その少し前、フランスのボーバトン校でも異変をキャッチしていた。
イギリス魔法省がルドルフの電撃作戦によって攻められようとしている。
イギリス西端に上陸したルドルフ大帝の軍勢が進軍を始めており、まもなく到達するだろう。
ヤン・ウェンリーはボーバトンを死守しても、アメリカ大陸という裏側から攻められた事で戦略的に意味がなくなってしまったことを正確に理解している。
「やれやれシェーンコップ、また前の世界と似たようなことになったようだ。敵に別な回廊から攻め込まれるとはね。全く、悪い夢のような気分にさせられるよ」
「ではヤン提督、また同じようにしますかな。要塞を放棄して、機動力を最大限に使えばいい。あなたの戦略は向こうの世界でも正しかった。それを繰り返すだけです」
もちろん、かつてヤンがイゼルローン要塞を放棄し、バーミリオンまで移動してラインハルトを迎え撃ったことを指した発言だ。
そしてシェーンコップは凄みのある笑みを見せた。
「違うのは、今度はこのトマホークがお役に立てそうだ。地に足を付けて行う戦いですからな。ここで出番がなけりゃ意味がない。皇帝の御前興行がルドルフに変わっただけです。前の世界のバーミリオンと同じ、敵の親玉を斃せばそれで終わりでしょう。ならばそうしてみせるだけですよ」
そう言い終わるとシェーンコップはいきなりトマホークをヤンの前にかざした。
その突然の行動にヤンは意味が分からず呆然とするばかりだ。
その刹那、何かの発射音が響き渡ったではないか!
火薬式銃のものだ。
ヤンは一瞬遅れてからテロ行為の存在を理解した。
この世界では魔法を使っての戦いが続いたため、火薬式銃を使っての攻撃に面食らってしまう。ヤンはそれについての知識はあるがもちろん自分が撃たれるのは初めてのことだ。やけに大きな音だな、などと場違いなことを考える。
さすがにシェーンコップは襲撃の気配を察して最善の対処をしていた。
最も重要なヤンを守ったのだ。頭部と腹部をトマホークの刃で防護していた。
しかし、この銃撃は一発で終わらず、二発、三発と続いた。四発目はない。
シェーンコップはもう片方の手でサバイバルナイフを引き抜き、襲撃者へ的確に投げ終わっている。
ヤンが床に崩落れた。そして赤い血が広がっていく。
一発は命中していたのだ。
右の大腿部を銃撃で撃ち抜かれ、動脈から多量の出血をしている。
みるみる血の気を失っていくヤンが言う。
「今度は、間に合いそうかい?」
「黙ってなさい!」
シェーンコップ以外の人間で最も側にいたジェシカが慌てて駆け寄っていた。
ヤンに向かって素早く治癒魔法をかける。ジェシカ・エドワーズ渾身の治癒魔法に出血はすぐに止まり、ヤンは多少の貧血を起こしたくらいにまで回復した。
逆に襲撃者は虫の息だ。もはやナイフが胸に刺さって致命傷を受けている。
皆が尋問しようと近寄るが、瞳は狂気をはらみ、輝きを失ってはいなかった。
そして勝手にしゃべり始まる。
「見たかヤン・ウェンリー、たまたま成り上がった貴様なんかより、本当は俺の方が上なんだ! 英雄になるのは俺のはずだった!」
その妙な言葉に疑問を感じ、シェーンコップが返す。
「誰だお前は。まさか、向こうの世界の者か」
「俺はアンドリュー・フォーク! 同盟軍准将! 同盟史上最大の作戦を指揮した者だ!」
それを聞くとヤンは表情を険しくした。
「フォーク准将、向こうの世界でのことについても、いろいろ言いたいことはある。無謀な帝国領侵攻に同盟全軍を巻き込み、数えきれない犠牲を出した責任についてだ。しかし今言いたいことはそうじゃない」
いつものヤンとは雰囲気が違っている。
ユーモアを絶やさないヤンが、明らかに逃げを許さない詰問をしているのだ。
「現在の立場について何か言い訳はあるかい? 君は今、ルドルフ大帝の側に組みしている。つまらない復讐心なんかのために、民主主義を捨て、ルドルフの帝国に寝返ったんだ。仮にも元は同盟軍准将なのに。この一点だけで君を全て否定できる」
「俺を、否定だと、天才の俺を……」
アンドリュー・フォークはヤンの言葉に動揺を見せたが、それ以上言葉を発することもできず黙る。やがて瞳の光が失われた。
ヤンは痛ましい目でそれを見ている。前の世界でもアンドリュー・フォークの小さな嫉妬が自分自身と多くの人間を巻き込んだ。そして同盟軍将兵の莫大な損失につながったのだ。
人のわずかな暗い性質が、もっとも悪い条件と悪いタイミングで出た例である。
今もまた、こんな寂寞とした結果になったのだ。
その後ヤンはシェーンコップ、フィッシャー、ウランフ、ラップ、ジェシカと共にイギリス魔法省へ向け出発した。他に、ダームストラングとボーバトンの生徒で特に戦意の高い者に限って同行させる。
そうでない一般生徒らには大胆にもボーバトンの要塞を捨て、疎開する策を預けている。
だが実際のところもうボーバトンが攻められることはなかった。
ブラウンシュバイクもリッテンハイムもこんな局地戦はさっさと捨て、ルドルフ大帝へ合流すべくイギリスへ向かっていたからだ。
移動を始めるヤン達だが、そこを影のようにこっそり尾けている一人の者がいる。昏い瞳をした復讐者だ。
「フォークの奴はしくじりやがったか。まあ、口ばかり達者な若造だとは分かっていたが、とんだ役立たずだ。やはりヤンを倒すのはこの俺か」
この者の目にも狂気があり、それはヤンへ向けられていた。
「あのエル・ファシルで上官の俺を囮に使いやがった。そんな汚いやり方が奇跡のヤンの正体だ。英雄などと祭り上げられてさぞ満足だろう。そして提督にまでのし上がり、華やかな表舞台を歩き始めるとはな。貴様のせいで帝国の捕虜になって苦しんだ俺とは大違いだ。このままで済まされると思うなヤン・ウェンリー!」
ヤンらはイギリス魔法省を目指すのにそのままドーバー海峡を渡るのではなく、敢えてやや北側を渡ってスコットランドから上陸し、そのまま陸路を下っていくつもりだった。ルドルフ側の少しでも手薄なところを狙うためである。妨害に手間取って戦いに間に合わなくなったら何にもならない。
皆は箒で飛ぶ。この距離ならわざわざ飛行機を手配するまでもなく充分に箒でも渡れる距離だからだ。もちろん飛行術の苦手なヤンは紐で曳航してもらっている。文字通りお荷物になったようで本人はとても恥ずかし気だが、他に方法が無いのも分かっている。
海上に出てしばらく進む。
だが、まもなくスコットランドというところでいきなりルドルフの軍勢である魔物の集団に出くわしてしまった。向こうはルドルフの招集に応じている途中だったのだろう。
敵味方どちらにとっても全くの偶然であり、絵に描いたような遭遇戦だ。混乱した戦いが繰り広げられる。
ヤンらの一行は敵の主力である吸血鬼の攻撃を薙ぎ払っていく。
もちろんシェーンコップなどは空中戦であっても一流の技を持っている。箒を蹴っていったん離れ、自由落下しながら敵を倒し、先回りした箒に飛び乗るというアクロバット技まで披露してみせた。
おそらくローゼンリッターは地上ホバークラフトによる肉弾戦に慣れていて、その応用編くらいに思っているのだろう。
ジェシカとラップもさすがに息のあった夫婦である。死角を作らないよう背中合わせに飛んでは吸血鬼を撃ち落とす。自在に飛ぶ吸血鬼のその上を行く飛行術である。驚いたことに急旋回を繰り返しながらも二人は離れることがなく、その見事なペアぶりにヤンも若干羨ましく思う。
だが、それでも戦いは一方的ではない。
むしろ全体として苦戦ともいえる状況に陥った。それには理由があった。
なぜなら敵は奥の手を出してきたのだ。
何と向こうにはディメンターが何体も混ざっていて、いつしか戦場のあちこちに漂っている。
魔法使いにとって厄介な相手だ。
ディメンター対策は守護霊で退けるしか手がないのは分かっている。だが、そちらへ守護霊を出しながら魔物と戦うのは容易ではない。魔法を同時に使うことはできず、またその切り替えも時間がかかる。
「みんな、いったん高速で離脱するんだ。今から示したポイントまで行き、そこでまとまろう」
ヤンが唐突にそういう指示を出した!
もちろん皆はヤンを完全に信頼し、すぐさまそれに従う。
皆がその指示した場所に集まると、もちろん魔物たちも追ってそこに突撃してくる。
一斉に襲い掛かってきて再び接触寸前だ。
「今だ! 全員退避! そしてシェーンコップ、ここの真下に思いっ切り火炎魔法を撃って欲しいんだが」
「お安い御用で」
その数秒後、空気がゆらめいた。
低く鈍い音が恐ろしいエネルギーが放たれる序章のようにその場を囲む。恐れを知らない魔物たちもただごとならぬことに一瞬動きを止めた。
それが命取りだった。
いきなり巨大な炎が下から上に、天空に向かって突き刺さる!
その豪炎は途中にあるものなど全て消去していく。魔物たちは声にもならない叫びを上げ、焼けて消えるしかない。あっという間に全滅だ。
皆は既に理解している。ヤンは魔物をこの場所におびき寄せるために、皆をいったん集めたのだ。その後タイミングを見て退避の指示を出した。
そして追ってきた魔物たちは全て哀れな最期を遂げた。
またしてもヤンの策だ。
その炎の理由も下を見れば明らかだった。
海上に点々と何かのプラットホームが立っている。ここは北海油田地帯、試掘のための施設がいくつもあった。その施設めがけ魔法で点火したのだ。油田の弁が吹き飛び、おそらく油田ガスが一気に噴出したのだろう。
それが豪炎となって立ち昇り、魔物を滅した。
その火炎は激しく吹きあがったが、長くは続かず収まってくる。施設ごと爆発延焼ということはない。そして施設に勤めている人間はエマージェンシー用の退避壕に逃げたはずだ。そんなことはヤンに分かっている。
「ヤン提督、派手な花火、こんな手で魔物を一気に退治するとは、魔術師ヤンから花火師ヤンに改名したらいかがですかな」
「一回限りだよ、シェーンコップ。いくら緊急でも施設を壊すのは心苦しいからね」
シェーンコップはいつもの言い回しをしたが、それでも感嘆していることは間違いない。それは他の面々も同様だ。
やはりヤン・ウェンリー、その戦術は尋常なものではない。
皆の顔を見ながら、ヤンは思い出した。
「ああそうか、皆は第二艦隊のレグニッツァの戦いを知らないんだな。あの時は帝国軍が真下に核融合ミサイルを撃ち込んでガス惑星を誘爆させたんだ。これはそのささやかな再現って奴なんだがなあ」
そう言って頭を掻く。
かつてのレグニッツァ、同じような手段でラインハルトが同盟第二艦隊を屠ったことがあった。その時ヤンは第二艦隊の参謀として旗艦パトロクロスにいて、いち早くラインハルトの策に気付いて脱出している。