「相手はさすがですね。戦術に優れた良将です。私は陽動として出ることにしますので、皆さんは防御陣を守りながら後退して下さい」
相手の才をきちんと評価するのもキルヒアイスの美点だ。相手の技量を認め、多少危険な策を決断する。
皆にそう言い残し単身で飛び出た。
大きく迂回してリッテンハイムを狙うのだ。途中で気付かれたら、それはそれで陽動としての役目を果たし、魔法学校の生徒たちを安全に後退させられる。逆に気付かれなければ背後から急襲してリッテンハイムを斃す。
実はリッテンハイムも途中で気付いたのだが、敢えて分からないフリをした。戦いそのものを有利に進めるより、キルヒアイスを自陣内という有利な条件で斃す方を優先した。
キルヒアイスはリッテンハイムへ向かって一気に距離を詰める。
しかしそのまま決闘にはならない。
リッテンハイムは速攻にその妙味があるが、慎重さを忘れることはない。いきなり隠していた戦力が現れた。それは三体のディメンター、リッテンハイムの直掩戦力だ。それをきちんと伏兵にしておいた。
キルヒアイスは進路を塞がれ、それらのディメンターに取り囲まれてしまう。あまりに迅く突入したがゆえに接近し過ぎ、今から急いで守護霊を出してもギリギリ間に合うかどうかになった。だがそれをせず、キルヒアイスは尚もリッテンハイムへ向かって急進する方を選ぶ。
だが、空中を滑るように進むディメンターの方が一歩早かった。
躱せない。
ついにキルヒアイスはディメンターに接触されてしまう!
「あの敵将、惜しい、実に惜しかった」
それを認めたリッテンハイムは残念がる。始祖のリッテンハイムはブラウンシュバイクより自他共に認める皮肉屋だ。しかし、魂はしっかりと武人のものであり、だからこそブラウンシュバイクとは仲が良かった。
今、キルヒアイスという自分も認める敵将がディメンターなどという下劣な輩のために魂を吸われるのは本心から残念に思っている。良将の最期には全くふさわしくない。
だが結果は違った!
キルヒアイスはディメンターに魂を奪われはしなかった。
なんといってもキルヒアイスはあの黄金の覇王、吠え猛るグリフォン、銀河と人類の全てを手中にした常勝の英雄、ラインハルト・フォン・ローエングラムの唯一の親友にして半身なのだ。
キルヒアイスには、柔らかく、慈しみ深い、だが決して尽きることのない覇気がある。
それは守護霊のようにディメンターを威嚇し、恐れされ、退けるものではない。むしろ陽に当たる植物のようにディメンターを落ち着かせている。そして見る間にディメンターの纏う暗い怨念の気配を消していく。
やがてディメンターはキルヒアイスの周りから後退し、自ら囲いを解いた。
驚くべきことだ。生きている人間を誰彼構わず襲い、犠牲にするディメンターがこんな行動をとるとは。
ついでに言えば、キルヒアイスはそれらのディメンターの深いフードの中に真っ黒な深淵だけではない何かを見た。うっすらと人の表情のようなものが掠めたのではないか。
(ひょっとするとこれらの者は最初からの悪霊などではなく、人が変化したのかもしれませんね。何かの理由であのように真黒くなったのでしょうか?)
それはキルヒアイスの考察だ。ディメンターも元は人間だったのかもしれない。心を失い、それゆえに他人の魂を吸い取りたがる哀れな魔物に変じた、ただの人間。
しかし戦いの場ではそんなことを深く考えている時間はない。
リッテンハイムも様子が変なのを見ていた。
「ん、何だ。あのディメンターどもの動きがおかしい」
だがさすがにリッテンハイム、直掩に置いたディメンターが無力化されたのを知るやいなや、躊躇なく自身が動く。素早くキルヒアイスの視界から身を隠し、背後に回り込もうとする。そういった戦術的行動も実力の内だと思っている。
そして攻撃魔法を仕掛ける。
キルヒアイスはそれをきれいに躱す。
リッテンハイムは自分の動きが事前に読まれているのを知り、ニヒルに笑う。
「やはり、な。そうでなくては面白くないが」
「ここで停戦しませんか。お互いに向こうの世界から来た者として、共に理由を探る方が有意義だと思います」
「それは無理だ。俺たちは別の陣営の者同士であるからには、戦うのが運命だろう」
キルヒアイスの提案はやはり却下された。
そこからは個人技の魔法戦になる。キルヒアイスとリッテンハイムは撃ち合い、躱し、防ぎ、また撃つ。
どちらも実力は充分、たちまち白熱の帯が激しさを増していく。この戦いはどちらかの魔法力が枯渇するまで続くかと思われた。
しかし、リッテンハイムの陣営にいた一匹の吸血鬼が這いつくばりながらその場を移動していく。二人の戦いの至近まで近寄ると、慎重にタイミングを伺っている。こんなチャンスを前々から狙っていたのだろう。
キルヒアイスの一撃をリッテンハイムが防御しようとする瞬間に仕掛けたのだ。
「死ね! リッテンハイム!」
気を抜けばやられるキルヒアイスの苛烈な一撃を待ち受けている最中、別方向からの攻撃に対処することはできない。リッテンハイムはまともに食らってしまう。
こんな、意外な形で勝負が着くとは。
そしてリッテンハイムもキルヒアイスより自陣の裏切り者の方へ怒りを燃やす。力を込めた最後の一撃は卑劣な裏切り者へ向けた。
リッテンハイムの攻撃に貫かれ、一言だけを残して裏切り者はあえなく絶命する。
「俺はヘルクスハイマー、復讐は果たした。俺の勝ちだ……」
もとよりリッテンハイムに言葉の意味は分からない。
ヘルクスハイマー伯爵が、子孫のリッテンハイム家にいいように使われ、捨てられ、亡命に追い込まれ、とうとう一人娘だけを残して抹殺されることになった事件など知る由もない。
事の成り行きにキルヒアイスも驚くが、リッテンハイムが致命傷を負ったのを認めると、駆け寄り治癒魔法の準備をする。
「無駄だ。無駄なことをするな。そして敗者にまで情けを掛けるな。理由はどうであれ、俺は負けて死ぬ」
「いいえ。思わぬ横やりのためにこうなっただけで、勝負の結果ではありません」
「結果は結果だ。それに、戦いが続いていてもこうなっただろう。俺にはディメンターを退けるほどの覇気は無いからな。格が違うのは分かっていた。それより、お前は勝ったのだから早く行け」
やはりルドルフの時代の帝国軍を担った双璧、武人として最後まで見苦しいことは微塵もない。
「俺は元からこの世界の征服にも興味はなかった。主君と、無二の友のために生きていただけだ。悔いはない。だからこれ以上構ってくれるな」
リッテンハイムはキルヒアイスを行かせるためにこう言っているのだ。リッテンハイムの真意を理解したキルヒアイスも帝国軍式の敬礼をして立ち去った。向かうは魔法省内部、ラインハルトが既に向かった先だ。
「なあブラウンシュバイク、今度もまた面白かったよな……」
その言葉を残し、リッテンハイムも二度目の人生を閉じた。
無二の友と一緒に、再び冒険ができたのだ。そんな楽しいステージはやがて終わるのが定めである。
ルドルフの築いた魔物の軍団、これで全ての将はいなくなり、指揮系統は失われた。いくら数が多くとも後は各個撃破の掃討戦だ。
苦しかった大戦争の行方は決まった。
一方、こちらは魔法省内部だ。
ルドルフは下層へ下層へと急ぐ。
一階層下がる度に、黄緑色のゆらめく燐光が強くなる。全体がほの暗い中でも、そのためにいくらかの見通しがきく。
だが目に映るのは異様な光景だ。ふわりと浮かぶ脳ミソなどはまだマシな方である。視線を送ってくる無数の目玉、渦巻く髪の毛、あらゆる気味の悪い物が各階層ごとに詰まっている。
そんなものを微塵も気にせず、ルドルフは足を進める。さすがに剛毅な大帝だ。
しかし、次第に空気が重くなり、体にまとわりつくのを感じている。
ただの空気なのに、水、いや泥のように抵抗が増してくるのだ
この空間そのものが、下に向かおうとする人間を妨害しているのだろうか。死喰い人の部下たちは早々と動けなくなり、あっさりと全員が脱落していった。
「何だこれは。ふん、そういうことか」
ルドルフが看破した通り、これが魔法障壁なのだ。
単純なことである。障壁とは強い魔法動物でも、罠でもなかった。
ただ単に動きを封じてくるだけだが、それでも効果的なのは確かである。普通には先に進めさせず、侵入者から守っている。
覇気の輝き、強い魔法力がなければ突破できないものだ。
だがしかし、この場合に限って魔法障壁は問題にならない。ルドルフは圧倒的な覇気と魔法力でこの燐光と濃密な空気に抗って進んでいける。
ついに魔法省地下最下層の入り口に辿り着く。
正真正銘、最後の扉を魔法力によって粉砕し、中に足を踏み入れる。
そこはいっそう強い黄緑色の光に満ちていた。加えて空気はこれまでと比べても段違いに濃密になり、その中で動くのはまるで粘土を掻き分けるようなものだ。ルドルフの覇気の輝きがなければとうてい不可能なことだろう。
だが、とうとう最後の目標が見えてきた。
大広間のような広大な空間の中心に一本の木が生えている。こんな地下深くに巨木が生えているとは!
葉も幹も堂々たるものだ。
ただし、普通の木と違うところがある。幹の中心の一点から、ことさら強い黄緑の光が漏れでている。
「ふははは、見つけたぞ! 魔法の根源。これを手に入れ、従わせれば全ては俺のものだ。何でもできる魔法力だけではないぞ。この世界と他の世界、あるいはもっと他の世界にまで行き、無限に支配できるのだ。俺が今度打ち立てる帝国はかつての銀河帝国をはるかに超え、文字通り全てを握る帝国になる!」
しかし、この勝ち誇った一人言は、背後から聞こえた思いもよらない声によって中断されることになる。