「去年の敵は蛇で、今年の相手は蜘蛛か。足が少なかったり多かったりで忙しい」
ラインハルトの言葉の後に静寂が訪れた……
うぷぷ。
誰かの声が漏れた。ルッツだ。
これでラインハルトは満足げな顔になった。
はなからオーベルシュタインなどには期待もせず、キルヒアイスは気を遣って同情笑いをしてくれるかもしれないが本意ではない。だが、ルッツが思った通りの反応してくれたからだ。
皆は思っている。
(皇帝陛下は冗談の質に向上の余地がある。はっきり言うと下手だ)
実のところルッツは冗談に笑ったのではなく、冗談の下手さに笑ったのだ。
ラインハルトの冗談の下手さについてはあのアムリッツァ会戦で「艦隊の湧き出る魔法の壺でも持っているのか」という語り草がある。艦隊将兵は会話の間が空いた時にそれを言い、その都度苦笑と共に場の雰囲気がくだけたものになる。それは長いこと利用されたものだ。
「そんな下手な冗談はさておき、明らかになった事実と、考えられる推測を区別して考察いたしましょう、陛下」
皆はギョッとした。
さすがは絶対零度のオーベルシュタインだ。誰も言えなかったラインハルトの冗談の質を切って捨てたとは。
場の雰囲気を考えてかここで慌ててキルヒアイスが言葉を継いだ。
「ラインハルト様、あの場にベーネミュンデ侯爵夫人とフレーゲル男爵がいたのは事実。そしてその言葉からルドルフ大帝がこの世界にいるのも事実でしょう」
「そうだな、キルヒアイス。あのルドルフが……」
「つまり、私たちの敵手もまた存在します。ここからは推測ですが、正にそのルドルフ大帝と戦うために私たちがいるのではありますまいか。ルドルフ大帝は我らの最後の敵、諸悪の根源です。そして今、この世界がルドルフ大帝の脅威に晒されているのです。逆にいえば、ルドルフ大帝と戦えるのは私たち以外にありません」
「なるほど、つまり我らはこの世界を守るためにルドルフと戦うと。面白くなってきたな。いや、そうこなくてはならん」
ラインハルトは目を輝かせる。
この世界に来たことに意味があった!
強大な敵手と戦うことはラインハルトの精神を高揚させてやまない。
かつて宇宙で戦う時も、例えば貴族連合のような愚昧なものを相手とする時にはただの処理に過ぎなかった。だがヤン・ウェンリーという好敵手と戦う時には大いなる高揚があったものだ。
「キルヒアイス提督のお言葉に補足させて頂きます」
オーベルシュタインがそんな高揚とは無縁の声を出した。
「こちらがベーネミュンデ侯爵夫人らのことを知らなかったのと同様、向こうもこちらのことを知らなかったと思われます。そうであればなぜその森にいたのかが問題になります」
そこにファーレンハイトが気付いたことを伝える。
「見ていて分かったことがある。あの蜘蛛どもはこちらばかりに来て、決して向こうの二人を攻撃していなかった。つまり、向こうは蜘蛛と同盟を結んでいたか、手下にしていたか、いずれにせよあの森を攻勢の足場にしているのだろうことは確実だ」
冷静に戦況を観察していたのだ。
そう言われてみれば、正にそうだった気がする。
次にロイエンタールがディメンターにも言及する。元々そのために森へ行っている。
「なるほど、そうすると向こうはこちらの存在と関係なく、計略を持っていたということだ。ディメンターも偶然ではない。むろん間違いなくこの学校を攻撃するためだ。向こうにとってこの学校は攻略すべき重要な拠点なのだろうな。次世代の魔法使いが一堂に集い、また校長のような最有力の魔法使いがいるからだろうか」
ルッツが更に論を展開させていく。
「ディメンターは結界によって入れないと聞いたことがあります。では何らかの力をもってディメンターを通れるようにして仕掛けてきたのでしょう。そうであれば、奴らが最後に姿くらまし魔法を使えたのも説明がつきます、陛下」
それは、もはや森を舞台にした戦いが不可避であることを意味する!
出てきたディメンターを片付けてもただの後手であり意味がない。森の深部で計略によって破られた結界をなんとかしなくては、解決にならない。
「よし、戦うぞ!! ディー・エー皆と共に禁じられた森を制し、脅威を未然に封じるのだ」
ラインハルトの覇気は恐れることもなく断を下す。
「今度は私もお供させて頂きます、陛下」
このオーベルシュタインの言葉に皆は意外な顔をした。
オーベルシュタインは参謀職である自分の資質と役割を分かっており、自らが正面で戦う場面などこれまでになかったからだ。
「陛下、実は蜘蛛ということで、森の番人ハグリッドから情報を得ております。なんでも昔、ある程度の知能を持つ蜘蛛にアラゴグという名を付けて飼っていて、最後は森に放したということです。おそらくそのアラゴグが蜘蛛の群れの元凶なのでしょう。そして魔法動物が相手であれば、小官の範疇にございます」
「よかろう、オーベルシュタイン、今度は幕僚長として余の側にいるのだ」
これで話は決まった。どうしようもない性ではあるが、提督たちはやはり戦いの予感に高揚する。
一人、ロイエンタールだけが苦みの入った表情を崩していない。
皆は思った。
ロイエンタールはオーベルシュタインと行動を共にするのに決して良い感情を持っていないのだろうか?
あちらの世界ではオーベルシュタイン麾下のラングの姑息な謀略が発端になり、ロイエンタールに謀反の嫌疑がかけられた。そしてロイエンタールは矜持のゆえに本当に叛乱を起こさざるをえない状況に追い詰められたのだ。結果、ミッターマイヤーとの第二次ランテマリオ会戦を行い、ついに敗死してしまう。そのためオーベルシュタインに対する遺恨を完全に忘れたわけではないのか、と。
ロイエンタールは皆の心配をよそに考えていた。
(蜘蛛か、どうして敵が蜘蛛なんだ! せめて蛇、いやトカゲでもカマキリでもいい。いっそゴキブリでもいい。俺は蜘蛛は嫌なんだ!)
ラインハルトはディー・エーの皆を招集し、森を偵察してきたことの概略を話す。
ただしあのシュザンナらのことはまだ伏せておいた。
反応は様々だ。
「よし、学校を守るぞ! 今すぐディメンターでも蜘蛛でも、その両方でも退治してやる!」
ディーン・トーマスが勢いよく言う。これは予想通りだ。
「これは学校のためよ。先手必勝、戦うだけだわ!」
同音異句なことをスーザン・ボーンズも主張した。
ただし、全員が同意しているわけではない。勇気と恐れの入り混じる微妙な雰囲気があった。
その空気を読んでか読まずか、ルーナ・ラブグッドが言葉に出した。
「ディメンターは厄介だもン。一年生二年生では身を守れないんだもン」
実際、二年生どころか三年生でも守護霊を作り出せる者は多くはない。そして万が一でもディメンターのキスを受けてしまえば、死よりも酷いことになる。意識も不明のまま、心臓の鼓動が止まるまで聖マンゴ病院にいることになる。自分が自分とも分からないのに皆の厄介になるのだ。
その空気をジニー・ウィーズリーが切り裂いた。
「私は戦う! 戦うからには犠牲が出るのも承知! グリフィンドールの名にかけて、敵に怯んで逃げることはあり得ない!」
ここまで言われれば、グリフィンドール以外の寮生も逃げるわけにはいかない。
「私も! ハッフルパフの名にかけて、最後まで身を尽くし、忠実を貫き通す! その覚悟は負けない!」
普段穏やかなハンナ・アボットもそう返している。
これでディー・エーの出撃は決まった!
皆はまた戦いに臨んで気分が高ぶっている。
一人ハーマイオニーが微妙な気持ちを抱えていた。威勢のいい言葉を言ったジニーがちらりとポッターの方を見たからだ。これは、単にリーダーの反応を見たのではなく、明らかにポッターに対する得点稼ぎを意識している。つまりポッターにアピールしたいのだ。これを邪心と言わないで何と言おう。
そしてポッターも我が意を得たりとばかりに頷き返した。それを受けジニーはいっそう笑みを浮かべた。それがハーマイオニーには大いに気に入らない。
そんなことにはまるで気付かないラインハルトが話の本題に入る。
「皆の心意気を嬉しく思う。出撃が決まったならば、迅速になさねばならない。森の深部で敵が蠢動していることが分かっている以上、橋頭保の確保をなさしめる前に速攻を仕掛け、撃滅すべきである」
そしていつものように必勝の戦術を組み立てていく。
「しかしながら、犠牲を出すのは本意ではない。いや、一人も犠牲を出してはならない。そこで戦い方を考えてみた。先ずは守護霊を作り出すのに長けた者を選抜し、ディメンターから全体の陣を守る。そして蜘蛛の群れに対処するため、死角を作らない方法をとる。すなわち最初から二人一組のペアを決め、それを堅く保って進撃するのだ」
皆からなるほど、という声が漏れた。
おそらくディメンターと蜘蛛の組み合わせに対処するには最適解であろう。
しかし、あっさりそれを編み出したハリー・ポッターはいったいどんな思考をしているのだ?
しかしここでシェーマス・フィネガンが疑問を問う。
「いい戦法だと思う、ポッター。勝てる自信が湧いてきたぜ。だが一つ聞いていいか? さっき敵がどうとか言ってたように聞こえたんだが、そりゃ一体なんだ?」
話の流れからして当然の疑問だ。皆もそう思っている。
「ディメンターや蜘蛛の他にも誰かいて、この騒ぎはそいつのせいだってのか?」