情景が薄いって言われたので頑張ってみました
膝の高さまで生い茂る雑草の間には虫が蔓延り、大小の石ころが無数に転がる獣道をゼノヴィアとイリナは進んでいた。傷の手当ては上着を破いて作った簡素な包帯での不十分な止血だけで破傷風の危険もある。進んだ後には血痕が存在し、二本の足は立って歩ける状態ではないので這って進むが、剥き出しの腕や顔に石や草によって細かい傷が出来ている。時折虫が顔に集るのが非常に鬱陶しかった。
背中に動ける状態でないイリナを乗せ、縛って固定し進むゼノヴィアの消耗は激しく、深い森は自分が今何処にいるのかさえ判断を付けさせてくれない。夕暮れ時が近付いて、日差しの多くが木によって遮断される森は後一時間もすれば漆黒の世界へと変わるだろう。誰が見ても絶望的状況で、体勢を整えての再戦も不可能に思える。
「……ゼノヴィア、もう良いわ。私を置いていって。何時追っ手が来るか分からないもの……」
何より、イリナは心が折れていた。主の加護を信じ挑んだ戦いは当初の低い成功率さえ楽観的な観測だったと思い知らされ、告げられた神の死が彼女の心を完全にへし折った。
「……知るか。私はお前を見捨てない。仲間を見捨てるなど主の僕以前に人間として失格だ。……聞いただろう、イリナ。奴が戦争を起こそうとしていると。教会の戦士として戦う理由がなくなったのなら、人として戦え。その為に先ずは生き延びるんだ」
背負ったイリナを叱咤激励するゼノヴィアではあるが、彼女もまた満身創痍。必死に伸ばして地面に指を突き刺して前に進んではいるが、力を込める度に激痛が走る。今までの経験で罅が入っていると理解していた。
(アバラも数本やられているし、内蔵もヤバいな……)
口の中と喉の奥からこみ上げてくる鉄臭い液体を飲み込み、痛む体に鞭を打って進み続ける。何処からか鳥のさえずりが聞こえ、霞む視界は徐々に夜の闇に染まって行く。先程からイリナの体に力が入っておらず、苦痛に耐えかねての呻き声も聞こえなくなった。今の自分達には主の加護など一切与えられてはいないのだと、嫌でも理解させられた。一度は奮い立たせた闘志さえも真綿で首を絞めるように徐々に薄れていった。
「ぐっ……」
遂に腕が動かなくなる。必死に伸ばそうとするも力が入らず、体を蛇の様に捩って進もうとするも今の彼女に二人分の体重を動かせるだけの力は残ってはいない。絶望が思考を支配し始め、目を瞑って楽になれと甘く囁く幻聴がする。今のままでは失血で死ぬか、衰弱死するか、コカビエル達に殺されるか、野犬の類に襲われるか、待っているのは死の運命。
『もう諦めろ。よく頑張った。最初から無理だったんだ』
(黙れ黙れ黙れ黙れ……頼む、黙ってくれ……)
どれだけ奮起しようとしても、絶望はそれ以上の圧力でのし掛かってくる。もはや懇願し始めたゼノヴィアが思い出したのは幼少期に読み聞かせられた絵本。神の教えに従い善行を積めば苦難に陥っても神や天使が救いの手を差し伸べてくれるという内容で、今の今まで一切疑っていなかった。
だが、現状は絶望的で、神は死んで、それを隠していた天使の助けも無い。代わりに草木を突き進んで接近する音が聞こえてきた。敵か、それとも血の香りに誘われた野生の獣か。どちらにしても格好の獲物だと自嘲しながらゼノヴィアは視線を向ける。地面に突っ伏し頭を上げる余力もない彼女の視界に入ってきたのは神でも天使でもコカビエル達でも獣でもない。
「あら、酷い有様ね。……取引をしましょう? 私達に後を任せると言うのなら助けてあげるわ」
現れたのはアリエル、神の与えた神器によって人生を狂わされ人間を辞めた……悪魔だった。少女特有のあどけなさと、相反する妖艶さを併せ持つ彼女は女神の持つ気紛れと残酷さと慈愛が混在した笑みを二人に向け、横に立つ仮面で顔を、髪の毛でほぼ全身を隠した性別不明の無邪気そうな声の主の動きを手で制した。
「凄い傷……ごはん!」
「はいはい。まだ駄目だったら。ほら、どうするの?」
断れば喰い殺されるのか、ゼノヴィアはそう思った。仮面で隠され表情は見えないが悪意の類は感じない。つまり純粋に食料として見られているだけであり、提案の承諾以外に今の彼女が切れるカードは存在しない。
「……分かった。だが…イリナだけ…でも…」
文字通りの悪魔との契約。本来のゼノヴィアなら怒りながら払いのけただろう。せめて一体でも悪魔をと道連れを狙ったかもしれない。少なくても殉教を良しとしたのは間違いない。だが、今の彼女は違う。神は死に、教会に疑念が生まれた今は教会の教えに反する行為さえも選択した。
(こんな所で死ぬ訳にはいかない。私の中の信仰の為にも、正義を貫く為にも……)
ヴァスコが犯したという罪に対する疑念は任務の前よりも膨れ上がり、神の死や教会の暗部に関しても真相を知りたいという気持ちが高まっていく。弱弱しい声で契約を結んだ時、アリエルの横に立っていた異形、シュアンが動き出す。仮面で隠れているにも関わらずニタァと笑ったように見え、人の体をしているが蛇が近寄って来る様にゼノヴィアは感じた。
「じゃあシュアン、食べて良いわよ」
「うん! 全部……食べる」
シュアの顔がイリナの足に近付く。粗末な包帯は血に染まり、流れ出した血が来た道に点在している。その傷を嘗める様に仮面から生えた舌が蠢いた。槍が貫通した怪我に舌が触れた事で激痛が走るはずだがイリナは痛みで目を覚ましはしない。いや、そもそも痛みなど感じていないだろう。傷は奇麗に消えていた。修復したと言うよりも、消えていたと表現する方が相応しいほどに奇麗にだ。
「ちょっと気分は悪いだろうけど我慢しなさい。怪我は全部シュアンが食べてあげるから」
「気持ち悪い? 食べない方が……良い?」
「あー、はいはい。冗談だから落ち込まないの。ほら、残りも早く食べなさい」
アリエルの言葉に少しテンションが下がった声と共に肩を落とすも、残りを食べて良いと聞くなり嬉しそうに再び怪我を仮面の舌で嘗め始める。全ての傷が消えた時、破れた戦士の衣装や出血による虚脱感さえも消え去っていた。
「凄いな。それも神器の力かい?」
「そうとも言えるし違うとも言えるわね。確かに神器に封印された存在の力だけど、文字通りシュアン自身の力よ。神器を宿したのはシュアンだ、って意味じゃなくてね」
アリエルの意味深な言葉に疑問符を抱くゼノヴィアだが、遠くから戦闘音が聞こえた事で怪我は治っても意識は戻っていないイリナを担ぎ上げて森の外を目指して歩き出した。
「あら、戦うとか言い出すかと思ったのに」
「嫌味を言ってくれるな。私達が無駄死にするなら自己責任だが、下手をすれば一般人にまで被害が出る。私達の死は教会の戦士を奮起させるのに十分だろうからな。……私が言うのもアレだが奴を倒してくれ」
「ええ、当然よ。勝てると判断してやって来たもの」
去って行くゼノヴィアが投げ掛けた言葉に対し背を向けたままのアリエルは勝てると過信した声ではなく勝利を確信した声で応える。根拠こそないがゼノヴィアはもう大丈夫だと安心し口元を緩ませた。
「この様な時間帯に失礼いたします。リアス様は御在宅でしょうか?」
「部長なら居ますけど……おおっ!」
夕暮れ時、リアスが周囲の家を買い取って改築した一誠の家をスーツ姿のヴァイオレットが訪ねていた。応対した一誠からの無遠慮な視線に眉一つ動かさず、鼻息を荒くして胸に視線を釘付けにされている事に苦言を呈さないで要件を告げる。至急の案件ゆえに今すぐリアスに面会したいと。
「お初にお目にかかります。私の名はヴァイオレット、諸事情によって姓は御座いません。今はグシャラボラス家にて各種業務の流動的資産の管理全般を任されております」
「初めまして、私がリアスよ。あっ、今お茶を用意するわね」
人間が任されている業務内容に驚きの色を見せながらもリアスは友好的に接する。その背後で同じく家に住むアーシアは様子を見守り、一誠はリアスから注意されたのかスケベな視線を送るのを一旦止めていた。
「いえ、事は一刻を争いますので結構です。単刀直入に申しますと今すぐ冥界に退避して下さい。コカビエルの目的はリアス様及びソーナ様を抹殺して戦争を再開させる事だと判明致しました。魔力不足でも使える転移用の魔法陣は既に用意していますので」
お茶は不要と手で制したヴァイオレットが差し出したのは魔法陣が印刷された紙だが、そうですかと直ぐに了承できるリアスではない。行き成りの申し出に混乱していた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 此処は私が任された土地だから戦わなきゃ……」
「これは魔王アスモデウス様からの命令です。戦闘が始まれば町の住民にも被害が及び、普段は不干渉を貫いている他の神話群の不興を買いかねないとの事ですので」
不服を露わにして領主としての権限を振りかざすも、それ以上の権限の持ち主の名前で叩き潰される。それでも不満そうなリアスは何かを言おうとするが、先に一誠が口を挟んだ。
「待ってくれ! 部長が避難するのは兎も角、俺も戦う!」
「いえ、不要です。既に命を受けたゼファードル様達が先発隊として動き、後続部隊の編成が進んでいます。急ごしらえの連携では足を引っ張り合うだけですので貴方も避難してください」
「待ちなさい! 同じ若手のゼファードルが動いてるなら私だって!」
「いえ、貴女様は次期当主であり、ゼファードル様は次期当主では御座いませんので同じではありません。……アスモデウス様はリアス様が避難しようとしない場合、コカビエルの侵入を上層部に報告しなかった事に対し利敵行為と判断して拘束せよ、と命令しています。そもそも避難も命令だと申したはずですが?」
これは別の世界の場合だが、コカビエルの宣戦布告を朱乃が報告してからそれ程時間が経っていないにも関わらず堕天使からの追手が街にやって来た。聖剣を強奪してから暫く経ったのに何故その様なタイミングかを考えた場合、報告を受けた悪魔側から堕天使側に情報が入ったのだろう。本来はどうかは分からないが、少なくてもこの世界ではリアスは自分が任された土地の問題だからと侵入を報告していなかった。どっちの世界でも特に警戒する事もなくその後を過ごしながら……。
感情的に叫ぶ二人に対しヴァイオレットは始終業務的に受け答えを続け、最後にファルビウムの署名捺印がなされた命令書を突き付ける。理が何方にあるか分からないリアスではなかった。
「……分かったわ」
「部長!?」
屈辱を噛み締めながら承諾するリアス。一誠は不満を隠そうともせずヴァイオレットに視線を向けるも気にした様子は彼女からは見られない。この後、連絡を受けた他の眷属も冥界に退避していった。
「あれ? えるぅ、かみが、しめってる? う゛ぁいおれっと、と、でーと、だったよね? ぷーる?」
ゼファードルからの連絡を受けて森までやって来たエルゥ。アズリィのアイテムとアリエルによって逃亡防止の結界が張られている森の入り口で彼に気付いたアステリオスの発言に既に集まっていた面々はそれぞれの反応を示す。
「おい、貰っていた聖剣が壊れた。補充を頼む」
「うん、了解したよ。でも、あのレベルは力を消耗するから後日で良いかい?」
何があったか察したアリエルは仕方なしそうに肩を竦め、三平はあちゃーとばかりに片手を額に当てて天を仰ぐ。デイビッドは特に興味が無いのか仕事の話を振っていた。
「ぜふぁーどる、さま。みんな、どうしたの?」
「……もう少し大人になったらな」
何があったか、自分が連絡して呼び寄せたのは何の途中だったのか悟ったゼファードル。エルゥからはプレッシャーを感じないが、この場にいないヴァイオレットの反応に戦々恐々しつつ、アステリオスに余計な事を教えるなという
「メ、メルト、これって……」
「落ち着きなさい、リップ。最終的にかっさらえば良いだけでしょう? もっと余裕を持ちなさい。……中々やるじゃない、
問題はエルゥに好意を抱く二人。リップは両の爪を合わせて金属が擦れる音を立てながらモジモジと動かし、手頃な岩に腰掛けているメルトは声には余裕があるのだが、激しく貧乏揺すりをしていて地面が足裏の刃で削れている。
「ご飯……かなぁ?」
そしてアステリオス同様に理解していなかったシュアンはというと、これから起きるかもしれない事態に期待していた。
「それでデイビット、状況は?」
空気を変えたのはゼファードルの質問。皆、戦闘が近いと気を引き締めデイビットの言葉に集中する。
「こっちが仕掛ける気だと理解したのか待ちかまえている。エクスカリバーを三本持った例の戦士育成機関の出身者らしい小僧とコカビエル、研究者風の老人、そしてケルベロスが四匹だ」
「うっし! なら足止めで疲れてる三平はアリエルとシュアンと一緒に結界の維持をするとして……エクスカリバー使いは俺に寄越せ。あの力の実験台に丁度良さそうだからよ」
「君に死なれたら僕達の責任だし大人しく参加したって実績だけ持って帰って欲しいけど仕方ないか。じゃあコカビエルは僕が貰うよ」
無謀とも言える発言だが諫める者はこの場にいない。王であるゼファードルを先頭に、一行は結界の中に足を踏み入れた。
「帰ったら祝勝会をするぞ。俺が全部出してやる!」
「え? 君、問題起こしたから穴埋めで来月まで自由に使えるお金ないよ?」
「……貸してくれ。来月返す」
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