昼下がりのワジャブラ村。スコールをもたらす暗雲は遠く洋上を漂い、11月も後半だと言うのに直上から鋭い陽射しが降り注ぐ。多くの兵が木陰や天幕の下に身を寄せて微風を待つ中、与野は雪女と美代に見送られて陽に焼かれながら司令部の置かれた中央の粗末な民家へと歩いていた。
「呼ばれたからにゃ仕方無いが…日陰に居たかったな…。」
小さなボヤきと共に民家へと辿り着き、その戸を叩く。
「与野中尉であります。」
名乗ると、中から返事が返ってきた。
「入れ。」
「失礼します。」
立て付けの悪い引き戸を開けて中へ進むと、風当たりの良い机の前に守田が鎮座していた。
「お呼びでしょうか?」
与野が問うと、彼は頷いた。
「うむ。ちと私が来る前の小競り合いの時の話が聞きたくてな。」
「はぁ。」
気の無い返事をする。恐らくは与野小隊が編成、配置されて早々に襲撃された時の事であろう。
「何でも、君のお手伝いさんが奮戦したらしいじゃないか。君が指導でもしたのか?」
「…あの2人ですか。」
そういう事か、と与野は内心顔を顰める。あの戦闘で美代は機関銃を制圧し、雪女は実に9人もの敵兵を屠った。正規兵でも簡単には挙げられない多大な戦果を少女がやってのけたとあらば、注目されるのは当然だ。
「手榴弾の扱いについて軽く話した事はありますが、それ以外に私が何か教えたという事はありません。」
守田が怪訝な表情を浮かべる。
「では、以前に誰かに教えられたという事か?」
「雪女…白髪の子に関して言えば、本人曰く私と出会う前に友軍兵から教わったそうです。もう一人、美代は私の説明した手榴弾の扱い方しか知らない筈です。」
「ふむ、なるほど…。」
何やら考え込む守田。ややあって、彼は口を開いた。
「ではその二人を現地徴兵扱いで正規兵とし、君の部隊に編入する。」
「えっ?」
与野は我が耳を疑った。子供を軽い手伝いに動員するならまだしも、正規兵とするなど聞いた事が無い。しかも女の子となれば兵とする事自体が異例だ。
「いや、待って下さい。流石にそれは…。」
「分かっている。本当はこんな判断はすべきでないだろう。」
重々しく語って一度区切ると、与野が何かを言うより先に再び言った。
「だが我々は明らかに兵が足りない。ならば何とかして集めねばならんが、春島からの航路が敵の跳梁で危険極まりない今、第32師団もこれ以上の逆上陸には消極的にならざるを得ん。そうすれば後は此処でどうにかするしかない。この際、年齢や性別が云々などと悠長な事をほざいては居られん。優秀な者となれば尚更だ。」
「それは…確かにそうですが。」
何とか反論して徴兵されるのを避けたいが、正論だけに思わず口篭る。必死に頭を回している内に、更なる計画が語られた。
「派遣隊が到着し次第、ピチュ飛行場へ襲撃を行うつもりでいる。その時には君に2人を率いてもらい、別働潜入隊として敵指揮所を探し当て、奇襲してもらいたい。」
思考が止まった。
「…冗談ですよね?」
冗談を言うような場で無いと分かっていながら、しかし確かめずにはいられない。声が震える。
「忍び込むだけでも大変なのに、場所も分からない指揮所までなんて…。」
「無論、君たちだけに任せたりはしない。他にも幾つか同様の隊を編成して同時に潜入させる。どうにかして一時的にでも指揮系統を混乱させたいのだよ。」
守田が厳しい表情を見せる。確かに首尾よく指揮系統を混乱させられれば味方の攻撃は容易になり、飛行場の占領も全くの不可能ではない。そこまで出来ずとも人的損失、特に高級将校の損失が発生すれば大戦果だ。しかし、しくじれば生還すら望めない。
「決死隊、という事ですよね?」
恐る恐るの質問に、守田は静かに頷いた。
「そうとも。だが意気込みがそれぐらいあっても、本当に死ぬ事が目的ではないからな。我々は無駄に兵力を消耗できん。生還は絶対条件だ。」
彼自身もかなり無理な要求である事は分かっていた。奇襲以前に潜入の段階で発見される可能性は非常に高く、そうなれば命は無い。しかし危険を冒してでも指揮系統を潰さない限り、敵の堅い守りを突破する事は極めて困難だ。
「…分かりました。」
誰かがやらねば進まない。与野は絞り出すような声で了解した。彼が飛行場襲撃をした時は敵の増援に敗れた。指揮系統が寸断されれば、あのような悲劇は起こるまい。
司令部を出てから雪女たちの下へ戻る道すがら、与野の心は暗鬱としていた。彼女たちに正規兵とされる事を伝えれば、堂々と戦える理由ができたと大喜びするだろう。しかしそうなれば軍の命令に従う事が求められるため、今までのように自らの意思だけで行動する事はできなくなる。これまでの2人の言動を見る限り、その原理は「与野のため」という一点に始まっている。この先、与野が関わらない命令も出てくるだろうが、果たして彼女らはそれを遂行するだろうか。普通なら従わざるを得ないとなるだろうが、彼女たちがそこまで素直とは思えない。
悩みの種はそれだけではない。雪女はともかくとして、美代は兵士としての能力を持っていない。たまたま教えた手榴弾の扱いが役に立っただけで、その他の武器の扱いは知らない筈だ。火器の操作方法は教えられても、射撃訓練は貴重な弾薬の浪費となるためにとても行えない。これでは死の危険性が余りにも高過ぎる。
そして最大の懸案事項は2人の仲だ。今はそれほど悪くないものの、いつまた悪化するとも分からない。特に戦闘に長けた雪女から見れば美代の動きは緩慢かつ不正確と言わざるを得ず、足を引っ張るなど何らかの問題が発生すれば瞬く間に険悪になるだろう。最悪の場合は仲間割れや同士討ちという結果を招きかねないだけに、この点については特に注意を払う必要がありそうだった。
与野が自分の天幕へ戻ると中から美代が出迎え、年相応の無邪気な笑顔を見せた。
「お兄ちゃん、おかえり。」
いつもなら笑い返してやるのだが、先程の話もあり、つい反応に困ってしまう。
「あぁ…うん。」
迷った末に微妙な態度を示すと、彼女は首を傾げた。
「…どうしたの?」
「まぁ、な。…とりあえず中に入れてくれないか?首の後ろが焼かれてるんで。」
「あっ、ごめんね!」
美代が慌てて中へ通した。入って見れば、雪女は隅で横になって胎児のように蹲っている。
「雪女、寝てるのか?」
声を掛けると雪女は頭を両手で抑え、小さく唸った。
「うぐ…起きてますよ。」
声色は重く、苦しそうだ。明らかに様子がおかしい。
「どうした、具合が悪いのか?」
「少し、頭痛がするだけ、です。」
途切れ途切れの応答の合間に、荒い呼吸が短く入る。与野の背筋に冷たいものが走った。物資が欠乏し始めている今、当然医薬品も底を突きつつある。ただでさえ生き延びるのがやっとなのに、病にかかればどうなるかなど容易に想像できた。
「いつからだ?」
振り返って美代に聞くと、彼女は首を振った。
「分からないよ。寝てるだけだとばっかり思ってて…でも横になったのはお兄ちゃんが行ってからすぐだよ。」
横になった時から痛かったのだろうか。唸る雪女の側へ行き、しゃがみこむ。
「おい、こっち向け。」
呼びかけると、彼女はゆっくりと与野の方へ首を巡らせた。その寄せられた眉間の上、額へ手を当てる。
「…熱は無いか。」
与野は安堵の溜息をついた。頭痛と共に高熱が出ていればマラリアの可能性が高いが、幸いにもそうではないらしい。とはいえ油断はできない。
「立てるか?立てるなら野戦病院に行くぞ。」
一番良いのは専門家、即ち軍医や衛生兵に診てもらう事だ。仮に治療が出来なかったとしても、現状を知れれば対策が練れる。しかし彼女は首を振った。
「いえ…。」
「なら衛生兵を呼んでくるから待ってろ。」
「いえ、違うんです。大丈夫です。」
「さっきの様子を見たら大丈夫とは思えない。診てもらった方が良い。」
強い口調で言うも、彼女は断固として首を縦には振らない。
「もう痛みは引いてきましたから、もう大丈夫です。」
嘘か誠か、確かにその表情は幾分和らいでいる。
「…本当に大丈夫なんだな?」
与野が念を押すと、彼女は大きく頷いた。
「大丈夫です。昔から時々ある事なんですよ。御心配をお掛けしました。」
そこまで言って、何かを思い出したような顔をする。
「あっ、でも…また頭に手を当ててくれませんか?そうしていると何だか安心できて楽になれるんです。」
彼女はそう言って少し頬を赤らめながら与野を見つめた。その眼差しは、ただの要望以上の何かを含んだ意味あり気なものであった。
そんなやり取りを背後から見ていた美代は、何だか心がざわつくような感覚を覚えた。具合の悪い者を気遣うのは当然の事だ。しかし、不思議と納得のできない自分が居る。まるでこの天幕には目の前の2人しか居ないかのように、自分が忘れ去られいるかのように感じられた。
与野の手が雪女の額へと動き、優しく触れる。穏やかな笑みを浮かべる雪女。その幸せそうな表情が、何故か酷く腹立たしい。美代は必死に考えた。どうしてこんなにも気に触るのかを。予想に反してその答えは驚くほど早く、まるで既に知っていたかのように直ぐ出た。簡単な話、劣等感と嫉妬である。そう、自分は雪女より劣っているのだ。この戦場に於いて、戦う術を知らない者はただのお荷物にしかなり得ない。では面倒を見きれなくなった荷物はどうなるだろうか。これも簡単な話、捨てられるのだ。得体の知れない虫などを手当り次第に口にし、泥に濁る水を喉へ流し込み、何とか命を繋いだと思えば猛烈な腹痛や嘔吐を繰り返すような日々に逆戻りする事になるのだ。気付いた瞬間、全身が粟立ち、手が微かに震えた。
(お兄ちゃんに捨てられないように、嫌われないようにもっと頑張らなきゃ…!)
震えを閉じ込めるように拳を固く握る。それは彼女の静かな決意表明でもあった。
「あぁ、それで伝えなきゃならん事があってな。」
与野の声で、美代は渦巻く思考の坩堝から引き戻された。
「なにー?」
平静を装いつつ与野の側に座り、説明を待つ。ややあって、与野はどこか申し訳なさげに口を開いた。
「君たち2人を現地徴兵扱いで正式に軍人とする、だとさ。」
雪女が飛び起き、美代は目を見張る。美代からすれば、まさに渡りに船だ。
「それはつまり、堂々と正章様の為に戦えるという事ですよね!」
美代が何か言うより早く、興奮気味に雪女が言った。予想通りの反応とはいえ、与野は思わず目を伏せる。
「確かに戦闘への参加は正当化されたが、同時に軍命に従うという義務が与えられたんだぞ。今までみたい独断であれこれ動くなんて事は厳に慎まねばならん。」
雪女の顔がやや引き攣った。
「で、でも、お役に立ちさえすれば独断でも…。」
「ちょっとした事ぐらいなら構わないが、作戦上命じられた場所から勝手に動くとかは絶対に駄目だ。例え俺が死にそうになっていたとしても、命令を最優先しろ。」
「…それは無理です。」
途端に彼女は険しい表情を浮かべ、キッパリと言い放った。
「私が喜んだのも正章様のお役に立てると思ったからであって、それができないと言うなら歓迎できる話ではありません。」
与野は困惑した。本人が拒否したとしても決定事項は覆らないため、何とか納得してもらわねばならない。
「…お前が嫌でも、軍隊とはそういうものなんだ。まぁ上の直隷じゃなくて俺の指揮下に置いてもらえるように頼んでおくよ。そうすれば俺からの命令になるだろ。それなら構わないか?」
「それなら…まぁ。」
渋々、といった具合に小さく頷く。それを確認した与野は、次に美代を見た。
「美代はどうだ?今の話で分かったか?」
「うん。」
言いながら彼女は大きく頷いた。正規兵になれたのであれば今までのように厄介払いされる事も無く、与野と共に戦う事ができる。この機会に全力を尽くし、自分が雪女に勝るとも劣らない存在だと認識してもらえれば、少なくとも見捨てられるような事にはならないだろう。あわよくば雪女を追い落とし、自分にのみ目を向けてもらえる状況すら作れるかも知れない。
「分かった!」
彼女は笑顔で言った。希望の光とも、腹黒い闇とも見える思惑を隠しつつ。
お久し振りでございます。
年末はウイルス性胃腸炎に苦しみ、年が明ければ次々に襲い来るレポートとテストの山…何とか生きて終われました。
さて、雪女と美代は晴れて正規兵として戦う事になりました。どこまで言う事を聞いてくれるか不安ではありますが…。
御意見御感想、お待ちしております。