蜘蛛との戦いが終わると皆より先に一人ロイエンタールが離れて行った。
顔色を蒼白にしてよろよろと歩き去る。もう吐き気に耐えられない。
「うう、気色が悪い。こんな戦いは今回限りにしてくれ。俺としたことが無様なことだ。相手が蜘蛛でさえなければな」
そんなこととは関係なくラインハルトは考える。
今、禁じられた森を舞台にした戦いで勝利を収め、ルドルフの手を一つ摘んだ。
しかし偵察で出会い、戦わなければならないと予想していたシュザンナとフレーゲルは出てこなかった。おかしなことである。
もうディメンターの作戦は打ち切りにして、次の行動に移っているのだろうか。
事実そうだったのだ。
シュザンナらはルドルフ大帝の前に進み出ている。
「大帝陛下、なにゆえ妾を下がらせたのじゃ。アンネローゼとかぬかす女の弟、一秒でも長く生かしておると思うと吐き気がするわ。早う素っ首はねてくれようぞ」
シュザンナは当然のごとく禁じられた森でラインハルトを迎え撃つつもりだったのだ。再戦で殺す気満々だった。シュザンナにとってラインハルトこそこの世界で唯一の敵であり、戦う気が有り余っている。
ただし、シュザンナはルドルフ大帝には従う。
今回、作戦の成否も見ず、蜘蛛やディメンターを捨て置いての撤退を命じられ渋々戻って来ていた。その不満が表情に出ているのを隠そうともしなかった。
「大帝陛下の深慮、このフレーゲルいたく感服仕る。なにとぞこのまま待機をお命じ頂きますれば」
翻ってこれはフレーゲルの弁だ。シュザンナとは逆にラインハルトがいると分かるとすっかり震え上がった。できれば二度と逢いたくないと、姑息な表現で示している。
「まあそう言うなシュザンナよ。今回命じた工作はほんの小手調べである。無意味に戦線を拡大すべきでない。細かな戦術的勝利などどうでもよく、最終的にこの世界を征服するのが目的である以上、それを見据え、急がず、万全の態勢を作り上げるのだ。相手の情報を得て戦力を整え、そして最適の戦略を進めていかねばならん」
そんな戦略論を説いた。さすがにルドルフ大帝である。
だが戦略も戦術も理解できない近視眼的なシュザンナやフレーゲルにはあまり意味がない。
それよりも二人には気になることがある。
大帝は普段気難しい顔をしていることが多いが、なぜか今は機嫌がいい。それほど穏やかに話をすることは滅多にないのだ。
「二人とも不思議に思っているようだな。その通り、余は大変気分が良い。なぜなら先日、長きに渡る盟友を見出したからだ。我らには何がしかの引き付ける力というのがあるのだろうか。その方らにも紹介しておこう」
この場にルドルフ大帝しかいないと思っていたのは間違いだった。
その傍らに誰かがいるではないか。それも三人だ。今まで姿隠しのフードを被っていたのだろう。それを取り、いきなり姿を現した。
「三人を紹介しよう。先ずは、この世界ではヤックスリーと呼ばれておるが、その実は我が帝国軍第二艦隊司令官ライデル・フォン・ブラウンシュバイクだ。かつて余と共にどんな艦隊をも打ち破った」
そう呼ばれた者は堂々とした体格を持ち、武人のオーラが隠しようもなく滲み出ている。
特に何も言わず睥睨してきた。シュザンナはともかくフレーゲルは震えが走る。
「そして次の者、ここではルックウッドと言うらしいが、ジグモント・フォン・リッテンハイムだ。帝国軍第三艦隊提督であり、どんな状況でも敵を通したことはない」
二番目の者は引き締まった体を持ち、視線は鋭い。首をやや傾け皮肉屋っぽい表情を浮かべている。ブラウンシュバイクとは違った意味で緊張せざるを得ない。
「最後、長いこと余の総参謀長を務め、一切の軍略を取り仕切っていたベックマン・フォン・リヒテンラーデである。ここではドロホフという名で呼ばれておる」
「ほっほ、大帝とこうして征旅を繰り返すのも面白きかな。このリヒテンラーデ、年甲斐もなく興奮しておりますぞ」
これにはルドルフ大帝もちょっと苦笑した。
「何だ、年寄り言葉を使うのかリヒテンラーデ。この世界での体はお前もまだ青年だ。余が駆け出しの提督の頃、お前がよく小言を言っていたものだがその時と同じくらいの年ではないか」
リヒテンラーデなる者の見かけはごく普通の青年だ。しかし、これが銀河帝国の礎になったほどの者なのか。
ちなみにルドルフの時代、帝国の第一艦隊はルドルフ本人が司令官職に当たっていて、敵に対して先陣を切ったものだ。英雄とはそうしたものである。
その三人と大帝は本当に嬉しそうであり、むろん固い絆で結ばれた盟友なのだろう。
紹介された三人が改めてシュザンナとフレーゲルに向き合った。
「給仕の子孫などが我がブラウンシュバイク家と姻戚になるとはな。つまらんことだ。まあ五百年も過ぎればそんなこともあろうか。そしてこっちがあのベーネミュンデの子孫か。子孫ならば知っていよう。奴は誰よりも疾く、そして敵陣を切り裂くこと剣の如し、シュルツ・フォン・ベーネミュンデの率いる帝国軍第四艦隊は剣の艦隊と呼ばれていたものだ。俺は奴といつもワインを飲み交わし、語り合っていた。永遠の友でありライバルであった」
「ブラウンシュバイク、お前だって戦闘では燎原の火の如し、炎提督と呼ばれていたじゃないか。だが昔をしみじみ思い出している場合じゃないぞ。先にこれらの者が言っていたらしいのだ。我らが礎を据えた銀河帝国が五百年後に滅ぼされそうだと。驚くじゃないか。その敵の名前はラインハルト・フォン・ローエングラムなる者ということだ」
「ほっほ、そういうリッテンハイムも神出鬼没、姿も見せずして敵を瓦解せしめる翼の将軍と呼ばれておったわな。まあ、これだけの者がおれば、この世界も数年を待たずして征服されようものじゃ」
そんな三人の話し合いがルドルフ大帝によって中断される。
「リヒテンラーデの申す通りだ。だが、ただ征服しても面白くない。そのラインハルトなるものを屈服させる、それもまた一興」
ルドルフ大帝はまたしても自身の征服欲のためこの世界を独裁の世に変えようとしている。その覇業を支えるべき部下がこうして揃ってきているのだ。
「しかし皆の者よ、誤解してはならん。余がラインハルトなる者を踏み潰さんとするは、我が銀河帝国を滅ぼされたからではない。銀河帝国は、より力を持つものが受け継げばいいのだ。帝国は永遠ではなくいずれは取って代わられる日もあろう。それだけのことであり、ラインハルトという者を憎むことはない。むしろその者が抵抗し、これからの戦いが楽しくなるならば褒めてやりたいくらいだ。逆に歯応えがなければつまらぬ」
皆はルドルフ大帝の気力と覇気が以前よりいささかも衰えていないのを感じ、思わず唱和する。
『御意、陛下』
また夏が過ぎ、当然ながら学年が上がる。
ラインハルトはもう第四学年に入った。
この年、ホグワーツも新たな歴史を刻む。
それはこの年が三校対抗試合の地元開催に当たるからだ! 魔法学校というものはもちろん世界中に散在するが、主要なものはわずか十校程度しかない。
その中でもホグワーツは最有力校だが、近くの二つの学校と深く交流を持っていた。一つはフランスの隠された城にあるボーバトン校、もう一つはブルガリアの森にあるダームストラング校だ。
魔法学校もお国柄を反映しているのか、ホグワーツは自由と好奇心を旨としている。
ボーバトンは洗練と規律、ダームストラングは実力主義、質実剛健だ。
この三校は仲が良く互いに尊敬しているが、同時に自分が一番との自負心を強く持っている。そのため持ち回りで対抗試合を行い、生徒の修練という名目で競い合っているのだ。対抗試合は親善の枠を越え、かなり本気で勝ちに行くのが通例である。
ホグワーツはそちらに本腰を入れるため今年に限って寮対抗のクィディッチ杯を行なわない。その代わり、三校それぞれの代表チームが対抗試合の前座としてクィディッチの親善試合をやる予定だ。
ホグワーツはその二つの魔法学校を歓迎し、来訪者の宿泊準備を整えるために忙しくしていた。
そしてついに到着する。
二つの学校はもう最初からド派手な演出を用意していた。これは示威行動の一環である。空中馬車から来たり、水中船から来るというのも驚きである。
しかし、結局のところ目を引いたのはそんな演出ではなかった。たった一人の美少女だ。
ボーバトンからやってきたフラー・デラクールという女生徒がホグワーツのほとんどの男子生徒を魅了し、その目を釘付けにした。
ホグワーツの女生徒はそのために反発、と思いきやそうでもない。
フラーの美しさは別格であり、どの女生徒も「負けたわ」とうなだれるしかなかったのだ。
もちろんフラーに魂を奪われない男子生徒もいる。当然ラインハルトもその通りだ。
「あの程度の美しさなら姉上の足元にも及ばない」
「アンネローゼ様と比べるのは間違いでございましょう。それよりもマリーンドルフ嬢とはお比べにならないのですか、ラインハルト様」
二人にとってアンネローゼが一番なのは言うまでもなく当たり前のことだ。
その上でキルヒアイスがからかうようにそう言った。未だにキルヒアイスはヒルダをカイザーリンというのに異和感があり、マリーンドルフ嬢と呼んでいる。
「カイザーリンには、見かけに現れない良さもあるのだ」
正直に言えば良いと明言しているわけではなく、身も蓋もないではないか。
二人はそんな他愛もない事を言っていたが、ラインハルトはふと重大なことに気付いてしまった!
「キルヒアイス、妙だとは思わないか。あのフラーなる者、動きが通常ではない」
「ラインハルト様。そう言われてみれば確かに。これは一体」
一方、ハーマイオニー・グレンジャーは自信を持っていた。
男子生徒は軒並みフラー・デラクールに見とれて動きが止まっている。どいつもこいつもだ。ディーンなどは皆に抑えられても上半身を伸ばして1ミリでも近付こうとしている始末で、もちろん側にいるラベンダーがキーキー言っている。
だがハリー・ポッターだけは違うだろう!
ポッターは並の男子と違い、見かけの美しさなんかに価値を置いていない。当然、フラー・デラクールのことも一瞬見るだけだ。
しかし、ハーマイオニーは思いっきり失望させられた。
ハリー・ポッターが赤毛の友ロンと共に食い入るようにそれを見つめているではないか!
「ポッター、ちょっとがっかりよ! あなたのそんなところ見たくなかったわ」
思わず口を尖らすが、驚いたことにその言葉にも反応しないくらい目は釘付けのようだ。
ハーマイオニーはもう言える言葉もなく離れようとする。
「やはり、そういうことだろうな。ルドルフ大帝め、ディメンターの次はこれできたか」
「学校に入り込むには絶好のチャンス、それを生かさない手はないということですか。しかし大胆ですね。こちらが気付くのも承知の上と思いますが、それにしてもよほど自信があるのでしょう」
ラインハルトとキルヒアイスはそんな相談をしてから、離れようとしていたハーマイオニーを呼び止めた。
「ハーマイオニー嬢、ちょっと待つんだ。相談がある」
「今さら何よ。無理してこっちを見なくてもいいわよ。美人を見ていたければフラーをずっと見ていればいいわ」
失望が大きかったせいで自分でも言いたくないことを口に出してしまったハーマイオニーの動揺にお構いなく、ラインハルトは用件を言った。
「ディー・エーの皆全てに緊急警戒を伝えてほしい」
「え、え? ポッター、何それ!」
まるで見当違いことを言われハーマイオニーは混乱してしまう。
「あのフラー・デラクールは戦闘訓練を受けている。これは危険だ」
ハーマイオニーはその言葉に驚く他はない。自分の知っている世界ではない話をされてしまった。そんなハーマイオニーにラインハルトは補足して説明する。
「戦闘訓練を受ければ、独特の身のこなしというものが生まれるのだ。あのフラー・デラクールなる者は一見優雅に踊っているようだが、明らかにそれがある。しかもそれを隠そうともせず、逆に見せつけているようだ」
ポッターはフラー・デラクールの顔に見とれているわけではなく、全然違うことを考えていた。
ハーマイオニーはさっきのブルーな気分はどこへやら、ちょっと嬉しくなってしまう。
だが、次の言葉によって不安が増幅されてくるのを感じた。
「これは、実戦でもかなりの経験があるな。間違いなく最上級の白兵戦将校と見ていい。戦って勝てるだろうか」
それは、ハーマイオニーの知る自信家のポッターとは思えない言葉だった。