第7飛行師団へ出動要請が出された翌日の深夜。満天の星空の下、虫も息を潜める静寂を無粋にも掻き乱す轟音が近付いてきた。腹の奥底に響く低い唸り声のような音に、ある者は喜びを爆発させ、またある者は恐怖に背筋を凍らせて慌てふためく。
米軍将兵は後者だった。彼らは月に一度の楽しみ、映画鑑賞会の真っ最中であった。大きな白いスクリーンを格納庫にぶら下げ、そこに射影機で映像を映し出す。兵士たちの無骨な外見に見合わずラブロマンスは人気であり、キスシーンなど出ようものなら口笛を吹いて思わずにやけてしまう。
しかしその轟音は、よりにもよってクライマックスを目前にして訪れた。映画の音声ではない重低音が将兵の鼓膜を揺さぶり始めると同時に、今度はけたたましい空襲警報が鳴り響いた。これが昼間なら戦闘機搭乗員が愛機に飛び乗るのだが、夜間とあっては何も出来ない。一部ではF6F-3Nといった夜間戦闘機が試験的に配備され始めてはいたが、生憎とモロタイには居らず、搭載した空母も近海に居なかった。
こうなれば頼れるのは地上からの対空砲火だけだ。空を睨んで退避する基地要員や搭乗員を尻目に、高射砲や機銃の要員が各々の配置へと飛び出して行く。たちまち砲身が星空を指し、砲弾が込められた。
そんな地上の騒ぎなど聞こえようもない遥か高空を、轟音の主である5機の97式重爆撃機が悠々と飛んでいた。要請を受けて出撃した彼らは、視界の効かない夜間飛行とはいえ飛行場近辺まで到着しているであろう事を方位と航路図から読み取っていた。そこで地上へ目を向けてみると、なんと暗闇に浮かび上がる白点があるではないか。それはまさに上映会場であった訳だが、何であれ良い的となった。
いよいよ地上の高射砲が火を噴き、砲弾が天高くへと飛び出した。これはVT信管と呼ばれる小型のレーダーが組み込まれた信管を搭載しており、目標の至近距離で炸裂することにより従来の時限信管などよりも遥かに高い命中率を誇る。しかし目標が星空に辛うじて浮かび上がる程度にしか見えないのでは肝心の照準が甘くなり、損害を与えることができない。
空にポツポツと描かれる黒雲を縫うようにして爆撃機が飛行場直上へ迫る。機上では爆撃手が射爆照準器を覗き込み、その時を待っていた。照準器の視界に明かりが入り、ジリジリと中心へ迫る。そして中心に捉えた一瞬を逃さず、レバーを引いた。
「投下!」
解き放たれた250kg爆弾がパラパラと落ちる。搭載量の少ない機種なので1機あたり4発、合計20発が夜風を切って地上に迫り、地面で瞬発信管を叩いた。闇の中に爆炎の花が咲き乱れ、鉄片を撒き散らし、辺りを真昼のように照らし出す。格納庫が燃え上がり、砲座は木端微塵に吹き飛んだ。背中に火がついた兵が神に助けを請いながら死の舞踏を舞い、声を上げる間も無く引き裂かれた者が地に横たわる。そんな阿鼻叫喚の地獄絵図の中に、遅れて大輪が地を揺るがす轟音と共に咲いた。航空燃料に引火したのだ。
そう離れていない地下研究所も、この爆発に揺さぶられた。実験室で薬品の調合をしていた出雲は、その影響を目の当たりにする事となった。
「何だ、何が吹っ飛んだ!?」
空襲警報で事態を何となく把握していた彼だったが、突き飛ばされるような衝撃に思わず声を出す。咄嗟に抑えた机上の試験管がガチャガチャと耳障りな音を立て、壁の大きな薬品棚は倒れてガラスの破片と薬液を撒き散らした。
「うわ勿体ない…また外から持ってこなきゃ駄目か…。」
薬品の備蓄は地上の倉庫にある。撒き散らされた薬品を補充するには、そこから持ってこなければならない。些か面倒である。
「倉庫が無事なら、だけど。」
彼は小さく呟くとロッカーからモップを取り出して床を拭いた。そしてガラス片を押しのけて壁際に寄せると、補給の許可を得るべく豊崎の部屋へ向かった。
見慣れた白い廊下を進み、豊崎の部屋を目指す。その道すがら、思いがけず豊崎その人に出くわした。傍には2人の米兵が付いている。
「豊崎大佐、先程の揺れで…。」
言いかけて、彼は米兵の片方が知っている顔である事に気付いた。
「サムじゃないか。」
名を口にされたサムは軽く頭を下げ、にべもなく言った。
「出雲中尉、お久しぶりです。此処にはもう慣れましたか?」
「慣れるって…。」
引越し先のご近所さんのように言うが、とてもそんな場所では無い。しかし慣れてしまってはならないとは思いつつも、すっかり日常となってしまっているのは事実であった。
「此処に来る前、君が念を押して意志を確認した意味が分かったよ。こんなの、とても誇れない。」
出雲の返答に、サムは唇の端を歪めた。
「そうですか。すっかり馴染まれたようで何よりです。」
不意に、横に居る米兵がサムに何か訊いた。色白で細身ながら筋肉質な体格。宝石のような青色の瞳。やや歳を経たと見える精悍な顔つきからは、それなりの古参兵か高官である事が感じ取れる。彼らが会話を交すその間に豊崎が口を開いた。
「で、何の用だね?」
「はっ。先程の揺れで棚が倒れまして、薬品が大量に割れてしまったんです。その補給の許可を頂きたくて。」
豊崎の眉間に皺が寄る。
「棚が?固定されてなかったのか?」
「恐らくは。現に簡単に倒れてしまったので。」
彼は唸ると、サムに向かって言った。
「おい、施工不良だと伝えてくれ。」
サムが頷き、米兵に話した。どうやら彼は責任者らしく、サムは通訳として来ているらしい。
「あの、大佐。この方は…?」
出雲が訊ねると豊崎は一瞬、妙な表情を浮かべた。しかしすぐに思い出したように軽く頷く。
「そうか、君はまだ会った事が無かったか。この方はドス大佐。ここの基地司令であり、米軍研究機関の長だ。」
大佐と聞いて慌てて敬礼する。思った以上の大物だ。ドスがこちらに気付いて軽く答礼したのを見届け、腕を下ろす。と、出雲は未だに米軍研究施設を見た事が無いことに気付いた。
「そういえば一度も見た事が無いんですが、米軍側の施設はどこにあるんです?」
豊崎が答える。
「隣の飛行場の方にあるぞ。こことは違って地上だがね。」
出雲は首を傾げた。飛行場が増設されたというのは初耳だ。
「えっ、また飛行場を増やしたんですか?」
「あぁ、君はここに籠りっぱなしだったから知らないか。まぁ飛行場というよりは滑走路を南に1つ増やした感じだ。ここの上のは爆撃機、新しいのは戦闘機部隊が使ってる。」
出雲は説明に頷くと、更に訊いた。
「それで、彼らも我々と同じ研究を?」
「いや、平たく言えば死体弄りだ。技術の相互提供はあるがね。」
死体弄りと聞いて解剖学が頭を過ぎったが、そんなありふれた研究をしているはずが無い。
「ただの解剖とかじゃありませんよね?」
豊崎はニヤリとした。
「察しがいいね。」
彼はそれだけ言うと、出雲から目を逸らす。これ以上は話せないという意思表示であった。それから思い出したように向き直り、言った。
「薬品の補給は許可する。ただし、上の片付けが一段落してからだ。」
「わかりました。」
出雲は頭を下げ、その場を後にした。
ピチュ飛行場の方角の空が一際明るく光り、遅れて爆発音が響いた。爆撃機の到来に歓喜していたワジャブラ守備隊は、その光景に今一度歓喜の声を挙げた。
「お〜、凄いよ凄いよ!」
その騒ぎの隅、木々の向こうの空に見える閃光を目にしようと懸命に背伸びをする美代の横で、与野と雪女は座っていた。
「これでどれくらいの損害を与えられましたかね。」
「わからん。あの様子じゃ弾薬庫か何かに当たったんだろうし、少なからず被害はあるだろうけどなぁ。」
手を顎に当てて考える。これで指揮通信系統が寸断されていれば良いのだが、それを確かめる術は無い。後は日が昇ってから行われる航空偵察の結果を待ち、潜入するのみだ。
「ねーねー、見えないから肩車してー!」
無邪気な笑顔で頼んで来る美代。
「はいはい。」
求めに応じて肩に乗せ、立ち上がった。彼女の体重と、温もりが首に伝わる。潜入したときに雪女は戦えるだろうが、やはり美代には無理があるし、わざわざ死にに行かせるようなものだ。冷たくなった彼女など見たくない。そう強く思った。
「すっかり家族みたいだな。」
背後からの声に振り返ると、そこには鎌田が立っていた。
「少佐…。」
「みーえーなーいー!」
向きが変わったせいで肩の美代がむくれる。その様子を見て鎌田は笑った。
「ほら、向こうを向いてやれ。」
「し、しかし…。」
「いいから。」
与野が向きを直す。すると鎌田はその前に歩み出て、言った。
「その子も潜入に連れて行くのか?」
「予定ではそうですが、正直な所そうしたくはありません。」
鎌田が頷く。
「だろうな。俺もそう思っている。明日にも作戦会議があるだろうから、その時にちゃんと意見しておけよ。」
「…意見、ですか。」
思わず自信無さげに俯く。意見を述べるのは大変な勇気が要る。その上、必ずしも通るとは限らない。しかし言わない限りは変わらない。見かねた鎌田が励ます。
「大丈夫だ。連隊長もそこまでの分からず屋ではあるまい。」
「はい…言ってみます。」
与野は小さく言い、深く息を吐いた。
夜明けと同時に偵察機が飛び、結果が昼には打電されてきた。直ちに各部隊の指揮官が招集され、報告された。
「戦果は大火災2箇所、航空機地上撃破3。格納庫を除けば建造物は疎らで、その他殆どは幕舎。それから以前より確認されている滑走路の南に、新たに滑走路が増設されたようです。」
鎌田が電文を読み上げ、守田を見る。
「幕舎は候補から外しても良さそうですね。」
「だな。」
守田は頷いた。移動を繰り返す野戦司令部なら幕舎の可能性は大いに有り得るが、固定の基地であればしっかりとした建物と考えるのが妥当だ。
「建物の配置は?」
「はっ。以前よりある滑走路の東西の端に数棟ずつ固まっているようです。他にも新滑走路との間に小型のものが点在しているとの事。」
「ふむ…滑走路の両端にあるやつが怪しいな。」
守田は唸り、指示を出した。
「与野、君にはあの2人を率いて西端に行ってもらいたい。」
言われた与野はドキリとした。首を縦に振るのは容易い。しかし、彼は勇気を振り絞って口を開いた。
「…1つ、申し上げたいのですが。」
「何だね?」
鋭い視線が彼を射抜く。それでも言わねばならないと決心した。
「せめて美代を外してもらえませんか。以前にも申し上げました通り、彼女は手榴弾の扱いしか知りません。充分な訓練も無しに戦闘に参加させるのは、寧ろ我々の行動を制限する事になります。」
「足手纏い、と?」
守田の言葉に口を一瞬噤む。そんな表現を使いたくは無いが、簡単に言えばその通りだ。
「…そうです。」
重々しく肯定する。その様子に守田は溜息をつき、言った。
「分かった。君の好きなようにしてくれ。」
「ありがとうございます!」
与野は深々と一礼した。横目で鎌田を見ると彼は微笑み、小さく頷いた。
お久しぶりです。
祖父が亡くなってバタバタしておりました。更に毎日やたらと気持ち悪い状態が続いており、逆流性食道炎かもしれないとか言われております。吐き気が無限に止まらないってのはなかなかの拷問ですな。しかしいつも身体のどこかが不調なような…。
話が遅々として進まず、大変申し訳ございません。俗に言う筆が乗らないといった状態です。
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