そして約束通りラインハルトはハーマイオニーとダイアゴン横丁なるところに来ている。もちろん二人で新年度の学用品を買うためだ。
その横丁は人が多く、ごみごみしていて、まるでオーディンの下町に似ている。石畳みであるところもそっくり、ラインハルトには若干の懐かしさまで感じられる。
学用品の買い物は順調に進んでいく。
教科書以外は怪しげで何に使いようがあるのかよく分からないものばかりだが、まあ、学校から渡されたリストの通りに揃えたので間違いはないはずだ。おそらく。
使った金は聞いたこともない単位であり、当たり前だがラインハルトの馴染んだ帝国マルクではない。これでは買い物も安いか高いか分からない。ただしハーマイオニーが言うには自分は手元に結構な金額のコインを持っているとのことだ。どうやらハリー・ポッターという者が遺産を充分もらっているというのは本当らしい。
しかし、一瞬金の残りを考えてしまったことにラインハルトは自分で苦笑した。
新銀河帝国皇帝ともあろう者がポケットの小銭を数え、残りを心配することになろうとは。
しかし、裕福ではない育ちなだけに貧乏性なところがあるのも自覚している。少なくとも豪勢ではなく、特に食事はグルメから遠いところにいたのだ。
ふと思い浮かんだがおそらくカイザーリン・ヒルダはもっと細かいのではないだろうか。
ラインハルトが皇帝ではなく普通の伯爵家だとしたら家計簿を付けさせられていたかもしれない。
今現在の買い物については、やはりハーマイオニーが上手にリードしてくれた。
「あー、やっぱりこっちの店の方が安かったわ。比べてみるものね。最初の店で買わなくてよかった。だったら次の店ならもっと安いかも」
「二個まとめて買うんだから、もうちょっと安くしてもいいじゃない。ケチな店」
そんなことをぶつくさ言っていた。
どうも女というものは買い物に対し異常に執着する生き物のようだ。
ハーマイオニーの方では買い物に対し真剣ではあるものの、やはりポッターと歩いているのは楽しい。
ポッターは何か物凄く世間知らずなところがあるが基本的には頭が良く、ユーモアも充分に持っている。それとなぜか話には妙に例え話が多かった。
「この横丁の売り物は超自然的なものばかりだな。艦隊の湧き出る魔法の壺でも売っていれば、戦術を組む必要もなかろうに」
意味不明だ。
それはさておき、ハーマイオニーにはなんとなく分かっていることがある。いや、それこそ女子にとって重大な問題だ。ハリーはあまり女の子に興味がない。それがどんなに美人であっても、心が動かされることがない。年頃の男の子にしてはとても不思議である。
ここダイアゴン横丁で同じように買い出しをしているホグワーツ生とすれ違うことは多いのだが、美人揃いと噂されるレイブンクロー生とすれ違っても、ハリーは唾をごくりと飲んで無理やり挨拶の言葉を紡いだりなどしなかった。ホグワーツでも一、二を争う美人と皆が認めるペネロピー・クリアウォーターとチョウ・チャンにさえそうなのだ。グリフィンドール内なら一番と言われるパーバティ・パチルにも同じだ。
普通の男子なら偶然を装って近づく算段を日夜考えているだろうに。
そういうところもまたハーマイオニーには楽しい。
もちろんハーマイオニー自身に対しても、ポッターはあくまで友人としての態度しかない。それは今のところハーマイオニーには気が楽なものだった。ただし、いつまでその方がいいと思っていられるのかは自分でも分からない。いつか特別な関係を望むのだろうか。そして独占欲や嫉妬に悩まされる時が来るのか、分からない。
買い物という仕事が終われば、二人はゆっくり飲み物など飲みながら散策する。
「この世界には紅茶しかないのか? そういうのであれば仕方がないが、コーヒーがあればその方を飲みたいものだ」
「ハリー、まさか。コーヒーも無いわけないわ。それにする?」
世界とはずいぶん大げさな言い方、と思ったがハーマイオニーがコーヒーも扱うスタンドを見つけてハリーに手渡した。
ようやくコーヒーを飲めたラインハルトだが、やはり感慨がある。
(紅茶ばかりでは、紅茶を好んでいるというヤン・ウェンリーならば泣いて喜ぶだろう。だが俺はエミールの淹れてくれたコーヒーが懐かしい。今思えばたいそう美味いコーヒーを淹れていたのだな。医者になると言っていたがコーヒー屋でもできそうだ)
進むと唐突に人だかりが見えてきた。店ではなく路上である。
しかも、どんどん人が増えていく。
「何かしら。ハリー、行ってみましょう」
群衆があるとつい自分も加わってしまうのが人間というものらしい。
間もなく人だかりの原因が分かった。群衆はなぜか若い女ばかりだったが、口々に言っている。
「ギルデロイ・ロックハート様よ!」
「どうしてここにロックハート様が。ああ、今日はなんてツイているのかしら」
「サイン、サインをもらわなきゃ。もし握手までしてくれたら、一生手を洗わないのに」
これらの金切り声を聞いて、ハーマイオニーには思い当たることがあった。
「ハリー、あのギルデロイ・ロックハートが来てるみたい。世界中を冒険して、本を書いてて、今大人気なのよ」
一目見ようと群衆に混ざったが、それは大失敗だった。
人混みは想像以上の圧力であり、たちまち後悔せざるを得ない。
群衆に取り込まれてそのまま流されていく。
ラインハルトとハーマイオニーは互いを見失わないのに必死で、抜け出すどころではない。二人はまだ少年少女であり、さほど大きくはないのに、更にラインハルトはたまたま大柄な女に挟まれてしまった。それらは熱に浮かされて、巻き込まれた少年のことなど気に留めてもいない。
しかもラインハルトは大きな学用品の袋を持っているが、危うく取り落としそうになる。
それを手放すまいと思い切り力を入れた瞬間、思いがけず前方につんのめった。
人だかりの中心、一人の人気者とまともに相対するところに。
「なかなか人気者というのは厄介なものだな。歩くこともままならんのではないか」
学用品の袋を今度はしっかり抱きながら、ラインハルトは話題の中心の人気者へ普通に話しかけた。
「少年、それには同意する。この女たちの熱にも困ったものだ。こちらにではなく、生産的な方向に向けるべきであろうに」
存外人気者の男の回答はそっけない。人気があることをむしろ迷惑がっているようだ。
どの女にも深い思い入れなどするつもりがないことを匂わせる。
この言葉を聞いて、「ああ、ロックハート様がまた冷たいセリフを、たまらないわ」「最近特に冷たくなって、そこが魅力的」などと女たちが喚いている。そういうものだろうか。
「同情を禁じ得ないが、できれば無関係のものまで巻き込んでもらいたくないものだ」
「それは済まなかった。ただし承知しておいてほしいのだが、望んで人気者でいるわけではない。できれば静かに友とワインでも飲んでいたいくらいなものだ」
ふとその男の声が陰ったように感じられた。
見ると、男は黒髪の細面、そして尋常でなく端正な顔立ちをしている。これでは女たちに人気も出るのも当たり前である。
ただし、話し方は理知的でありながら、どこか皮肉っぽい感じがする。
「ならばその友と一緒にふさわしい場所に行ったらどうだ」
「残念なことにその友も見つけようがなく、おまけに行きつけの酒場すら見当たらない。ゼーアドラーという良い酒場があったのだが」
「な、何だと!! ゼーアドラー!?」
ラインハルトの心臓が高鳴った。
それはむろん聞いたことのある酒場だった! よく麾下の提督たちが行くという。そもそも帝国語の名前ではないか。
(いや待て、そんなに珍しい名前ではないのだろうか。確認しておく必要がある)
「少し聞いてもよいか。その友というのはどんな人間だ。同じように人気者だろうか」
「一言で言えば気持ちのいい男だ。公明正大、正義感に溢れ、しかも忠義だ。俺とは違って。女から人気があるかは分からんが、逆に男、つまり部下からたいそう人気があるのは間違いない」
なぜそんな妙なことを聞くのだ、という態度だった。
ただし不愉快に思ったのではなく、むしろその逆だ。男にとって友についての回想は大変楽しいものらしい。饒舌に自分から話してきた。
「そこがいいのだが、俺と違い女にはとても不器用なところがある。たった一人、可愛い妻を得るために、思案して結局バラを買い占めて持って行くことしかできなかった男だ。女のいる家は植木屋だというのに」
「それは聞いたことがあるぞ。いや、聞き出したのだ。そして余も同じことをしてしまった。こちらはよりいっそう悪く、家に向かったがバラを相手に渡すこともできず父親に置いてきた」
それを聞いたとたん、人気者は急に訝し気な表情になった。警戒していると言ってもいい。
けむに巻くような態度に変わってしまう前、ラインハルトは早めに最後の確認に踏み切った。
「だがその男は最大限信頼できる人間で、だから子を託したのだろう。しかも艦隊指揮なら誰にも劣らない。疾風ウォルフなのだから」
人気者の男は衝撃の表情になった。しかし一瞬で回復する。さすがだ。
目を伏せて礼をする。
「またお会いできるとは思っておりませんでした。マイン・カイザー」
「最後に余が戦ってやらずに、ミッターマイヤーと戦わせてすまなかった。ロイエンタール」