病みてし止まん   作:mofu mikuro

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1. モロタイ島の戦い

窓ひとつ無い灰色のコンクリートで作られた部屋の中、少女は手にしていた短刀を落とし、力無く座り込んだ。彼女は理解できなかった。何故、自分が剣を振るわねばならないのかが。何故、目の前の無抵抗な人間の命を奪わねばならなかったのかが。何故、そうする事を強要されるのかが…。

「現地まで来てようやく1人。越娘…この様子ではやはり失敗作か…」

背後から掛けられた無感情な声に彼女はピクリと体を震わせ、自らの身体中にある痣に視線を泳がせた。

「やめて、お願いだから叩かないで…!」

か細く震えた懇願する声に、白衣の男は口元を歪めた。

「叩かんよ。最初から素直に言われた通りにすれば、痛い思いをする事も無い。覚えておけ。」

言い放つと男は踵を返し、靴音を高く響かせながら部屋を後にした。1人残された少女の足に生暖かい物が触れる。それは目の前に転がっている両手足を縛られた男の死体から流れ出た、鮮やかな赤だった。

「もう…嫌…。」

流す涙などとうに枯れ切った虚ろな瞳は、今しがた凶刃を振るった手をぼんやりと見詰めていた。

「神様…助けて…。」

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―――

 

 

 

 

 

雲一つ無い、突き抜けるような青空。その下、群青に澄む太平洋を10隻の舟艇が白波を蹴立てて突き進む。味気ない灰色に塗られたその一つ一つに、国防色の軍服に身を包んだおよそ50人の人間がどうにか座れる程に詰め込まれている。

「もうすぐ中間地点。周囲に敵影無し。」

双眼鏡を手にした見張り員が機関の騒音に負けじと張り上げた声に、窮屈そうに座り込んだ男が顔を上げた。

「了解。航空機以外にも、魚雷艇が現れるそうだ。海上警戒も怠るな。」

「はっ!」

返事を聞いた男―与野正彰中尉は鉄帽を脱いで頭を掻き、隣で同じように身を縮こまらせている男を見た。

「おい出雲。大丈夫か?」

声を掛けられた男―出雲義輝中尉が身動きせずに返答する。

「俺は衛生兵だぞ。自分の具合ぐらい、人に心配されずとも分かるし大丈夫だ。」

「そうか。なら良いんだが。」

会話が途切れ、視線は彷徨い、機関の奏でる騒音がひたすらに耳朶を叩く。遠くに見えるスコールの黒雲に、彼は自らの運命を重ねずにはいられなかった。

 

話は二日前に遡る。

「モロタイ島に上陸した米軍は、先日派遣された歩兵第211、212連隊の勇戦敢闘にも関わらず、依然としてその戦力を保持したままだ。そこで我々、歩兵第210連隊から部隊を抽出し、派遣する事になった。」

春島の講堂の壇上に立った大内競連隊長の言葉に、集められた210連隊の将兵は皆一様に表情を引き締めた。

「派遣されるのは第1中隊、第2中隊と決定した。輸送は船舶工兵第18連隊が担当する。予定日は2日後、10月9日である。各員準備を整えてくれ。以上。」

「敬礼!」

ザッと坊主頭の列が下がり、連隊長が挙手の礼で応えた。

解散すると、他でもない第1中隊、その本部勤務である与野は同僚を探すべく辺りを見回した。

「おう、何やってんだ?」

背後からの声に振り向くと、そこには出雲がニヤニヤしながら立っていた。

「後ろに居たのか。気付かなかったよ。」

「そんなんじゃアメ公に背後を取られちまうぞ。それに冗談じゃ済まなくなりそうだしな。」

「ん、確かに。」

小さな呟きの後に1拍空け、2人で並んで歩き出す。

「遂にアメ公の面を拝めるなぁ。今までブンブン飛び回られてやられっ放しだったからな。たんとお返ししてやらんと。」

眼前で拳を固めて意気込む出雲に対し、与野は表情を険しくした。

「遠足に行くんじゃないんだぞ…よくそんなに嬉しそうにしてられるな。」

「怖いのか?」

「怖いな。でも命令だから仕方ない。まぁ最悪の事態にならないよう、全力で戦うさ。」

そう言って与野は諦めにも似た笑みを浮かべた。

大東亜戦争が始まってから早2年。開戦初頭の破竹の勢いはとうの昔に失われ、各地に進出した大日本帝国軍は劣勢を強いられていた。大陸戦線は国民党軍が脆弱なお陰である程度安定していたものの、特に南方の島嶼部は米英主体の連合国軍の猛攻に耐えかね、敗走と玉砕を繰り返していた。

その南方、かつてオランダ領東インドであったモルッカ諸島も例に漏れず、1944年8月の艦載機による空襲を皮切りに連合国軍の猛攻が行われた。この地は南方軍第32師団の管轄地区であり、歩兵第210、211、212連隊、海軍第26特別根拠地隊などが展開し更には多数の飛行場が建設されるなど、その兵力は数万人規模にまで膨れ上がっていたが大部分は拠点の春島にあった。

同年9月15日、米陸軍はモロタイ島へ事前砲爆撃を実施した上で兵力4万の上陸を開始した。僅か500名余りの同島守備隊である第2遊撃隊は台湾の勇猛果敢な高砂族を基幹に編成された部隊であったが、圧倒的な兵力差の前に奮戦虚しく撃破され、10月4日には全島が一通り制圧されたのであった。

過剰な戦力投入をしてまでモロタイ島攻略を行ったのには勿論理由があった。モロタイ島は帝国軍の一大拠点である春島から北に僅か22キロに位置しており、占領すれば航空戦力の投入が極めて容易になる上にフィリピン方面へ攻撃が可能となる他、防備が薄いというのも理由であった。

一方の帝国軍はモロタイ島を失うと、上記の通り甚大な被害が発生する恐れがあった。春島にある兵力をモロタイ島へ差し向けられれば事態を打開できるやもしれないが、生憎と既に制海権、制空権は共に連合国軍の手中にあり、距離の短さを頼りに小型舟艇によって細々と増援を送らざるを得ない状況だ。それでもやらぬよりはと幾度も輸送が実施されたが到着前に発見され、甚大な損害を出すのが常であった。しかしこの試みも全く無駄ではなく、度重なる逆上陸に手を焼いた米軍は全島の占領維持を諦め、島の南部と幾つかの都市を確保して鉄壁の防備を固める事に専念していたのだった。

 

こうして与野を始めとする歩兵第210連隊第1、第2中隊の合計550名は10隻の大発動艇に分乗し、一路モロタイ島を目指す事になったのである。

「お前、やっぱり怖いんだろ。」

出雲が深い溜息を吐き、目を閉じた。どうやら図星らしい。

「…ああ。いざこうなると怖くなってきた。でもどうしようもないからな。」

彼が自信無さげに俯く。普段は明るい彼のこんな姿を、与野は見た事が無かった。

「お前もそんな顔をするんだな。」

「人を何だと思ってんだ。」

「悪い意味で恐れ知らず?」

「む、おいこら覚えとけ。」

拳を振り上げる動作をしながら出雲は少し笑う。その様子に、与野も釣られて笑った。

「そうやってる方がお前らしいよ。まぁ怪我した時は頼むぞ。」

「そりゃこっちもだ。治療はできなくても、後送ぐらいしてくれよな。」

「おうよ。」

短く返答しつつ、与野は立ち上がって前を眺めた。青空を背景に、モロタイ島の島影がだいぶ大きく迫って来ている。鉄兜を被り直し、いよいよだなと思ったその時、空にほんの一瞬だけ何かが光ったのを彼は見逃さなかった。

「12時方向、高角15度、何か見えたぞ。」

彼の声に見張り員が目に双眼鏡を押し当て、そして小さく「あっ」という声を上げた。

「12時方向、グラマン4機、突っ込んで来る!」

全員に緊張が走る。船の上に逃げ場など無い。船舶工兵の操船と運だけが頼りだ。

「対空戦闘!手旗信号、送れ!」

たちまち船舶工兵たちが据付の92式重機関銃に取り付き、また他の大発に手旗信号で敵襲を知らせる。そうしている内に、大発のとは違う発動機の騒音が聞こえ始めた。

「撃ち方始め!」

銃長の号令一下、各艇の重機関銃が一斉に火を吹き、特徴的な遅い発砲音が響き渡った。幾条もの曳光弾が敵機に群がるが、しかし意にも介さず突っ込んで来る。そしてその内の1機がそのまま僅かに高度を下げ、大発隊の真上に差し掛かる前に胴体から何かを切り離した。宙に放り出された何か―60キロ爆弾が、風を切る不気味な音と共に迫る。

「こいつ爆戦かよ!伏せろ!」

与野が言い終わるかどうかの内に爆弾が海面に叩きつけられ、真っ白な水柱が噴き上がる。―至近弾。伏せて丸めた背中の上を爆弾の破片がヒュンと音を立てて突き抜けた。

「危ねぇ…。」

冷や汗を拭って振り向くと、先程の敵機が旋回しているのが見えた。明らかに反復攻撃の構えだ。

「来るぞっ!何とかして躱せないか!」

「最善を尽くしますよ!」

与野の声に船舶工兵が怒鳴り返す。

「面舵一杯っ!」

これでもかと回される舵輪に同調して辺りの景色が左に流れ、バリバリという機銃の発砲音と共に舵を切らなければ居たであろう海面が飛沫を上げて掻き乱される。何とか躱したかと刹那の安堵に浸る与野。しかし次の瞬間、眼前を航行する大発が木端微塵に吹き飛んだ。爆弾が直撃したのだ。

「3号艇轟沈!」

見張り員が絶叫し、双眼鏡を覗き込む。もうもうと上がる黒煙の下に散らばる残骸、その中から脱出する人影は一つも無い。50余名の命が、ほんの一瞬で消し飛んだ。思わず我を忘れ、茫然とする与野。その背筋を冷たい物が走る。

「とぉりかぁじ!」

大発が大きく揺れて左へ曲がり、そのあおりを食って与野が船底に倒れ込む。その真上、白く眩しい太陽光を敵機が一瞬だけ遮って飛び去った。

その後も敵機からの執拗な攻撃が容赦なく続き、大発隊は懸命に回避運動をとったが幸運はいつまでも続いてはくれなかった。7号艇が機銃掃射を浴びたのだ。船上に散る赤い霧。ある者はそれっきり動く事は無く、ある者は必死に苦痛を訴える。更には機関が破損したらしく、艇の動きが止まってしまったから堪らない。猛禽が弱った獲物を繰り返し襲うが如く、延々と機銃掃射が繰り返される。瞬く間に艇は沈没し、海面は朱に彩られた。それでも五体満足な者たちが何とか逃げようと泳ぎ出す。そこに敵機が舞い戻り、無抵抗の彼等に機銃を叩き込む。その様子はさながら屠殺場。だからと言って他の大発が救助に行く事は無い。結局、乗艇を撃沈された時点で彼等の運命は死という一点に絞られていたのだ。

7号艇の乗員を皆殺しにすると、ようやく敵機は引き揚げて行った。しかし飛行場はモロタイ島にある訳で、離れるどころか近付いている。つまり敵機はすぐにでも戻って来れるのである。各艇は全速でひた走り、どうにか敵機が再来する前にモロタイ島南東部、ボソボソ付近の浜辺に行き着いた。

「上陸せよっ!」

各艇の小隊長の号令の下、大発の歩板が次々に開かれると兵が駆け足で飛び出し、白い砂を蹴って我先に目前に鬱蒼と茂る密林に飛び込んで行く。

「頑張れ!」

「達者でなぁ!」

引き返す大発から船舶工兵の声が上がった。それに210連隊の将兵は手や武器を振って応える。誰かの小銃に付けられた私物の日章旗が、磯の匂いを抱き込んだ海風に攫われて翻った。

 

上陸した210連隊主力は密林の道無き道を縫い進み、第2遊撃隊残存兵との合流を果たした。ボロボロの軍服を纏う痩せこけた彼らの姿は、210連隊将兵に衝撃をもたらした。

その日の夜、僅かにランプを一つ灯しただけの粗末なテントの中で部隊幹部の会談が行われた。

「第2遊撃隊長、川島です。」

「歩兵第210連隊第1中隊長、石田です。」

「同じく210連隊第2中隊長、旗谷です。よくぞ御無事で。」

「いやいや、其方も大変だったでしょう。助けに来てくれて有難いです。」

机を挟んで片側に川島、反対側に石田と旗谷が座り、互いに固い握手を交わした。中隊本部付きの与野は石田の一歩後ろに立っている。

ひとしきり互いの無事を喜ぶと、川島が切り出した。

「さて、見ての通り我が遊撃隊はかなり損耗しています。なんとか兵を掌握して総勢200余名としたものの食料弾薬も不足状態で、まともに戦える状態ではないのですが…。」

「はい。その不足を補うべく、210連隊から2個中隊が抽出されたのです。もう米帝の好きなようにはさせません。」

旗谷の宣言に石田が一つ頷く。

「連隊長より作戦を受けております。必ずや、奴らをここから追い出しましょう。」

「必ずや、ですね。それで、その作戦方針は?」

「はい。敵飛行場への妨害活動、可能であれば占領せよとの事です。」

石田が話しながら鞄を漁る。取り出されたモロタイ島の地図が机の上に広げられ、その南東部を彼が指示棒で指し示した。元々は何も書かれていなかったその場所には、今は赤鉛筆で「ピチュ飛行場」と記されている。米軍が上陸してから建設した巨大飛行場だ。

「また無茶な…言うのは簡単だ。でも敵の前線は飛行場よりも5キロは前に出ているんですよ。」

「防備は分かっていますか?」

旗谷の問いに川島は顔をしかめた。

「いや何とも。数日前に偵察のため1個分隊を派遣したのですが、誰も帰って来ていないので。おまけに密林が上にあるとは言え、昼間は敵機が飛び回るもんだから迂闊に身動きができません。ただ間違いないのは、数千から1万程度の兵力が上陸してきているという事です。」

「それは困りましたなぁ…。」

一同が黙り込む。熱帯特有の纒わり付くような気持ち悪い暑い空気がテントを包み、何とも知れぬ虫や獣の声が時折聞こえて来る。

「あぁ、ではこれでどうでしょうか?」

暫くして石田が口を開いた。ランプによって橙色に照らされた横顔には、じっとりと汗が浮かんでいる。

「何です?」

「210連隊が飛行場まで忍び込みます。夜間に前哨線の隙を衝くんです。」

彼の提案に川島が苦言を呈した。

「それができれば苦労はしません。それに前哨部隊が戻って来たら包囲されますよ。」

「確かにそうなりますね。そこで第2遊撃隊の出番です。」

石田は再び地図へと目を落とし、指示棒でピチュ飛行場の少し北を指した。

「飛行場から5kmの前線はこの辺り。消耗している第2遊撃隊には、ここで後詰となって欲しいのです。我々が飛行場を攻撃すると同時に前哨線へ射撃し、敵を釘付けにできれば…。」

「210連隊が包囲される可能性は低くなる、という事ですな。しかし我等にとってはこれ以上の組織的戦闘継続が難しくなる。そちらも他人事とはいかないでしょう。この攻撃が失敗すれば、次はありません。」

川島の鋭い視線に、石田は一瞬戸惑う。だがこの他に手立てが無いのも事実だ。

「理解しております。それに、指揮は戦を経験された川島さんに託したい。…お願いできますか。」

そう言って、石田は川島に真剣な眼差しを投げかけた。再び訪れる沈黙。何とも言い難い息苦しさが場を包む。

やがてボソリと呟かれた川島の一言で、緊張に終止符が打たれた。

「…分かりました、それで行きましょう。2日後から移動開始と下に伝えておいて下さい。」

「了解。」

石田と旗谷が立ち上がり、敬礼をもって作戦を了解した。

作戦が伝達されると将兵たちは奮い立った。不安が無い訳では無かったが、彼等とて大陸で戦を経験しているし、それ以前に全員が生粋の日本男子である。士気はまさに天を衝く程に高まっていた。




最後までお読みいただきありがとうございました。

如何でしたでしょうか?ミリオタという程詳しくは無いので違和感を覚える部分も多々あるかと思いますが、太平洋戦争中のモロタイ島の戦いを舞台にしています。どんどん架空の話を詰め込んでいく予定ですので、良ければ気長に続きをお待ちいただければ幸いです。

ヤンデレ出てないじゃん!と思われた方も御安心下さい。これからちゃんと出ます。…出します。まだ導入だから(震え声)

宜しければ御意見、御感想をお寄せ下さい。泣いて喜びます。
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