その時、ラインハルトは一つの疑問をダンブルドアに尋ねた。
それは前々から引っ掛かっていたことだ。
「校長、一つ尋ねるが我らは向こうの世界から来て、こうして生きているわけだ。ではこの体の前の持ち主はどうなったのだ。まさか我らが呼ばれてきたせいで死んだのか」
「おお、優しいことを言ってくれるの。自分には責任がないというに、そんな心配をしてくれるとは」
「そうだとすると寝覚めが悪いからな」
「結論から言えば、そこは考えなくともよいのじゃ。あの魔法の根源はこの世界を守るためのもの。人の魂を殺すことも消すこともできん。それができるくらいなら、ルドルフを最初から排除しておる。ポッターらの魂はおそらくどこか別の世界へ行ったのじゃろう。あるいは、この世界で既に生まれ変わっているのかもしれんの」
「そうか…… それでは心配せずともよいか」
「それよりここの世界から帰る者を決めねばならん。申し訳ないのじゃが、石に残った力、あと三人、ぎりぎり四人までといったところか」
ラインハルトは周りを見渡した。
そして問う。その先は新銀河帝国の者ではない。自由惑星同盟、ヤン・ウェンリーの一党に対してだ。
「初めにヤン・ウェンリーと他の者らに聞こう。元の世界に誰を戻したい。いや戻せばいい」
かつて敵側ではあっても、今はルドルフに対して共に戦った者として礼節を尽くす。だから先に聞いた。
それを受けて、ヤン・ウェンリーがしばし考える。ややあって口を開いた。
「それでは、元の世界に対する最善を考え、ヨブ・トリューニヒト議長はいかがです?」
これには指名を受けたトリューニヒトが驚く。
正体を分かられていたこともそうだが、元の世界に戻る希少な権利を振り向けられたからだ。それもよりによってヤン・ウェンリーから。以前は扇動政治家として権力を得て、その裏で憂国騎士団を操り、ヤンを妨害していたというのに。
「この自分が? それはどうしてかな。ヤン・ウェンリー君」
「もちろん、議長に以前のような振る舞いをして頂いたら困ります。しかし、もう懲りたでしょう。これからは真に民主主義のため働いて頂きたい。そして政治家としての能力ならば非常に高く評価しているのです。だから最善と申しました」
「君にそう言ってもらえるのはとても嬉しいが……」
「演説もリーダーシップも一流といえます。民主主義を守る方向に使えばとても有効でしょう」
「ありがとう。しかし、元の世界に戻るつもりはないのだよ。私にその資格はない」
「以前のことをお考えでしたら……」
「いや、ヤン・ウェンリー君、それだけではないのだ。私が政治家として活躍できるとしたら、元の世界に限らないのではないだろうか。この世界にこそ必要かもしれない」
それはヤンとしても盲点だった。
向こうの世界ばかり考えていてはいけないのだ。
この世界でも大戦争にギリギリで勝っただけで、その後始末はあまりに大変だ。全てを立て直した上で、しかも制度的にも構造的にもこの魔法界を発展させないといけない。その意味では元の世界と同じこと、それこそ政治力に優れた者が主導しなくては簡単にいかない。そしてトリューニヒトはそのための人材が少ないことも知っていた。
「私はこの世界のため頑張るとするよ、ヤン・ウェンリー君。では元の世界へは私の代わりにジョアン・レベロ君を送り帰したらどうかな」
驚くべき発言だ。それはヤン達も初耳だった。
「議長! それこそ私には資格がありません。ヤン元帥を謀殺しようとしたのですから。むしろこの世界を立て直す手伝いをさせて下さい。議長がここで政治を行うなら、最高評議員だった者が一人くらいいてもいいでしょう」
トリューニヒトに名指しされた者、ジョアン・レベロに注目が集まる。
だが、ジョアン・レベロもまた断ったのだ。
二人はその政治家としての経験と能力を活かし、この世界のために尽力する。
しかしながら、決して向こうの世界を無視しているのではなく、向こうの世界に戻らせて政治を任せられる人間を別に知っているのだ。
「それよりも、当たり前だが一番に帰すべき人間がいるだろう。その者は向こうで皆に必要とされていて、しかもその能力は平和時にあっても有用だと分かっている。思慮はあるし、戦略にも優れている。ただし欠点もあると聞いているがね。多少辛辣で、おまけに怠け癖があるとのことだ。勤務時間中に昼寝をするぐらいに」
これを聞くと、ヤン以外の皆がうなずく。全員の共通認識だ。
「え、いやいやいや、それは困る。それよりビュコック元帥は?」
「儂はもう戻っても向こうで何もすることがない。それよりもこの世界にチュン・ウー・チェンも来ているかもしれず、彼を探すとしよう」
「で、ではグリーンヒル大将は? フレデリカも大層喜ぶでしょう」
「結婚式にも欠席した父親がなぜ戻れるのかね。それより、君は夫としての責務を果たしたくないと、そう言うのかな。見損なったと言わせないでくれたまえ。その程度の覚悟なら最初から結婚しない方がいい」
「あ、いえ、そういうことではなく……」
「君が戻るんだ! ヤン・ウェンリー君。フレデリカをくれぐれも頼む。今度は早死にせず、長く幸せにしてやってほしい」
「グリーンヒル大将……」
「あ、ついでにいえば、家事も君がやった方がマシだろう。それについては責任を感じている」
「シェーンコップ、君ならこれからカリンの結婚式に出られるじゃないか」
「そしてお爺ちゃんにもなれると? いいやヤン提督、御免ですな。それに何より、このなりで向こうには戻れんでしょう」
「そ、それは…… 確かに…… 」
「父親が、娘より年下の、銀髪の美少女というのはいかにもまずい。ダンディからプリティに変わったときた。下手したらポプランの奴が言い寄ってきそうだ」
ヤンは周りの者に次々聞くが、全ての者は断った。
コーネフはクロスワードパズルの本場であるこの世界に満足だ。ジェシカとラップの夫妻もここの生活に満足している。そしてフィッシャー提督もメルカッツ提督も戻る意思はない。
全員が全員、ヤンに戻れと言っている。
その結論をラインハルトが満足そうに聞いた。
「やはりそうなるか。ヤン・ウェンリーよ、向こうの世界での活躍を期待している。お前のことだからうまくやるだろう。ただし新帝国に戦争を仕掛けるのだけは困る。いかにミッターマイヤーやミュラーたちが奮戦しても無駄だ。俺以外にお前に勝てる者など存在しないからな。いや、俺ですら戦術で負けた」
「いや、その、すみませんがまだ戻ると決めたわけでは……」
尚もぐずるヤンを皆が呆れて見ている。何と往生際が悪い。
「ヤン・ウェンリー。もしもカイザーリンと交渉する機会があれば言うといい。俺が、共和主義というものも悪くないと言っていたと。配慮してくれるだろう。それが俺からの餞別代わりだ」
ラインハルトはダンブルドアに頼み、賢者の石の力でヤン・ウェンリーを元の世界に戻す。
今度は体が徐々に透明になり消えていくという現象として去った。
ヤンの頼りなげな視線がさまよっていたことが皆の記憶に残る。それが皆の敬愛すべきヤンを見た最後だ。シェーンコップがこの光景をあっさりとまとめた。
「最後の最後まで、かの御仁らしいことでしたな」
そしてヤンはというと、薄暗い魔法省の広間からいきなり陽光溢れる夏の公園にいた。
「ここは…… 光の感じだけで言うのは非科学的だが、おそらくハイネセンだ。太陽の大きさもそうだ。しかし、ハイネセンとはいえ正確な場所はどこだろう」
それは魔法の世界との壁を思えば些細な誤差なのだろう。しかし一つの惑星という広大な中で、場所が分からないとあれば途方に暮れるしかない。しかも今、ヤンは金をもっていなかった!
そしてやはり、ここでは何の魔法も使えなかった。
ここはそういう世界ではないのだ。何度か試したが全て無駄に終わる。元々ヤンに使える魔法は極小だったのだが。
「場所の確認をして、ハイネセンポリスへの行き方を決めよう」
それから優に一ヵ月はかかった。徒歩が多かったためである。個人を証明する書類は何一つ所持していないので警察などに頼ることもできない。
幸運にも手持ちの杖などの備品はそれこそ希少な天然物であり、好事家には価値がある。ヤンは父親が古物商だった関係上、そういう品を換金するすべを知っていた。それらを少しずつ換金しながら食費などに当てた。
ボロボロになりながらようやく懐かしいハイネセンポリスに辿り着く。
だがユリアンやフレデリカにはそう簡単に会えない。
仮にも向こうは政府高官という立場である。うかつに近付けば不審者からテロリスト認定への道をまっしぐらだ。何とかゴミ収集業者のフリまでして接近に成功した。
「やれやれ、家に帰るだけでとんだ難事だ。一生分の勤勉さを使い果たしたよ」
そこからが最後にして最大の難関になる。
ユリアンとフレデリカにヤンであることを証明しなくてはならないのだ!
魔法の世界に行って別の人間として生きてましたが戻れましたと、誰が聞いても狂人のたわごととしか思えないことを信じさせなくてはいけない。
それは、これでもかという質問の雨あられ、数百に及ぶ質問に全て答え切らなければならない羽目になった。
「アッテンボロー提督との三次元チェスの成績は?」
「ええと、12勝74敗6引き分け、だったかな」
「…… ちょっと違いますね。ヤン提督の11勝74敗7引き分けと僕は聞いていたんですが」
「あっ、違う違う。それはアッテンボローがさばを読んだんだ! 確かに12勝したはずだ。信じてくれユリアン」
「……誤差の範囲としましょう」
「プロポーズの言葉は?」
「正直言っていいかい? 憶えてないんだ。でも最後は、『まだ、返事をもらえていないんだが』って言ったような」
「そ、それだけしか、憶えてない! まさかプロポーズを…… 本物じゃないし、本物だったらもう一度死んでもらうわ!!」
「待ってくれ! 向こうでグリーンヒル大将に殺されかけたのに、ここでフレデリカに殺されるなんて」
(フレデリカ…… 意外にジェシカよりキツいかも……)
「今何を考えました?」
だが人柄というのは雄弁なものだ。
本当に摩訶不思議、出来の悪いお伽話にしか思えないことでも受け入れる時が来る。
ましてそれはどんなに強く願った願望であることか。
ヤン・ウェンリー、それは超一流の将帥、民主主義の象徴というだけではない。
偉大な師、尊敬する夫である。ついでに間抜けな生活人でもあるが、どんな意味でも必要な人間だ。
今、それがいないという悲しみの時間は終わり、幸せがやってくる。
「おかえりなさい、あなた……」
「ただいま。フレデリカ」
「やっと帰ってきたんですのね」
「遅くなってごめん。でも、皇帝との会談なら向こうで済ませてきたよ。それこそ期待したよりずっと長く。さてさて、どこから話したらいいものか」
魔術師は、還ったのだ。
そして時が流れた。
自由惑星同盟の滅亡でハイネセンは絶望していた。暗く、澱み、暴動が頻発する有様だった。
しかし立ち直った!
主要星系としての輝きを取り戻した。
精神的にも経済的にも破滅し、自ら帝国に泣きつき、共和主義を捨てて擦り寄るだろうと見なされていたが、そんな帝国側の思惑を見事に撥ね返したのだ。
そして帝国とは戦争をせず、平和的に共存できている。
小競り合い程度であれば全く無いというわけではなく、幾度かは経験する羽目になった。その度に弱者の側のハイネセン共和政府は存亡の危機に晒されてしまう。
その最大のものは、帝国軍ヴァーゲンザイル上級大将が黙認したことで起きたといわれる戦いだ。
公式には、海賊退治が「たまたま同じ宙域」で行われたため「不幸な行き違い」で戦線が拡大したとされている。
戦いは帝国軍分艦隊二千隻に対し、ハイネセン共和政府が用意できたのはわずか警備艇六百隻足らずしかなかった。航路警備のそれぐらいしか帝国に戦力を認められていなかったからだ。
だがそれを率い、ダスティ・アッテンボロー大将と無位無官の謎の参謀が出陣する。
戦いは、驚いたことに圧倒的多数の帝国軍の方があっさり翻弄され、細かく分断された上で殲滅の憂き目にあった。艦の数も性能も圧倒していながら惨敗とは。
まるで魔術のようだ。戦術の完成度において雲泥の差があり、帝国軍には最初から最後まで勝機のかけらすら存在しなかった。それほどまで断絶した差があったのだ。
詳報を聞いた帝国政府も軍部も戦慄させられる。
ヴァーゲンザイル上級大将は栄達を目論んで事を起こしたが、逆にこの不始末のため降格の上辺境に左遷されてしまう。
ハイネセン共和政府第一議員アレックス・キャゼルヌは優れた政略と粘り強い交渉を駆使し、戦うことなく銀河帝国から近隣のリオヴェルデ星系、エリューセラ星系を取り返すに至る。それには帝国側が終始一貫宥和政策を取り続けたことも大きい。
結果、まずは独立経済圏が成り立つ規模にまで盛り返すことに成功する。
それは元の自由惑星同盟からすれば十分の一程度の領域でしかない。
ただしこれが存続することで、銀河帝国が病み、混乱に陥った時にその処方箋となれる。民主共和政治の灯を絶やさないことが重要なのだ。
いつか銀河帝国に憲法制定・議会開設がなされるかもしれないが、この灯があればずっと早い日になることだろう。
後世の歴史家はユリアン、フレデリカ、キャゼルヌ、アッテンボローらの人類に対する多大な功績を讃えて止まない。
しかしその陰に、超過勤務をぼやきながらも全員の中心に立ち、ある時は政略考案のブレイン、ある時は謎の参謀になりながら、偉業を成し遂げた者がいたことについて何も伝えられていない。