そう分かってはいるのだが、こんな気分なのはどうも実感が湧かないせいだろう。

 

(あの少年を捜さないといけなませんね)

 

寝起きの頭でさえパッとその事は思い出せる。

それほどまでにイリの中で【答え】を得たい、という欲求は強いものであった。

 

少年の居場所に心当たりは無い。

しかし、養母に訊けばなにかしらは分かるだろう。

そこまで考えると、イリは髪を梳かすことさえせずに階段を下りた。

 

「イリ…何の用だい?」

 

イリの内心を見透かすような目で、養母は問いかける。

一瞬足が竦んだがすぐに、知りたい、という欲求に上書きされて口は動いていた。

 

「…先日のあの少年の居場所を知りませんか?」

 

「あの森の前に居るよ」

 

背を向けたままの養母の言葉は優しかった。

この言い分だと、昨日イリが家を抜け出したことも知っているだろうに…

 

「ありがとうございます」

 

様々な感謝を込めて少女は、乱れた髪のまま外へ駆け出す。

養母はその後ろ姿を眩しそうに見つめて、少女を送り出した。

 

「午後には戻って来るんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(居ました)

 

意気揚々と家を飛び出してきたのはいいのだが、声をかける段階で躓いてしまった。

実際、目の当たりにすると恐怖で足が竦み、身動きさえとれない。

 

どうしようかと唸るイリを見かねたのか、少年は呆れた目で声をかけてきた。

 

「嫌われた相手に何の用だ?」

 

「う…」

 

この少年の言い回しが苦手だ。

この嫌味のきいた一言。

それがどうも肌に合わない。

イリは心の中で文句をこぼす。

 

だが、この際文句も言ってられない。

訊きたい事だけを話す。

 

「…何故、私はあなたに【嫌い】と言われただけで動けなくなったのでしょうか?」

 

「はあぁぁぁぁ」

 

盛大に溜め息を吐かれた。

何故でしょうか?、と疑問符を浮かべるイリを、少年は心底冷え切った目で見つめる。

 

「……なあ、お前は俺をからかっているのか?」

 

少年から吐かれた言葉にイリは、滅相も無い、とばかりに首を横に振る。

その様子を見た少年は、数秒考えた後に呟いた。

 

「お前の、その純粋さが恨めしいよ」

 

「何故ですか…?」

 

思わず口に出た問いの言葉は、少年の神経を容易に逆なでした。

 

「何故ですか…ね。お前はそんな立場で居られたのか…」

 

少年の声に、得体の知れない力が篭っていく。

 

「なぁ、イリ。お前はさ…物心ついた時から、殺し合っている人生なんか考えられるか?」

 

ただ淡々と話しているだけだ。

そこに何の力も無い。

それなのに、背筋が震えるような悪寒は強まっていくばかり。

 

悪寒は止まらず、問いに答える事が怖くなる。

それでも、口を湿らせて言葉を吐き出す。

そうしないと、少年は止まれそうになかったから。

 

「……考えられません」

 

「だよな」

 

短い応答。

その3文字に込められた感情は窺い知れないが、どう考えても良い感情ではないだろう。

 

次は何を言うのか?

次はどんな感情をぶつけられるのか?

 

その全てが、永遠に感じる時間の中でぐるぐる回る。

永遠が途切れる時が堪らなく怖い。

故に、何もしたくなくなる。

考える事も、心を動かす事も、生きる事も。

それこそ・・・昨日、少年に【嫌い】という感情をぶつけられた時以上に。

 

不意に、少年が口を開いた。

 

「……答え、分かったか?」

 

(???)

 

この少年はいきなり何を言ってるのだ?

先程まで私を威圧していたくせに。

などとイリの頭をよぎるが、深く考えてみると少年の言葉の真意がわかったような気がした。

 

「もしかして…先程までの行為は、答えを教える為の…演技ですか?」

 

「お、よく分かったな」

 

冗談だろう?

先程までの感情・雰囲気・表情。

その全てが本物だったと思うのだが…

でも、少年が言うのなら演技なのだろう、とイリは自分を納得させる。

 

(昨日…私が動けなかったのは【恐怖】のせいでしたか…)

 

少年が教えてくれたことを元に、昨日の光景・心情を『意図的に』フラッシュバックさせる。

……確かにそうだろう。

 

【怖い】

 

その感情だけで、動けなくなるほど人は弱かったのか?

それとも、イリが特別に弱いだけなのか?

それは分からない。

きっと、誰にも分からないことなのだから考えても無駄なのだろう。

 

…それでも、ふと思う。

恐怖で動けないほど弱かったから、自分はモンスターを見殺しにしてしまったのか、と。

 

恐怖に支配されても動けていたら…

そんなifを考える。

そうであったらボロボロの体でも動けただろう。

動けていたらバスターに自分の意思だけは伝えられたのではないのか、と思う。

それで何が変わるわけでもないだろうけど…

 

こんないろいろな思いが矢継ぎ早に過ぎ去っていくのを、イリは目を閉じて見送った。

 

 

そんな悲痛な表情の少女を、少年は黙って見つめていた…

 

 




ご読了ありがとうございました。

今更ですが、この村でイリは様々な感情を学んでいっています。
尤も、完璧なものではないので綻びは、いつか出てしまいますが…
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