さて、ヤン・ウェンリー一人を元の世界に送った後で、ラインハルトは尚も問うた。それもまた意外な人間に。
「アドリアン・ルビンスキーよ、希望はあるか」
それは不敵な男だ。かつて、幾多の謀略を用いて銀河を裏から支配せんと企み、ついにそれはかなわずラインハルトに打倒された男である。この世界でも陰謀を巡らしたが結果的にはラインハルトに貴重かつ決定的な情報をもたらしている。
「? 俺にそんなことを聞くとは、新銀河帝国皇帝ともあろうものが… フェザーンを政略でも戦略でもあっさり倒し、滅亡させたお前が。ここで情けをかけようという気にでもなったのか」
「戻りたいか聞いているだけだ。別に同情しているわけではない。それにルビンスキー、今さら遺恨をひきずり無意味な反発をすればするほどみっともないとは思わないか」
「…… そうかもしれん。敗けは敗け、受け入れた方がいいのだろう。ただし、俺は向こうの世界に帰るつもりはない。その権利は他の者に使ってくれ。その結論は変わらん。俺はこの世界でやらねばならんことがある」
「やることが残っている? それはいったい何だ」
「向こうからこの世界に多くの人間が来た。それなら、フェザーン主席補佐官、ルパート・ケッセルリンクもきっと来ているだろう。それを探すつもりだ」
「その者はこの世界のどこにいるか、この世界に来たのか来ていないのかも分からないのだぞ」
「それでも探し続ける。一生かけても」
ラインハルトは納得した。実のところ帝国の情報ではルパート・ケッセルリンクがアドリアン・ルビンスキーの実の子だということを掴んでいた。
ということは、ルビンスキーは親子の情を持ち、ルパートに会いたいと望んでいるのだろう。
確かに向こうの世界にルパートはいないが、こちらで生きている可能性がある。
もう長居は無用とばかりにルビンスキーは魔法省を出ていこうとする。
そこへ背後から声がかけられた。
「再び会ったら、どうするんだ。自分が騙し討ちをした子供に何をする」
「…… 何を話すべきか、正直決めてはおらん。ただし、向こうで共に過ごした時間はあまりに短かった。それも政略しか話したことがない。だから感情が行き違い、馬鹿なことになってしまったと思えるのだ。今度はゆっくり取り返す」
ルビンスキーに声を掛けてきたのは死喰い人の一人だった。ダンブルドアが「バーミテウス・クラウチ・ジュニア……」と呟く。
「しかし、騙し討ちのこと、なぜお前がそれを知っている」
「当然だ。それにもう探しに行く必要はない。フェザーン自治領主アドリアン・ルビンスキー、いや、親父!」
ルビンスキーも、周りの皆も驚いた。
既にここにいたのだ。
ルパート・ケッセルリンクはすぐ側にいた!
「それよりもさっきの話だ。行き違いになったと思っているのか。今度はやり直したいと、本気で」
「…… 本当だ。ルパート。少なくとも俺はそう思っている。お前の方では違うかもしれんが」
「ふん、では俺をよく見ていろ! 時間をかけても今度は必ず超えてやる。成長を見せつけてやるぞ、親父!」
「それは楽しみだ。可能であればいいがな。意気込みはともかく、再び寿命が来る方が先ではないのか。それほど差は大きいぞ」
「うるさいっ!」
目は鋭く、刺々しい。しかし二人はもう分かり合っているのだ。
先ほど見せたルビンスキーの情が和解させた。
いや、そうではない。親子は最初からこうなるはずだったのだろう。
ついでにルビンスキーもルパートもこの世界に来たことは無駄ではなく、客観的に見つめなおす良い機会になっていた。
今、失われた時間を取り戻すため、二人は連れ立って魔法省を出て行く。それもまた清々しい光景だ。
それと同時に広間の片隅では別のドラマがある。
床に呆然と座りこんだ者がいる。何も言えず表情は固まっている。
そこへダンブルドアもまた座り込んで話しかけている。
それはトム・リドルである。
肉体は回復したのだろうが、感情が渦巻いて固まっているのだ。人はあまりに強い衝撃を受けると泣くことも喚くこともできない。
そしてもちろん、トムのショックは自分がルドルフに憑依されている間に犯した巨大過ぎる罪についてだ。ルドルフの意識が目覚めた時から、逆にトムには意識がないが、それ以前に自分が闇の帝王として振る舞っていた時のことはもちろん憶えている。
何も言えないトムにダンブルドアが言う。
「トムよ…… 分かっておる。罪の意識に耐えきれないのじゃろう」
「僕は多くの人を殺しました! 本当に数え切れないぐらいに。この僕が闇の帝王なんです……」
「それはしかし、ルドルフに精神が侵食されてのものじゃ。おぬしが一人で負うべきものではない」
「でもこの僕が殺しました。しかも喜んで……」
「おお、トムよ。おぬしは本当ならそんな人間ではない。そして今の後悔も本物じゃ」
「ダンブルドア先生……」
「おぬしの心根は儂がよう知っておる。今は儂が知っておるだけで充分とせよ。この後、アズカバン送りは間違いないが、魂を吸い取られることだけはないようにする。そのために儂が全力で弁護しよう」
「先生、何といったらいいか……」
「そしていつかアズカバンを出る時には、儂が迎えに来よう。そうしたら、共に魔法界のために尽くそうぞ。おぬしには力があり、儂と一緒ならきっと偉大なことができる。その日を楽しみに待っておる。トムよ」
滂沱の涙を流すトム・リドルをダンブルドアが支え、魔法省での自首を手伝おうとしている。
とても美しいが、女々しい光景ともいえる。
そこへラインハルトが思わず声を出す。
「トム・リドルとやら。敗戦は、勝利で償え! 敗けて数百万の命を散らした艦隊指揮官も、その後に勝つことで償えるのだ。銀河帝国皇帝として言ってやる。罪の意識があるなら下を向かず、前を向け! これからはそこの校長を信じて歩め!」
ラインハルトの覇気が勇気づける。
トム・リドルの目の色は生き返った。罪を償った後、皆のために生きるだろう。
「さて、話は次だ。元の世界に送る者、一人は決まっている。ルッツだ」
「えええっ! へ、陛下、こんな小官などが、そんな!」
「向こうに戻るがいい。ルッツよ」
「お断り申し上げます! 陛下を差し置いて、小官が戻るなど考えられません」
「卿には戻るべき理由がある。卿の婚約者は従軍看護師育成の財団で力を尽くしてもらっているが、未だ寡婦と聞いているぞ」
ルッツはウルヴァシーの森でラインハルトを守って殉職している。
だが、それ以前に負傷入院した際、気の良い看護師と婚約していたのだ。
「可哀想ではないか。戻ってそのクララという看護師と結婚してやれ。そして幸せに暮らせ」
「それでも、陛下……」
通常なら、忠誠心の厚いルッツがラインハルトにここまで食い下がることはない。
だが今は特別だ。あと二、三人しか元に世界に戻れない状況なのである。ルッツが一人分それを使えば、逆に戻れない人間が出てくる。
しかしながら最後までラインハルトに反対できず、ルッツは戻ることになる。
そしてルッツはここフェザーン、新銀河帝国の首都にいる。
ヤン・ウェンリーと同様、この世界に戻っても苦労した。だがクララを探し出し会うことができた。
二人はラインハルトの言う通り結婚する。
「せっかく戻ったのだ。陛下のご命令通り、幸せに暮らす。いや幸せにならないはずはない」
夫婦はぴったりと寄り添い、いつまでも仲良く暮らすことになる。
そしてルッツは幾度となく思い返すのだ。
魔法の存在するあの不思議な世界のことを。
強大な敵に立ち向かい、それを倒した黄金の覇王と仲間たちのことを。
さて、魔法省の大広間ではラインハルトが尚も言葉をつないでいく。
「ファーレンハイト、卿はおそらく向こうの世界に強い思い入れはないものと思うが」
「御意、陛下。有能な将は新帝国にあまた残っており、戦乱の終結した時代には小官の入る隙間はありますまい。安定の世にはそれにふさわしい者がいればよいと考えます」
「卿は才能のある貴重な将だ。しかしその苛烈な艦隊運用は、それこそ才能によるものであり、向こうで他人を教えて継承させることはできまい」
「オーベルシュタイン、卿もまた、向こうの世界でやり残したことはないだろう」
「御意。おそらく皇后と幼帝の治世は安定しているでしょう。それを簒奪せんとする者は存在せず、不満分子がいても小物ばかり。あえて小官が手伝わなくともケスラー総監で事が足りるでしょう。そこへフェルナー中佐がいれば万全と心得ます」
「ロイエンタール、卿は向こうで叛乱を起こしたため、残念だが向こうで表立ったことはできない。それ以前に、さしたる無念も残しているまい。たった一つの事を除けば」
「陛下、お言葉通りですが、その一つの事というのは?」
「それはミッターマイヤーのことだ」
ロイエンタールは無言のままそれを肯定した。
「ミッターマイヤーは卿がいなくなってから、ずいぶんと気持ちの上で無理をしていると感じていた。親友を失うのは何よりも辛いからな。その悲しみは、それこそ分かち合う者がいない」
「それは…… ミッターマイヤーならば。思えばあのような陽気で気持ちの良い男が、よくぞ小官と友誼を尽くしてくれたものです。おまけに実力というなら、双璧と言われましたがランテマリオでの結果を見れば明らか」
「その戦いについてであれば、ミッターマイヤーは全く逆のことを言っていたぞ。ワーレンが来なければ負けていたと」
ミッターマイヤーがロイエンタールのことで痛みを覚えている。それはロイエンタールにとって確信だ。なぜなら同じくらいロイエンタールにも痛みがあるからだ。
二人の友誼は深く、強い。
そして、その絆を考えないラインハルトではない。
「ロイエンタール、卿は向こうの世界に少しばかり戻り、ミッターマイヤーと話してこい。これは命令だ」
ラインハルトはファーレンハイト、オーベルシュタインを向こうの世界に戻そうとは思わなかった。ロイエンタールのこともそうだ。しかし、ロイエンタールにはわずかな時間だけ戻り、ミッターマイヤーと話す時間を与えた。
その日、ミッターマイヤー夫人エヴァンゼリンと養子フェリックスは実家に戻っていた。
実家といってもそれはミッターマイヤーの実家でもあるが。
ともあれ、普段はフェリックスの陽気な声が響く屋敷が静まり返っていた。
エヴァンゼリンがなぜこの日にいないのか、その理由ははっきりしている。エヴァンゼリンは夫を一人にしてあげたかった。邪魔をせず、この日の儀式をゆっくり行わせるために。
特別な日なのだ。
ミッターマイヤーにとって。
帝国元帥ミッターマイヤーの屋敷に夕日が差している。
その一部屋は小さな書斎だ。そこに机がある。
この日、机にはグラスが二つ置かれ、中に氷が入っているのだが、既に琥珀色のウィスキーが半分ほど注がれている。
儀式はグラスの氷が解け切る前にミッターマイヤーが書斎に入室してくることで完成する。
昨年の同じ日にもその悲しい儀式は行われた。
「……間に合ったぞロイエンタール。疾風ウォルフの疾さを見たか。自分で言うのもなんだが」
そして虚ろな表情のままミッターマイヤーは机の前に立つ。
「何だロイエンタール、酒を用意して待っていたのか。では共に飲もう」
書斎には自分以外に誰一人いないというのに、ミッターマイヤーは語るのだ。
かけがえのない友はもういない。無意味な儀式だということは分かり切っている。
あの日のハイネセン政府ビルを真似た、下らぬ茶番だ。何と馬鹿なことしているのかと自分でも思っている。
語った後で必ずグラスに涙を落とし、余計酒を薄くすると知っていながら。
しかし、忘れられぬ友のことを思えば、どうしても行いたくなってしまうのだ。
このロイエンタールの命日には。
今年のその日も、乾いた心でミッターマイヤーは書斎のドアを開けた。
すると夕日を背にして、見知らぬ男が既に座っていたではないか!
ミッターマイヤーは呆然とするしかない。
「遅いじゃないか。ミッターマイヤー。疾風ウォルフという名は伊達か」