人体実験。それは人として成すべきでない禁忌である筈だ。仮に何かを人に施すにせよ、安全性が最重視されなければならない。しかしここでは幼い子供を、しかも殴打して虐げている。人として、到底許せるものではない。
「…この子に何をしたんですか。」
出雲は沸き上がる怒気を言葉に滲ませた。大人の都合で続く戦争に子供を巻き込みたくは無い。
「簡単な話だ。化け物を作りたかったのさ。」
「化け物…?」
大尉は薄ら笑いを浮かべた。
「具体的には忠実で優秀な殺人装置だ。命令に疑問を持たず服従し、高い戦闘能力を発揮して確実に任務を成功させ、万が一失敗しても機密保持の為に躊躇わず自決する。」
飄々とした口振りに出雲は拳を握り締めた。
「なんだってこんな子に…!」
「こんな子でなければならんのだ。」
唐突に扉が開き、豊崎が言葉を遮りながら現れた。
「脳に特殊な細胞と薬品を注入して神経回路を形成させる。同時に運動神経の補強もな。上手く行けば殺人装置の完成だ。」
「大佐…何故こんな子供で人体実験なんか!」
「んー…率直な物言いで嬉しいね。」
豊崎は冷ややかな目を細めて満足気に頷く。
「勿論、最初は大人で試したさ。しかし既に成熟した脳では上手く神経回路が形成されんのだよ。そこで我々は考えた。未発達ならどうかとね。」
「だからと言って女の子にやらなくても…!」
「まぁ待ちたまえよ。我々とて最初は男児に施術したさ。…しかし結果は芳しくなかった。やはり神経回路が上手く作られず、それどころか脳細胞が破壊されて廃人になったのだ。すると後は…女児だ。」
彼の冷たい目線が少女へと投げられる。彼女が小さく息を呑む音を、出雲ははっきりと耳にした。
「たまたま保護していた孤児が居てね。それを使ったのさ。…だが結果は今一つだった。施術後暫くは脳の成長と上手く絡み合って順調だったが、突然脳細胞が破壊されて死亡。我々は原因を細胞と薬品の量が多過ぎたと考え、満州で孤児や捨て子を拾っては量を調整しながら実験を繰り返した。」
懐かしい思い出話のように語る豊崎を、出雲が思い切り睨む。最早階級などに構っていられなかった。
「こんな事、何回やったんだ!」
声を荒らげると、豊崎はキョトンとした。
「は?そんなのいちいち数えてる訳無いだろう。記録を数えれば分かるが…希望するなら書庫に案内しよう。」
「あんたらは何とも思わないのか!子供をむざむざ殺すような事をして!何とも…!」
「思わんな。」
豊崎が大声で遮った。
「どうせ孤児だ。放っときゃ野垂れ死ぬんだから、せめて有効に使っただけだよ。」
ギリッと出雲は歯軋りをする。知らなかったとは言え、こんな事に加担していたのが悔しかった。
「…もう私は関わりたくありません。失礼しました。」
ヤケ気味に言い捨てて足を動かす…と、その足が軽く引っ張られた。見れば少女が居た。
「あっ…あの…。」
黄金色の瞳を涙で潤ませて吃りながら見上げる彼女の意を汲み、優しくその手を取った。
「辛かったね。俺がなんとかするからな。」
「…ありがとう、ございます。」
手を引いて扉に向かう。その背中に銃口が向けられた。
「止まれ。」
大尉の冷たい声が響く。
「君が本当に隊を離れるというのなら始末せねばならん。まぁ君が居なくなろうとも代わりはいる。ついでに内地に連絡して両親も始末してやろう。」
出雲の足が止まった。両親には迷惑を掛けられない。しかし手を強く握り返してくる幼子を、このままにしておく事は我慢ならなかった。
「分かりました…ならば私は隊に残ります。その代わり、この子を解放してやって下さい。」
静かに頼む言葉に、豊崎は眉をひそめた。
「逆なら頷けるが、それはできない。これは代わりが居ないからな。…いや、居ないと言えば嘘になるか。」
思い出したように付け足し、腕を組んだ。そこに大尉が耳打ちする。
「丁度いいではありませんか。掃討隊に加えては如何でしょう?」
彼の提案に小さく唸る。あまり乗り気でないようだ。
「流石にリスクが高過ぎないか?二の舞になりかねん。」
「ですが米軍部隊では歯が立たないのは実証されています。」
「確かにそうだが…とりあえず保留だな。案としては悪くない。」
交わされる小声。出雲が振り返る。
「この子に何をさせるつもりですか?」
「大した事では無いさ。ともあれ、まだ試験は残っている。それの面倒は君が見ろ。そのうち夜間行動の試験を行うから、その時も来ると良い。まぁまだ成功作かどうか分からん。もし失敗作なら君の望むように解放してやろう。もっとも、その時には死体か廃人のどちらかだろうが。」
薄気味悪い笑みを浮かべながら豊崎は語り、そして最後に付け加えた。
「…改めて、満州659部隊へようこそ。歓迎するよ。」
試験は中止され、少女は営倉の檻に入れられた。外から気遣う出雲に「いつもここだから大丈夫」と語る彼女の表情は安堵感に満ち、つい先程までとは別人であるかのようだった。
「私を助けてくれたのは貴方が初めてです。本当に…ありがとうございました。」
ペコリと下がる小さな頭に、出雲は首を振る。
「いや…と言うか、普通は助けるとか助けないの前に、まずあんな事をさせないよ。」
「そういうもの…なんでしょうか?」
不思議そうに首を傾げる。その仕草が、彼女のこれまでの人生を表していた。
「そうさ。普通、子供は愛情をもって親が大切に育てるものさ。例え孤児でも孤児院とかに入れてもらえれば大切にしてもらえる。」
「私、親を知らないんです。記憶が残る最初から、ずっとここの人達と居て。それで船で皆一緒に来たんです。」
彼女の説明に頷く。恐らくは人体実験関連部隊の一角が、派遣隊と名を変えてごっそり来たのだろう。
「満州って言ってたからな。遠かったろう?」
「遠い…のでしょうか?」
満月を思わせる美しい瞳がぼんやりと宙を見つめる。
「確かに何日もかかりましたが、満州というのが何処なのか、そして此処が何処なのかも分からなくて。」
そうか、と返す。どうやら教育も受けていないらしい。何か教えられたとすれば、口の利き方ぐらいなものなのだろう。読み書きも怪しいと確認しようとして、まだ名前を訊いていない事に気付いた。
「えと、君、名前は?」
「土蜘蛛です。」
「…何?」
「土蜘蛛、と呼ばれています。」
真顔で答える彼女に、そうじゃないと手を振る。
「いや渾名とかじゃなくて、普通に苗字と名前が…。」
言いながら出雲は気付いた。彼女には名前すら無いのではないかと。
「もしかして、苗字も名前も無い?」
「土蜘蛛と言われ続けて来たので…それが名前です。苗字らしいのは聞いた事が無いですね。」
「俺は出雲義輝って言うんだが…せめて名前だけでもちゃんとしたのが無いと呼びづらいな。」
しばし考える出雲。何度か少女を見つめ、やがて呟いた。
「…美月。」
「みつき?」
オウム返しの言葉に頷く。
「そう、君の名前さ。満月みたいな綺麗な目だから、美しい月で美月って言うのはどうだろうと思って。」
ありきたりかな、と頭を掻く。しかし少女は満更でもないようだった。
「美しい月…美月。」
小さく反芻した彼女は、クスリと微笑んだ。
「良いですね、気に入りました。」
「本当か!」
「本当ですよ。」
増して笑顔で答える美月。出雲は知る由もないが、彼女がこんなにも笑顔になるのは久々であり、その胸中は何時になく晴れやかであった。
「じゃあこれから宜しくな、美月。」
「はい!」
彼女が心底嬉しそうに返事をする。その様子はどう見ても化け物などではなく、誰からも愛される可愛らしい少女のそれであった。
お読み頂きありがとうございます。
多少やる事が消化でき、時間的にも精神的にも余裕が戻ってきました。これからも気の向くままに文を作る予定です。まぁまたすぐに忙しくなるんですけど(白目)
さて短いながらも出雲サイドの話です。「そんな都合良く人間を強化出来るわけないだろ!」と言われれば全くもってその通りですが…ご都合展開ってやつなんですかね。しかし不遇な子には思いっきり幸せになって欲しいものです。「お前そんな事言うやつだっけ」とか言われそうですけど。
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