次の日、ボーバトンの城にいっそう熾烈な攻撃が襲い掛かる。
空から吸血鬼、陸地からは巨人の群れが迫りくるのだ。その数も勢いもこれまでとは段違い、圧倒的なものである。
城の防御側はもちろん精一杯迎撃にかかるが、押し寄せる敵の数の前に次第に押されていく。
戦力比からすれば最初から城側が劣勢、しかも応援が来ることはない。
ついに破綻する場所ができてしまった。
必死で頑張っていても防御線は破られつつある。
「よし、決定戦力の投入といこう。これで終わりだ」
ここが勝機と見たブラウンシュバイクが側に控えていた中級指揮官に命じた。
「我も行くが、あの部隊を操るのは少し厄介だからな。実際の統率はその方に任せる。よいな、アンスバッハ」
「ブラウンシュバイク公、よくぞお命じ下さりました! このアンスバッハ、喜んで命令を承りましょう」
そう言って喜々として駆けていく者がいた。
そのやり取りを不思議な顔でリッテンハイムが見ている。自分にもブラウンシュバイクにもここに子飼いの部下などいるはずがないではないか。
「ブラウンシュバイク、あの者はいったい何だ? 見事な忠勤ぶりではないか」
「ああ、あれは死喰い人という者たちの一人なのだが、先ごろ突然やってきて側に仕えたいと懇願してきたのだ。不思議なことだが向こうから熱心に言ってきた。拾い物と言うべきか、結構有能な奴だ。それで副官に取り立てている」
「なるほど、不思議だが何か縁があったのか」
「なんでもブラウンシュバイク家に仕えている家柄の末裔だそうだ。それで奴自身も前の世界ではブラウンシュバイク家の滅亡を見届けているらしい」
それは全く事実だった。しかしアンスバッハは全てを正直に言ったわけではなく、最後のブラウンシュバイク家当主オットー・フォン・ブラウンシュバイクを自らの手で毒死させたことは黙っていた。
尤も、それを聞かされたところで何も変わらなかったろう。
ここにいる初代の当主ライデル・フォン・ブラウンシュバイクは自分の末裔とはいえ惰弱な子孫が滅ぶことについて何も感傷がなく、当たり前だと言っただろうから。
とにかくアンスバッハの方では今や理想の状態にいた。
前の世界ではいくら主君に諫言しても聞き入られることがなかった。ヴェスターラントの核攻撃も含め、リップシュタット戦役では情勢の悪化をみすみす手をこまねいているしかできなかった。結局ラインハルトの前に貴族連合軍は脆くも敗れている。アンスバッハは最後、やむなく主君を殺すという非常手段を取り、おまけにそれさえ利用した復讐のテロさえ失敗に終わった。
しかし今や精悍な主君を得たのだ。
更に自分を有能と認め、仕事を任されている。仕える喜びはいかばかりか。
一方、始祖のブラウンシュバイクの方でもアンスバッハを得たのは幸運である。元々部下に対し厳しいこともあったが、情に厚いことも確かだ。
そんな話に納得した後、更にリッテンハイムはブラウンシュバイクへ声を掛ける。
「まあそんなことはよいとして、ブラウンシュバイク、予備兵力にとっておいたあの部隊を動かすのか。確かに決定的な場面にはおあつらえ向き、城の連中も気の毒なことだ」
本当に気の毒とは思っていない顔でリッテンハイムが続ける。
「降伏してこないのが悪いのだからな。向こうの人間がどうなっても自業自得だが」
城の方では異変に気付いた。
巨人が城から離れて退がりつつあるのだ。
その代わりに目に飛び込んでくるものがある。
「あれは何だ! 何か来るぞ!」
誰かが慄きながら言った。多数の動くものが地平線を越え、城に迫ってくる。
狼だった!
数限りない狼の群れ、百、二百、五百、それ以上かもしれない。
それもただの狼ではなく魔物の狼だ。
大きさや俊敏さ、おまけに高い魔法耐性という性質も脅威なのだが、狼はそればかりではない。力だけなら巨人の方が上だろう。
他の魔法動物にはないもっと恐ろしいものが隠されている。
すなわちわずかでも噛まれてしまえば、決して消えない後遺症が残ってしまうのだ!
それはどんな方法でも治療のしようがない。
以後、人生の全てに渡って狼化した狼人間として生きなければならなくなる。単に生活に不都合があるだけではなく、恐ろしいのは人としての理性を失う日があることだ。その期間は噛まれた度合いにより異なり、たった一日満月の日だけの場合もあるが、酷いときには狼である時間の方が長い場合さえある。
そして魔法界はそんな狼を忌み嫌う。
必然的に狼人間は魔物の範疇に入れられ、理不尽なことにほとんど人権を奪われる。それは魔法界の歪みの一端である。
魔法使いにとって狼はあらゆる魔法動物の中でも最上級の恐怖の対象だ。
それが今、大群をなして城に迫っている。
今や生徒の多くが蒼白になり心を折られそうになっている。戦うべき杖が手の震えと共に下がってしまった。
しかしヤンは普段とまるで変わらなく落ち着き払っているではないか。
「これが敵の考える決定戦力だろうな。だが、これを待っていた」
彼は狼を恐れるどころか口調にはむしろ同情めいた響きがある。
今から起こることを予想してのものだ。
ヤンはそんな淡々とした声を出しながら前髪に手をやった。
「ヤン提督、ベレー帽を直す癖が抜けてないようですな」
シェーンコップがつまらない指摘をしたのは、ヤンが大きな作戦を始める前の癖だったのからである。
「あれ、そうか。それはともかくシェーンコップ、準備はできてるかい?」
「いつでも。命令さえあれば」
そんな会話の間にも狼が邪悪な気を纏いながらぐんぐん迫る。
柔弱な魔法使いたちを蹂躙し、恐怖に怯える姿を見ながら思い切り切り裂き、噛み砕く。
その喜びが目前だ。
獲物が見えるにつれ否が応でもスピードが増していく。狼たちは狼人間化のことを知っており、憎い人間たちを過酷な運命に追いやることも喜びの一つだ。自分たちを忌む人間をこちらの側に引きずり落とす。その方が苦しみを与えられる。
わざと甘く噛んで殺さずに残すことさえあり、まさに悪知恵である。
ヤンはそんな狼の大群の最も厚い所を見出し、短く命令を下した。
「撃て!!」
ボーバトンの城の正面から凄まじい奔流が放たれた!
圧倒的な白い輝きだ。
一瞬遅れて轟音が炸裂する。
もちろんそれは攻撃魔法の混じり合ったものだが、もはやどんな魔法かは関係ない。
文字通り桁外れだ。
純粋に当たったものを打ち砕く巨大なエネルギーの塊と化している。
輝きは狼の大群にぶち当たり、勢いが殺される様子もなくそのまま突き抜け、彼方へ流れ去った。
大群の中央にからっぽの大きな穴が開き、そこにいたであろう狼は跡形もなくかき消えている。一気に群れの1/3は消滅したのだ。
残されたものもどうしたことかと呆然の態だ。
狼たちは今まで見たこともない光景に何が起こったのか理解できない。
「凄いですなヤン提督。やはり要塞にはこれが付き物でしょう」
「ここはイゼルローンじゃないよ」
そう言いながらヤンもシェーンコップと考えることは同じである。
<雷神の鎚>だ。
イゼルローン要塞の巨砲トゥールハンマー、その再現をした。
理屈は決して難しくない。
城の正面に円形のクリスマスリースのようなものを高く掲げさせている。直径十メートルを超える巨大なもの、その縁へ魔法石の一種を十二個等間隔に貼り付けている。
これの準備こそヤンが予めシェーンコップに頼んでいたものだった。
魔法石は特殊なもので、魔法力を増幅させる作用がある。
その上で、この装置の周囲に魔法力の強い生徒らを配置し、円形の中央に向かって一斉に魔法を放たせている。
円のちょうど中心となる位置で魔法力が融合し、どんどん貯められ、魔法石により圧縮して蓄えられる。
最後、発射の合図と共に円形の背後にいる生徒らがその魔法力の塊を撃ち出す。
そうして放たれる魔法力の巨砲だ。
こんな発想は通常の魔法使いにはあり得ない。
「要塞を攻撃する側には利点がある。すなわちいつ攻撃を仕掛けるか、また防備のどこを狙うかだ。しかし、もちろん要塞を守備する側にはそれを超える利点がある。それは防御する壁を持つというだけではなく、移動せずに用いることのできる大規模な武器を使えることだ。正にイゼルローンはそうだった」
「ヤン提督、講釈はそれくらいにして頂けますか。狼はまだ撤退していないようで」
ヤンの誰に聞かせるでもない戦術論のつぶやきは途中で遮られた。
シェーンコップの言う通り、狼たちは一時の驚きから立ち直り、怯むどころか凶暴な意志を高ぶらせている。いくら指揮官アンスバッハが退却を命じても無駄だった。狼は知能がなまじ高いだけ指揮に素直に従うということがない。いっそう唸りながら城を目指す動きをやめない。
「犬には躾が必要ですな。もう一度、トゥールハンマーを使うべきでしょう」
やっぱり命名はトゥールハンマーかと思いながらヤンもそれに応える。
「よし、ではもう一度、それで敵の戦意を刈り取る。トゥールハンマー発射用意!」
「充填完了、いつでもいけます!」
「狼の一番厚いところに狙点固定、撃て!!」
巨砲が放たれた。
またしても周囲に轟音が響き渡る。幾多の魔法が一体となり溶け合い、奔流として突き進み、その途上にある全ては抗うこともできず消滅していく。